風もなくとても蒸し暑い一日だった。
蝉の声が一気に元気になったような気がする。 今を生きている小さな命。がんばれがんばれと応援したくなる。
西日本は夏の高気圧におおわれているけれど。 東日本はずっと不安定な天気が続いているようだった。
新潟や福島の豪雨のニュースはなんとも心が痛んでならない。 天は容赦なく襲いかかってくるもの。どうしようも出来ない事が。 あまりにも多過ぎるのではないだろうか。ひとはみな耐えるしかない。
俺達はこんなに恵まれているんだな。夕食をとりつつ彼がつぶやく。 普通に暮らしていけることのありがたさをあらためて感じたことだった。
そうして平穏にいちにが暮れていく。なんと幸せなことだろうか。
散歩道ではあんずが夏草とたわむれ。とても満足そうな顔をしていた。 先日の台風ではすっかり濁流と化していた川も今は清らかに流れている。
いつまでもそうであってほしいと願わずにはいられなかった。
生きている限りどんな時もある。どうしようもできないことも。
けれども生きていかなければいけない。精一杯に日々を歩んでいこう。
猛暑日。おそらくこの夏いちばんの暑さではなかっただろうか。
以前は夏の暑さがとても苦手だったことを思い出す。 それが今では耐えられるようになったのが不思議だった。
夏が大好きだった子供の頃にはほど遠いけれど。 ふと童心にかえったかのように夏を楽しむ気持ちになる。
夏休み。おじいちゃんの畑のスイカがとても美味しかったこと。 くちびるが紫になるくらい川で水遊びをしたことなど懐かしい。
おじいちゃんも死んでしまった。おばあちゃんも死んでしまった。 けれども記憶のなかではいつでもかえって行ける夏があるのだった。
そういえば弟はスイカが大好物だったっけ。 半分に切ったのをスプーンでほじくってペロリと食べてしまった。 そうして残った皮の部分を頭にかぶっておどけたりしたものだった。
そうそう、そうして翌朝にはスイカ色のおねしょをしたりしたんだ。 あれはとても愉快だった。あいつまさか忘れてなんかいないだろうな。
夏にはたくさんの思い出がある。
それが夏の事でなかったなら忘れてしまったかもしれない。
そう思うと夏のことがとても愛しくてならないのだった。
久しぶりの晴天。やっと夏の太陽に会えた。 心地よい夏風のおかげで暑さもさほど気にならずにすむ。
今はちょうど夕陽が沈むところ。 茜色に染まる空を仰ぎながらこれを記している。
明日もきっと晴れるのにちがいない。空とゆびきりげんまんをしよう。
今日も平穏だった。それはとてもありがたいことなのだけれど。 ふっとこわくなる。突然に何かを失ってしまいそうで不安になる。
誰しもそんなきもちになることがあるのではないだろうか。 なにもかもが決して当たり前のことなんかではないのだと。 あたえられている日常がとても貴重な時間のように思えてくる。
だからといってそれは特別な時間ではないのだった。 普通のこと。ささやかなこと。それがいちばんの幸せに思えてくる。
きっとこれでいいのだろう。何も不安がることなんかないのだろう。
あとは眠るだけ。そうして何事もなく朝を迎えるだけ。
大丈夫。生きているのだもの。大丈夫。ちゃんとここにいるから。
曇り日。大気が不安定なのだろう時折りにわか雨が降る。 ここしばらく夏の太陽というものを見ていなかった。 それがとても恋しく思えてならない今日この頃である。
山里ではしきりに蜩(ヒグラシ)が鳴く。 他の蝉の声にくらべるとなんともの哀しい鳴き声なのだろう。 静寂にこだまするようにそれは鳴きふっとせつなさをおぼえる。
誰かをそっと呼んでいるような。
誰かをそっと待っているような。
毎朝出勤前にNHKの連続ドラマ『おひさま』を見ている。 BSだと7時半からなので欠かさず見ることが出来るのだった。 ドラマはもちろんのことその主題歌がとても好きになった。 残念ながら毎朝はそれが流れずどうしてだろうといつも思う。
