細かな雨が静かに降り続くなか。 どこからかウグイスの鳴き声が聴こえてきた。
ほうほけきょ。けきょけきょと。 その初音にこころがとても和む。
川仕事の気忙しさも忘れてしばし聴き入る。 もっともっとゆったりで良いのではないかと。 がむしゃらに動かす手を少し休めたくなった。
明日からはもう弥生。 あっという間に日々が流れてしまった。
ちゃんといるのかなわたし。
たしかめるすべもなくたちすくんでいる。
早朝から川仕事。川面に朝陽がきらきらと眩しい。 なんとも清々しい気持ちで今日も頑張ろうと思う。
ほどよい疲れ。午後は少しだけうたた寝が出来た。 ふつか散歩に行けなくて今日はあんずがきゅんきゅんとなく。 おりこうさんで我慢したんだよって言っているようだった。
いつもの道ではなかったけれど土手の道を散歩する。 そうしたら土筆が。もういっぱい伸びていてびっくり。 いっせいに並んで頭をにょきっとしている姿が可愛い。 坊やたちと私は呼ぶ。まるで土筆の学校のような風景。
ちいさな春を見つけた時はほんとうに嬉しくなる。
寒い寒い冬を乗り越えたんだなってささやかな勇気をもらう。
朝のうち霧のような雨が少しだけ降る。 いかにも春雨という感じでやわらかな雨だった。
そんな空に反して海はとても荒れているらしく。 波の影響で海苔の漁場に少なからず被害が出た。 その様子が今朝の新聞記事に出ていたものだから。 母が心配してメールをしてきてくれたのだった。
自然には勝てません。焦って怪我などしないように。
そのメールがなんと嬉しかったことだろう。 昨年の津波といい自然のチカラは容赦ない。 どんな時があってもくじけてはいけないと思う。
人間のチカラなど限られているけれど。 出来る限りのことをして精を出したいものだ。
収穫の後。被害の出た漁場の修復作業に追われる。 ふたりくたくたになって帰って来た。
おかげでいつもの散歩にも行けず。 そのことをあんずに話してもワンとも言わないのだけれど。 おしっこだけして来ようかねと言うとまた理解してくれた。 ゆっくりと歩いて土手まで行くと気持ち良さそうにそれをする。 そうしてすぐにきびすを返し家に帰って来てくれたのだった。
彼女にはわかるのだ。とても不思議だけれどちゃんと伝わる。 私が元気な時も疲れている時も雰囲気で感じるのだろうか。
そのてん私は彼女のことを理解していないのかもしれない。
そう思うとなんだか申し訳なくて彼女をぎゅっと抱きしめたくなった。
寝ているあいだに雨が降っていたらしい。 目覚めるとあたりがしっとりと潤っていた。
朝の寒さもずいぶんと和らぎ楽になる。 身体がむくむくっとする。それがとても心地よい。
今日は午後からサチコが来るというので。 そわそわと落ち着かずひたすら待っていた。 川仕事を終え作業場で手を動かしている時も。 サチコがたこ焼きを買って来てくれるかもしれない。 期待で胸をふくらませながらずっと待っていた。
来ないな・・どうしたのだろう。 待ちくたびれてちょっと寂しくなった。
帰宅して午後四時。やっとサチコが来る。 おみやげは資源ごみ。空き缶やら雑紙やら。 いっぱいになると家に持って来るのだった。 けれどもその時にはサチコに会えるのだから。 ゴミも嬉しい。空き缶ばんざいの気持ちになる。
つかの間だったけれどサチコがいるとほんわかとなる。
なんだかお花畑にいるような気分になる。
三月中旬なみの暖かさだということ。 ぽかぽかとからだじゅうをつつみこむような陽射しだった。
久しぶりに母の声を聞く。 忙しいのだろう少し苛立っているように聞こえた。 私も川仕事を終えたばかりで疲れていたのだと思う。 優しい言葉のひとつも言えずとてもそっけなかった。
あれこれと思い悩んでいる事も話せず。 気の重さにまたひとつ重さを加えたような気分になる。
いっぱいいっぱいの今だった。 精一杯なのだ。これ以上のことはとても出来ない。
来月のことはそうなった時に考えようと思う。 来るものは拒まないというような気持ちで臨みたい。
あっけらかんと。それがいちばん楽なことなのだと知る。
