今にも雪にかわりそうな雨。 ときどきは陽も射しながら小粒の雨が冷たく落ちる。
このいちねんをふりかえる。 織りつづけてきた布をそっとひざにのせるように。 ちぐはぐなところすこしゆがんでいるところ。 そのどれもが愛しく思えてならなかった。
生きてきたんだなとおもう。 生かされてきたんだなとおもう。
たぐりよせればたくさんの糸に恵まれていたことを知る。
この布が私です。そういって神さまに見せてあげたい。
そうしてそれをそっとたたむ。
あたらしい年になればまたあたらしい布を織ろう。
追記:ことし最後の日記になってしまいました。 いつも読んでくださったみなさまありがとうございます。 足跡がとても嬉しかったです。とても励みになりました。 みなさまどうかよいお年をお迎えください。
仕事納め。 思いがけずに年末手当をいただく。 とても苦しい経営状態だというのに。 これでお正月をしてねと母がくれたのだった。
心苦しさもあるけれどやはり嬉しさが勝る。 正直なところ年を越せるだろうかと不安でならなかった。 ほっとした気持ちであれこれと買物をする。 あまり贅沢は出来ないけれど、なんとか新年を迎えられそうだ。
恥ずかしい話しだけれど、今年ほど家計が苦しかった年はない。 そんな日々に山里の職場でいただく日当にどれほど助けられたか。 親孝行などと言いながら、ずっと母に助けてもらっていたのだった。
その母が今日は突然の神経痛におそわれ一日中苦しんでいた。 昨日まではとても元気だっただけに心配でならなかった。 かわってあげられるものならかわってあげたい。 どうすることも出来ずただはらはらと見守るだけだった。
ついさっき電話してみたところ。 ちょっとお酒を飲んだら少し楽になってきたということ。 明日も出勤するという母にくれぐれも無理をしないように伝える。
そうしたらすぐにメールが届く。
「ありがとうございました」とひとこと。
おかあさん。それはね私がお母さんにいちばん伝えたいひとことだよ。
ありがとうね。おかあさん。
このいちねんほんとにありがとう。
そうしていっぱいがんばったおかあさん。
ほんとにおつかれさまでした。
2010年12月28日(火) |
もういくつねるとおしょうがつ |
夕方から風がとても強くなる。 ひゅるひゅるがたがたとさわがしい夜になった。
彼が消防団の夜まわりに出掛けひとりぼっちでいる。 すこし心細い。風の音がざわざわと耳につき不安になる。
気をとりなおすようにのむ焼酎。 酔ってしまえば気分も落ち着く事だろう。
山里の職場も明日が仕事納めになった。 年末の資金繰りが苦しいせいか、母が少し苛立っている。 けれども母に言わせれば、私が苛立っているからだと言う。 どっちもどっちということだろうか。 何度かぶつかっては母が私のご機嫌をとるという感じで。 まるで荒波にもまれているようなこの頃だった。
陸はまだか。島はまだかとずっと思い続けてきた。 母もきっとおなじことをかんがえているのだと思う。
職場の庭に母が育てているセンリョウをもらってきた。 ぜんぶ切っても良いよなんて母が優しく言ってくれる。 けれどもそれでは庭がとてもさびしくなってしまうから。 ちょきんちょきんと二本だけ切ってもらってきた。
帰りに菊の花を買い帰宅して床の間に活ける。 可愛らしい赤い実。ああお正月がくるのだなって思った。
もういくつねるとおしょうがつ。
ねておきてねておきてねておきてねておきよう。
初雪がふる。風にのって舞うようにそれはふる。 積もるような雪ではなくてとても儚い粉雪だった。
クリスマス。だというのに町に買物に出掛けたら。 もうお正月の鏡餅が山積みにされ売られていた。 ツリーも跡形もなく片付けられていてなんだか寂しい。 みんなみんな急いでいるようで少しとまどってしまった。
