夕方から風が強くなる。かたこととうたう窓硝子を。 なだめるようにそっとあけて暮れたばかりの夜空を仰ぐ。
星がひとつ。たったひとつきりだけれどきらきらと輝いている。 一番星を見つけてはしゃいでいた子供の頃から幾度目の冬だろう。
過ぎ去った日々を懐かしく思い浮かべながらまた年を重ねようとしている。
木の実はもう枯れてしまったのかもしれない。 落ち葉に埋もれて静かに眠り始めた頃だろう。
やがて巡り来る春のことを愛しい人に重ねる。 あいたかった。けれどもあわなかったひとは。 いまごろどんなふうに風を感じているのだろうか。
かぼそい糸を手繰り寄せながらその縁を織っていく。 それはこの世にひとつきりしかないいちまいの布だ。
胸にあててごらん。こんなにもあたたかないちまいを。 抱きしめることだってできる。ぎゅっとぎゅっとあつく。
わたしの日々とあなたの日々がそうして重なっていった。
わたしは織る手を休めはしない。それが生きることだもの。
追記:今年最後の詩記となりました。 つまづきながらも書き続ける事が出来たのは。 読んでくださったみなさんのおかげだと思います。 このいちねんほんとうにありがとうございました。
2009年12月28日(月) |
ぽつねんと佇みながら |
早いもので今年も残すところあと三日となった。 少しずつ新年を迎える準備をしてはいるのだけれど。 なんだか心は留まったままぽつねんと佇んでいるふう。
うまく言葉に出来ないけれど。くるものは来るという漠然とした思い。 このあやふやさも大晦日になればきちんとおさまるのかもしれない。
仕事は少し忙しい。それも明日で仕事納めとなりそうだ。 資金繰りが苦しく厳しい年末になってしまったけれど。 それなりに年を越せるだろう。なるようになるのだろうと思う。
このいちねんの葛藤も一緒に納めよう。同僚や母をいたわり。 「よいお年をね」と笑顔で手を振って帰って来たいものだ。
親孝行が出来たのだろうかと自分に問う。正直言ってよくわからない。 わからないからもどかしい。ただ精一杯だった。それしか言えない。
明日はお駄賃も何もいらない。ただ母が笑顔で「ありがとう」って。 言ってくれたら。ほろほろと涙が出るほど嬉しいことだろうと思う。
もしそれがなくっても母に「ありがとう」と言える自分でありたいものだ。
曇り日。少し肌寒かったけれど穏やかに時が流れた。
クリスマスイブ。小さなケーキを二個買って帰る。 それからローストチキン。どちらも私の大好物だ。
子供たちが幼かった頃を思い出す。ふたりのはしゃぎ声。 同時に自分が子供だった頃を思い出す。弟のあどけなさや。 朝目を覚ますと枕元にプレゼントが。サンタさんは必ず来てくれたっけ。
この先どんなに老いても。いつまでも忘れることはないだろうと思う。
夕方いつもの散歩。今日もひとりのお遍路さんと出会った。 お大師堂に人の気配がすると。踵を返す日とそうでない日がある。 何かの直感だろうか。自分でもよくわからなくて不思議でならない。
今日のお遍路さんはもう8年間も旅を続けているひとだった。 無縁仏の供養をしているそうで。どんな小さな祠にも必ず手を合わす。 年末が近くなるとお餅を祀るのだそうだ。お大師堂にもそれがあった。 とても重そうな荷物。今夜は泊まらずに次の札所を目指すのだと言う。 気遣う私に「どこででも眠りますから」と笑顔で応えてくれたのだった。
そうしてあんずを見るなり「この犬の前世は人間ですよ」と言う。 それがあまりにも確信に満ちていて。私も信じずにはいられなかった。