いつもの散歩。今日は作業場に用事があったので。 あんずにそう語りかけると。なんとちゃんと通じたらしい。 いつもの道とは逆方向だというのにさっさと先を急ぐのだった。 すごいなあんず。私の言うことをちゃんと理解しているみたい。 ありがとうね。母さんはほんとに助かっているんだよ。
作業場にたくさん干してある海苔を取り入れる。 暖かな陽射しのおかげで順調に乾燥していてありがたい。
収穫も今日でひと月が経った。 ただただふたりでがむしゃらに頑張ってきた。
明日も頑張ろう。精一杯頑張ろう。
昨日よりも今日とずいぶんと暖かくなってきた。 そんな陽気にさそわれたのか菜の花が咲き始める。
やさしくふんわりとした黄色にこころが和む。 やがていちめんの菜の花畑になることだろう。
そんな道をのんびりと歩いてみたいものだ。 何もかも忘れてひたすら菜の花の気持ちで。
考え事はしばし小休止。 考えるのに疲れてしまって。 少しだけ開き直ってきたように思う。 なんとかなるのならどうにでもなれ。 そう思うと気が楽になってきた。
今日も川仕事に精を出す。 そうして程よく疲れるのが心地よかった。
一時間ほど炬燵で横になり身体をやすめる。 そうしてからいつもの散歩に出掛ける。
風が春風のよう。なんともやわらかな風だった。
しんこきゅうをいっぱいする。
暖かくすっかり春を思わす陽気となる。
ホトケノザという名の草には紅紫の花が咲き始めた。 農家の人達にとっては害草だと言われているけれど。 その花はなんとも愛らしくその色に心をうばわれる。
彼の発作も昨夜のうちに治まり。 今朝はすっかり元気になっていてほっとした。 さあ頑張るぞと言い張り切って川仕事に出掛ける。
ずいぶんと疲れがたまっているのだと思う。 もっと休ませてあげたくても本人が承知しない。
作業をしながらぐるぐると考えごとをしていた。 来月早々には母の手術と入院を控えている。 山里の職場にはどうしても手助けが必要になる。 けれども家業も今が最盛期。彼一人では無理ではないか。
なんとかなるさと彼は言ってくれるけれど。 私の気持ちは家業を優先させたくなっている。 そのことを母には言えなくてとても困っている。
5年前の私ならどちらも手助け出来たことだろう。 かけもちするくらい平気だった頃が私にもあったのだ。
なんとも情けない事だけれど。体力も気力も激減している。
考えれば考えるほど気分がマイナスに向かってしまう。 いったいどうすればいいのかと日に日に悩み始めてしまった。
母もきっとなんとかなるよと言うにちがいない。
今すぐにでも電話してみようかと思いつつ臆病になる。
これ以上のマイナスはいやだ。
なにかプラスしたい。なにを足せば楽になるのだろうか。
やわらかにかすむ満月。 こんな夜をおぼろ月夜というのだろうか。
そんな夜空に心を和ませながら春を感じた。
今日は山里の職場に行く予定だったけれど。 彼の持病の発作がおこりそれを中止する。 母のことも気掛かりでならないけれど。 それ以上に彼のことが心配でならなかった。
みんなが健康に。そればかりを祈っているのだけれど。
心配事は絶えない。みんながちゃんと生きている。 それだけでありがたいことだと思うことにしよう。
私もちゃんと生きている。
いちにちが暮れるとそればかりを思う。
ありがとうございましたと手を合わす。
どうかみんなに明日がありますように。
お月様はかすんでいるけれどちゃんと見てくれている。
朝から雨が降り止まぬ。 けれどもその雨のなんと優しいことだろう。 いかにも春を告げる雨のように静かに降り続く。
畑の作物や植物たちには恵みの雨になったことだろう。 雨音とともにそんな緑たちの息吹く音が聴こえてきそうだ。
今日は伯母の三回忌だった。 亡くなったのがつい先日のように思われる。 それなのにあの時の悲しさが嘘のように薄れている。
法要のため親族がみな集いにぎやかに過ごした。 遺影の伯母が微笑んでいる。きっと嬉しいのに違いない。 みんな来てくれたんだねえ。そんな声が聞こえて来そうだった。
残された従姉妹たちも元気そうでほっとする。 ただ法要の準備で数日前から忙しかった様子。 肩が凝ってどうしようもないと言うので。 私でよければと少しだけ肩をもんであげた。 ただそれだけの事なのにすごく喜んでくれた。