とても優しいきもちになれる気がする。
大切なひとをすごくすごく守りたいなっておもう。
今が真夏であることを忘れてしまうほどの涼しさ。 過ごしやすいけれどなんとなく物足りなさを感じる。
夏がかくれんぼをしているのだろうか。
そうだとしたら早く見つけてあげなくてはいけない。
そんな涼しさに誘われたのかもしれない。 山里にはもうコスモスの花が咲き始めていた。 あまりに思いがけなくてびっくりとしながら。 好きな花を見つけるとやはり嬉しいものだった。
いちにちがたんたんと過ぎていく。 このうえなく平凡でこのうえなく平穏だった。
それが何よりも幸せなことなのだとあらためて思う。
真夜中から明け方にかけて激しい雷雨だった。 稲光と爆弾のような雷鳴が響き殆ど眠れないまま朝を迎える。
けれども雨上がりの朝のなんとも清々しい空気。 蒸し暑さもなく涼しくて過ごしやすい一日となった。
山里で仕事をしながらふとあるご老人の顔が浮かんでくる。 常連さんのお客さんだったけれど最近見かけないななんて。 元気でいてくれたらいいなって思ったその矢先のことだった。
なんとそのご老人がひょっこりと立ち寄ってくれたのだった。 手にはのど飴の袋。差し入れだよと言って私に手渡してくれた。 テレパシーというのだろうか。あまりの偶然にびっくりとする。
パンク修理とかオイル交換とかまったくそういうのじゃなくて。 ただ顔を見せたくなったのだと笑って言って手を振って帰って行った。
ほのぼのと嬉しさが込み上げてくる。これもささやかな糸のおかげだろう。
思いというものは必ず通じるものなのだろうか。 そう信じたくなるような出来事だったけれど。
ときには思うことさえも諦めてしまうことが私にはあった。
最近はとくに。ついつい投げやりな気持ちになることが多い。
けれどもひとを思うということはとても大切な事ではないだろうか。
みんなみんなか細くてもしっかりとした糸でつながっている。
その糸を自ら切るような事をしてはいけないなとつくづく思った。
気温はさほど高くならなかったが風がなく蒸し暑いいちにち。
午前中少しだけ家事をしただけでまたまた怠け者と化す。 ぐうたらぐうたら寝るというまことにだらしない有り様。
お昼にそうめんをたくさん湯がいた。 お腹一杯食べておいて晩ご飯もまたそうめんだった。
好きなのだ。あのつるつる感がなんともいえない。 三食そうめんでも良いなと思うくらい好きなのである。
好きな物をお腹一杯食べられることほど幸せなことはない。
そうして平穏に一日が暮れていくことが何よりに思う。
どうか無事にあしたがきますように。
いつもそう願いつつちいさな仏壇に手を合わせて眠りにつく。
昨日にくらべたらずいぶんと涼しい一日だった。
ずっとずっと風に吹かれていたくなるような。 そうしてぼんやりと空を仰いでいられたらどんなに良いだろうか。
忘れてしまいそうなことがひとつある。 だってもう8年もの歳月が流れてしまったから。 その頃にはたしかにあった情熱のようなものが。
いまはもうなかった。
そのことがすこしさびしい。
私は人生を旅しているのだとつくづく思ったりする。
戻ることはない。片道切符の旅だもの。
だからもしも忘れてしまったとしても私は私を責めやしない。
長年使っているケイタイの周波数が変わるとかで。 もう使えなくなるのだとしつこいくらい電話がかかってきていた。 無料で新しい機種を提供してくれると言うので今日はお店に行って来た。
新しいケイタイはちょっと使い難い。 仕方ないなと思いつつかなりとまどってしまった。
メールが思うように打てない。これには参ってしまう。
友人のお誕生日だったので一生懸命それを打とうとするが。 すっかり手間取ってしまってとうとう諦めてしまった。
けれどもそのおかげで久しぶりに声を聴くことが出来てよかった。
元気そうな声にとてもほっとする。なんてありがたい声なのだろう。
