9月もとうとう最後の日。 朝からずっと雨が降り続き夏の後姿を見たような気がした。 この雨があがれば一気に秋らしくなることだろう。
とても暑かった夏の事がふと恋しくおもう。 後姿を見せながら名残惜しそうに手を振っているようだ。
月末の仕事を終えほっとして家路に着く。 いつものスーパーで天然の鮎が半額になっていた。 ちょっと小さめの鮎だったけれど喜んで買う。 彼が4匹食べて私が3匹食べた。とても美味しかった。
我が家は元々が川猟師の家系で昔は鮎漁にも行っていた。 彼がにわか漁師を始めた頃もクーラーいっぱいの鮎を獲って。 もう食べきれないよというくらい毎日鮎を食べた事もある。 その頃がとても懐かしく思う。今は買うしかないのがわびしい。
昔はよかったね。なんてふたり語り合うのも歳のせいだろう。 最近そんな会話がとても多くなった。子供たちの幼い頃の事や。
そのうち何もかもが昔の事になってしまいそうでふとこわくなる。
怖さでもない恐さでもないコワサだった。
月日があっという間に流れる。歳月も季節もどんどんと流れる。
なにひとつ留まることがなく。変わらないものなどないように思う。
母の手術は無事に終わる。 弟から電話があってほっとしていると。 今度は母からメールが届いた。
「ただ今身柄を拘束されています」と。 母らしいセリフに思わず笑ってしまったけれど、 術後は絶対安静でベッドに縛り付けられているらしい。
それなのに仕事の事が気になって仕方ないのだろう。 電話には出られるからと念を押すように添えられてあった。
心配ないよ。安心して寝ていなさいねと返事を送る。
母のことがふっと憐れになった。 普通の人ならもうとっくに職場を引退してもよい歳である。 趣味を楽しんだりゆったりとした老後を送っていてもよい。
楽をさせてあげられたらどんなに良いだろうかと思う。 死ぬまで働くからなんて言わせたくはなかった。
けれども母は仕事が好きでならないのだろう。 生きがいかもしれないと思うと私も少し気楽になれる。
今日も少し早目に家を出て峠道を通った。 好きな道はやはりこころがなごむものだ。 朝の時間が少しだけ気忙しくなるけれど。 出来るだけ続けてみようと思っている。
お遍路さんを見かけるとほんとに勇気がわいてくる。
一歩一歩踏みしめるように歩く姿は元気そのものだった。
天気予報がはずれて思いがけない秋晴れになった。 夏の名残のような陽射し。そうして爽やかな風が吹く。
出勤時間を少し早めて久しぶりに峠道を通ってみる。 畦道の彼岸花。民家へと続く坂道には黄花コスモス。 そうしてお遍路さん。今朝は7人も出会う事が出来た。
ああこの道好きだなあと思わず声に出しつぶやいていた。
明日も早目に家を出てみようと思う。 道路工事中だから通行規制が始まる前に通過すれば良い。
道端の大きな銀杏の木。あの木が色づくのを今年も見たいなと思う。
母のいない職場は少し多忙。 あれこれと動きまわっているうちに体調の事など忘れていた。 昨日の不調が嘘のよう。やはり忙しいのがいちばんなのかもしれない。
母は明日下肢静脈瘤の手術。前回よりもずっと簡単な手術らしい。 家族の立会いが必要と言う事で、近くに住む弟が引き受けてくれた。 電話の声は相変わらずあっけらかんとしていて拍子抜けするほど。 ずっと痛がっていた足がこれで楽になってくれたらと願っている。
私は明日もぼちぼちとがんばろう。
くよくよ思い詰めたりしないで母のようにあっけらかんと元気でいよう。
小雨ふる肌寒い一日だった。 一雨ごとに秋が深まっていく事だろう。
