不安でたまらなかった台風。 無事に土佐沖を通過してとてもほっとしている。 今夜は関東に最接近とのこと。 どうかどこにも被害がない事を祈るばかり。
幸いな事に雨も降らず平穏な一日だった。 朝のうちに畑の様子を見に行く。 大根はもう少しで間引くことが出来そうだ。 ほうれん草はまだ5センチ程でか細い。 雑草を引き肥料をまいて帰って来た。
気温は平年並みで肌寒くはなかったけれど。 冬支度をしておこうと茶の間に炬燵を出す。 ストーブも出してもう準備は万端となった。 今年の冬はとても寒くなるということだから。 なんだか身構えるような気持ちになってしまう。
10月も明日で終わる。あらあらというまに。 今年も終わってしまうのかもしれない。
日々がとても急ぎ足で過ぎていく。
どんなにゆったりと過ごしてみても。
背中をおされているように前へ進んでいく。
ちゃんといるのだろうかわたし。
たしかめながらたしかめながらすすむしかない。
夕食時に日本酒の熱燗。
ぽかぽかほんのりと身体が温まる。
ほろ酔ったのか気分も高揚して。
お風呂では鼻歌が出てきた。
入浴後は冷たいビール。
そしてそれから焼酎のお湯割り。
いまそれも三杯目でちょっと飲みすぎ。
ふう・・とかはぁ・・とかいいながら。
これはいったいなんだろうと思いつつ。
パソコン画面にオン書きをしているのだった。
おならみたいなものだよと言ったら。
彼女はきっとまた笑ってくれるだろう。
この秋いちばんの冷え込みだと言うこと。 朝の肌寒さにストーブがほしいくらいだった。
南海上には台風が。不気味に接近している。 海苔網がほんのりと緑に染まり始めたというのに。 今それが襲って来たら大変な被害になってしまう。 不安でたまらない。どうかそうならない事を祈るばかり。
奄美の人達もどんなにか不安なことだろう。 やっと復旧作業が進み始めたというのに。 どうして今台風なのか。天を恨みたくなる。
この世には逃れられない事が多過ぎる。 ひとはいったいどれほど耐えればいいのだろうか。
仕事。今週はどうやら閑古鳥週間のようだ。 おかげで母ものんびりと過ごしていられるのだけれど。 日当を貰うのがどうにも心苦しくてならない。 大丈夫なんとかなるからと母が言ってくれるのが救いだった。
お昼前。昨日一緒に山茶花の木を見に行ったお客さんが。 いなり寿司を持って来てくれた。なんとも美味しそう。 お弁当を持参していたけれどいなり寿司もご馳走になる。 お腹がいっぱいになってとても幸せな気分だった。
売上げはあがらなくてもこうして顔を見せてくれるお客さん。 とてもありがたいことだとつくづく思う。 あれこれと親身になってくれて工場の事も気遣ってくれる。 クルマがいっぱい入庫していると良かったなあと喜んでくれる。
ひとって優しいな。ひとってこんなにもあたたかいものなのだ。
やっと青空の朝。いちだんと肌寒さが増す。 日中も風が強くまるで木枯らしのようだった。
札幌ではもう初雪が降ったらしい。 一気に冬が近づいてきたようで少しとまどう。
気温の変化に身体がとても緊張しているのがわかる。 寒さが恐いのかもしれない。冬が恐いのかもしれない。 情けない事だけれどこの頃の私はすっかり臆病者だった。
リラックスと簡単に言うけれどそれはとてもムツカシイ。 ど〜んとかまえていれば良いと言うけれそのど〜んが。 どどどになって襲って来るように感じてしまうのだった。
でもまあ・・いいか。なるようになるさと今は思っている。 焼酎のお湯割など飲んでいると少しだけ余裕が出てくるようだ。 あああ、またつまらないこと書いてなんて笑っている今だった。
そうそう、昼間ものすごく大きな山茶花の木を見に行っていた。 常連のお客さんが遊びに来てくれていてその木の話になったのだ。 ちょっと見に行ってみようとふたりでその木をさがしに行った。