爽やかな朝の風もつかのまのこと。 快晴の空から真夏の陽射しが降りそそぎ。 じりじりと焦げるような暑さになった。
6日ぶりの山里へと向かう道。 心配していた崖崩れもなくほっとする。 実り始めた稲穂もさほど被害がなかったようだ。
稲が香っているのだろうか。ふっと秋の匂いを感じた。
そんな田園風景のなかを白装束のお遍路さんが歩く。 夏遍路は暑さとの闘い。どんなにか厳しいことだろうか。
労いの言葉をかけられない替わりにそっと頭をさげる。 ひたすら歩いているそのひとには気づいてもらえない。 けれども何かが伝わってくれるような気がしてそれをする。
ただそれだけのことだけれどそれはとても清々しいきもち。
職場に着き。懐かしいような母に会う。同僚に会う。 なんだかちょっと照れくさいような気持ちになった。
母がまた堰を切ったようにおしゃべりを始める。 相槌を打つのが今日の仕事だったような一日になる。
職場のすぐ近くの魚屋さんが店先でうなぎを焼いていた。 今日が土用の丑の日であることを思い出し買って帰った。
炭火でこんがりと焼いた蒲焼の美味しかったこと。
これでこの夏の暑さも元気に乗り越えられそうだ。
名残の風が一日中吹き荒れていたけれど。 午後にはずっかり青空になりほっと空を仰ぐ。
過ぎ去ればまたその後の進路が気掛かりなもの。 どうかこれ以上の被害がありませんようにと祈るばかり。
今日こそは山里の職場に行くべきところだったけれど。 まだ崖崩れの恐れがあると言う事でもう一日休みをいただく。 おかげで洗濯をしたり荒れた庭の掃除など出来て良かった。
買物にも行ったけれどすぐ近くの県道が通行止めになっていた。 崖崩れがあり大きな木や土砂に埋もれている道を目の当たりにする。 とても怖いものだなと思う。巻き込まれた人がいなくて幸いだった。
迂回路を通って行く事は出来たけれど狭い道でかなり混雑していた。 しばらくは不便が続くだろうけれど仕方ない事と思うしかないだろう。
大地震の被災地を思うと台風の被害などほんとうに些細な事かもしれない。 そうしてすぐに戻ってくる平穏。なんと恵まれている事だろうと思うのだった。
午後三時。あんずは私が家に居る事を知っていてまたきゅいんと泣き出す。 首のカラーをやっと外す事が出来てすっかり自由になった彼女だった。
土手の道はもの凄い風。その風にあおられながらふたりで歩く。 昨日は河川敷まであった川の水が今日はもうすっかり引いている。 濁流には変わりなかったが、ほんの少しその流れが緩やかに見えた。
今日よりも明日とその川の水はすぐに澄みわたることだろう。 そうしてまた空を映し真っ青な清き流れにと戻っていくのだった。
雨戸を閉め切った家の中で一日を過ごす。 いまだ暴風雨圏内にあるようだけれど。 今は雨も降りやみ小康状態と言ったところか。
つい先ほど川の様子が気になり見に行って来たが。 かなり増水しており怖ろしいような濁流が流れていた。 市内の各所で冠水しているところがあったり。 危険水域を越えて避難をしている人も多いという。
我が家は幸いなことに無事である。 それがどんなにありがたいことだろうか。
覚悟をしていた停電もまぬがれ。 こうしてささやかに今日を記すことも出来る。
息子や娘とも連絡がとれ大丈夫だよということ。 息子は深夜まで仕事。娘も早目に帰宅できそうでほっとする。
消防団の夫は午前中に招集があり高潮の警戒に出掛けた。 もう慣れているはずだったけれど。さすがに独りは心細く。 「行かないで」と言ったら「バカかおまえは!」と笑われた。
でもよくよく考えてみたら独りぼっちなんかじゃなかった。 庭の犬小屋にいたあんずを家の中に引っ張り込んで。 彼女の寝ている姿に安堵しつつ時を過ごす事になる。
それにしても急に静かになった。 嵐はもう過ぎ去ったというのだろうか。
いやまだ油断は出来ない。無事に明日がくるまでは。
おとうさんはやく帰って来てくれたらいいな・・・。