気温の差に身体がついていけないのかもしれない。 仕事中にまた眩暈がする。しばらく目を閉じては。 だいじょうぶ。だいじょうぶと呪文のように唱えた。
弱気になってはいけない。むしろ悔しくてならない。 こんなに元気なのにどうして!と叫びたいくらいだ。
どんな日もあるのだと思うことにしよう。 気を強く持って日々を乗り越えていくしかない。
母はまた明日から入院。とてものほほんとしている母。 内心は心細い事だろうと思いながら気遣ってあげられなかった。 自分のことで精一杯でそんな余裕がなかったのかもしれない。 いけなかったな・・と帰宅してから悔やんでも遅いのだけれど。
いつもどんな時もあっけらかんとしている母がうらやましく思う。 娘なのに肝心のところが似ていないのだ。私は父親に似たのだろう。 とても神経質だった父のことを思い出す。でも好きだった父のことを。
あしたはあしたの風が吹くという。
天気予報は雨だけれどどんな風が吹くのだろうか。
風まかせでいよう。胸をはって風に吹かれてみたい。
人恋しさに耐え切れず 昨夜はとうとう古くからの友人に電話をかけてしまった。
中学、高校と多感な青春時代をともに過ごした友。 久しぶりに聴く声のなんと懐かしかったことだろう。
「みんながミカに会いたがっているよ」そう言ってくれた。
嬉しくってほろほろと涙がこぼれそうになる。 あったかいな。すごくすごくほっとしたのだった。
「ミカの声、すごく元気そうにきこえるよ」とも言ってくれた。
そっかわたしげんきなんだ。うんこんなにげんきなんだ。
今日は散歩道を延長していつもよりたくさん歩いた。 元気なんだもんどんどん歩いちゃえ。 そう思うと不思議と足取りが軽くなった。
川岸までおりて行って水際に佇んでみる。 川風がつくるちいさな波が足元ではねる。
みずになりたいな。さらさらとながれたいな。
そうして海になりたいなっておもった。
秋めいてくると人恋しくなるのはなぜだろう。 むしょうに誰かと語り合っていたくてならない。
それが叶わないとたまらなくさびしい。 なんだか気が変になってしまいそうだ。
ひたひたとなにかがおしよせてくるような感覚。 それは手ではすくえない。それは触れることすらできない。
だからしかたなくそこにいる。 じぶんの息を確かめるように。
どうにかなってしまうのだとしたら今しかない。
おもいっきりじぶんを見失ってしまいたいくらいだ。
そう壊れるんだ。粉々に壊れてしまえばいいんだ。
はぁ・・・こんなじぶんもたまにはいい。
10代の終わりの頃の自分を見ているようだ。
昨日までの暑さがうそのよう。 曇り日の空が肌寒さをつれてくる。
川仕事も昨日で一段落したため。 今日は何もすることがなかった。
身体を動かしていないと落ち着かない。 家中の掃除などしてみるが物足りない。
パソコンの前に座ると身体がふわりっとなる。 気が遠くなってしまいそうな軽い眩暈だった。
開け放した窓から川向の山を見ていた。 あの山の向こうに山里の職場があるのか。 仕事はお休みのはずだけれど母がいるような気がした。
明日は行こう。そうして笑顔の一日にしたいなとおもう。
あしたのわたしはきっとげんきにちがいない。
散歩の帰り道。それは綺麗な中秋の名月を見た。 暮れようとしている空にぽっかりと浮かぶ月は。 まるで夢のようにまるで希望のように明るかった。
あきらめてはいけないなとふとおもう。 まっくらやみのじんせいなんてありえないのだから。
祖母の命日。愛子という名のおばあちゃんだった。 愛ちゃんって呼んであげるとすごく嬉しそうにしていたっけ。 大好きだった愛ちゃん。私のことをとても可愛がってくれた。
