風もなくぽかぽかと暖かないちにち。 冬枯れた土手に若草の緑が目立つようになった。 今にも土筆の坊やが頭を出してきそうな気がする。
午前中は川仕事。いよいよ海苔の収穫が始まった。 生育は例年並みかなと思う。どうか順調にと願いつつ。 手を動かす。愛しいものに触れるように海苔を摘んだ。
これから五月の中旬くらいまで家業に精を出すことになる。 山里の職場のこと。母のことなど気掛かりでならないけれど。 ひとつしかない身体。こればかりはどうしようも出来ないこと。
午後はさすがに疲れがどっと出て横になったとたん眠り込んでしまう。 初日からこの調子だと先が思い遣られるけれど。そのうち慣れるさと。 気楽に。あまり不安がらずに日々を乗り越えていきたいものだと思う。
やってやれないことはない。なんとかなるさと自分に言い聞かせている。
寝起きの気だるさをふりきるようにあんずと歩いた。 にんげんの年だともう75歳くらいだと思う彼女の足取りは。 私よりもずっとずっと若く思えるほど元気に走り出そうとする。
「待って!ゆっくりよ」と声をかけるとなぬ?と振り返る。 その顔がなんともいえない。ちょっと心配顔の得意顔にも見える。
お母さん大丈夫?ほらわたしはこんなに元気だよって言っているようだ。
真夜中に雨の音を聴いた。なんと心地よい音だろう。 どこかに流されていってしまうような。それでもかまわない。 そんなふうに身をまかせたまま辿り着く場所があればいいなと思う。
終の棲家に雨が降る。たとえ流されてしまったとしても。 ここに帰って来るだろう。もうじゅうぶんにそのことを知った。
つい先日のこと。幼馴染でもある父方の従兄弟が亡くなった。 憶えているのはとてもやんちゃな子供だったことばかりで。 大人になった彼のことを私は何ひとつ知らないままだった。 40年ぶりの再会はあまりにも遅すぎたと思う。もの言わぬ。 棺の中の彼に会った。そんな時なんと言葉をかければよいのか。 わからなくて途惑った。それがありのままの自分だったと思う。
叔父も叔母もすっかり憔悴しきっていてただただ手を握り締めた。 それが不義理を重ねてきた自分に出来る精一杯の事だったと思う。
誰も私を責めない。そればかりか皆が優しく声をかけてくれる。 これが血なのか。分かち合った血なのか。なんと愛おしい血だろう。
身内という言葉にどれほど救われたやしれない。アイタカッタノダ。
書き記しておきたいことがあるというのに。 うまく言葉に出来なくて悶々とすることがある。
しばし時が必要ということだろうか。 よくわからない。その時になれば。 喉もと過ぎればなんとやらでもう。 感慨もなにも残らないのかもしれないけれど。
決して忘れることはないだろう。そのことを。 『先日』という言葉を借りて綴りたいと思う。
いちはやく咲いた紅梅を追うように白い梅の花も咲き始めた。 「春だね」とあのひとが嬉しそうにつぶやいた。そんな朝だった。
暖かさにほっとしていたのもつかのま。 また真冬らしく冷たい風が吹き始める。
けれどもちいさな春を見つけたこころには。 そんな寒さもむしろ心地よく思えるのだった。
寒さなければ花は咲かず。ありがたき冬かな。
昼間。久しぶりにサチコが帰って来てくれる。 お正月以来かなと思う。とてもうれしかった。
何度か夢を見た。そのたびに気掛かりでならず。 風邪をひいているのではないかと心配になったり。 かと言ってうるさく電話をするのも気が引けては。 日々が流れていくばかりだった。いつもの笑顔と。 明るくてひょうきんな素振り。我が家に花が咲く。
三人でインスタントラーメンを食べた。おいしい。 父も母も声が弾む。こんなに嬉しい昼食はなかった。
食後あっけなく帰って行ってしまったけれど。 しばらくは余韻が残る。あたたかな息のように。 サチコが空気になって家中に漂っているようだった。
ずいぶんと所帯じみてきたよねと。父と母は微笑んだ。 スーパーのチラシを見ながら。卵が78円だよと喜んだり。 買物に行かなくちゃと急いで帰ったうしろ姿のことなんか。
嫁いでちょうどふた月。あっという間に日々が流れた。
寂しさも薄れ。ひたすら懐かしむばかりのこの頃だった。
また帰って来てねサチコ。父も母もいつだって待っているよ。
眠っているあいだに雨が降っていたようだ。 暖かな朝。雨上がりの水の匂いがなんともいえない。 もう春かと思うほど。それはとてもやわらかな匂いだった。
昨夜のこと。もう寝ようと自室の電気を消すと同時に電話が鳴る。 遠くに住む友人からだった。長くなることを承知で受話器をとる。
他の誰にも話せないことなのかもしれない。 彼女の心境が手に取るように伝わってきた。