なんだかキツネにつままれたような気持ち。ふわふわとした足取りで帰る。 また縁に恵まれたのだろう。出会うべき人に巡り会ったのかもしれない。
あんずのことが無性に愛しく。また不憫でならなかった。 人間の5分の1ほどの寿命を鎖に繋がれたまま一生を送る。 もちろん言葉もしゃべれない。伝えたい事だってあるだろうに。
なんの因果で犬に生まれ変わったのだろうとつくづくと思った。
そうして祈った。こんどはどうか彼女を人間にしてあげてくださいと。
日中は暖かくなり久しぶりの小春日和となる。 寒いのはやはり苦手だった。日向ぼっこが似合う日。
ちらりっと畑に行き大根を収穫してくる。 植えっぱなしで世話をしないせいかまだまだ小さい。 里芋と煮てみようと思い葉っぱつきで持って帰った。
大掃除の真似事。お風呂場の天井などを掃除する。 しようと思えばいくらでも出来るのだろうけれど。 せっぱつまらないとどうにもやる気が起きないものだ。 もうや〜めたと。あとは茶の間でごろごろと過ごした。
また眠ってしまっていたらしい。夢ばかりみていた。 どこかに急いでいるような現実にも似た慌しさだった。 そんなに急いでどこにいく。もっとのんびりでいよう。
寝起きの気だるさを引きずったままいつもの散歩に行く。 お大師堂には西日が射しほこほこの陽だまりにほっとする。 手を合わせながら。このいちねんの縁をひとりひとりの顔を。 思い浮かべていると。なんとも不思議でありがたい気持ちになる。
年頭に出会ったTさん。そうしてKさん。みんなお遍路さんだった。 Tさんとはすっかりお友達になりメールのやりとりをしている。 Kさんは訳あって今は北海道に住んでいる。どんなにか寒いことか。
この一年ほんとうにたくさんの縁をさずかった。感きわまる思いだ。
散歩から帰るなり息子君が「めし食わせて」とやって来る。 とにかく白いご飯が食べたいらしい。おかずは何でもいい。 里芋と大根を煮て。白菜のお漬物。決してご馳走ではないけれど。 うまい、うまいと言いつつ。大きな茶碗でご飯をおかわりしていた。
このひと月ずっと二人きりの夕食が続いていたので母も嬉しかった。 大晦日にはアンコウの鍋をしようぜと。また風のように彼は去って行く。
流し台で食器を洗いながら。このほこほことしたきもちがありがたくて。 なんだか涙が出そうになった。あたたかいとほっこりと目頭が熱くなるものだ。
土曜日の朝には積雪がありずっと寒い日が続いている。 風がとても冷たい。時折りの冬の陽射しをありがたく思う。
忘年会があったり。年賀状を書いたり。今年も残り少なくなった。 気忙しくもあるけれどどこかのんびりと構えているふうでもある。 とんとんとんと日々が過ぎていくことが心地よくも思えるのだった。
とにかくすすんでいる。そうして何かが変わるわけでもないけれど。 あたらしさというものが私は好きだ。はじまるということが好きだ。
ふるいものを捨て去るのではなく。それはささやかな思い出になる。 だから嬉しかったことも悲しかったこともみんな大切に憶えておきたい。
それはすべてありがたいことなのだと思う。それが悲しみであっても。 ほんの少し傷ついたのかもしれない心も今はこんなに温かでいられる。
きっとそれには意味があった。そう確信できる今を大切に生きたいものだ。
いつもの散歩道。冷たい川風に立ち向かうように歩きながら。 少女の頃におぼえた『365歩のマーチ』をつい口ずさんでいた。
いちにちいっぽみっかでさんぽ。さんぽすすんでにほさがる。
じんせいはわんつーぱんち。あせかきべそかきあるこうよ。
ってとこが好き!
