ゆらゆら日記
風に吹かれてゆらゆらと気の向くままに生きていきたいもんです。

2011年01月31日(月) 雪と太陽

昨日から雪が降ったりやんだりしていたのが。
昨夜から積もり始め今朝はすっかり雪景色となった。

今年になり三度目の積雪。
この冬の寒さは特に厳しく思われる。

けれども身体は不思議と寒さに慣れていく。
雪景色を子供のように喜んでいる自分がいた。

午前中はずっと雪。どんどんと積もっていく。
さすがに川仕事は無理だろうと休むことにした。

久しぶりの休日だった。
足の痛みも和らぎゆっくりと寛ぐことが出来る。

山里の母からメール。
月末で困っているのではないかと気になっていたところだった。
折り返し電話をすると「やっほう!」とひょうきんな声。
なるようになっているよ心配ないよとのこと。
なんだかほったらかしにしているようで気がひけていたけれど。
そっか・・わたしがいなくてもどうってことないのかと。
安心するやら。ちょっと物足らないような寂しさやらだった。

どんな時も弱音をはかない母。それが私への優しさにも変わる。


午後。空が一気に青空になった。
降り注ぐ陽射し。あらあらという間に雪が溶け始める。

太陽の光がこれまでとはたしかに違う。
それは冬の太陽ではなく春の太陽のように思えた。

立春も近い。かくじつに春に向かっている証拠だった。

あとすこしもうすこしのしんぼうだ。









2011年01月29日(土) なんのこれしき

今日も北風が強し。とても冷たい風。
今にも雪がちらつきそうな空模様だった。

川仕事は順調に一週間が過ぎた。
程よい疲れもまた心地よく清々しい気持ち。
体調も良くとても元気なのだけれど。
寒さのせいか足首がちょっと痛み始めた。

なんのこれしきと思っていても。
痛みには勝てず。ついつい弱気にもなる。
なんかどうしようもなく悔しくてならない。

日課の散歩も辛くなる。
でも休むわけにはいかない。
犬小屋できゅ〜んとあんずが待っている。

いつものようには歩けなくて。
「お母さんどうしたの?」と問うように。
あんずが何度も立ち止まって私の顔を見るのだ。

その顔を見ているとなんとも愛しくて。
だいじょうぶよ。お母さん大丈夫だからと。
声をかけながらゆっくりと前へ進んで行った。

歩こうと思えば歩ける。少しずつ前へ。

何事もすべて試練なのだと思うことにした。

痛いところのひとつくらいどうってことないじゃん。




2011年01月27日(木) わっしょいわっしょい

北風ぴいぷうおお寒い。


川仕事の手を動かしながら。

いろんなことをかんがえる。

山里の職場の事や母のこと。

会えない息子や娘のことや。

今夜の晩ご飯のおかずのこと。

いろんなことをかんがえる。

これがああなってそうなれば。

さいこうにうれしいなあとか。

なるようになるっていうけど。

いったいどうなるのだろうとか。


いろんなことをかんがえる。

あたまのなかがお祭みたい。

わっしょいわっしょいがんばった。



2011年01月26日(水) お好み焼き

このところお好み焼きにはまっている。

今夜も晩ご飯にそれを焼いた。

もちろん他には何も作らない。

お好み焼きが晩ご飯なのである。

ビールをのみのみそれを食べる。

彼は手抜きだと言うけれど。

わたしにはごちそうだった。

今年になって三度目のお好み焼き。

また10日ほどしたらそれを焼こう。

今夜はアレよと言うとまたアレかと。

彼はいつも笑いながら言うけれど。

好きなくせにとわたしは信じている。



2011年01月25日(火) 白い木の実

川船に乗って漁場へ向かっていると
岸辺に白い実をいっぱいつけた木が見える。

その木の実のなんと可愛らしいこと。
青空によく映えて真珠のように輝いている。

なんていう名の木なのだろう。
夏にはどんな葉を繁らせていたのだろう。