台風6号が不気味に接近していて風雨が強まってきた。 来るものは避けようがなく身構えるような気持ちで時を過ごすしかない。 明日は暴風域に入る見込みでもしかしたら上陸も在りうるだろう。
息子や娘のことが心配でならない。 仕事がちょうど休みなら良いのだけれど。 一緒に暮らさなくなってから子供たちの予定がまったくわからなくなった。
心配し過ぎだよと父である彼は笑い飛ばそうとするけれど。 心配性の母はどうしても悪い事ばかり考えてしまうのだった。
どうか危険な目にあいませんようにと祈らずにはいられない。
玄関先のつばめが。二度目の子育てをしている最中でもある。 暑さのせいだろうか先日から三羽の雛が亡くなってしまった。 もう駄目かもしれないと諦めていた矢先。 一羽が無事に育っているのを確認したばかりだった。
そのかけがえのない一羽の雛に餌を運び続ける親鳥。 今日も強い雨の中を勇ましく飛び立っていく姿を見た。
そうして夕方にはいつもより早目に帰巣してきて。 雛を抱くようにしてその羽根で包みこんでいた。 愛しい我が子。この嵐からなんとしても守ろうとするかのように。
微笑ましさ以上に強い愛情を感じて目頭が熱くなった。
やまない雨はない。過ぎない嵐もないのだもの。
きっとだいじょうぶ。つよくつよく生きてほしいよ。
午前四時。あんずが泣き始めて目が覚める。 それは甘えているようななんともせつない泣き声だった。 きゅいんきゅいんと甲高い声で泣き続ける。 ご近所迷惑にもなるだろうと夫が仕方なく散歩に連れて行った。
おしっこを我慢していたのかなと思ったけれど。 どうやらそうではなくその後もしばらく泣き続けていた。 いったいどうしたことか。言葉が通じればどんなに良いだろうか。
そんなあんずも昼間は静かにほとんど寝ている。 以前のように無駄吠えをすることもなくなりそれはとても助かっている。
午後四時。また泣き始めた。 今度は私と行く散歩をせがんでいるのだとわかる。 まだ陽射しのきつい中ふたりとぼとぼといつもの道を歩く。 汗びっしょりになった。あんずも暑いのだろうぜえぜえ言っている。 それでも満足げな表情をしていて私もほっとするのだった。
午後七時。今度は泣かなかったけれど。 夕涼みをかねてまた散歩に連れて行った。 ちょうど夕陽の沈む頃。茜色の空に川風が心地よい。
土手の石段に腰をおろしてしばらくそんな空を眺めていた。 あんずはあたりの草とたわむれている。草のことがよほど好きらしい。
明日の朝はどうか泣かないでね。そう言ってあたまを撫でてあげる。 わかったのかわからないのか。きょとんした目で見つめるばかり。
なんだかあんずに振り回されてしまったような一日だったけれど。
どうしようもなく老いていしまった我が家の末娘だった。
甘えたいのならそうさせてあげたい。
そんな愛もあってもよいのではないだろうか。
暑いですね。会う人みなが合言葉のように声をかけ合う。 猛暑日にこそならなかったけれどそうなる日も近いことだろう。 日に日に夏色が濃くなっていくのを感じる今日この頃であった。
山里は平野に比べるとほんの少し涼しいのではないかと思う。 木陰で風に吹かれていると一瞬でも暑さを忘れていられる。
事務所もまだエアコンを入れないでいる。 我慢しようと思えばそれも可能で開け放した窓から風を呼ぶ。 その風のことが私はとても好きだった。 けれどもそれもそろそろ限界かもしれない。 今日は母が暑さに耐えられないと言っていたことだし。
帰宅時。クルマのエアコンもまだつけないでいる。 なるべく自然の風を浴びようと窓を全開にして走っている。 その風の爽快なこと。やはり私は風のことが好きでならないようだ。
けれどもそんな風もやがて熱風に変わってしまうのだろうか。
なんだかそれはすこしさびしい。風が風でなくなるような。
風はあくまでも風であってほしいと願う気持ちを抱きつつ。
風に吹かれてみるのがいい。夏には夏の風が歌い続けている。