365歩のマーチ
久しぶりの峠道。山々は薄っすらと雪化粧だった。
この冬いちばんの冷え込みだということ。 晴れたり曇ったりで時々みぞれのような雨が降る。
職場は思ったほど忙しくなくむしろ閑古鳥が鳴いていた。 いちばんの稼ぎ時だというのに不景気風には勝てないようだ。 母も同僚ものんびりな様子。私もそこそこに仕事をこなす。
母も笑顔だった。同僚も笑顔だった。おかげで私も笑顔になれる。 昨夜の憂鬱などもう忘れていた。うまくスイッチがオンになったよう。
午後ちょっとしたトラブル。パソコンが壊れてしまったらしい。 作業の途中で画面がブルーになりとうとう真っ暗になってしまう。 サポート会社に電話をしてあれこれと試してみるが起動しなくなった。 明日見に来てくれるということで。なんとかなると良いのだけれど・・。
帰宅するがあまりの寒さにいつも通りの散歩はとりやめる。 あんずがおしっこを我慢している様子で。土手まで走った。 「今日はおしっこだけだよ」私の言葉がわかるのだろうか。 彼女はそれを済ますとそれ以上は走ることもなく踵を返す。
駄々をこねないでいてくれる。何もかも承知しているという顔。 犬ってほんとうに不思議だ。意思が伝わる事がありがたく思う。
お風呂。入浴剤は『道後温泉』まったりと心地よく湯船に浸かる。 ストーブにかけてあったお湯も沸きお布団に湯たんぽを入れた。
焼酎のお湯割をおかわりしながら。あとはぬくぬくと眠るだけだ。
2009年12月16日(水) |
何事もなかったように |
天狗高原には初雪が降ったらしい。 風がとても冷たかった。もう真冬だと知る。
午前中は例のごとくで川仕事だった。 やっと海苔網を張る作業が終りほっとする。 あとは順調に生育することを祈るばかりだ。 それは寒いほど良い。あとは冬の陽射しと。 清らかな水。汽水域ならではの潮かげんだ。
明日からはまた山里の職場に行かなければいけない。 なんだかとても憂鬱。うまくスイッチが切り替わらない。 大好きな峠道のことなど思い浮かべながら気を宥めている。
思い起こせばこのいちねん。その葛藤に悩まされてきた。 いろんなことを受け止めてきたのだと思う。母のことも。 今はもう嫌いではなかった。親孝行だと割り切ってきた。
笑顔で行けばきっと笑顔に会えるだろうと信じていよう。
ぐるぐるとおなじところをまわれない。これもまた一歩だ。
昼間ちょっと大きな揺れの地震があったのだけれど。 家に独りきりだったのでよけいに怖くてびびってしまう。 南海大地震なみの地震が必ず来るのだといつも言われている。 だからもしかしたらと一瞬思った。実際にはただうろたえる。 揺れが治まるまではどうしようも出来ないのだと今日は学んだ。
近所に出掛けていた彼が急いで帰って来てくれた。そして笑う。 このひとはどんな時でも冷静なのだ。私とは違う人種なのだな。 「なんぼか怖かったろう!」とからかうように笑うばかりだった。
地震かみなり火事おやじ。このおやじを彼にしてあげようと思う。
平穏はすぐにかえってくる。何事もなかったように今日も暮れる。
大根を煮る。豚バラ肉と一緒に煮る。
初めての畑仕事だった。種を蒔いて。 緑の芽がたくさん出て来た時はすごく嬉しくて。
その大根がやっと食べられるようになった。 この感動はなんだろう。なんともいえない。 今まで食べた大根でいちばん美味しいと思う。
若いからなぴちぴちしているからだよと。 彼が笑いながら言う。とてもやわらかい。 包丁で切るときもすべすべっとしていた。
今はまだちいさな子供の足くらいの大根。 やがては私のふくらはぎくらいになるかな。
午前中は川仕事。もう一息になった。 寒さも気にならずこの仕事好きだなと思う。
お昼過ぎ思いがけずにサチコが帰って来る。 大きな白菜を貰ったのだそうだ。半分こしよう。 母の畑の白菜は失敗作になってしまったので。 喜んで分けてもらった。近いうちに鍋料理しよう。
日に日にサチコは主婦らしくなってきたようだ。 母は心配ばかりしているけれどもう大丈夫みたい。 だんだんと所帯じみてくるものだなと彼も笑った。
