11月もとうとう最後の日。 明日からはもう師走かと思うと。 あまりにもあっけなく日々が流れたように感じる。
春夏秋冬。あの時はああだったこうだったと。 アルバムをめくるように過ぎた日々を思い出す。 どんな日も昨日のことのように近くにあるのだった。
師走は急ぎたくなくてもどうしても駆け足になってしまう。 あらあらという間に年の瀬に追いやられてしまうことだろう。
今朝はとても嬉しいことがあった。 山里の職場に着くなり母が私にとババシャツをくれたのだ。 ほうらこれを着るともう寒くないよと言って。 その贈り物よりも母の心遣いが胸に沁みてあたたかくてならない。 優しい母。幼い頃の優しかった母が今もここにいてくれるだ。
私は幸せ者だなとつくづく思う。 親孝行もろくにしていないというのに。 母はこうして私を気遣ってくれている。
私も母になにかしてあげたい。 母の喜ぶこと。いちばん嬉しいことはなんだろう。 あれこれと考えてみたけれど何も思い浮かばなかった。
ただそばにいて一緒に仕事をする。 いまの自分に出来ることはそれだけしかなくって。
もしかしたらそれがいちばんなのかもしれない。
お母さん。ババシャツありがとう!
あったかいよ。こんなにあったかいものはないよ。
今朝はこの冬いちばんの冷え込みだったようだ。 山里は特に寒くあたりいちめんに霜が降りていた。
まだまだこれからが冬本番だというのに。 寒さが身に沁み耐えられないような気持ちになる。 ついつい弱気になってしまうのは歳のせいかもしれないけれど。
突然に死んでしまうのは嫌だなと漠然と思った。 寒さで死んでいたら命がいくつあってもたりないだろうに。
馬鹿だなとおもう。けれどもこの不安はいったいどこから。 振り払ってもふりはらってもそこにあることが悔しく思う。
日中はありがたいほどの小春日和となった。 げんきんなもので朝の不安を笑い飛ばせるようになっていた。 どんな日もあるだろうけれど。きっと私は生きているのにちがいない。
咲き始めた山茶花の花に心をなごませながら時が過ぎる。 日が暮れるとなんて平穏な一日だったのかとほっとする。
不安があるから安堵があるのかもしれない。
そう思うとなにもこわいものなどないようにおもえるのだった。
朝の寒さもそれほどではなく日中も暖か。 こんな小春日和がずっと続けば良いなとおもう。
お昼前にサチコからメール。 先日修理をしたばかりのパソコンがまた駄目になったらしい。 今日はお休みでアパートに居るとのこと。 知り合いの専門店に電話などしていたけれど。 どうにも気掛かりでならず午後から駆けつけてしまった。
本音を言えば。サチコにあいたかったから。 アパートを訪ねるのもほんとに久しぶりだった。
サチコは少し風邪気味のようでしんどそう。 おっし!母に任せなさいとパソコンを提げてお店に向かう。 するとさすがに修理のプロ。15分ほどでそれが直った。
サチコの喜ぶ顔が見たくてまたアパートに向かう。
ああよかったとほっとしているサチコとしばし語らう。 もう一年になったね。あっという間の一年だったようにおもう。 ベランダに揺れる洗濯物。台所にはずいぶんと物が増えたよう。
やっていけるだろうか大丈夫だろうかとずっと心配していたけれど。 ちゃんと暮らしている様子にどんなにかほっとしたことだろう。
またね。うんまた来るね。手を振ってもらって母は家路につく。
なんだか胸が熱くなる。あいたかったんだなってすごくおもった。
雨上がりの青空。おだやかな小春日和となる。
毎年この日には手紙を書くことにしている。 もうそれも七年目のことになった。
けれども今年はその手紙を書かなかった。 ものすごく迷った末にそうすることを選んだのだ。
一方通行の手紙。 喜んでくれるのかほっとしてくれるのか。 なにもわからないまま歳月が流れたようにおもう。