けれども決して苦しんでいるのではなかった。 彼女は自分の選んだ道を真っ直ぐに歩み始めている。 ただほんの一握りほどの後ろめたさを抱えているのだろう。
進もうとする彼女の足を。いや一本の髪の毛かもしれない。 それを掴んで離そうとしない人の存在に悩んでいるのだった。
それは執着か。もしくは執念か。ふりきってふりきってひたすら 我が道を行くしかないと私は応えた。彼女ならそれが出来るはずだ。
私には出来ないことなのかもしれない。私はもっと揺らぐだろう。 髪の毛の一本を掴む手があれば。その手を握りしめるかもしれない。 何度も振り返ってしまうだろう。自分もまた執着を残すかのように。
彼女はとてもつよい。自分を信じてそれを貫くことが出来るひとだ。
興奮気味だった彼女の声がやっと穏やかになる。
ありがとう。おやすみなさい。その声にほっと安堵する。
私はこの縁を紡ぎ続けるだろう。見守ること見届けること。
そのために彼女と出会った。いまはそうかくしんしている。
大寒とは思えないほどの暖かさになった。 晴れのち曇りの空に雨を匂わす風が吹く。
ひと雨ふればまた寒気がやってくるという。 膨らみ始めた梅の蕾もじっと耐えることだろう。
我が家の庭にはローズマリーの花が咲いた。 今朝のことそれを見つけてなんと感動したことか。 薄紫の小さな花が宝石のように咲いていたのだった。
どんな厳しさにも耐えられる。ひともそうでありたい。 植物から伝わってくるいのちを。とても愛しいと思った。
仕事。今日は早目に終えられてほっとする。 昨日は遅くなりあんずを散歩に連れて行ってあげられなかった。
今日も諦めていたのかもしれない。犬小屋から出てこなくて。 どうやらうたた寝をしていたらしく気だるそうに這い出てくる。
いつもの元気がない。とぼとぼとしんどそうに歩くので心配になった。 あれこれと話しかけながら歩いた。もちろん相槌を打つわけでもなく。 語り合えたならどんなに良いだろうと思う。ねえどうしたの?あんず。
そんな心配もつかの間。晩御飯の頃にはすっかり元気になっていた。 いつも通りの食欲にほっとする。ほんとにガツガツとよく食べるのだ。
前世は人間だったらしい彼女。来世はまた人間に生まれるのだと。 先日出会った修行僧のお遍路さんに言われた。私はそれを信じている。
今度はもしかしたら私が犬に生まれ変わる。
そうして彼女に飼われるのかもしれない。
日中はずいぶんと気温があがり三月並の暖かさとなる。 そんな陽射しに誘われたように紅梅のつぼみが膨らむ。
明日は大寒。そして立春へとゆっくりと春が近づいてくる。
子供の頃には大好きだった冬も年を重ねるごとに苦手になり。 今ではすっかりふるえあがり縮こまったように暮らしている。
雪合戦や橇遊び。ツララを齧ったり雪にお砂糖をまぶして食べた。 四万十の上流。それは山深い里での子供時代の懐かしい思い出だった。
春を待つ。待ちわびている。それは希望のように心を占領する。 ちいさな春を見つけるとほっと安堵しては微笑まずにいられない。
それはあたたかなひとに出会ったようなきもち
あたたかなひとはやわらかくほほえみふんわりと
くらいきもちをつつんでくれる。かなしいことも
どうしようもなくつらいことも。そっと抱きしめ
よしよしとこころをなでてくれる。その手のひら
ふれてみる。たいせつなことがすぅっとつたわる
生きているなっておもう。あたたかいなっておもう。
ずいぶんと日が長くなったように思う。
6時を少し過ぎた頃だったろうか。 夕陽の名残をわずかに染ましながら空が。 夜に包まれようとしているかのように暮れた。
三日月が見える。そうしてよりそう一番星が。 なんてうつくしい空だろう。しばしたたずむ。
胸がこころがきゅんきゅんとないているのを。 せつないとはもういえない年なのかもしれない。
だとすればそれをなんと言葉にすればいいのか。
あのひとが家路に着く頃。電車の窓から空が。 見えるだろうか。気がついてくれるだろうか。
よりそうということ。かたちにはなれなくても。 こんなにちかくにある光のことを感じてほしい。
いちばん星。
きみにあげる。
生きたいと言って。
どんなに辛くても。
いちばん星。
きみにあげる。
寒気が少し緩む。降り注ぐ陽射しがありがたく。 さあ散歩に行こうとおもてにとび出したけれど。 雪の名残だろうか。思いがけずに風が冷たかった。
毛糸の帽子を被る。目深に被り耳も隠せばとても暖かい。 あんずが首をかしげている。変装したように見えるのか。 そのきょとんとした顔が愉快だった。お帽子似あうかな?