ここ数日不安定なお天気が続いていたけれど。 今日はすっかり夏空になり暑さもいちだんと増す。
隣家の庭に咲くノウゼンカツラの花がそんな空によく映える。 まるでハイビスカスのように見えて夏の光をいっぱいに浴びている。
午前中に宅配便が届いた。栃木の友人からの夏の贈り物だった。 中には冷たい柚子のシャーベットが入っておりさっそくご馳走になる。 まだ一度も会ったことのない友人だというのに心遣いがとても嬉しい。 縁というものはほんとうにかけがえのないものだとあらためて思った。
いつか会える日が来たらどんなに良いだろうか。 そんなことを夢のように思いつつ歳月ばかりが流れていくのだった。
午後はあんずを動物病院へ連れて行く。 看護師さんが二人がかりで押さえつけてやっと抜糸が済んだ。 けれども傷口にまだ少し赤味が残っているということで。 首のカラーはあと数日つけておかなくてはいけないそうだ。
あんずは何も知らないけれど。父も母もがっくりとしてしまう。 てっきり外してもらえるものと思っていたからちょっとショックだった。
でも我慢をしなければいけないのはあんず。 もう少し辛抱しようねと頭を撫でることしか出来なかった。
ドックフードにキャットフードを混ぜたもの。 ここ数日そんな夕食に大満足しているあんずだった。
食欲もあって元気なのがなによりも嬉しい。
父さんも母さんも心配性だねと笑っているように見えた。
「まぶちん」子供の頃からずっとそう呼んでいた私のおとうと。
いまはすっかり中年のおじさんになってしまって。 「まぶちん」と呼ぶと。もうその呼び方やめてやとおこったりする。
けれども他にどんな呼び方があると言うのだろう。 よぼよぼのおじいさんになっても私はそう呼び続けることだろう。
今日はそのまぶちんの52歳の誕生日だった。 以前はお中元もかねて何かかならず送っていたのだけれど。 去年からそれが出来なくなった。だって姉ちゃん金欠だし。
宝くじが当たったら家を一軒買ってあげるからねとメールする。 そうして「おまけ」と称して昨日のあんずの写真を添付しておいた。
あんずは弟の家で生まれた犬だった。 生後6ヶ月まで母犬と一緒に暮らしていたのを我が家に引き取ったのだ。 ころころとした子犬のあんず。弟一家にどんなに可愛がられていたことか。
あんずという名もそのままである日突然に我が家に置き去りにされた。 その時はどんなに途惑ったことだろう。どんなに寂しかったことだろう。
あんずは元気か?それ以来ことあるごとに問うまぶちんであった。
手術したけどこんなに元気だよ。今日のメールにもそう添える。
五分もしないうちに返信のメールが届いた。
あんずの元気な姿が何よりのプレゼントだよ!って言って。
今日も不安定な空模様。 気温もさほど上がらず過ごしやすい一日だった。
山里のやまももの実がすっかり落ちてしまって。 あたりじゅうに果実酒のような匂いが漂っていた。 たわわに実った実はとても食べきれずにそうして落ちる。 なんだかすこし淋しい。その木は確かに生きているのだけれど。
仕事は少し多忙。休みがとれず今週のバドは諦めてしまった。 身体を思いっきり動かしたくてならず不完全燃焼のままだった。 自分の身勝手さを思い知ったような気がしてしゅんとした気分。
どんな時もあるのだからと自分に言い聞かす。 あくまでも臨機応変がいちばんなのではないだろうか。
帰宅するなりあんずの甘えた声がする。 どうやら私が帰って来るのを待っていたようだ。 術後すっかり甘えん坊になってしまったけれどそれも可愛いものだ。
はいはい。すぐに行きましょうといつもの散歩道を歩く。 ずっと嫌がっていた首のカラーにもすっかり慣れてしまったようだ。 何度も立ち止まっては夏草の匂いをまさぐるように嗅ごうとする。
明後日はやっと抜糸。二週間あまり彼女なりに我慢をして耐えた事だろう。 すごくすごくえらかったよとほめてあげたい気持ちでいっぱいだった。