ねえおぼえてる?夏休みに一緒に寝た時。 朝起きたら愛ちゃんの入れ歯が外れて私の手を噛んでいたの。 ふたり大笑いしたね。あの時の愛ちゃんは子供みたいだった。 お茶目な愛ちゃん。そんな愛ちゃんに似ているねって言われるの 私すごく嬉しかったんだよ。愛ちゃんの孫でほんとうに良かった。
お彼岸なのにお墓参りも行けなくてごめんね。 今日は一日中愛ちゃんのことを思い出していたよ。
川仕事をしている時に白鷺が飛んできたの。 すぐ近くまで来てじっと私のことを見つめているから。 愛ちゃんが空から舞い降りてきたのかなって思ったんだよ。
綺麗なお月さま。おじいちゃんと一緒に見ているかな。
空はずっとずっと果てしなくつながっているんだもん。
たったひとつきりのお月さま。私も一緒に見ているからね。
最高気温が34℃。とても暑い昼下がりだった。
サチコが久しぶりに帰って来てくれる。 ずっと会いたくてたまらなかったから。 ぎゅっと抱きしめたくなるほど嬉しかった。
先日は電話で弱音をはいてしまった母。 娘の声を聴くだけで元気になれる気がした。 心配をかけていたのだと思うと心苦しくもあり。 甘えもあった。心配して欲しかったのかもしれない。
あら、母元気そうじゃんと笑った。
うん、なんかぴんぴんしてるよねと笑った。
嫁いでからもう10ヶ月経ったのか。 あっという間に月日がながれてしまった。 寂しさもつかの間だったような気がする。
けれどもいつだって母はサチコの笑顔が恋しかったんだ。
彼岸の入り。暑さも峠を越す頃だけれど今日も真夏日。 いく夏を惜しむように鳴くツクツクボウシの声も。 夕暮れ時にはか細くてふとせつなさをおぼえるほどだ。
川仕事も三日目。不思議な事に体調がとてもよくなる。 どうやら私の身体は肉体労働に向いているらしい。 初日の不安もどこへやらすっかり自信がわいてきている。 おかげで今週中には作業が終えられそうになってきた。 彼とふたり力を合わせて明日も頑張ろうと思っている。
山里の職場はあと二日お休みをいただくことにした。 母に電話をすると「だいじょうぶだよ」と言ってくれる。 来週はまた下肢静脈瘤の手術を控えている母だった。 老人病だよと笑っているけれど、そうして老いていく。 それでも毎日頑張っている母に頭が下がる思いだった。
死ぬまでやるしかないというその言葉に胸が痛くなる。 娘としてどれほど助けてあげられることだろうか。 10年後の母を思うとほんとうに心細くてならなかった。
夕飯は久しぶりにカレーを作る。フライパンで作ってみた。 サチコが家を出てから一度も作っていなかったカレーだった。 私はラッキョウが好きでたくさんのっけて食べた。 彼も美味しいと言ってくれて喜んで食べてくれた。
ありがとうございました。いつものお大師堂で手を合わす。
よしよしとお大師様が微笑んでいるような夕暮れ時だった。
伸ばし伸ばしにしていた川仕事を始める。 養殖場に杭を打つ作業から始まり 来月になれば網を張れるようになるだろう。
弱音をはいている場合ではなかった。 気をひきしめて精一杯にやるしかない。 生活がかかっているのだもの頑張らなければ。
彼も腰痛を我慢しながら耐えている。 私が助けてあげなければ誰が助けるのだと思う。
幸い朝のうちはずいぶんと涼しく仕事もはかどる。 ふたりくたくたになってとても疲れてしまったけれど その疲れが心地よく思えた。やれば出来るんだと私も 少し自信が出て来た。ひと山もふた山も越えられそうだ。
さすがに午後はぐったりとお昼寝をする。 夕飯は野菜たっぷりのチャンポン。 うっすらと汗を流しながら食べた。 そろそろ温かいものが美味しい季節になる。 おでんもいいな。むしょうに食べたくなった。