思えば子供の頃から帽子っ子だった。 弟の野球帽を被りたくてたまらなかったり。 桜田淳子の真似をしてベレー帽も被ってみたり。
夏の麦藁帽子も好きだったけれどやはり冬の。 毛糸の帽子がいちばん好きだったように思う。
編み物が好きだった母が毎年のように編んでくれる。 てっぺんにぼんぼりのついたやつ。ころむくっとした。 そのぼんぼりの手触りがとても懐かしい。冬の通学路。 私はとてもその帽子を自慢気に被っていたように思う。
弟の帽子はてっぺんに尻尾みたいなのがあってその先に。 ぼんぼりが付いていたのだった。みんなが面白がっては。 それを後ろから引っ張るのだった。私も一緒にふざけた。 弟が逃げるのを面白がって。追いかけっこしたりもした。
ある日とうとう。そのぼんぼりを千切ってしまったことがある。 弟は泣くし。私はどうしようもなくそのぼんぼりを手のひらに。 宝物のようにして家に持って帰った。もちろん母に叱られたけれど。 あくる朝にはちゃんとそれが尻尾の先にくっ付いていたのだった。
毛糸の帽子。母が編んでくれた帽子。
冬が大好きだった子供の頃を一気に思い出した。
雪の朝。はらはらとこぼれ落ちるように雪が舞う。
朝陽を待ちわびていたけれどそれも叶わず。 薄暗い空のままお昼になり午後やっと雪がやむ。
さいわい市街地の道路は凍結していなかったけれど。 山里はかなり凍っているとのこと義父より連絡がある。 無理をして来ないようにと言われ仕事は休みになった。
ぽっかりと空いてしまった一日。自室の窓からずっと。 雪を眺めつつ時を過ごした。ミクシィのアプリ三昧だったり。 ネットサーフィンだったり。よくもまあ飽きないものだと感心する。
午後。少しだけ炬燵で丸くなる。そうして猫のように眠った。 三時頃だったろうか目覚めると窓の外がずいぶん明るくなっていた。
青空がとてもまぶしい。降り積もった雪がどんどんととけていく。 なんてはかない雪だろう。太陽はとても誇らしげに輝いていた。
夕陽の頃にはもうすっかり雪はとけ。いつもの散歩に出掛けてみる。 雪解けの風がとても冷たかったけれど。すくっと心地よく歩いた。
夕陽。落ちていくそのさきに
明日。まだ見えぬ時のあかし
夕陽。染めてこころはずます
朝から雪が降ったりやんだり。 時々は陽射しもありほっとしていたところ。 午後から本格的な大雪になってしまった。
南国高知のこと雪道には慣れておらず。 ちょっと昔のスリップ事故を思い出したりして。 ハンドルを持つ手ががたがたと震えていた。
やっとの思いで帰宅してほっと一息もつかのま。 今度はふたりの子供達のことが気掛かりでならない。
まだ仕事中かもと思いながらも電話をしてみる。 よかった。サチコはお休みでアパートにいてくれた。 息子君も早目に帰宅できたようで大丈夫だよって言って。
母の心配性もそれでとりあえずおさまる。 雪は嫌いではないのだけれど雪がとても怖かった。
あっという間にいちめんの銀世界になる。 土手もお隣の屋根も庭の植木や花も綿帽子を被る。 勝手なものでそんな雪景色を眺めるのは好きだった。
雪国の暮らしを思う。どんなにか冷たいことだろう。 ながいながい冬。はやく春の足音を聞かせてあげたいものだ。
明日は晴れの天気予報。積もった雪もすぐにとけることだろう。 また陽だまりにあえるだろうか。タンポポの花にあえるだろうか。
目が覚めるとひそやかに雨の音。 みぞれのように冷たい雨だった。
お味噌汁の味見を三回もして。 うんうんと独り言を言いつつ。 卵を三個割って卵焼きを作る。
冷凍の肉団子をチンしてお弁当。 ご飯にはごま塩をふりふりして。 姑さんから貰った沢庵を入れる。
いちにちが始まる。平穏に始まる。
のんびりの気持ちに時計の針だけが。
いそぐ。はやくはやくっていそぐ。
仕事。なんだかごちゃごちゃしてる。 そういうのみんなまあるくおさめて。 ふうって息してこっそり早弁をした。 沢庵の音かりこりごっくんと食べる。
いちにちが暮れる。平穏に暮れる。
お風呂で子供みたいに百かぞえる。
まったりとゆったりとふにゃっとなった。