私にはあれもこれもしなくっちゃという気持ちがいまはない。 いっそ何もしなくても新年がくるのだからと思ったりもする。
そんなゆったりとしたいまの気持ちを失いたくないとおもう。
そのくせしみじみとこの一年を振り返っている。 ずいぶんと老いてしまったなどとマイナス感情はさておき。 どうにかこうにかなにごともなるようになったんだなとおもう。
いろんな苦労もあったけれどそれも人生のひとこま。
苦労があったからこそ喜びをかみしめることが出来たのだもの。
今年もあとわずか。そのわずかのあいだをたのしもう。
穏やかな小春日和にほっとする。 ずっとこんな日が続けばどんなにか良いだろうか。
お昼に友人と待ち合わせをして郊外のお店へ。 眼前に四万十川が流れるお気に入りの場所だった。
きらきらと光る川面を眺めながらおしゃべりがすすむ。 アマチュア写真家でもある彼女の写真も見せてもらった。 夏から秋へと季節を感じる写真をたくさん見せてもらいながら。 そうして流れてしまった日々を懐かしむように思い浮かべた。
彼女の行動力。それは私にはまったくないと言ってもいい。 眩しいほどの行動力が彼女にはあった。
とにかく動かなくちゃ。動くように自分を仕向けていくこと。 会うたびに私は学ぶ。彼女のように生きたいと強く思うのだった。
けれども今年一年を一字にたとえるとしたら。 『老』なのだと彼女は言う。 私もそうだった。他に思いあたる字なんて見つかりそうにない。
それではあまりにもマイナスでしょ!と言う。 だから『旅』なのだと彼女は言った。
旅。なんて素敵な言葉なのだろう。 老いていく人生もまた旅なのかもしれないと思った。
そう思うとまだまだ旅の途中である。 行き着くところまで。いや行けるところまで行かなければいけない。
今日はほんとに会えてよかった。
ありがとうって心から彼女に伝えたい。
今日の日替わりメニューは『木漏れ日ランチ』
冬至とは思えないほどの暖かないちにちだった。
かぼちゃも食べず柚子湯にも入らず。 だいじょうぶだろうかとふっと不安になったけれど。 いまの元気をありがたくこの冬を乗り越えたいものだ。
散歩道。民家の庭先などに水仙の花を見つける。 まだ咲き始めたばかり。ちいさなつぼみもまた愛しい。 散り始めた山茶花をさびしく思っていただけに。 冬を彩ってくれる花はほんとうにありがたいものだ。
そんな道をのんびりと歩いた。 いつもは先を急ごうとするあんずも今日はのんびり。 今年も押し詰まってきたけれど急ぐことはなにもない。 ゆったりとした気持ちで新年を迎えたいとつくづく思った。
明日は友人と昼食をともにする約束をした。 おしゃべりをしながら美味しいものを食べようとおもう。
きっといい気分転換になることだろう。
いまのわたしはひとところにばかりとどまっては。
ぐるぐるぐるぐるおなじところをまわっているような気がする。
そこに扉があるのならそれを開いてみるべきだろう。
きっかけはいくらでもあるのではないのだろうか。
日中は気温が上昇しとても暖かないちにちだった。 山茶花の花が散り始める。はらはらはらとそれは儚い。
昨日は伯母の葬儀。 小春日和のなか伯母は天国へと旅立って行った。 なんともやすらかな顔をして微笑んでいるようにみえた。 悲しんではいけないよとささやいているようにもみえた。
棺のそばをちいさな女の子がよちよちと歩きまわる。 伯母がとても可愛がっていたというひ孫だった。
「ひいばあちゃん ねんね」何度もそうつぶやいていた。
悲しみのなかにちいさな花が咲いたような光景。 その花を伯母はどんなにか抱きたかったことだろう。
さようならはいわない。 ただただ「ありがとう」と告げて伯母を見送ることが出来た。
残されたものたちはみな励ましあって残りの人生を生きる。 どんなに苦労をしてもそれがやがては糧になるような生き方をしたい。