夕方まで待たずに早目にお散歩に行く事にする。 風が少し冷たいけれど陽射しが降り注ぐ午後だ。
お大師堂の大きな銀杏の木が散り始めていて。 黄金色の絨毯のように小道を埋め尽くしている。 そこにあんずを待たせているとなんだか絵のよう。 その絵はお座りをしてきゅいんきゅいんと鳴くのだ。
お待たせ。帰ろうかねと声をかけると一気にはしゃぎ出す。 ここにふたりで通うようになってもう一年が過ぎたのだと思う。
いろんな出会いがあった。あんずと遊んでくれたお遍路さんのこと。 臆病なあんずが尻込みをして困らせてしまったこともあったっけ。
晩秋から冬。そうして春が来て夏が来てまた秋が過ぎ冬になった。
ひとりひとりの顔を思い出す。ここにはささやかな縁があふれている。
寒気が南下しているようでまた寒くなる。 週末には雪の予報。日に日に冷え込んできそうだ。
月曜日の憂鬱はいずこへ。山里の職場をお休みして川仕事に励む。 からだが喜んでいるように活き活きとしてくる。ふぁいとな感じ。
水鳥が一羽。それはとても孤独そうに見えながら凛々しくて。 漁場の網の上に佇んでいるのだった。なんとうつくしい鳥か。
鳥になりたいなとふと思う。冬の空に北の風に羽ばたいてみたいものだ。
にんげん。おだやかなふりをしながら気はあくせくと何処かへ急ぐ。 師走のせいだろうと思うのだけれど。背中を押されているような日々。
午後ふと思い立ってクリスマスの飾り付けをしてみた。 今まではサチコが毎年してくれていたこと。思い出しながら。 やはりそれがないと寂しさが募る気がしてならないのだった。 ちいさなツリーを玄関に置く。きらきら星もたくさんつける。
昨日は息子君がやって来て「正月にはうまい酒を飲もうぜ」と。 ネットでもう注文してくれたのだそうだ。何かうまいもん食おう。 「おかあは何が食べたい?」と母にも訊いてくれる。ありがたい事だ。
例のごとく嵐のように去っていたっけれど。大晦日には帰って来てくれる。 元旦にはサチコ達も帰って来てくれるし賑やかに新年を迎えられそうだ。
このいちねんをふりかえるにはまだ少し早いかなと思っていたけれど。 あんなこともあったこんなこともあったとついつい思い出すようになる。
そこには道がありただひたすら歩き続けた道がぽっかりと見える。 その道が地図であったかのように指でなぞりながら現地点で止まる。
いつだって明日のことはわからなかった。ここからさきは新しい地図。
てくてくと行こう。空を見上げながら行こう。風に吹かれながら行こう。
2009年12月12日(土) |
またねがあるのっていいな |
12月とは思えないほどの暖かさになる。
おかげで早朝からの川仕事も汗ばむほど。 寒さを覚悟している身体には少しつらい。 防寒着を脱ぎ捨て素手で作業をしたいくらい。
彼とふたりで頑張る。あと幾日かで一気に済ませたい。 そうして願いながら祈りながら収穫の時をじっと待とう。
午後。友人の写真展を観に公民館へ行った。 今年は去年の暮に亡くなった愛犬の写真だった。 15年間。どんなにか可愛がっていたことだろうか。 子犬の頃から亡くなる寸前までの姿が心に沁みる。 犬の一生は短い。その儚さに愛しさが込み上げてくる。
残念ながら友人には会えなかったけれど。 また来年もきっと招待状が届くことだろう。
公民館を出てお隣のショッピングセンターへ行く。 そこにはサチコの勤めている雑貨屋さんもある。 突然に行って驚かせてあげようとか思いながら。 もしかしたらお休みで居ないのかもしれないと。 買物を装いながら伺うように姿をさがしてみた。
その姿が見つからないと一気に心細くなるものだ。 なんともいえない寂しさ。ああアイタイアエナイ。
いてもたってもいられなくなりとにかく電話してみる。 てっきりお休みだと思った。「ハハ今お店にいるよ」
「私もいるよ」びっくりした。すぐ後ろにサチコがいた。 「久しぶりねえ、会いたかったね」それは私のセリフだ。
お昼休みだというサチコとしばし語らうことが出来た。 洗濯はしているか。晩御飯は作れているかそればかり。
「だいじょうぶ、それがやれば出来るんだよ」と笑顔。 母はよほど心配性なのだろう。その笑顔に救われる思い。