ありました!大きな山茶花の木が二本ならんでそびえている。 樹齢百年は越えているらしいと言うこと。幹がとても逞しい。 まだ花は咲いていなかったけれど咲いたらどんなにか見事だろう。
すごいね。すごいねとその木を仰いだ。とても感動したひと時だった。
百年以上。もしかしたら三百年も五百年もそこに在り続けるかもしれない。 ひとの命は儚いけれどその木は永遠に生き続けることだろう。
命のパワーというか。不思議なチカラをもらったような気持ちになった。
冬が来たからと言って私は死なない。うん、何も恐れることはない。
昨夜はかなりまとまった雨。 雨上がりの青空を期待していたけれど。 今日もその名残のままの空模様だった。
職場のコスモスはすっかり倒れてしまって残念。 元気なのはセイタカアワダチソウばかりだった。 嫌われものの花だけれどその鮮やかな黄色があたりを彩る。
母。少しずつ元気を取り戻している様子。 気丈な母のこと。決して弱音をはかないのだけれど。 歩くのが辛そうだったり動作も機敏にとはいかなかった。 かといって過剰に心配などするとご機嫌が悪くなってしまう。 とにかくしばらくはそっと見守るしかないだろうと思う。
笑顔でいてくれる母が何よりも嬉しい。 おかげで今日も穏やかに過ごすことが出来た。
帰宅して小雨がぽつりぽつりと落ちていたけれど。 歩きたくてならなくていつもの散歩道を行く。
濁っているかなと思っていた川の水が思いがけずに澄んでいた。
さらさらさらと音がする。それはとてもゆるやかな流れだった。
今日も曇り日。肌寒くておひさまを恋しく思う。 猛暑だった夏の日を思い起こすと。 もうこんなに季節が流れてしまったのかとつくづく感じる。
母。昨日無事に退院。 ただ少し微熱があるとのことで心配だった。 仕事は来週からにするようにと言って聞かせたけれど。 じっとしていられない性分なのだろう。 もう熱はないからと言って今日は出勤してきたのだった。
はらはらと気遣うばかり。 見るからにしんどそうで休ませてあげたくてたまらなかった。 けれども大丈夫だといって聞かない。 もう好きなようにさせてあげるしかないのだろうと思う。
私の気持ちが伝わったのだろうか。 ありがとうと母が言ってくれたのがとても嬉しかった。
言葉に出来ることはほんのいちぶ。 それでも伝わってくれることがあると救われたような気持ちになる。
元気いっぱいの母。溌剌とした母。 またすぐにそんな母に会えるようになることだろう。
私は自分に出来る精一杯のことをしてあげたい。
ありがとうって言って欲しいなんてこれっぽっちも思わずに。
そっと母を助けてあげられるような自分でありたいものだ。
雨はやんだけれど青空は見えずどんよりとした曇り日。 しっとりと湿った雀色の田んぼなどながめていると。 秋が深まったことをしみじみと感じるのだった。
母の経過はよし。もう明日にでも退院できそうだと言う。 ほっとしながらも。もっとゆっくりと休ませてあげたくなる。 日中に『寝る』ということなどまったくなかった母だもの。 うつらうつらと何も考えずに安静な時を過ごさせてあげたかった。
母のことを気遣いながらも一日は平穏に暮れていく。 今はこうしてとりとめもなく記し始めているけれど。 ついさっきまであたまの中が真っ白になっていた。 時々そんな時がある。ぼんやり病というのかもしれない。
書かなければいけないことは何もない。 いったい何を書けばいいのだろうと。 壁にぶち当たったような気分になるのだった。
そうして一年前の自分に会いに行く。 そこで娘のサチコに会ったのだった。 寝ても覚めても娘の事ばかりそんな私がいた。 2009年の10月。記しておいてよかったと心から思った。