そうして夕暮れの散歩。茜色の空を仰ぎつつ 土手の道を踏みしめるように歩いて行くのだ。
お大師堂にはいま白い萩の花が満開だった。 その枝垂れ咲く花のなんと可憐なことだろう。
薄暗くなったお堂で蝋燭を灯しお参りをした。
ずっと願いごとはしないならいだったけれど。
最近はついついお願いをしてしまうのだった。
たすけて。たすけて。たすけて。
そうつぶやいているじぶんをゆるしてあげたいとおもう。
朝晩の涼しさにくわえて日中の暑さも少しやわらいでくる。 ずいぶんとしのぎやすくなってからだもほっとしているようだ。
職場の庭にはコスモスの花が咲き始めた。 背高のっぽのその枝は猛暑と雨不足のせいだろうか みな少しうなだれて葉も枯れかけているものが多い。 けれども花が咲くとそれが息をふきかえしたように 活き活きと空に手を伸ばしているのが感動的だった。
大好きな花だ。がんばれがんばれと応援するような気持ちでいる。
やがてはたくさんの花がほこらしげに咲いてくれることだろう。 ありがとうって伝えたい。咲いてくれてありがとうって伝えたい。
ふと。うなだれているわたしにも花が咲くかもしれないと思う。
頭のうえにぽっかりとある日突然に花が咲くかもしれないな。
ふたりのこどもたちの声がむしょうにききたくなって電話する。
真は「なんぞ?」と言うので、今夜のホタルノヒカリ最終回の録画を頼む。
サチコは仕事が休みだったそうだ。アイタカッタな・・。
でも母は仕事だったからアエナカッタな・・。
最近また調子悪くてねって言うと『命の母』を飲めと言う。
母にとってはそんな薬より『サチコの花』がよく効くのであった。
ふたりにあいたい。あいたくてたまらない・・・・・。
昨夜から一気に涼しくなり今朝は肌寒いほどだった。 けれども日中はまだまだ真夏の光があふれている。
今日も赤とんぼの群れ。雲ひとつない空は高くひろく。 吸い込まれてしまいそうな青にこころがうばわれるよう。
職場のすぐ近くの畑にはニラの花がたくさん咲いている。 純白のなんとも愛らしい花だ。か細くてもすくっと立って。 そよ吹く風になびくように揺れている姿がなんともいえない。
そのニラの花を少しだけいただき子供のように嬉しかった。 さっそく事務所の花瓶に活けてみたら心がほっと和んでくる。
たかが野菜とあなどってはいけない。ニラだってニンニクだって。 じゃが芋の花もトマトや茄子やかぼちゃの花も私は好きだなと思う。
それが実になり種になる。すばらしいことではないかと思うのだ。
ひとは思うように花にはなれなくて咲けないままの人生もあるけれど。 あたたかいきもちや優しいきもちになった時目には見えない花が咲く。
それがやがて実になり種になるのではないかとわたしは信じている。
さげすまないでじぶんをきらいにならないでそんな花になりたいものだ。
夕暮れ近く。庭先で聞きなれない鳥の声がした。 あれはモズだ。秋になったんだなあと彼が言う。
昼間の暑さを思うとその何気ない一言が嬉しかった。 秋はさびしいけれど秋はせつないけれど。 心のどこかでちいさな秋を待ちわびているのかもしれない。
茜色の空を見上げながらいつもの散歩に出掛ける。 刷毛で描いたような茜雲も秋を知らせてくれている。
かと思えばツクツクボウシが声を限りに鳴いている。 あふれんばかりの夏に秋がそそぎこんでいるようだった。
てくてくと歩きながらじぶんのことをかんがえる。 体調は少しずつ楽になっているようでほっとしている。 まだ歩けるんだ。ずっと歩けるんだと自信がわいてくる。
ようは気の持ちようなのだ。勇気を出して歩み続けることだ。
秋がくれば冬がくる。冬になれば春を待ちわびることだろう。