来週の土曜日がお休みらしい。一緒に買物に行く約束をした。 母に靴を買ってくれるのだそうだ。ちょっと遅れた誕生日の。 いや早めのクリスマスか。とにかく母は嬉しくてたまらない。
じゃあね。またねと今日も別れる。またねがあるのっていいな。
午後から雨の匂いがし始める。 やがてぽつんぽつんと小粒の雨になった。
そんな雨に熱い吐息を吹きかけてみたくなる。 私のなかに情熱と呼べるようなものがあるのなら。
いったいそれはどんなふうに失ってしまったのだろう。 どんなに温めようとしてもそのありかさえわからなくなった。
きっともう若くはない。わかりきったことを確かめるように。 髪を掻きあげてみても。見えるのはまだらな白髪だけだった。
ふむ・・なんだこれは。いったい何をほざいているのだろう。
まあいいか。しりめつれつを愉しもうじゃないか。 かっこつけてるばあいじゃないし。これが今だし。
今日はひいおばあちゃんの命日らしい。知らなかった。 母が暦に書き込んであるのを見つけた。昭和47年没と。
幼い頃一緒にお風呂に入った事があるのを思い出す。 石鹸ではなく米糠を布袋に入れたので洗ってくれた。 子供心になんて臭い物だろうと思った。白くなるよ。 べっぴんさんになるよと言いながら洗ってくれたのだ。
もうしわくちゃだったけれど抜けるように白い乳房だった。 そのぺろんと垂れ下がった乳房を引っ張るのが楽しかった。
「菊枝」ひいおばあちゃんの名前を今日まで忘れていた。 毎年あった命日を知らないまま37年も歳月が流れたのか。 なんて薄情なひ孫だろうと悔やみつつ心のなかで手を合わす。
死んだ人はやがて遠くなる。けれども思い出せばこんなにも近い。
12月9日。大切な友人の誕生日でもある。 同じ日だったんだなと胸に刻むように記した。
このさき一生。決して忘れることなどないだろう。
昨夜サチコの夢をみる。 ふたりで洗濯をしていた。
それが洗っても洗っても終わらない夢。
朝の天気予報をみる。 今日は晴れているけれど明日から下り坂。 夢の続きのように洗濯をし始めた。
それは物足らないくらい少なくて。 何か他に洗う物はないかしらとさがすほど。
「俺の加齢臭も洗え」と彼がパジャマを脱ぐ。
ついつい匂いを嗅いでしまった。 ふむふむこれが加齢臭かと頷く。
全自動ではない洗濯機のなかで。 あれこれが絡まりあってまわる。 痛そうに辛そうにそして楽しそうに。
サチコは洗濯をしただろうか。 ちゃんと天気予報を見ただろうか。 いちにち気掛かりでならなかった。
夕方いつものスーパーがポイント5倍。 おまけに冷凍食品が半額だった。 もしかしたらと思う。サチコお休みかも。 もしそうならからあげチキン買ってあげよう。
確かめるために電話する。出て出てと願いつつ。 そうしたら三度目のコールで声が聴こえた。
あのねあのねとまくしたてるように興奮する母。 良かったお休みだった。もう買物も済ませたよと。 5倍だったね。からあげチキンもちゃんと買ったよ。
とてもとてもほっとしてふにゃふにゃっとなった。 洗濯物もよく乾いただろう。ほんとに良かったな。
二十四節気のひとつ大雪。 今朝はこの冬いちばんの冷え込みとなった。
山里では初霜が降りる。朝陽を浴びてきらきらと眩しい。 薄く氷も張る。それは指で軽く触れただけで割れてしまった。
寒さは身に堪えるけれどそんな冬をたのしんでみたいものだ。
そんないちにちも平穏に過ぎていく。 それはとてもありがたいことなのだけれど。 こうしてとりとめもなく綴り始めてみると。
ふっとなにかが足りないような気がしてくる。 満たされた水をわざと床に溢してしまいたいような。 そんな衝動に駆られる。空っぽの器を割ってしまいたい。
そのカケラをおそるおそる拾い上げてみたいと思う。 とても漠然としている。だから何なのだと自問する。
平穏ではいけない理由がいったいどこにあるのだろう。
イマワタシハツマヅイテイル。書くと言うことに。 よほどこだわっているのだろう。つまらない事だ。
しばらくは支離滅裂なことを書いてしまうのかもしれない。
ゆるそう。好きなように流れていけばいいと。ゆるそう。