くじけそうになったら天を仰ごう。
そこには見守ってくれる大切なひとたちがいてくれるのだもの。
寒さも少しゆるんだようで日中は暖かくなる。
今年もあと二週間足らずとなった。 あらあらという間に過ぎていく毎日である。
昨日は突然の訃報。父方の伯母が亡くなった報せだった。 幼い頃からどんなにか可愛がってもらったことだろう。 特に両親が離婚してからは伯母が母親の代わりをしてくれたのだった。 修学旅行の前の晩から泊まりに来てくれてお弁当を作ってくれたり。 思い起こすと数え切れないほどの恩がたくさんあった。
その頃にありがとうと言った事があっただろうか。 よく思い出せない。けれども今はとてもとても感謝している。
その伯母が死んでしまったという。 遠方のためすぐに駆けつけることも出来ず。 明日の葬儀を落ち着かない気持ちで待っているところである。
この目で確かめるまではとおもう。 伯母はほんとうに死んでしまったのだろうか。
たくさんの恩がありながら不義理を重ねてきた。 ただひとつ救いなのはそのことを詫びることが出来たことである。 今年の春に電話で話すことが出来た。まさかそれが最後になるなんて。 思ってもいなかった。お盆には会いに行きたいと思っていたけれど。 夏は過ぎ秋も過ぎとうとう冬になり今年も終わってしまうのだ。
伯母はずっと待っていてくれたとおもう。
私も会いたかった。どんなにか会いたかったことだろう。
あしたあいにいく。そうしてこころからありがとうっていいたい。
どんよりとした曇り空。午後からみぞれが降り始める。 今にも雪にかわりそうですこしドキドキとしてしまった。
あまりの寒さに日課の散歩はお休みにする。 おしっこだけしてこようかとあんずに言うと。 すごいスピードで土手に向かって走り出す。 そうしてそれを済ますと一目散で家に向かった。
犬は寒さに強いと言うけれどあんずはどうなのだろう。 なんだか私の言葉を理解しているような行動をして。 ありがとうってあたまを撫でてあげたくなるのだった。
台所のストーブにやかんをのっけて。 今夜から湯たんぽを入れることにした。 もう入れるのかと彼に笑われてしまったけれど。 冷え性の私には欠かせない冬の必需品だった。
この湯たんぽ。息子君が生まれた年に買ったもの。 だからもう31年も使っていることになる。 赤ちゃん用の物だったのが今では私の物になった。 お湯をそそぎながらむかしのことを思い出している。
湯たんぽ
ぽぽたんぽぽたんほんわりこ
なんちゃって。
昨日の暖かさがうそのように寒くなる。 風が強くとても冷たくてたまらなかった。
そんな冬の朝。国道沿いの山茶花が満開。 まるで南国の花のように咲いてくれている。
さざんかさざんか咲いた道と童謡を口ずさむ。 こどもの頃におぼえた歌はおとなになっても忘れない。
ほかにも冬の歌があったはず。そうそう。 かあさんが夜なべをして手袋あんでくれた。とか。
懐かしいな。口ずさむとぽっとこころに灯がともる感じ。
いまの子供達はそんな歌を知っているのかしら。 もし知らないのだとしたらすごくさびしいなと思う。
私にもいつか孫が出来たらきっとおしえてあげよう。
孫といえば。昨夜も赤ちゃんの夢をみた。 最近ひんぱんにそんな夢をみるようになった。 でも孫というのとはちょっとちがうかもしれない。
それは息子や娘の幼い頃の顔にそっくりなんだもん。 そうして私はおばあちゃんじゃなくて母親でいる夢。
夢のなかで抱っこしている赤ちゃん。
それはとてもやわらかくてあたたかい。
こんやも赤ちゃんにあえるといいな。
2010年12月13日(月) |
ゆみちゃんのめいにち |
朝からずっと冷たい雨が降り続いている。
友人の命日。もう三年目の冬が来た。 どうして彼女は急いで逝ってしまったのだろう。 笑顔も明るい声もまだしっかりと残っているというのに。