とても気になる木のことが大好きになった。

鳥になってその木にとまってみたくなる。

鳥になってその実を一粒ついばんでみたくなる。



2011年01月24日(月) おいちにっおいちに

曇りのち晴れ。風の強い一日だった。

その風がよかった。
海苔は天日干しをしているため良く乾くのだ。
空模様を気にしながらの毎日だけれど。
冬の陽射しと乾いた風に恵まれると嬉しい。

作業を終えると程よく疲れ炬燵にもぐりこむ。
テレビを見ながらうたた寝をするのも心地よい。

そうして日課の散歩に行く。
颯爽と先を急ぐあんずに引っ張ってもらって。
冬枯れた土手の道。川面をながめながら歩く。

おいちにっおいちにっと声を出して歩いた。

そうすると不思議と足が軽くなる。
あんずに追いついてあんずを追い越して歩く。


お大師堂にとても美味しそうなお饅頭が供えてあった。
ごくんと唾を飲み込む。食べたいのをぐっと我慢する。

お腹空いたなあとつぶやきながら家路を急いだ。


晩ご飯は昨夜の残りの鍋物におうどんとお餅を入れた。
お餅のなんと美味しいこと。二個も食べればお腹がいっぱい。

幸せだなと思う。欲を言えばデザートにシュークリームとかほしい(笑)



2011年01月22日(土) できること

寒さも少し和らぎ穏やかな晴天となる。
冬の陽射しがふりそそぐ。うけとめるように空を仰いだ。


川仕事。ついに収穫の時が来て今日が初日。
青々と緑の海苔が成長していてとても嬉しく思った。
収穫も例年より少し多く幸先のよいすべり出しとなる。

何よりも身体を動かしているのが心地よい。
この仕事好きだなとつくづく思ったことだった。

夫婦ふたり力を合わせてこその家業だけれど。
彼がたまには一人でも大丈夫だからと言ってくれる。
山里の職場の母のことを気遣ってくれているのがわかる。
その言葉にどんなにか救われたことだろう。
週イチは無理でもせめて月末ぐらいは助けてあげられそうだ。

母にはまだそのことを伝えてはいないけれど。
突然に行ってびっくりさせてあげるのも良いかもしれない。

心配でならなかった母のこと。少しは気が楽になったような気がする。
けれどもそのぶん彼に負担をかけてしまうことになってしまうのだけれど。

私も弱音を吐いてなどいられない。
彼も助けて母も助けられるよう精一杯のことをしたいと思っている。


できること

それができないとあきらめるのではなくて

できること

ひとつひとつのりこえるようにすすんでいく

できること

そうしてみんながすこしでもらくになれるよう

できること

やってやれないことなどなにもないのだから




2011年01月19日(水) おしゃべりさん

久しぶりの朝の道。まさかと思った雪がまだ残っていて。
山道はところどころ凍結しており冷や汗をかいてしまった。

峠道をやっとのおもいでのぼりつめるとそこも雪。
民家の屋根も畑にもまだ雪が残っていてびっくりしてしまう。
よほどの積雪だったのだろう。雪景色が目に浮かぶようだった。


いちばんのりの職場。暖房を強めにして事務所をあたためていると。
母が出勤してくる。少し咳をしていたけれど元気そうな様子にほっとする。
着膨れをしていて丸い背中がよけいに丸まって見える。
背丈は私と変わらないというのにとてもちいさく見えた。

せつない老い。どうしようもなく母は老いていくのだった。

ぼちぼちと仕事を始めたものの。母のおしゃべりが始まる。
それは堰を切ったように始まり相槌を打つのに忙しいほどだ。
よほど話し相手が欲しかったのだろう。淋しかったのかもしれない。
こんな娘でも母にとってはいちばんの話し相手なのかもしれなかった。

ああ!落ちるよ!母が叫ぶ。何事かと外を見ると。
ご近所の民家の屋根から雪のかたまりが落ちるところだった。
それは瓦目にそって整列するようにするりっと滑り落ちていく。
その様がなんとも心地よいので興奮気味の母なのだった。