けれどもそれがカタチなのだとしたら。 そんなカタチなどもう必要ないように思った。
そのひとは決して嘆いたりはしないだろう。
これくらいのことで切れてしまうような縁ではないのだから。
わたしのなかでささやかなけじめのようなものがうまれる。
朝からずっと雨が降り続いている。 冷たい雨だけれどなぜかほっとするような雨音だった。
水のにおい。心身にしみわたるように雨がふる。 きっとわたしのどこかがかわいていたのだろう。
わからないどこか。それをそっとふれてみたいとおもった。
今日はいい夫婦の日だという。 穏やかな彼の笑顔に救われるように一日が暮れていく。
怒るということをしないひと。 いつもゆったりと落ち着いていて。 なにもかもつつみこむようなあたたかさがある。
観音様のようなひとだといつもおもう。
ずっと昔。わたしは捨て猫だったのだ。 そんなわたしをひろってくれたひとだ。
若い頃にはぶつかることもあった。 このひとさえいなければとおもったこともあった。
けれどもいまはうしなうことがこわい。
あとなんねんなのか神様はおしえてくれないけれど。
ゆるされるかぎりそばにいさせてほしいとおもっている。
朝の寒さがうそのような小春日和となる。 やわらかな陽射しは優しいぬくもりとなり。 こころもからだもまったりと寛ぐことが出来た。
紅葉の名所では今が見頃だと言うこと。 出掛けてみたいなと思いつつ出不精になってしまう。 どんなにか綺麗なことだろうと目に浮かぶようだった。
いろんなことに消極的になってしまったじぶん。 すこしはがゆく思う。どうして?と問い質すように。 無意味な時間ばかりを費やして日々に流されているようだ。
以前はああだった。こうだったとすべて過去のことばかり。 いま動き出すことが出来ればどんなにか新鮮なことだろう。
お昼。またお好み焼きが食べたくなって作る。 ものすごく大きなお好み焼きを作った。 「これはデカイな!」と彼もびっくりしていた。 とても美味しい。満腹になってすごく幸せな気分。
午後は寝る。ひたすら寝る。 どうしてわたしはこんなに眠いのだろうとおもう。 いろんなお薬を飲んでいるせいかもしれないけれど。 横になったかと思えばすぐに眠り込んでしまうのだった。
三時間ぐらい寝てよっこらしょとやっと起き上がる。 せめて散歩だけは颯爽と歩いて行きたい。 気だるさを振り払うように胸をはって歩いた。
土手の野菊もそろそろ花の見納めだった。 せいたかあわだち草もすっかり茶色くなっている。 毎日歩いて見ているはずなのにはっとすることが多い。
きっとぼんやりと歩いてばかりいるのだろう。 草や花は気づいてほしくて毎日語りかけてくれているというのに。
もっと耳を澄ましてみなくてはときょうは思ったことだった。
朝のうち少し川仕事に行っていた。 今朝も寒かったので厚着をして出掛けたけれど。 作業をしているうちに身体がぽかぽかと温まってくる。 うっすらと汗をかいた。とても心地よい気分だった。
海苔の生育は順調。ほっと安堵しながら天に感謝する。 収穫はまだまだ先だけれどどうか無事に育ってほしいものだ。
天まかせ運まかせのこと。博打みたいなものだよと彼は言う。
悪いことは考えたくはなかった。 かといって希望ばかりで胸がふくらむものでもなかった。
なるようになってくれるのか。いったいどうなるのだろうか。
帰ってから畑の様子を見る。 やはり栄養不足なのか生育悪し。堆肥を施す。 大根をまた間引く。か弱いながらも根は大根のカタチ。 一本たりとも捨てるわけにはいかずまた浅漬けにした。
夜。今はこうしてとりとめもなく一日を記しているけれど。 ついさっきまでは何も書けそうにないなと思っていた。 そうして八年前の11月の日記を読み返してみた。 過去の日記を読むたびに思うのは「これが自分だったのか」 まるで別人が書いたように思えて不思議でならないのだった。