彼女が逝ってしまってから。 死というものがとても身近に感じられるようになった。 私にもきっとその日が来るだろう。 そうしたら彼女も迎えに来てくれるのかしら。
久しぶりやねって言って。会いたかったねって言って。 私は自分の老いた姿を恥ずかしく思うのかもしれない。
そんなこと気にせんでもええよって彼女は笑うだろう。 私のぶんも生きてくれたがやねってほめてくれるかもしれない。
うん生きたよって私はえへんと胸をはってみせようかな。
死はこわい。とてもとてもおそろしい。
けれども彼女もどんなにかこわかったことだろう。
そうしてどんなにか生きたかったことだろう。
ゆみちゃん。わたしねがんばって生きるよ。
そうしてゆみちゃんにほめてもらうんだ。
えらかったね。すごい長生きしたねって肩を抱いてね。
2010年12月09日(木) |
やさしさにはやさしさを |
この冬いちばんの冷え込み。 高知でも山間部では雪が降っていたようだ。 まだまだこれからもっと寒くなるだろう。 臆病にならずきりりっとした寒さを好きになりたいものだ。
川仕事も昨日で一段落しほっとしている。 今日は気分を入れ替えるようにして山里の職場に向かった。
久しぶりに会う母がなんだかとてもちいさく見える。 私の顔を見てほっとしてくれたのかもしれない。 しわくちゃの笑顔。まるくなった背中も愛しかった。
そうしていつになく優しい口調に目頭が熱くなった。 以前は喧嘩ばかりしていたことがまるで嘘のように思える。
やさしさにはやさしさを。
ほほえみにはほほえみを。
なんともこころあたたまるいちにちとなった。
ありがとうって言ってかえる。
ありがとうって母も言ってくれた。
曇り日。灰色の空からかすかにこぼれる冬の陽射し。 今日はもう二十四節気のひとつ『大雪』だということ。 ひと雨降れば寒波が襲って来そうで身構えるような気持ちでいる。
川仕事もあと少し。明日には一段落しそうになった。 一日に三時間ほどの作業だけれど身体を動かすのが心地よい。 ほどよい疲れ。少しも苦にはならずむしろ好きだなと思える。
順調にいけば来年の2月頃から収穫が始まることだろう。 寒いなどと言ってはいられない。待ち遠しい収穫の時だった。
そんな家業を継いでかれこれ30年近くなった。 若い頃には葛藤もあり、どうしてこんな仕事をと苦に思っていた。 毎年秋が来ると拒絶反応のような気分になりどうしようもなかった。 逃げ出したくても逃げられない。 これが宿命なのかと思うには若すぎたのだと思う。
それがいつのまにか好きになった。 すべてを受け止められるようになったのだ。 歳月というものはほんにありがたいものである。
後継者はいない。息子に押し付ける気持ちはまったくない。 だからふたり年老いて動けなくなるまでは家業を守りたいと思っている。
好きなことをとことん遣り遂げられるのは幸せなことだ。
おじいさん、おばあさんと互いの事を呼び合いながら。
ふたり川で生きる。いい人生だったねと微笑んで逝けるように。
おだやかな小春日和がありがたい。
ここ数日はずっと川仕事に精を出している。 朝は少し寒いけれどすぐにあたたかくなって。 作業をしていると薄っすらと汗ばむくらいだ。
あとふつかほどで作業も終わりそう。 そうして収穫の時を待つばかりとなる。 不安のふの字をふっと吹き飛ばしながら。 きっと大丈夫だろうと思えるようになった。
山里の職場も気になり母にメールをする。 忙しいのだろうか返事が来なかったけれど。 電話などして不機嫌な声だったら嫌だなと思う。 いつも勝手ばかりしていて済まない気持ちでいる。 母のことだもの。きっと理解してくれているだろう。
ふと10年後をおもった。 母は82歳になってしまう。 会社を廃業しない限り母は働き続けるだろう。 母が続けている限り私にも定年退職はないことになる。