あの時の親心。そうしてすぐにおとずれた寂しさ。 そのどうしようもない寂しさの中にぽつんといる自分。
あれからもう一年が経とうとしているのだった。 寂しさはどこにいってしまったのだろう。 サチコのいない暮らしにすっかり慣れてしまった自分がいる。
それが歩むということだろうか。 それが生きた証だとでも言うのだろうか。
気がつけばまたこうして今を記している自分。
無意味な事かもしれないけれど
いまここにいるよとさけぶようなきもち。
静かな雨が降ったりやんだり。 畑には恵みの雨になることだろう。 週末にはまた様子を見に行こうと思っている。
母のいない職場。今日は少し忙しかった。 慌しくしていながらも母の事が気になる。 午前中に終わる予定の手術が終わらず 連絡があるのをずっと待ちながら過ごしていた。
午後4時過ぎになりやっと終わった報せが入る。 簡単な手術だと聞いていたのに7時間もかかったのだ。 どんなにか不安だったことだろう。疲れたことだろう。
甘く考えていたせいもありなんだか心苦しくなった。 近ければすぐにでもとんで行ってあげられるのに。
でも経過さえ良ければ週末には退院できそうだ。 また来週から何事も無かったように一緒にいられるけれど。
ケンカなんかしている場合ではないかもしれない。 もっともっと母をいたわってあげなければと肝に命じた。
どうしようもなく老いていく母。
どんなにあっけらかんとしていても。 年には勝てない事がたくさんあるのだと思う。
私はいつまでたってもわがままな娘のままで。 反省しても戒めても母とぶつかってしまうコドモなのだった。
そんな自分は思うようには変えられないけれど。
変わりたいと思ったときから始められるかもしれない。
雨がすぐそこまでやって来ている。 かすかに水がにおう暖かな夜になった。
今日も穏やかな一日。 ただひとつ記しておきたいことは。 母がまた短期の入院をしてしまったこと。 先日の手術ですべての治療が終わったと思っていたけれど。 まだ少し悪いところがあって再度手術をすることになった。
前回と同じく簡単な手術らしく心配は要らないだろう。 例のごとくであっけらかんとしている母は。 まるで旅行に行くように出掛けて行った。
もう慣れてしまったと言えば不謹慎かもしれないけれど。 母のいない職場は静か過ぎて気が抜けたように時が流れる。
午後は特に仕事もなく、同僚に留守番を頼み早目に帰宅した。 いつもよりゆっくりと買物などしていたのだけれど。 車の中にケイタイを置きっぱなしにしていたあいだに。 母が何度も電話をしたらしい。着信に気づき慌てて電話すると。
「ケイタイはね。肌身離さず持っておきなさい!」と怒っている。 「もう用事は済んだからいい!じゃあね!」とか言って。
ちょっとむっとしたけれど可笑しくなってふふっと笑ってしまった。
母がいないと静かでいいなあなんて内心思っていたから。 そのバツに母の怒りの声が届いたような気がしたのだった。
やっぱり母はそうでなくっちゃ。退院したらまたケンカしようね。
さあ月曜日。気分を一新するような気持ちで職場に向かう。
峠道を行けばひとりふたりとお遍路さんの姿。 民家のそばを通れば柿の実が色づき始めている。
山里はひんやりとした朝の空気につつまれていて。 朝陽を待ちわびていたように草木が輝いて見える。
穏やかな一日だった。とてもほっとしながら時を過ごす。
日暮れがずいぶんと早くなった。 すっかり暗くなった路地を歩き姑さんの家に行く。 今日は義父の命日。もう28年もの歳月が流れたことになる。
初孫だった息子のことをとても可愛がってくれた義父。 家族みんなで来られなかった事を詫びつつ手を合わした。