梅雨は明けたというものの不安定な空模様。 けれども季節はかくじつに真夏へと向かっているようだ。
つい先日のこと稲の穂が見え始めたと思っていたら。 今日にはそれがもうほんのりと色づき始めていた。 あとひと月もすれば稲刈りの季節になることだろう。
先へ先へと急ぐもの。せめて心はゆったりと過ごしたいものだ。
昨夜は家族五人がみな揃い久しぶりの外食は焼肉だった。 唯一ボーナスというものをもらった息子のおごりである。 遠慮をするな。好きなだけ食べれば良いと言ってもらって。 生ビールを飲みつつもうこれ以上食べられないほどごちそうになった。
嬉しかったのは息子がすっかり元気になってくれたこと。 一時はどんなに心配したことか。父も母も見守る事しか出来なかったけれど。 息子なりにひとつの山を越えられたのではないかと感じた。
これからも辛い事や苦しいことがたくさんあるかもしれないけれど。 いつでも帰ってきなさい。そう言ってあげたのが良かったのかもしれない。
家族がみな笑顔でいてくれること。それが何よりの幸せだと思う。
大震災から今日で四ヶ月。かけがえのない家族を失った人の気持ちを思うと。 心が痛みとても遣りきれない思いでいっぱいになってしまう。
失いたくはない。なにがあろうと決して失いたくはなかった。
午後7時20分。外はまだ明るくて。 沈みかけた夕陽がほんのりと茜色をつれてきてくれる。
あるひとが『ほおずき色』と言っていた。 その表現がああいいなってすごく思った。 真似をしてはいけないなと思いつつ そう綴ることが出来たらどんなにいいだろうか。
とても暑かったいちにちがそうして暮れていく。 やがて夜気が少しずつ熱を冷ましてくれることだろう。
今日は安息日。と言えば聞こえは良いけれど。 動き出すことを一切せずただただ怠けた一日だった。 この私のだらしなさは今に始まったことではないけれど。 食べて寝るまた食べて寝る一日もけっこう充実している。
あまりの暑さにコンビニにアイスを買いに行った。 自転車をこぐ。夏の陽射しと南風がとても心地よい。 どこまでもぐんぐんと自転車をとばしてみたくなった。
たとえば海。20分もあればそこに着くだろう。 自転車で来ましたよと言って波打ち際を歩いてみたかった。
思うことはとてもたやすい。実行に移さないのが私の癖だった。
午後4時半。いつもの散歩。陽射しはまだ暑いままでも風は心地よい。 あんずは暑さも気にならない様子でぐんぐんと先を歩いていく。 お大師堂には昨日のお遍路さんがそのまま滞在しているようだった。 顔は見えなかったけれど同じ靴があり今日もきびすを返す。
お遍路さんも今日は安息日だったのだろう。 お大師堂を気に入ってくれてゆっくり休んでくれて良かったなと思う。
ついに夏本番かと思いきや。晴れているのに雨がぱらついたり。 不安定な空模様のまま梅雨明けのニュースが流れる。
気温は33℃。今年も猛暑の夏がやってきそうだった。 夏が苦手でならない頃があったけれど今はそうではない。 ほんの少し身構えるような気持ちで心は真夏へと向かっている。
今朝は夏遍路さんの団体さんに遭遇する。 バスから降りてしばらく歩き遍路をする様子だった。 たくさんのお遍路さんがストレッチ体操をしているところ。 ご老人もいれば若者もいる。いまは皆が仲間という感じだった。
微笑ましくも思いつつ。夏の歩き遍路の大変さをひしひしと感じる。 ほんの少し歩いただけでも汗が吹き出すというのに。 札所から札所までの距離を思うと気が遠くなりそうだった。
バスツァーならば夜はお風呂にも入れて旅館で寛げるかもしれない。 けれども野宿の夏遍路さんもいることを忘れてはいけなかった。
夕方。いつもの散歩。お大師堂にはひとりのお遍路さんが来ていた。 よほど暑さが堪えたのだろう。大の字になって寝ているところだった。
起こしてはいけないとそっときびすを返す。 お疲れ様でしたとこころのなかでそっと声をかける。
歩くあるく。どんなに暑くても歩き続ける。