そうして歳を重ねていくことに誇りを持てる生き方をしたい。
厳しい残暑。9月とは思えないほどの猛暑日となる。
そろそろ川仕事の準備を始めなければいけないのだけれど、 先日の彼のこともありもうしばらく様子を見ることにした。 来週末頃になれば少しは暑さもやわらぐことだろう。
おかげでいただいた安息日。ふたりごろごろと怠惰に過ごす。 時間がゆっくりと過ぎていく。それは無意味な時なのかもしれない。 けれどもまったりと寛いでいる身体が喜んでいるようにも思える。
ありあわせの夕食を食べながら、10年後20年後を語り合う。 それはまさしく老後のことだった。ふたりとも元気でいるかしら。 私の更年期障害。彼の腰痛。いったいどんなふたりになっているのだろう。
先のことだよと彼は言う。先のことなんてなにもわからないのだ。 それよりも今を大切に日々を精一杯に乗り越えていかなければいけない。
夕風を待ちかねていつもの散歩に出掛ける。 今はこんなに元気なあんずもやがては弱ってしまう事だろう。 せつなさが込み上げてくる。そのせつなさが風に吹かれているのだった。
茜色の夕焼けは秋の気配がする。落ちていく夕陽がとても急いでいる。 か細い三日月が見え始め一番星がきらりと光り始めた空だった。
きょうがおわる。きょうも生きた。それ以外に何を思うことがあろうか。
昼間。仕事の手を休めて裏庭に出てみると。 それはそれはたくさんの赤とんぼが飛んでいた。
陽射しはまだ夏のままだけれど風が少しだけ爽やかになる。 赤とんぼはそんな風のなかを泳ぐように飛び交っていた。
ふとじぶんも空をとんでみたくなる。 それはじゆうにそれはきままに。 なにひとつ思いなやみもせずに。
風のいちぶになったように風になってみたかった。
仕事を終えて帰宅する。「ただいま」「おかえり」 茶の間から彼の声が聞こえるととてもほっとする。 昨日はそれがなくてどんなにか不安だったことか。
ひとりで川仕事に行っていて軽い熱中症になっていたのだ。 気分が悪く昼食も食べられないまま横になっていたと言う。 もう大丈夫だと病院にも行きたがらずそのまま夜になった。 大好きなビールも欲しがらず心配でならなかったけれど。 今朝は食欲も戻りほっとして私も仕事に出掛けられたのだ。
職場に向かいながら思った。自分の体調なんてどうでもいい。 彼が元気でいてくれるのが何よりも嬉しいことなのだと。
そう思っただけで不調が少しだけやわらいだように思う。
弱気になってはいけない。じぶんは元気なのだと信じよう。
おじいちゃんの命日。一周忌だった。
今年の夏ほど祖父のことを思い出したことはない。 子供の頃の夏休みをずっと祖父の家で過ごしたからだろう。
川遊びに連れて行ってくれたこと。 畑でとれた大きなスイカを食べたこと。 山羊のミルクを飲ませてくれたこと。 鶏小屋からとってきたばかりの卵は新鮮で。 わたしは卵かけご飯が大好きだったことを思い出す。
祖父がいて祖母がいた。遠い遠い夏の日のことだった。
祖母が亡くなり祖父は老人ホームでどんなにか孤独だったことか。 もっと会いに行ってあげればよかったとずっと後悔している。
最後に会ったのは一昨年の秋の彼岸の頃だった。 祖母のお墓参りに行く私達を不自由な足で見送ってくれた。 老人ホームのエレベーターの扉が閉まろうとするその一瞬。 祖父は手をあげてにっこりと微笑んでくれた。 それは嬉しさと寂しさがまざりあったような笑顔だった。
その笑顔が昨日のことのようにはっきりと目に浮かぶ。
おじいちゃん。いまはさびしくないですか? おばあちゃんとふたりえがおですごしていますか?