ぜんぶ落ちたね。うん気持ちよかったね。とか言い合いながら。
また仕事の続きを始めたりする。ねえこれファックスしといて。

あああお腹空いたなと私。あっ!ご飯炊くの忘れてたと母。
事務所の二階はかつての住居になっていて母の台所がある。
そこで社長である夫の昼食を作るのが母の日課なのだった。

いつものことながら母ののんびり屋さんは愉快なことである。

私はお弁当を食べる。母は二階で大奮闘をしている。

そんな昼休み。わたしはあたりの屋根の雪を見上げながら。

あれも落ちそうだな。もうすぐ落ちそうだなと母を待っている。



2011年01月18日(火) 夕陽がまぶしい

あいかわらずの寒さ。けれども日中は冬の陽射しがふりそそぐ。
風はすこし冷たかったけれど青空はほんにありがたいものだ。


午後から市内で自動車保険の研修があったため。
けっきょく今日も山里には行かずじまいとなる。
おかげでゆっくりと洗濯をしたり畑の様子を見に行ったり。
そんな畑で思いがけず豌豆の白い花を見つけた。
雪の寒さにもめげず咲いてくれたのかとなんとも愛しかった。

ちいさな春を見つけたような気持ちになる。
どんなに寒くてもきっと春が来る。
あと少しもう少しとしんぼうしながら春を待ちたい。


研修が長引いたおかげでいつもの散歩には行けなかった。
私のかわりに連れて行ってあげてねとあんずを彼に頼んであったけれど。
犬小屋からは出たものの路地に出るなり尻込みをしたと言う。
どんなになだめても歩こうとはしなかったらしく散歩は中止。
おまえじゃないと嫌みたいだぞと苦笑いをする彼だった。

そんなことを聞くと困った子ねえとか言いながらちょっと嬉しい。
晩ご飯の支度もあったけれどせめておしっこだけでもとおもい。
土手に向かってふたりで駆け上がる。おしっこ我慢していたらしく。
身震いしながらそれをする様子もまた可愛らしいものだ。

そうして私より先になって家に帰ろうとする。
いつもの散歩ではないことをすっかり理解しているようだった。

あしたはゆっくりと行こうねと話しかけると。
気のせいかもしれないけれどうなずくような仕草をした。

夕陽がまぶしい。西の空が茜色に染まっていく頃のことだった。



2011年01月17日(月) 雪やすみ

昨日の雪がとけきらないうちに昨夜も雪。
しんしんととても冷たい朝になった。

道路が凍結しており仕事は自宅待機となる。
山里の雪は平野部よりもひどかったようだ。
母の住む町も身動き出来ないほどの雪だったと言う。

そんな雪も晴天にどんどんとけていったが。
結局仕事には行かず一日のんびりと過ごさせてもらった。


午前中。彼が海苔の漁場を見回りに行くと言うので一緒に行く。
まわりの雪景色に緑の海苔。なんとも色鮮やかな光景であった。
生育も順調で来週あたりから収穫が出来そうだと言うことである。

そうなれば山里の職場どころではなくなり。
また母に負担をかけてしまうことになるけれど。
こればかりは生活がかかっておりどうしようも出来なかった。

毎年の事だけれど。からだがふたつあればと思わずにいられない。
あちらをたてればこちらがたたず。二束のわらじはとても無理だった。

だいじょうぶ。なんとかなるよといつも母は言ってくれる。
私も母のように楽観的でありたいと思うのだけれど。
いつも心配が先にたち思い煩ってばかりいるようにおもう。

うんそうね。今までもなんとかなったのだからと気をとりなおす。

やれるだけのことを精一杯頑張っていればきっとうまくいくはず。



2011年01月15日(土) ぷらすいち

夕方から冷たい北風がひゅるひゅると吹き始めた。
明日は雪の予報。目覚めればいちめんの銀世界かもしれない。

寒さがとても身にこたえる。それは去年の冬よりももっと。
老いのきざしかもしれないけれど今年の冬は特別のようにも思える。


昨夜はとても億劫だったけれどバドミントンに行ってきた。
先週は足首に痛みがありサボってしまったので。
今年初めての練習ということになる。
行けば行ったでそれはとても楽しかった。
まだ少し足首に違和感があり思うように動けなかったけれど。
まさに老体にムチ打つという感じで頑張ってみた。