あえて厳しい夏を選ぶひともいるという。
ほんとうに頭が下がる思いでいっぱいになった。
七夕。空はどんよりと曇っていて天の川は見えそうにないけれど。 雲の上にはかならず晴れた夜空がひろがっていることを忘れてはいけない。
嘆くことなどなにもない。希望はきっとそこにあるのだから。
被災地の子供が書いた願いごとの短冊には。 「どうかお母さんが早くみつかりますように」
胸がしめつけられるような思いがした。 自分の願いごとなどほんの些細な事のような気がしたのだった。
今夜こそ手を合わさなければいけない。 祈らなければいけない大切なことがあるのだと思う。
日常はそんな思いとはかけ離れたように過ぎていく。 気がつけば普通に暮らしていくことが当たり前のようになっているのだ。
今日も職場に着くなり祖母の様子を見に行く。 もしかしたらもう動けないまま寝たきりになってしまうのかもしれない。 そんな心配をしていたけれど。今朝は自力で立ち上がることが出来ていた。 よいしょ。よいしょと自分で掛け声をかけながら一歩一歩足を運ぶ姿。 決して負けないぞと言う強い意思を感じ。なんと安堵したことだろう。
一度諦めてしまうともう取り返しのつかない高齢者だった。 そんな母親を思っての義父の叱咤ではなかったのかと気づいた。
えらいね。おばあちゃんすごいえらいよ!そうほめてあげると満面の笑顔。
私もすごく嬉しかった。だって大好きなおばあちゃんなんだもの。
小雨が降り続く。蒸し暑さもなく過ごしやすい一日だった。
山里の職場に着くなり義父の苛立った声。 どうしたことかと身構えつつ胃がきゅうっと痛くなる。
以前にもここに記したことがあったけれど。 母の姑にあたる私にとっても義理の祖母であるひと。 その祖母の足がぷっくりと腫れてしまい動けないのだと言う。
病院に連れて行くにも手間取ってしまい義父が苛立っていた。 少しでも手助けをと思い私も祖母の家に駆けつけたのだけれど。
義父は決しておんぶをしたり抱き上げたりもしなかった。 傍目にはそれはとても酷いことのように思えてならない。 けれどもなんとしても自力で立ち上がれと叱咤激励している。 祖母も必死の様子で一生懸命ふんばっているのだった。
時間はかかったけれど祖母は精一杯頑張った。 そうしてやっとの思いでクルマに乗り込み病院へ行く。
骨には異常なし。けれども原因は分からないまま帰宅する。 祖母は赤子のように這いずりながら茶の間に落ち着いた。
義父の叱咤激励は続く。それはどうしても怒鳴り声に聞こえるけれど。 私が口を挟んで優しく言えば祖母は手を振ってそれを遮ろうとするのだった。
ありがとうね。またあした来ておくれよねと祖母。
胸に熱いものが込み上げてくる。悲しいのじゃない・・それは決して。
老いるということはこんなにもせつないことなのだろうか。
どうかおばあちゃんがちゃんと動けるようになりますように。
ただただ祈ることしか出来ない。なんだかそれが歯がゆくてならない。
昨夜降った雨のおかげだろうか。今朝はとても涼しく感じた。 けれども日中の陽射しは強くなりまた真夏日がおとずれる。
午前中は週イチのバドミントンに出掛け気持ちよく汗を流した。 熱中症も気になるけれど夏のスポーツは癖になるほど心地よいものだ。 早くも来週が待ち遠しい。身体を動かしていると心も元気になるようだ。
午後四時過ぎ。あんずに催促されていつもの散歩に出掛ける。 犬は暑さに弱いはずだけれどあんずは平気な様子で元気に歩く。 術後の経過も良く日に日に回復しているのがわかりほっとする。
もう大丈夫かもしれないと思い、今日はお大師堂まで足をのばした。 何も言わなくてもそれがわかるらしい。先へ先へとその場所を目指す。
やはりお大師堂はこころが落ち着く。ほっと安堵するような安らぎがある。 しばしのご無沙汰を詫びつつ手を合わせていると心が洗われるようだった。
願いごとはするまいと今日は思う。ただただ平穏に感謝するばかり。