遺影の義父は今の夫よりもほんの少し若い頃の姿だった。 「俺も親父の年まで生きれたらじゅうぶんだ」などと。 弱音をはいていた彼も。その年を越えほっとしているように見える。
最近では「おまえよりもちょっと早く逝かないとな」などと言って。 私とふたりで冗談を言いつつ笑い合っている彼だった。
けれどもそれはほんとうに心細くてさびしいことだと思う。 ともに白髪の生える年まで寄り添ってきたふたりだもの。 腰が曲がって杖を頼りに歩くようになっても一緒に生きていたいものだ。
命日を憶えていてくれたのかと姑さんは嬉しそうに微笑んでくれた。 50歳で夫に先立たれてどんなにか辛く寂しかったことだろう。
今は不自由になってしまった手足だというのに毎日畑仕事を頑張っている。
28年の歳月。それはとてつもなくながい歳月に思えるけれど。 つい昨日のように思い起こすだって出来るかけがえのない歳月だった。
朝の肌寒さがいちだんと増す。 そうして日に日に秋が深まっていくのだろう。
土手にはススキの穂に寄り添うように野菊の花が咲き。 その野菊をくすぐるように猫じゃらしの穂が揺れている。
早朝から川仕事。漁場に海苔網を張る作業だった。 夜が明けるのを待ちかねて出掛けた川船の上から。 あたりを茜色に染めながら昇る太陽を仰ぎ見た。
なんと心地よい朝だろう。とても爽やかな気分だった。
海苔網には目には見えない種がたくさん付いている。 それがゆっくりと育ちやがて緑の種が見え始めるのだった。 どうか順調に育ってくれますようにと祈りつつの作業。 希望と期待ばかりではなく一抹の不安も胸をよぎる。 水温のこと水質のこと。すべて自然に任せるしかない。
朝から身体を動かすといちにち体調も良く元気でいられる。 ずっと毎日こんな生活をしてみたいものだとつくづく思った。
うごきたいのだとても。
するとこころもうごきはじめる。
うつうつしたりくよくよしたり。
もうそんなじぶんではないよと。
こころがいっぱいしんこきゅうしている。
今夜はすき焼きにしようと材料を買っていたら 白菜のなんと高いことびっくりしてしまった。 仕方なく4分の1の小さいのをカゴに入れレジに行くと。 いつも気軽く声をかけてくれる店員さんが居てくれて。 「白菜、特売のがあったでしょ?」と言う。 「ううん、そんなのなかったよ」って言うと。 まだきっとあるからと一緒に野菜売場に行ってくれた。
ありました!半分で100円のがちゃんとありました。
良かったね〜とにこにこ微笑みながら会計をしてくれる彼女。 私は彼女のことがとても好きだった。もうずっと前から好き。
だから彼女が居てくれる限り必ず彼女のレジに並ぶ。 他のレジが空いていても彼女でないといけないのだった。
どんなに混んでいても必ず笑顔で話しかけてくれる。 その笑顔にどんなにかこころを和ませてもらったことだろう。
ある時は仕事で嫌なことがあってしょんぼりとしている自分。 ある時は体調が優れず買物も億劫なほど疲れている自分もいた。
どうしたの?今日は元気ないね。彼女にはちゃんとそれが伝わるらしい。
また明日ね!お疲れさん。そう言ってもらうと一気に元気が出てくる。
今日は一緒に白菜をさがしてくれてありがとう。 おかげで美味しいすき焼きが出来たよ。
また明日ね。今日もいちにちお仕事お疲れさまでした。
日中の最高気温が28度。 夏の名残のような陽射しがまぶしかった。
仕事。行きたくないなと思いつつ職場に行く。 そんな時に限って些細な事で苛立ったりするもの。 気分次第なのだけれどその気分がうまく微笑んでくれない。
結局母とぶつかってしまってちょうむかつくの感じ。 なんだか子供が自棄を言っているような自分を見た。
大人気ないなと反省をする。もっと穏やかでいるべきだった。