もう無理かもしれないと事あるごとに思うことがある。
まだまだこれからだという意欲は皆無と言ってもいい。

けれどもやればできる。できるとまた少し勇気が湧いてくる。

そんなかけがえのない勇気を大切にしていきたいものだ。


バドミントンに限らずあらゆることに臆病になっている。
やれば出来るかもしれない事を先に諦めてしまうのだった。
諦めればもう最後。人生においてそれに臨む事はもうない。

残り少ない人生だと思うにはまだ早過ぎるかもしれないけれど。
それはいつまでという保障などない。それがとても不安だった。

気がつけばどんどんとマイナスに向かっているじぶん。
これではいけないなと最近つくづく思うようになった。

どんなちいさなことでもいい。足し算がしたい。

ちっぽけなひとつにまたちっぽけなひとつを足していきたい。



2011年01月11日(火) 5年後

朝はやはりとても寒い。
それでも年末年始の積雪をおもえばマシなのだろうと思う。

通い慣れた朝の山道もすっかり冬枯れてしまった。
お遍路さんの歩く姿も見かけなくなって少しさびしい。


三日ぶりの職場だった。
気掛かりだった母の体調もだいぶ良くなったようでほっとする。
私も少しふらつきがあるものの昨日よりは楽になったようだった。

みんなが健康でありますように。そう祈った初詣。
この先どんなことが待ち受けているやらと不安もあるけれど。
ひとつひとつ乗り越えていけるようないちねんでありたいものだ。


午後から自動車免許の講習があり早引きをする。
そうしてゴールドの新しい免許証をもらった。
また5年後にみなさんそろって会いましょうと係の人に言われ。
ふっと5年後を思い浮かべると自分の年におどろいてしまった。
もう写真なんか撮りたくもないだろうなって可笑しくもなった。

そんな5年があっという間に来てしまうのだとしたら。
なんだかあまりにもあっけなくてとまどってしまいそうだった。

先のことなんて考えないのがいちばん。
母は口癖のように言うけれど。
私にはいつも先があって明日のことが気掛かりでならない。

いまを生きる。そうわりきれたらどんなにいいだろうか。

いちにちいちにちを大切に。愛しみながらたのしみながら生きたい。

そうおもっているけれどおもうほどにはうまくいかないものだ。



2011年01月10日(月) ひと山越えて

今日も晴天。冬の太陽ほどありがたいものはない。

だというのに一日中ごろごろと寝てばかりいた。
今に始まったことではないがほんにだらしない有様である。

昨日は予定通り隣町のお寺まで初詣に行ってきた。
毎年裏山のミニ八十八ヶ所巡りをするのが習いなのだけれど。
今年はどうしたことかずいぶんと疲れてしまって動悸息切れ。
一年でこんなにも体力がなくなってしまったのかと情けなく思う。

それでも最後の仏像に手を合わした時の清々しいきもち。
無理だと途中で諦めずに歩き続けて良かったのだなと思った。

たかがひと山越えるだけでこの疲れ。
四国霊場を巡るお遍路さんの苦労をしみじみと感じたことだった。

帰り道は少し弱気になってしまって。来年は無理かもしれないと思う。
けれども一日経って今日になれば来年もきっと行こうと思えるようになった。


その疲れもあったのだろう今日は少し体調悪し。
めまいふらつきなどそれももう慣れてしまってもいい頃である。
だましだまし付き合っていくしかないのかもしれない。



気だるさを吹っ切るようにいつもの散歩。

「さあ、かあさん行くよ!」あんずの声がきこえるようだった。



2011年01月08日(土) 日向ぼっこ

冬の陽射しがありがたく穏やかな晴天となる。

新聞のかたすみに『日向ぼっこ』という記事を見つけた。
炬燵や暖房に頼らずに冬の陽射しをもっとたのしもうと書いてある。
そうだなって私も思った。今日は絶好の日向ぼっこ日和だもの。