あたえられている日常のすべてのことが当たり前のことではないこと。
その大切さを決してわすれてはいけないとおもう。
早朝。あんずの悲鳴のような泣き声で目覚める。 どうやらトイレを我慢しきれなくなっていたようだ。 人間の言葉はしゃべれなくてもそうやって伝えようとする。 もっともっと言いたい事があるだろうに。 そう思うとどんな些細なしぐさも感じ取ってあげなくてはと思った。
少し寝不足の朝。いつもの山道を職場へと向かう。 するといつの間に咲いたのだろう。ねむの木の花があちらこちら。 とても好きな花だった。ちいさな孔雀が木にとまっているように見える。
ことしもまたそんな季節が巡って来たのだなあと感慨深く眺めた。 紫陽花の季節が終わり始めてもこうして夏の花たちが生まれてくれる。 春夏秋冬。花はいつも傍らにありひとの心を和ませてくれるものだ。
職場に着けばヤマモモの実が赤く色づきはっと目をみはるほど。 ほんの数日見ないあいだにこんなにもたわわに実ってくれたのかと。 なんとも嬉しい気持ちになった。すっかり夏なのだなあとつくづく思う。
咲く花。実る木。すべて命があってこそのこと。 もしも失うことがあったとしても嘆いてはいけないのだと思う。
おかげでいきいきとした気持ちになり一日を過ごせた。
夏の花よありがとう。夏の実よありがとう。
早朝の爽やかさもつかの間。今日も真夏日となりとても暑くなる。 家事もそこそこに一日中だらだらと過ごしてしまった。
うたた寝をしている時に夢をみた。それは寝ている夢で。 すぐそばにサチコがいたので夢ではないのかもしれないと思い。 早く起きなくてはと目を開けようとするのだけれど起きられなくて。 やっと目が覚めた時には汗びっしょり。もちろんサチコはどこにもいない。
どうした?うなされていたぞと彼に笑われてしまった。 目覚ましに冷たい物が食べたくなりコンビニにアイスを買いに行く。 からだがふにゃふにゃと気だるくてしょうがない午後のことだった。
とにかく動き出さなくては。 晩ご飯は炊き込みご飯の予定だったので早めに下ごしらえをする。 そうしていつもの散歩に出掛けた。 いつの間に曇ったのだろう。暑さも少し和らぎ川風が心地よかった。 あんずの足取りが日に日に元気になる。私も負けてはいられない。 土手の草むらに顔をうずめるあんず。私もそれを真似てみたくなる。
草のにおい。どんなだろうか。きっと懐かしいにおいがすることだろう。
くんくんくんと犬になりたい。おとなではなくてこどもになりたいような。
6月のカレンダーを千切るとそこには一面のラベンダー畑。 まだ一度も訪れたことがない北海道の大地に思いを馳せた。
夢だなと思う。一生叶わないかもしれないけれど夢はあるほうがいい。 ひとり旅がしてみたかった。迷子になってしまうかもしれないけれど。
親戚に不幸があり、昨夜はお通夜。今日はお葬式と慌しく過ごす。 人が死んでしまうという事にすっかり慣れてしまった自分が怖くなる。 自分もいつかはと思うともっと怖くなる。出来れば長生きがしたい。 せめて米寿までなどと欲なことをふと考えてしまったりするのだった。
帰宅後あんずと散歩。まだあまり遠くまでは歩けなくて。 日課だったお大師堂まではしばらくおあずけになりそうだ。 首にがっしりと取り付けられたカラーが嫌でたまらない様子。 歩きながらそれを地面に叩きつけるようにしながら散歩する。
お気に入りの犬小屋も入り口を広めてあげたら大喜びだった。 軒下は駄目。家の玄関も気に入らず一晩中泣いていたのが嘘のよう。 昨夜は犬小屋でぐっすりと眠ってくれてとてもほっとしている。 自分の匂いが染み付いた犬小屋がいちばん安心するようだった。
ゆっくりだけれど日に日に元気を取り戻しているあんず。
父さんも母さんもやけに優しいなあってふふっと笑っているようだ。
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