先日もちらっとそんな話しをすると。 母はたちまち不機嫌になってしまった。 「先のことを考えていたら何も出来ないよ」と言う。
確かにそうかもしれない。 けれども私は先のことを考えずにはいられないのだった。
そこで母のおとくいのことば。なんとかなるさになる。 そのことばにこれまでどんなにか救われたことだろう。
でも本音を言うと。私には苦手なことばなのかもしれない。 どんなふうになるというのだろうといちばんに考えてしまうから。
なんとかなるさと。なるようになるさは似ているけどちがう。
かんじんなのは。そうなったことをしっかりと受け止めるこころ。
そんなこころをもっとそだてていかなければいけない。
若かりし頃を思いうかべる
傷つきやすかった10代の頃や
情熱にあふれていた20代の頃や
そうして流れてきた歳月をおもう
気がつけばずいぶんと遠いところ
こころはいつだって帰る日があるというのに
気持ちだけは若くいようねと友は言う
けれどもいつのまにかちかくなった死
命のろうそくを確かめたいといつもおもう
風よ雨よどうかその火を消さないでと祈る
いまいちばんこわいことは失うことだ
いまいちばんすきなことは生きることだ
またひとつ歳をかさねた
わたしはいったいどこにむかっているのだろう
午後から雨が降り始めた。 12月とは思えないほどのあたたかな雨が今も降り続いている。
午前中は川仕事。 海苔網を漁場に張る作業だった。 生育はとても順調でほっとしている。 このまま無事に育ってくれますようにとただただ祈るばかり。 悪いことを考えていたらきりがないのだもの。 きっと大丈夫と信じることも大切なことかもしれない。
散歩はお休み。 あんずも諦めているのか犬小屋でずっと寝ている様子。 私も夕方まで炬燵にもぐりこみうたた寝をしていた。
栃木の友人からゆうパックが届く。 大きな梨がたくさん入っていた。 「この箱を開けた人にたくさんの幸せがありますように」 お地蔵さんの絵にそんな言葉が添えられてあった。 こころがあたたまる贈り物に胸がいっぱいになった。
まだ一度も会ったことのない同い年の友人。 ここでこうして日記を書いていなかったら出会えなかったひとだ。 縁というものはほんとうにありがたいものだとつくづく思う。
ひととひとはどうしてめぐりあうことができるのだろう。
そのひとは前世でもきっと縁のあったひとにちがいない。
わたしはそう信じている。
とうとう師走に突入する。 寒さを覚悟していたけれど思いがけないほど暖かな一日になった。
仕事の手を休めては庭に出てみると蝶々が飛んでいたり。 見上げた空は雲ひとつなく吸い込まれてしまいそうな青空。
しんこきゅうをいっぱいする。 ああ生きているなあってすごく感じた。
そうして平穏に時が流れていく。 みんなが笑顔だった。ほっとするような笑顔だった。
悪いことを考えたらきりがない。 なるようになるさといつも母は言う。 不安ばかりの私には薬のような言葉だとおもう。
くよくよ思いつめるのはもうよそう。 もっともっとあっけらかんと生きたいものだ。
帰宅していつもの散歩。 土手の道は昼間の暖かさをそのままに。 少し歩いただけで身体がぽかぽかと温まり汗ばむほどだった。
お大師堂の大きな銀杏の木がやっと色づき始めた。 もみじも紅くなりここはまだ秋の名残に満ちている。
ゆるやかな川の流れ。釣り糸をたれる川船の老人。 夕暮れに向かい始めた太陽が川面をキラキラと輝かす。
師走。いそぐことはなにもないのかもしれない。
たとえ今年が終わろうとしていても。
くる時がくればまたそこから始まるのだろう。
のんびりといこうではないか。
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