散歩道で冬の陽射しをいっぱいに浴びる。
土手の石段にしばし腰をおろして川面を眺めた。
観光船がゆったりとゆっくりと横切っていく。
傾き始めた太陽の光が川面をきらきらと染める。

どんなに寒くてもこんないちにちもある。
とてもほっとするおだやかなひと時だった。



仕事は今日から三連休をいただいていたけれど。
母のことが気掛かりになり電話をしてみた。
そうしたら病院にいて点滴をしているとのこと。
風邪の具合があまりよくないようだった。
私は三日も休まなくていいから今から行こうかと言うと。
だいじょうぶ。来なくても良いからと言ってきかない。
母が無理をしているようで気になって仕方なかったけれど。
はらはらとしながら私だけお休みをもらってしまったのだった。


明日は遅くなってしまったけれど初詣に行って来ようと思う。
毎年行っている隣町の四国霊場のお寺なのだけれど。
やはりそこから始めないと一年が始まらないような気がしてならない。

みなが健康で無事にいちねんを過ごせますように。

そうしてなによりも生きて新しい年を迎えられた事に感謝したいと思う。



2011年01月06日(木) 寒の入り

二十四節気の一つ「小寒」寒の入りとなり寒さも本番となる。

あいにくの曇り空で冬の陽射しを恋しく思う。
どんなに寒くても太陽というものはとてもありがたいものだった。


ひとり年賀状を出せなかった友人がいて。
元気にしているかしら?そればかりをおもって。
寒中見舞いの葉書をしたためポストに投函する。

ことん。その時ちいさな音がした。
ことん。なんだか声のような音だった。

どうかちゃんと届きますようにと手を合わす。

喜んでくれたらいいなってすごくすごく思った。




仕事。今日もさほど忙しくもなく母とふたりのんびりと過ごす。
急いでやらなければいけないことは何もないのだからと。
母に言うと。そうね・・明日でもいいねとうなずいてくれた。
心配していた神経痛は薬でなんとか治まっているようだったが。
そのうえに風邪をひいてしまったようでふんだりけったりだった。

すっかり丸くなった背中。ひとまわり小さくなったような母。
ふと心細くなる。なんだかとても老いてしまったことを感じる。

明日も無理をしないようにしようねお母さん。

私もね。ぼちぼちだよ。ぜんぜん頑張ってなんかいないからね。









2011年01月05日(水) 仕事始め

霜の朝。ちょうど朝陽が射し始めた土手がきらきらと眩しい。
きりりっとした朝の空気。その寒さで身が引き締まるようだった。


一週間ぶりだろうか通い慣れた山道を行く。
見慣れた風景もなぜか新鮮に思えるのは。
新しい年を迎えたせいなのかもしれない。

母も同僚もまだ出勤しておらずしんと静かな職場。
事務所には母が準備したのだろう鏡餅がそなえてあった。
タイムカードの棚には小さな注連縄までつるしてあって。
母らしいなとふっと笑みがこぼれる。


暮から神経痛で苦しんでいた母。
痛み止めの薬が効いたのもつかのま。
元旦にもまた痛みがおそってきたらしい。
それなのに大晦日も仕事をしていたと言う。
ゆっくりと休んだのは元旦だけだったようだ。