伯母の家の庭には梅の花がもう満開。 亡くなった日にも咲いていただろうに。 どうしても思い出せないのだった。
その白い花びらを撫でるように雨が降る。
優しい雨でよかった。伯母もきっと見ていることだろう。
お天気は下り坂のもよう。 今にも雨が降り出しそうな夜になった。
寒気は少しゆるんでいるけれど。 お気に入りのちゃんちゃんこを羽織っている。 これを着ていると不思議と気分がまったりとするのだ。
お風呂上りのビールが美味しい。 今はなにも考えることもなくてぼんやり。 考えてしまうとざわざわと騒ぎだすこころ。 たまにはからっぽにしてあげるのも良いものだ。
義妹の誕生日。モンブランを買って持って行く。 ケーキ屋さんに行くと自分も食べたくなって。 チーズケーキを買った。久しぶりのケーキが美味しい。 義妹もすごく喜んでくれたので良かったなって思う。
また来年も忘れずにいよう。笑顔に会える日だもの。
これを書いているうちにビールを飲み干してしまったので。 階段をどすんどすんと下りて行って焼酎のお湯割を作ってきた。
一口飲んではぁと言ったりふぅと言ったりするのもよい。
ちゃんちゃんこの背中がぽぽっとあたたかくなった。
あたりいちめん霜の朝。 きりりっとした寒さに身が引き締まる。
空は青空だった。降り注ぐであろう陽射しのことをかんがえる。 まるで空に恋をしてしまったかのように心が浮き立っていた。
あいかわらずの川仕事。 今日頑張ったら明日は休もうなと彼が言うので。 えっさほいさといつもいじょうに馬力を出してみる。
収穫は嬉しい。なんともいえない達成感がある。
午後。いつもの時間にいつもの道を散歩する。 土手にはスミレらしき緑の葉が見え始めた。 タンポポも見え始めた。やがては花が咲くだろう。 誰よりも先にそんな花たちを見つけてあげたくなる。
お大師堂につくと一心にお経を唱える声が響いていた。 お遍路さんかな思ったら、なんと親戚のおばあちゃんだった。 90歳はとっくに過ぎているという高齢だけど元気なおばあちゃんだ。
声をかけるのもはばかられ。その後姿に手を合わす。 その時すごくこころがあたたかくなってほっこりとした。
私も長生きをすることが出来るものなら。 おばあちゃんみたいになりたいなと思った。
誰かの心をほっこりとさせて。
そうしてにっこりとさせてあげたい。
みぞれのような冷たい雨。
また冬に戻ったようなこの頃だけれど。 かくじつに春に向かっているのだと言い聞かす。
晴れたらまた小さな春を見つけよう。 そうしてほっとして空を仰ぎたいものだ。
毎年この日に届くように贈り物をしていたけれど。 今年はさんざん迷った挙句それをやめてしまった。 指折り数えてみるともう8年目のこの日だった。 もしかしたらそうすることが束縛だったのかもしれない。 そんなことをふと考える。真心だとか愛情だとか。 そんな大切なことをモノで伝えることはむつかしい。 それをやめたからといって縁が切れるわけではないから。
そう言い聞かす。わたしはとても身勝手なのかもしれないけれど。
細々と続けているホームページが今日で9周年を迎えた。 けれどもとくに感慨深く受け止めているのでもなかった。 10年一昔と言うから。もう昔と同じ事なのかもしれない。
ただ愛着はある。それはあと何年経っても変わらないだろう。 ただ在り続けるということ。それだけを誇りに思っている。
詩や写真や。もうずいぶんと遠ざかってしまった。 消極的である。意欲というものがすっかり失せてしまっている。
そんなこころもとない場所だというのに訪ねて来てくれるひとがいる。 それはほんとうにありがたいことでありすごく励みになっている。
そんなひとたちにこころからありがとうって言いたい。
このさきどんなに老いても在り続けることだろう。
すごいおばあちゃんになってもゆらゆらと日々を綴っているだろう。
雪混じりの強い北風。 しばらく暖かい日が続いていただけに。 今日の寒さに身震いしてしまった。
寒の戻り。まだまだこんな日があることだろう。 梅の花に雪。それもまた風情があってよいものだ。