午後から少し川仕事があったので逃げるように退散。 彼は一人でも大丈夫だと言ってくれていたのだけれど。 自分が手伝いたくてならなかった。と、言うよりも。 山里の職場がよほど嫌だったのだろうと思ったりもする。
困ったものだ。親孝行だとか綺麗ごとばかり言って。 本音はこれだもの。どうしようもない自分だと思う。
けれども穏やかでない自分はとても嫌いだった。 好きな自分でいるためには我慢もしなければと思う。
その我慢をストレスにしないように努力するべきだろう。
あああ・・なんかめんどくさいなそれも。
好きなことばかりの日々なんて決してないのだし。
嫌なことばかりの日々もまた決してないのだと思うのだけれど。
月曜日がお休みだというのがとても嬉しい。 仕事が嫌なわけではないのだけれど。 ああ今日は行かなくても良いのだなと思うとほっとする。
ずっと毎日家にいられたらどんなにいいだろう。 すっかり怠け者になってしまいそうだけれど。 そんな生活にあこがれているのは事実だった。
今日はキャベツの苗を買いに行きさっそく植える。 姑さんからさずかった畑はまだまだ広くって。 手広くしようと思えばいくらでも可能なのだけれど。 ほんの家庭菜園くらいの畑でじゅうぶんに思える。 畑仕事に慣れてきたらまた増やせばいいのだから。
大根に続きほうれん草の芽も出ていた。 心配していた蟹の姿も見られずとてもほっとする。
畑にいるととてもこころが和やかになる。 すくすくと育って欲しいと願う気持ちが希望だった。 ちいさな芽がまるで我が子のように思えてくるものだ。
そうして平穏にいちにちが暮れていく。
明日はあしたの風が吹くことだろう。
雨上がりの爽やかな秋晴れ
わくわくとしながら畑の様子を見に行くと。
大根の芽がたくさん出ていたよ。
うれしくってね。なんか胸がぷわんとふくらんだみたい。
ちっちゃな緑。かわいい緑。ありがとうみどり。
細かな雨がふったりやんだり。 畑はどうなっているのだろう気掛かりでならない。 もしかしたら芽が出始めているかもしれない。 明日は晴れそうだから真っ先に見に行こうと思う。
朝のうちに髪を切りに行く。 夏に初めて行った美容院がとても気に入っている。 カットをする前に頭と肩のマッサージをしてくれるのだ。 それがとても気持ちよくて思わず声が出てしまうほど。 今日は背中までマッサージをしてくれてとても嬉しかった。
優しい手ざわり。こころまでほぐされていくのがわかる。
さっぱりと短くなった髪。鏡に映る自分が新鮮に思えた。 つい鬱々としてしまうことが多かったこの頃。 わずか2センチの髪の毛と一緒にそれがぱらぱらと落ちる。
また伸びていくだろう髪と一緒に日々も流れていくだろう。
どんな日もあるけれど笑顔で過ごしていきたいものだ。
お天気は下り坂。日暮れてから少しだけ雨が降る。 畑にはちょうど良いくらいの雨でほっとする。
仕事。少しだけ苛立つ事があった。 どうしようも出来ない事なのだけれど私はあがく。 母にそれを指摘されてむっとしてしまったのだった。
思うようにいかないことが多過ぎる。 だから思わなければ良いのだと自分を戒めてみる。
ど〜んとかまえている母がうらやましく思った。 机の上にはまたクロスワード。今日は笑えなかったけれど。
母と違って私は押し潰されそうな危機感を感じる。
笑っていればきっと良いことがあるよと母は言う。
私は笑えない。どうすればうまく笑うことが出来るのだろう。
どんな一日もかならず暮れていく。
すると不思議なことに平穏だったのかもしれないと思える。
夕食のポテトサラダがとても美味しい。
そんなささいなことが幸せだなと思えるのだった。
朝の肌寒さが日に日に増してくる。 深まろうとしている秋。 その深みにぐいぐいとひっぱられているような感じがする。