今日も薬が効いているからと安静になどしない。
いつもとかわらず元気そうな素振りを見せるばかり。
何を言っても無駄でただはらはらと見守るしかなかった。

かわれるものならかわってあげたいとどんなに思ったことだろう。
ずっと寝正月をしていた自分をとても心苦しく思ったことだった。

さいわいなことに仕事はそれほど忙しくもなく。
穏やかに時がながれいちにちが過ぎていった。

早目に仕事を終え少しでも安静にするようにと母に言い聞かせ。
自分は母よりもずっと早い時間にタイムカードを押す。

今夜はどうか痛みませんように。そればかり祈っている。



2011年01月04日(火) 意欲

年末年始の寒さがうそのように穏やかな晴天。

お正月気分もすっかりと遠のき。
そろそろ動き出す時が来たことを感じる。

午前中にまずは食料品の買出しなど。
スーパーに行けば人の少なさにはっとする。
今日が仕事始めの人も多いことだろう。
もう平日の朝なのだと思い知ったことだった。

私も明日が仕事始め。
行かなければと思うと憂鬱になってしまうから。
気分を入れ替えるように「行こう」と思っている。

仕事ばかりではない。最近は何事につけて。
やらなければしなければがあまりにも多すぎる気がする。
そのたびに億劫になり憂鬱になってしまうのだった。

やろう!という意欲。いったいどこにいってしまったのだろうか。

年のせいかなと思うけれど。世間には意欲的な老人もたくさんいて。
私なんかまだまだ若いじゃないかと笑い飛ばしてくれる人もいてくれる。

何事も気の持ちようなのだろう。わかってはいるけれど。
思うようにいかないきもち。思うように湧かない意欲だった。

やってやれないことはない。やろう!ともっと思えるようになりたい。

無理だとあきらめずに少しずつ頑張っていきたいものだ。


そうでなければいつしか自分を見失ってしまいそうでこわい。



2011年01月03日(月) おしゃべりの花

明けて三日。寒さも和らぎほっと一息つく。

例年ならば初詣などに出掛けてみるのだけれど。
今年はどうにも動き出せないままもう三日になってしまった。

元旦には子供達も帰って来てくれてにぎやかに過ごした。
その後は火が消えたように静かになってずっと寝正月をしている。

だらだらとしたきぶんにも我ながら嫌気がさしてきて。
今日は彼が喫茶店に行くというので一緒に連れて行ってもらった。

いとこが経営している喫茶店。彼は常連さんだけれど。
私は開店以来ほとんど行った事がなかった。

「まあめずらしいこと!」と歓迎してもらって笑顔になる。
すると他のいとこ達もぞろぞろとやって来てそれはにぎやか。
まるで親戚の新年会のようになっておしゃべりの花が咲いた。

気がつくと私はわたしではないかのように声がはずんでいる。
あまりにもよくしゃべるので彼も不思議がっているようだった。

そろそろ帰ろうかと促された時もわたしはしゃべり続けていた。
自分でも首をかしげたくなるほどの可笑しなひと時を過ごす。

ひと恋しかったとでもいうべきだろうか。

ときどきはこんな時があってもいいだろうとおもったことだった。



そうして帰宅するとあたりまえのように花がしぼんだようになる。

枯らしてしまうにはあまりにもさびしく。

またきっと咲けるようにと水をやり続けようとおもう。





2011年01月02日(日) 純白

あたらしい年。あたらしいこころで。
と思ってはいるのだけれど。
一歩踏み出したという実感もなくて。
明けて二日の今日となった。


大晦日から雪が降り続きまるで北国のよう。
元旦もまぶしいほどの銀世界がひろがって。
その純白に新鮮な気持ちを描きたくなった。

はじまったのだなとおもう。

ここからいくのだなとおもう。

あしあとをつけながら歩んでいきたかった。


そんな雪もきょうはとけていく。
なんだかさびしくなってしまって。

待って。と空にさけびたいきもちになった。

けれどもすすむすすむ。

おきざりにされたようなこころを抱きしめる。


これでいいのかもしれない。

そうしてすべてがはじまろうとしているのだから。



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