川仕事は休めず。 朝の雪に私は休もうと言ったのだけれど。 彼はどうしても休まないと言い張り仕方なく行く。
途中から雪が激しくなる。 強い風にあおられ川の水も波打つ。 ほうらだから言ったでしょとなり。 彼のほうから帰ろうと言い出す始末。 それでも行けば行っただけの収穫があるから。 無理をして良かったのだと思うことにしよう。
午後は炬燵にすっぽり。 テレビを見ながらうたた寝もしたりしてゆっくりと休む。
晩ご飯は湯豆腐。八宝菜。鮭の塩焼き。熱燗美味し。
東京や大阪は雪だという。 高知も山間部では雪になったけれど。 我が町はそんな寒気から逃れられたのか。 小雨が少し降っただけで午後から晴天となる。
川仕事から帰るなり海苔を干す。 天日干しにはとてもありがたい陽射しだった。
すると足元にぺんぺん草の花が咲いていて。 その小さな白い花がなんとも可愛らしかった。 海苔を干しながらこころがほっこりと和んでいく。
それに気づかずに踏みつけた日もあったかもしれない。 ほらここにいるよと花を咲かせて知らせてくれたのだろう。
とにかくその日その日。目の前の事だけをこなしていく。 あれもこれもとたくさんのことが出来るわけもなく。 毎日がおなじことの繰り返しのように思うけれど。 日々は流れる。日々は積み重なっているのだと思う。
心配ごとのひとつやふたつ誰にだってあるだろう。 ただ受け止め方は人それぞれで重くするのは心次第だと思う。
もっともっとあっけらかんと生きたいものだ。
2011年02月10日(木) |
からだがふたつあれば |
雪の予報に身構えていたけれど。 それほどの冷え込みもなく夕方から小雨が降り始めた。 かすかな雨音が耳に心地よく響いている。
今日は川仕事をお休みして山里の職場に行っていた。 いったい何日ほったらかしにしていたのだろう。 机の上には未処理の仕事が山積みになっていた。
母は留守。今日は内科の通院日だった。 仕事をしながら母の帰りを待つ。 やっと母の顔を見れたと思ったら私の帰宅時間となり。 あまりゆっくりと話すことが出来なかったのだけれど。
先日、大学病院の眼科で検査をしたところ。 すぐに手術をすすめられたのだそうだ。 どうしてもっと早く来なかったのかと叱られたと言う。 すぐには無理。月末も無理だと母は言い逃れて。 なんとか来月早々にと予約をして帰って来たと言うこと。
私が仕事を手伝ってあげられていたらと心が痛んだ。 なるようになるからと母は口癖のように言うけれど。 失明の恐れもあるとのことで、とても心配でならない。
今日いちにち手伝ったくらいでどうなると言うのだろう。 なによりもいちばんに母を助けてあげなくてはいけない。
からだがふたつほしい。そんな無理なことを真剣に願っている。
大丈夫よと微笑む母。うらはらに私のこころはとても重い。
山里には梅の花がもうたくさん咲き始めていた。
母も見つけただろうか。その香りを肩をよせあってかいでみたいと思った。
今夜は雨が降るのだという。 なんと久しぶりの雨だろうか。 雨音がむしょうに聴きたくなって。 待っている。からっぽの器のように。
今日はいつもの散歩道を行く。 枯れ草ばかりの土手であんずが立ち止まる。 ふと見ると雀色の野に若い緑が萌えている。 蓬の新芽だった。しきりに匂いを嗅ぐあんず。 私も屈みこんで鼻をくっつけてみたくなった。
ちいさな春を見つけたきぶん。 日に日に緑が濃くなっていくことだろう。 雑草たちの呼吸が聴こえてきそうだった。
食後。台所で後片付けをしていると。 仕事帰りの息子がひょっこりと寄ってくれた。 仕事がとても大変そう。辞めたくなったと呟く。 辞めてどうするのだと言うと家業を継ぐのだなどと。 はんぶん本気そうな事を言って父も母もびっくり。
晩ご飯食べて行きなさい。と言っても要らないと言い。 早く帰ってビールが飲みたいと風のように去って行った。
仕事がそんなに辛いのか・・と母は心配でならず。 ちょっと愚痴りに来ただけさと父は笑っている。
そうであってほしい。父も母もいつだって聞いてあげるから。 嫌なことがあったらちゃんと話して欲しい。
しんどい時はそう言って。決して無理をしないでいてね。