晴れのちくもり。陽射しがしぼむようにちいさくなる。 けれどもそのほこほこっとしたのが忘れものみたいに。 見つけてほしくって届けてほしくってぽつんとそこにある。
月曜日がお休みなのはすごくうれしい。 日曜日とはちがう解放感でいっぱいになる。
いつもの道をゆっくりのんびりと散歩した。 お大師堂に着いてあんずを繋ごうとしたら。 すぐそばの銀杏の木の下にタンポポを見つける。
それは昨日までは蕾だったのだろう。気づかなかった。 そうして今日咲いたばかりのように見えた。やわらかく。 なんてあたたかな花だろう。嬉しくて思わず歓声をあげた。
たんぽぽ
おひさまのこども
おひさまのちから
おひさまのこころ
たんぽぽだいすき
ぽぽたんぽぽっと
ふんわりさいたよ
寒気が緩みほっとするような陽だまりが嬉しかった。
土手を歩いていると蓬の緑がその新芽を香らせて。 あんずがそうするようにくんくんと匂いを嗅ぎたくなる。
お大師堂で手をあわす。ちいさなお堂には西陽が溢れ。 まるで誰かに背中を抱かれているような安堵を感じた。
きのうとても嬉しい手紙が届く。 音信不通が当たり前のようになって幾年を重ねた事だろう。 誕生日には必ず手紙を書いた。しっかりとその日に着くように。 そうして微笑んでくれたらそれだけでじゅうぶんだと思っていた。 ずっと一方通行。それを寂しいと思ったことはいちどもない。 そんなカタチにこだわるまでもなく私たちには深い絆があった。
こころのこもった手紙を読み終えると感極まり涙があふれる。 穏やかな文面にほっと心が救われ。元気でいてくれることが。 何よりも嬉しく。その手を握り締めて肩を抱きしめたいと思う。
そのひとこそが私が「会わない」でいるひとだった。 ひとめ会いたいと言う事は容易い。会おうと思えば。 駆けていくことも出来るのかもしれない。けれども。 「会わない」そう決めたのだった。時々夢をみる事もある。
そのひとはいつもぼんやりとした姿をしていて。 顔がない。目もなければ口もない。けれども声が。 その声だけははっきりと聴こえてくるのだった。
その声を愛しいと言ったら罪になるのだろうか。
もしそうだといわれても私は胸をはって言うだろう。
縁というものはかけがえのない天からの恵みにほかならない。
北風がとても冷たい。立ち向かうようにいつもの散歩。
お大師堂で嬉しい三度目の再会があった。 初めて出会った時は去年の9月だったと記憶している。 その時に「また会いましょう」と別れたのだけれど。 その日が思いがけず早く訪れ11月の末に再会が叶った。
修行僧のお遍路さんでもうこれが最後の旅になるかもしれない。 そう言っていたけれどなんとなくまた会えるような気がしたのだった。
だからその時も「また会いましょう」と言って別れた。 それが今日また叶う。約束も何もないほんとうに偶然の事だった。
今回は札所にこだわらず自由気ままを心がけた旅なのだと言うこと。 歩く座禅というものだろうか。とにかく歩く事に意味があるようだ。
歩きながら色んな人と出会う。そうしてそれぞれの背負った因縁を感じる。 その因縁をあずがり浄化していくのが自分の使命なのだと語ってくれた。
つかの間ではあったけれど真っ直ぐに向き合って語り合うことが出来た。 私の背負っているものが見えると言い一気に頭を重くしてしまったらしい。
だいじょうぶ浄化します。その言葉にどんなにか勇気づけられた事だろう。
去年の秋から立て続けに三度も出会えるなんて。よほど縁深い人なのだと思う。
「また会いましょう」と今日も別れた。
この不思議な確信はいったいなんだろう。きっと会える気がしてならない。
今度は前世のふたりのことがわかりますよ。その人は微笑みながらそう言った。
いつもにもまして清々しい夕暮れとなる。
北風に白波をたてる川面がまるで水鳥の群れのように流れていた。
山里では時折り小雪が舞う寒い一日だった。
今朝出勤すると机の上に紙袋が置いてあり。 中にはなんと暖かそうなレッグウォーマー。
冷え性の私にと母が買って来てくれたらしい。 さっそく履いてみる。その暖かさといったら。 なんだか嬉しくて目頭が熱くなるほどだった。