近いうちにきっとお墓参りに行くね。
「おお、よう来たのぅ」って子供の時みたいに喜んで迎えてね。
台風の影響なのか時折りどしゃ降りの雨。 青空は見え隠れして不安定な空模様だった。
じぶんも体調が不安定なまま仕事に出掛ける。 弱気になってはいけないと言い聞かしてみるけれど。 ふっと不安がおそってくる。タオレルノジャナイカ。
でも倒れたりはしなかった。わたしはだいじょうぶなのだ。
70歳を過ぎた母が頑張っている。 「しんどいねえ」と言いながら私を励ましてくれる。 今日ほど母の優しさが身に沁みたことはなかった。
弱音を吐いてもいい。けれども弱いひとになってはいけないのだ。
病は気から。私は更年期障害で自律神経をやられているらしい。 それがいったいなんだっていうのだろう。
そんなものに負けてどうする。なんとしても乗り越えてやろう!!
夏バテなのかもしれない。 週末になると一気に疲れがおそってくる。
だいじょうぶだいじょうぶと自分を宥めるように過ごすばかり。 無理をしないこと。とにかく怠け者になってしまうのがいちばんに思う。
早朝の涼しさもつかの間。すぐに暑さがやってくる。 まだまだ夏は終わらない。今年の夏は特別の猛暑のようだ。
午後。彼が茶の間をエアコンで冷やしてくれて快適なり。 ソファーに横になったまま夕方までうたた寝をしていた。
買物にも行けず晩ご飯は茄子と生姜を甘辛く炒めたもの。 質素な夕食だというのに文句ひとつ言わない彼がありがたかった。
気だるさを引きずったまま夕暮れの散歩に出掛ける。 夕風が心地よい。しんこきゅうをいっぱいする。
颯爽と歩けない。足に鉛が付いているように重い。 それでも一歩一歩と踏みしめるように土手を歩いた。
歩きながらいろんなことをかんがえる。 どうしてじぶんはこんなに弱っているのだろうとか。 どうしてもマイナスなことばかり考えてしまうのだった。 鬱々としているじぶん。好きじゃないなとつくづく思った。
好きなじぶんになりたいけれどどうすればなれるのだろう。 無理をしなくちゃいけないのかな。もっと頑張らないといけないのかな。
なにをこれしきと立ち向かっていかないといけないのかな。
さらさらと流れる川の水をながめながら。
さらさらと流れていけないじぶんを抱きしめてあげたくなった。
風の強いいちにち。 山里にいるとそれが南風なのか東風なのかよくわからないけれど。 9月の声を聞きその残暑をやわらげるような涼しさを感じた。
穏やかに時が過ぎていく。 先日の怒鳴り声の主も今日はとてもにこやかにしていて。 わたしの緊張感も少しずつ薄れていくのだった。
そのひとのことがずっと苦手だった。 けれどももしかしたらずっと好きだったのかもしれないと思う。
笑顔が嬉しかった。それはほんとうにほっとする笑顔だった。
どんな日もある。光もあれば影もあるように日々が流れていく。
帰宅していつもの夕暮れ散歩。日暮れが随分と早くなった。 さっさと行かなくちゃと気が急いていたのかもしれない。 例のごとくであんずとまた喧嘩をしてしまった。 お大師堂に行きたくないと駄々をこねてしょうがないのだ。
私は怒る。叱るのじゃなくて本気で怒ってしまった。 リードの先を持ってムチのようにあんずを叩いてしまった。
つぶらな瞳が悲しそうに私を見つめる。 ごめんなさいと懇願するようにその目が真っ直ぐに向かってくる。
ああ、なんてことをしたのだろう。 どうしてこんなに怒っているのだろう。
お大師堂で手を合わせながら懺悔するように頭を垂れた。
薄暗くなった土手の道を夕風に吹かれながら家路に着く。
涼しいね。気持ちいいねとあんずに声をかけていると。
ふふっとあんずが笑ったような気がした。
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