今よりも若かったじぶん。ゆらゆらと落ち着かず不安定なじぶん。 恋をしていたのかもしれない。せつないこともたくさんあったような。
そうして懐かしさが込み上げてくる。過去のじぶんとの再会。
あと何年ここでこうして日々を記していけるのだろう。 先のことは何もわからないけれど。シルシテオクベキダと思った。
未来のじぶんが待っていてくれるような気がして。
ほんとうにとりとめもないことだけれど今日を記しておく。
朝の道の銀杏の木がすっかり黄金色になった。 朝陽を浴びてきらきらと輝いている姿に。 思わず歓声をあげて見上げたことだった。
いつまでも散らないでいてほしいけれど。 それは春の桜のようにはらはらと散っていくもの。
そうして冬がくる。どうしようもなく冬になるのだ。
仕事を終えて帰宅する道。四万十大橋を渡り終えて。 そのほとりにある東屋にひとりのお遍路さんが休んでいた。 時間的にこれ以上歩いても泊まる場所はないだろうと思われる。 おせっかいかもしれないと思いつつも声をかけたくてならなかった。
あんのじょう。どこで寝れば良いのか悩んでいるところらしかった。 東屋で野宿をするお遍路さんもいるけれどこの寒空には辛そうで。 お大師堂に泊まるようにとすすめたらとても喜んでくれたのだった。
帰宅してすぐにあんずを連れてお大師堂に行った。 そのお遍路さんがすぐに来てくれるような気がしたのだけれど。 しばらく待っても姿が見えず、仕方なく家に帰って来た。
もしかしたら気が変わったのかもしれない。 喜んでくれたけどやはりおせっかいだったのかもしれない。 なんだか一気に悲しくなってしまってしょんぼりとしてしまう。
夕ご飯の支度まで少し時間があったので。 窓辺から土手のほうを気にしながらずっと眺めていた。
そうしたらやっとそのお遍路さんの姿が見えた。 確かにお大師堂に向かっている。その足取りも軽やかに見えた。
ああよかった。胸をなでおろしたのは言うまでもない。
なによりも嬉しさがこみあげてきて。
ほろりと涙が出そうな出来事だった。
真夜中に近くで火事騒ぎがあり眠れないまま朝を迎える。 消防団の彼も出動したきり朝まで帰って来ることが出来なかった。
家が焼けて無くなる。なんとも悲惨な出来事である。 焼け出されたひとの事を思うと決して他人事ではない。
そんなこともあり午前中の仕事は休ませてもらった。 午後から市内で自動車保険の研修があり出掛けて行く。 いつもより帰宅時間が遅くなったけれど日課の散歩。
土手の上で足を引き摺るように歩いているお遍路さんと会った。 一緒にお大師堂へと向かう。お遍路さんはとても疲れている様子。 よっこらしょと荷物を下ろし被っていた笠を外してみると。 なんとびっくり。先日出会ったばかりの白髪のひとであった。
あの日。同宿のひとがあまりにも酔っ払っていたため。 無事に夜を明かせただろうかと気になっていたのだった。 案の定。その夜口論になり白髪のひとは追い出されたということ。 仕方なく大橋のたもとの東屋で朝を迎えたということだった。
私は背中をさすってもらったりしてありがたく思っていたけれど。 白髪のひとにはなんとも気の毒な出会いだったことだろうか。
もう一度ここに来たくなりましてね。そのひとはそう言ってくれた。 次の札所までずいぶんと遠回りになるというのにまた来てくれたのだ。 今夜こそひとり静かに過ごす事ができるだろう。疲れを癒してほしい。 そうしてまたきっと会いましょうねと名残惜しく別れたことだった。
縁とはまことに不思議なこと。穏やかなそのひとの笑顔が胸に沁みた。
今日は父の命日。ひとり孤独に死んでいった父のことを痛いほどに思う。
ひとがひとに巡りあうことの尊さを父がおしえてくれたようにおもった。
曇り日。雨が降りそうで降らないまま日が暮れる。