仕事を終えるなり畑を見に行く。 昨日の今日でまだ芽が出るわけはないのだけれど そわそわと落ち着かず気になってしょうがないのだった。
畑に話しかけるようにしながら水遣りをする。 どうかちゃんと芽が出てくれますように。 明日も来るからねと約束をして家路についた。
畑って命のにおいがする。
それはとても不思議な土の匂いだった。
いのち。いまむくむくっとしているかな。
いのち。太陽の光をあびておぎゃあって生まれるかな。
2010年10月05日(火) |
うんこらしょどっこいしょ |
少しひんやりとした朝。 窓を開けると爽やかな青空がひろがっていた。
山里の職場を休ませてもらって 今日こそはと朝から畑に出掛ける。 夏のあいだほったらかしにしてあった畑。 まずは畝作りから始めなければいけなかった。
慣れない鍬での作業。うんこらしょどっこいしょ。 まだまだ初心者だから上手にはできないけれど。 なんとかそれらしきものが出来てほっとひと息。
そうしてやっと種を撒くことが出来た。 大根とほうれん草。スナック豌豆の種も。
去年は蒔いてすぐに芽が出てくれてとても嬉しかった。 でも蟹がたくさん出てきて荒らされてしまったり 大雨でほうれん草の殆どが流されてしまったりして。 それでも無事に育ってくれた大根のなんと美味しかったことか。
今年もそうなってしまうかもしれないけれど とにかく芽が出てくれるのを楽しみに待っていようと思う。
畑仕事は楽しい。うまく出来なくても良いのだ。 これも経験だと思って練習だと思って挑戦してみるのがいい。
うっすらと汗を流しとても心地よい一日だった。
2010年10月04日(月) |
ゆったりとおおらかに |
風があまりにも爽やかだったから お昼休みに職場の庭を歩いてみた。
コスモスが今が盛りと咲いている。 それはとても背高のっぽで。 仰ぎ見ると真っ青な空が見えた。
ゆうらゆうらと風になびくコスモス。 わたしも一緒に揺れているように思った。
風にさからってはいけない。
風に身をまかせるのがよい。
肩の力を抜いてゆったりとおおらかに生きたいものだ。
母も無事に退院をして仕事に復帰する。 とはいえ必死に机に向かっていると思えば なんとクロスワードに夢中になっているではないか。 くすくすと可笑しくなってしまってそっとしておく。 以前の私なら小言のひとつも言ってしまうところ。 でも夢中になって遊んでいる母がふと愛しく思えた。
せかせかと今すぐやらなければいけないことなんて。
もしかしたらなにもないのかもしれない。
週末は畑仕事をしようと目論んでいたけれど、 一昨日の雨が降り過ぎたのか畑は泥濘状態だった。
わくわくするほど意気込んでいたため がっくりと肩を落とし仕方なく帰って来る。 しばらく晴天の日が続かないととても無理だろう。 明日も雨だという天気予報がうらめしく思うのだった。
ぽっかりと空いてしまった休日。 気が抜けたようにだらだらと過ごしてしまった。
昼下がり息子君がふらりと帰って来てくれる。 遅い昼食を食べさせたあと茶の間でごろごろ。 例のごとくで仕事の愚痴などを聞いてあげた。 とてもストレスが溜まっている様子だけれど。 辞めるわけにはいかない仕事に諦めもあるよう。
頑張れとは父も母も決して言わない。 どんな日もあるけれど乗り越えて欲しいと願うばかり。
話すだけ話すと彼はまた嵐のように去って行く。
またおいでね!というと「おう!」と言って帰って行く。
夕食は「おでん」二人きりなのにまたたくさん作ってしまった。 日本酒をちびちびと飲みながらの食卓。身体がぽっと熱くなる。
ぽっかりと空いた休日もそうして埋まっていく。
平穏だったなと思える夜はとてもありがたいものだ。
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