春霞かとおもうような空。 そんなぼんやりとした空からやわらかな陽射し。 ぽかぽかと暖かい。ふんわりと浮かぶような気持ち。
日々。目の前にあることだけをたんたんとこなす。 頑張っているのかもしれない。自覚こそないけれど。 なんだか日捲りの暦を千切っては重ねているような毎日。
捨ててしまえばいいのに捨てられない。 それを重ねていったいどうしようというのだろうか。
散歩。今日はいつもとはちがう道を歩いた。 そっちではないこっちなのだとあんずが嫌がる。 宥めながら無理やり引っ張るようにして連れて行く。 時間にゆとりがないとこんな時もあってしまうものだ。 私も少し反省しながら、明日はいつもの道をと思った。
夕暮れていく。そうして夜空になり三日月が浮かぶ。
なんとか細い月だろう。なんとせつない月だろう。
今日も日中はとても暖かくなる。 つい先日の雪がうそのように思った。
ほっとして空を見上げる。 そうして遠い空のしたのかのひとを想う。 ずっと音信不通が続いているけれど。 どうか元気でと空に向かって呼びかけた。
私はもうひつようではないのかもしれない。 そんなことをおもうとたまらなくさびしい。
けれどもこころのどこかでそんな時を待っていたような。 それだけながい歳月が流れてしまったことになる。
縁というものはきってもきれないようでいて。 それはそれは儚いものだということを知っている。
10年20年を経て。ああ、あの頃にわたしがいたんだなと。
いつか思い出してもらえるような存在でありたい。
立春。ずっとずっと待っていた日。 どんなに寒い日があってもちいさな春が。 こんにちはとささやいているような季節。
ゆっくりでいい。そんな春にあいにいきたい。
今日も日中はとても穏やかな晴天となる。 やわらかな風がふく。もう春風のようだった。 るんるんらんらんときぶんもかろやかになる。
私がもしも植物ならばきっと芽を出すことだろう。
いつもならバドミントンに行っている夜。 今日からしばらくお休みをすることになった。 足首の痛みもすっかりよくなりやれば出来るのだけれど。 川仕事の疲れもあり無理をしないのがいちばんかと思う。 彼と相談して決めた。25年間も続けてきた事だけれど。
決してやめるのではないのだからと自分に言い聞かす。
きっと復活しよう。そうしてまたやれるだけ頑張ろう。
節分。日中は穏やかによく晴れて暖かくなる。 このまま春になってくれたらどんなによいだろうか。
まだまだ寒の戻りがあるだろう。 けれども明日は立春。その言葉を聞いただけでほっとする。
娘のサチコがいた頃は欠かさなかった豆まき。 去年からそれをしなくなって今年もそれをしない。 こころの中で鬼はそと福はうちとつぶやいていた。
せめてもと思い恵方巻きを買って来て食べた。 南南東はあっちかしらとふたりでかぶりつく。 その時ほんとうは無言で食べないといけないらしい。 それを知らなかったからひとくち食べてはおしゃべり。 彼などは食べにくいから切ってくれと言ったりしていた。
ささやかでいい。ちいさな福が舞い込んできてくれますように。
午後六時。窓から夕焼けが見えた。 いちにちの終わりをほんのりと照らすような茜色。 少しずつ少しずつ日が長くなっているのが嬉しかった。
それぞれのいちにちをおもう。 息子はそろそろ家路につく頃だろうか。 娘はまだ働いていて晩ご飯の事を考えているかも。 母はどんなにか疲れていることだろう。
みんなみんなおつかれさま。
ぐっすりぐっすり眠ろうね。
晩ご飯はまたまたお好み焼きを作る。 一週間前もそうだったというのに文句を言わない彼。 ただ焼くだけという手軽さにずいぶんと助かっている。 そんな私の手抜きを咎めもしない彼がありがたかった。
それが彼の優しさ。32年目にしてあらためてそう感じる。
いちにちが暮れるように私たちの人生も暮れていく。
日々を積み重ねつみかさねしてはそれがふたりの人生。
雪の日もあれば雨の日も風の日もあるけれど。
なによりも茜色のにあうふたりでありたいものだ。
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