のんびりとした休日。 朝のうちに畑に行き大根を間引いた。 少し緑が薄いように感じるのは肥料不足かもしれない。 まだまだ初心者の畑作りでわからない事が多い。 ひと雨降れば野菜も元気になるかもしれず。 明日は雨の予報なのでしばらく様子を見ようと思う。
間引いた大根に塩をして浅漬け風にしてみた。 ポン酢醤油で食べる。さっぱりとしてとても美味しかった。
お昼にはお好み焼きを作る。 こんがりとソースの香ばしさがたまらない。 ふたり向かい合ってたまにはこんな昼食も良いものだ。
午後は炬燵でごろごろ過ごす。すっかり猫のよう。 テレビを見ながらうたた寝のつもりが。 気がつけば2時間もお昼寝をしてしまった。 相変わらずのだらしなさ。 買ったまま読まない本もたくさんあるというのに。 最近はまったく本を読むということがなくなってしまった。
いいのだろうかこれで。意欲というものがまるで感じられない。 これも日々に流されているのだとしたら仕方ないことなのだろうか。
それでも日課の散歩だけは欠かさない。 いつもの川辺をあんずと歩く。 風のない曇り日の川はまるで湖のように静かだった。
満たされている水。そんな水のようにじぶんもありたい。
たりないものなどなにもなかった。
曇り日。太陽のありがたさをしみじみとおもう。
あたりの景色が一気に冬枯れてしまったように感じる。 灰色の世界。山々の紅葉にはっと目をみはったりする。 そうしながら秋を確かめる。まだ冬ではないのだなと。
すこしほっとする。
雨が降らない限り毎日の散歩は欠かさない。 ほんの少しの道のりだけれど歩くと身体が温まる。 猫じゃらしの群生するなかに飛び込むようにして。 あんずがおしっこをする。その仕草も愉快だった。
お大師堂にはふたりのお遍路さんがいた。 ひとりはなんと焼酎を飲んでもう酔っている様子。 ひとりは白髪の物静かな人で下戸なのだと言う。
ふたりはたまたまここで出会ったらしく。 白髪のひとはちょっととまどっているようだった。 これも縁でしょうと言うとそうですねと微笑んでくれた。
酔ったひとがしばらくあんずと遊んでくれる。 そのひとは犬と会話が出来るのだそうで。 あーだらこーだら言ってしゃべっているのが愉快だった。
そうして酔った勢いなのか。私の背中をさすりたいと言い出す。 重いでしょ?痛いでしょ?とそれがほんとに当たっているから。 無下に断るわけにもいかずちょっとだけ背中をさすってもらった。
私はそういうチカラを信じないわけではない。
酔ったひとは背中をさすり終わると肩をえい!っと叩き。 呪文のようなお経のような言葉をつぶやいていた。
まだまだ足りないと言う。もう少しなのにとも言う。
さて効き目はいかに。それは気のせいかもしれないけれど。 不思議と背中が軽くなったような気がしないわけでもなかった。
これも縁でしょう。ありがとうございましたとお礼を言って。
微笑みながら家路についたことだった。
昨日とはうって変わってすっかり冬のようないちにち。 木枯らしなのだろうか。冷たい北風が吹き荒れていた。
気温の差にとまどっていたけれど、体調は思いのほか良好。 秋口の辛さに比べると嘘のように元気でいられるのだった。
母もとても元気。みんなが健康でいられるのが何よりだと思う。
寒くなるとコドモ達のことが気がかりになる。 特に独り暮らしの息子。風邪などひいていないだろうか。 幼い頃からよく熱を出す子だったので心配だった。
気にはなっても厚かましく電話なども出来ず。 どうか元気でと日々祈るような気持ちで過ごすばかり。
夕方。いつもの散歩。川は風にあおられ白波が立っている。 おだやかな流れも良いけれどこの白波の川が私は好きだった。 水が踊っているように見える。それは楽しい踊りではなくて。 風と闘っているような力強さを感じるのだった。 辛い苦しいけれど踊り続けてやろうというようなつよさ。
そんな川を見ていると気持ちがすくっとなり勇気がわいてくる。