おかげで寒さも苦にならず仕事に精を出せた。 母の優しさ。ずっとずっと忘れていたように思う。 子供の頃を一気に思い出す。母はいつも優しかった。
もう40年も昔の事。寒い冬の夜に母は家を出て行った。 目が覚めた時もう母はいなくて弟とふたり途方に暮れ。 近くに住む親戚の家まで霜の降りた道を歩いて行った。 単身赴任をしていた父が駆けつけて来たのは夜だったか。 その日学校へ行ったのかさえ記憶にない。ただ母が消えた。 子供心にどんなにか不安でどんなにか傷ついたことだろう。
その日は私の誕生日でもあった。毎年まいとしその日を思い出す。 それは大人になっても変わらず。忘れてはあげられない事だった。
けれどもその大きな試練のおかげで今の私があるのだと思う。 母に再会することがなければ今の暮らしさえもなかったのだから。
いや、もっと大切なことは。母がいなければ私は命さえもなかった。 生んでくれたのだ。それが何よりもありがたいことではないだろうか。
ながいながい確執。ながいながい葛藤。もうすっかりと消えたのか。 今はまだその答えを出せない。けれども心から母に感謝する事は出来る。
やっとほんとうのおとなになれたのかもしれない。
やっとほんとうの母と娘になれたのかもしれない。
2010年01月04日(月) |
ゆっくりのんびりと歩いていこう |
霜が粉雪のように降りてとても寒い朝だった。
さあ仕事始め。行かなくちゃと思うと気が沈み込み。 それでいて山里が恋しいような複雑な気分で出掛ける。
暮にサチコが買ってくれた新しい靴を履いて行く。 初詣で買った干支のお守りを母にあげようと持って行く。
母は寅年だった。思いのほか喜んでくれてとてもほっとする。 おかげで笑顔のまま仕事を始められて。穏やかな一日となる。
苛立ったりぶつかりあったりしたくない。ずっと仲良しでいたい。 それは自分次第なのだとつくづく思った。心してそれを誓いたい。
ありがとう!お疲れさま。その言葉が身に沁みる一日となった。
帰宅して駆け足で散歩に出掛ける。ゆっくりのんびりとはいかなくて。 どことなく心の余裕も欠けてくる。暮れなずむ川面を眺めてみたりとか。 枯れ草のあいだに小さな緑があることさえも見失ってしまいそうになる。
立ち止まるのはあんず。いつだってそれを教えてくれるのは彼女だった。
これからどんどん寒さも厳しくなって散歩が億劫になるのかもしれない。 彼女がいてくれなかったら私は散歩のさの字も忘れてしまうことだろう。
春はまだ遠い。けれどもやがてはちいさな春がそっと訪れてくれて。
見つけてくれるのを待っている。だからゆっくりのんびりと歩いていこう。
2010年01月02日(土) |
穏やかな時をありがたく |
明けてふつか。大晦日からの寒波も峠を越し穏やかな晴天となる。
新しい年が始まったけれど。それほどの感慨もなく。 決まりごとのような元旦を過ぎると静かな時が愛しく思う。
どんな年になるのだろう。不安がればきりがなくって。 何事もなるようになるのだからとただ佇んでいるだけだった。
今日は例年通り隣町の延光寺さんへ初詣に行ってくる。 去年と同じく彼が留守番でいてくれたおかげで。 ひとりゆっくりとお参りをすることが出来た。
ただ少し気掛かりなことを抱えていたせいだろうか。 一心に祈ることが出来ず悔いが残った。邪念のようなもの。 それが年頭の戒めになったように思い深く反省している。
ひとつの事にこだわらないこと。その大切さを今日は学んだ。
そのことに気づくと心が洗われたように清々しくなった。 さらりさらりと流してしまえるここころを頂いたようだ。
ふっきってふっきってゆく。今年こそそんな自分でありたい。
今夜はとても穏やかな時を過ごしている。 大晦日。元旦と我が家はとても賑やかだった。 こども達が帰って来て。そうして去って行く。 楽しい時間の後にはかならず寂しさが訪れるけれど。 それもつかの間。静けさをたのしむ余裕が出来たようだ。
こんな日々が続く。それがあたりまえのように続くことだろう。
そうして夜に埋もれていく。ほろ酔ってほろ酔って母は眠るだけだ。
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