散歩道で白い水仙の花を見つけた。冬の花を愛しく思う。 それは春まで咲き続けてくれることだろうと嬉しかった。
木枯らしの日も雪のちらつく日もあるだろうけれど。 ほんの少しうつむきながらもそれは精一杯咲いてくれる。
2009年12月05日(土) |
おいで。もうこっちだよ。 |
一年前の日記を読み返していると なんだかとても遠くに来てしまったような。 そんな気がする。いったいどれほど歩いたのか。 実感というものがない。それはあっという間で。 気がつけば月日が流れていたそれだけのことで。
何かが変わってしまったのだとしても見つけられず。 ぽつねんとそこに佇んでいる自分に声をかけてみた。
おいで。もうこっちだよ。さあ手を繋いであげるから。
そうしてまたひとつ歳をかさねた。 長生きをしたいなと願う歳になる。
記しておきたい事がたくさんあるというのに。 うまくことばに出来ない。何かを躊躇っている。
それはいったいどんなことでどんなかたちをしているのだろう。
おいで。もうこっちだよ。おいで。もうこっちだよ。
目覚めると雨が降っていた。昨夜の月夜が嘘のように。 灰色の空から冷たい雨がぽたぽたと雫のように落ちる。
川仕事に行く予定で山里の職場をお休みしていたものだから。 潮待ちをしながら雨が小止みになるのを今かいまかと待った。
10時頃やっと雨が止む。干潮はお昼過ぎなので急いで出掛ける。 けれども海が時化ているせいもありなかなか潮が引いてくれない。
なんとかかんとか作業を始めた。束ねてある海苔網を分けながら。 一枚ずつ漁場に張っていく。緑の種が希望のように網を覆っている。
どうか順調に伸びてくれますように。ただただそればかりを祈った。 早ければ年があけて二月。例年通りに収穫が出来れば幸いだと思う。
博打みたいなものだからと彼はよく言う。当たりもあれば外れもある。 自然相手の事だからついつい不安にもなる。とらぬタヌキの皮算用も。
彼が父親から受け継いだ家業。天からずっと見守っていてくれますように。
お昼過ぎに帰宅。お腹がペコペコでふたり掻きこむように昼食をとった。 後はのんびり過ごそうぜと彼は茶の間でゲームを始める。私は自室に篭り。 これもまたネットのアプリに没頭。それは農園だったり牧場だったりして。 最近いちばんはまっているのが水族館だ。お魚を育てるのがすごく楽しい。
晩御飯の時。彼が面白がって「ほうれん草は出来たか?」などとからかう。 いえいえ桃よイチゴよと応えたり。それよりもカワハギよタナゴよと笑う。
彼は武器を持って悪戦苦闘を繰り返しているらしい。ふたりすっかりゲーム中毒。
ふたりっきりになってもふたりはとても楽しい。 おじいちゃんとおばあちゃんになってもそれぞれの趣味を楽しんでいたいな。
2009年12月02日(水) |
忘れ物はなんですか? |
師走も二日。先週からの暖かさをそのままに時が過ぎる。 このまま押し流されるように一年が終わってしまうのだろうか。 ふと立ち止まってみたくなる。陽だまりで猫のようにまるくなりたい。
昼間。お休みだったサチコが忘れ物を取りに帰って来ていたらしい。 私も家に居て迎えてあげたかった。毎日だって会いたくてたまらない。 電話でちらっと声だけ聴く。頂き物のメロンと洋梨をお裾分けした。
何か他に忘れ物はないかしら。母はいつだって飛んで行きたい気持ち。
そんなことを思いながら。子離れってムツカシイものだなと思う。 息子君の時とはあきらかに違うのだ。なんだろうこれって不思議だな。
いつもより早目に帰宅したけれどもちろんもうサチコはいない。 いったい何を忘れていたのかしらとかつての部屋を覗いてみる。 部屋は私が片付けたままで何ひとつ変わった様子は見受けられない。
置き去りにされたもの。そのすべてが母の宝物のような部屋だった。
微笑み混じりのため息。忘れ物はなんですか見つけ難いものですかと歌う。
すっかり日暮れて満月を仰ぐ。あんずがきゅいんきゅいんと晩御飯をねだった。
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