どんなときもある。けれどもながれることをあきらめてはいけない。
昨日は立冬。肌寒さを覚悟していたけれど。 今日は思いがけないほどの小春日和になった。
ぽかぽかと暖かいと心までぬくぬくとしてくる。 苛立つ事もなくおだやかに時が流れていった。
朝の道には銀杏の木が一気に色づき始め。 朝陽にきらきらとその黄金が輝いていた。 今日よりも明日と深く深く染まる事だろう。
仕事は相変わらず。もう閑古鳥も鳴き飽きたかもしれない。 けれども常連のお客さんが必ず顔を見せてくれるのが嬉しい。
ひとりは新鮮なブロッコリーを持ってきてくれた。 もうひとりは大和芋をたくさん持ってきてくれた。 そうしてもうひとりはこれもたくさんの柚子を。
ありがたくてひとりひとりに手を合わすような気持ちだった。
帰宅して柚子を絞る。ほとばしる果汁。なんとも良い香り。 台所だけでなく家中に柚子の香りが漂っているのだった。
しあわせだなとおもう。
ひとがこうしてとどけてくれるもの。
おでんをたくさん作った。 お昼から煮込んでおいたのでとても美味しい。 熱々のをはふはふしながらふたりで頬張る。 ふたりきりになっても作る量は変わらない。 明日も明後日もおでんだなと彼が笑っていた。
11月6日。亡き父の誕生日。 生きていればもう81歳になるのか。 死んでしまっても誕生日は毎年来てくれる。 そのたびに父の歳を数えていることだろう。
生前の父に最後に会ったのもこの日だった。 娘として何もしてあげることも出来ず。 反対におこずかいを貰って喜んでいた私。 せめて冬着の一枚でも届けてあげればよかった。 それはずっとずっと悔やまれてならないことになる。
ちいさな仏壇に父の遺影。朝に晩に手を合わせている。
お誕生日おめでとう。今朝はそう語りかけて微笑んだ。
朝の肌寒さに今年初めてストーブを焚く。 ほんわかと暖かくなった台所でお味噌汁。 卵焼きのにおい。朝の家事も好きだなと思う。
サチコの彼。お婿さんと言うべきだろうか。 義理の息子と言うのがいちばん良いかもしれない。 今日は26歳の誕生日だった。
一日早く昨夜みんなでお祝いをした。 五人で焼肉。ビールもたくさん飲んだ。 家族がこうして揃うのは八月以来の事で。 嬉しくってたまらない父と母だった。
サチコ達ももうすぐ一年になる。 月日の流れるのはほんとうに早いものだ。 少しふっくらとしたサチコ。 家事と仕事の両立でやつれはしないかと。 心配性の母はずっと気掛かりでならなかったけれど。
ふたりチカラを合わせてがんばっているようす。 ふたりの笑顔がどんなにか嬉しかったことだろう。
息子君は早くも元旦の段取りをしたがって。 美味いもんを食おうぜとみんなの意見を聞いている。
今度みんなが揃う時はもう新しい年になっているのか。 またあらあらというまに日々が過ぎていくことだろう。
離ればなれに暮らしていてもみんな家族。
あったかくて優しくて尊い家族なのだった。
久しぶりにすっきりとよく晴れた。 風が強く肌寒かったけれど陽射しにほっとする。
朝の峠道ではツワ蕗の花が咲き始めた。 ちいさな向日葵のようなその花がとても好きだ。 山道には枯れ葉がいかにも初冬を思わすように。 からころといそがしく風に舞っているのだけれど。 山肌に咲くその花がほんのりとあたためてくれるのだった。
今日からもう11月。秋を押しやるように冬がやってくるのか。
なんども同じことを言うけれどとてもとても急いでいるように思う。
少しばかり焦っているのかもしれない。 そうして老いていくことがせつなくてならないのだった。
いちにちいちにちをたいせつに。
悔いのないように生きたいとおもう。
けれどもそのいちにちのなんとあっけないことだろうか。
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