ゆらゆら日記
風に吹かれてゆらゆらと気の向くままに生きていきたいもんです。

2010年02月27日(土) やわらかな雨

青空もつかのま午後から細かな雨が降り始める。
春雨というのにふさわしいやわらかな雨だった。

濡れて行こうといつもの散歩道を歩く。
例の早咲きの桜を愛でたくてならなくて。
先を急ごうとするあんずを制し立ち止まる。

しっとりと濡れた花びらはふとせつなくもあり。
なんだかなくしたものを恋しがるような想いで。
見上げた。うしなったものが私にもあるのだろうか。

この花も潔く散るだろう。はらはらと散ることだろう。



お大師堂にしばしこもり手を合わせた。
いちにちが無事に暮れようとしている。

それはなによりもありがたいことだとおもう。





2010年02月24日(水) 春風とメッセージ

ことしいちばんの陽気だという。
気温は21度を越え四月並の暖かさとなった。

何日ぶりだろう。夕方いつもの散歩道を歩く。
おどろいたのは早咲きの桜がもう咲いていたこと。
民家の庭先にそれはなんともうつくしく咲きほこり。
思わず足をとめて見上げずにはいられなかった。

ああたしかに。春の足音がこんなにちかくなった。

土手の土筆の坊や。もう10センチほどに伸びている。
寒い日もあったというのにすくすくと育ってくれたのか。

あんずが牛のように草を食む。むしゃむしゃと美味しそう。
よく見るとそれはカラスノエンドウの新芽だったりした。

風は沖からの南風。これを春風と呼ばずなんと呼ぼう。

きもちよくここちよく風に吹かれながら歩く散歩道だった。



お大師堂に置いてあるノートにはお遍路さんのメッセージが。
20日の夜に大橋のたもとまでやっとの思いで辿り着いたらしい。
疲れ果てて野宿の場所を探していてとても不安だったそうだ。
通りすがりの人がいてくれてお大師堂をおしえてくれたらしい。
畳の上でちゃんと眠ることが出来てほんとうに良かったと思う。

会いたかったな。でも会えなかったひとの旅の無事を祈っている。



2010年02月22日(月) りかい

寒気が少しゆるみ暖かさにほっとひと息。

まだまだ寒の戻りがあるだろうけれど。

あと少しもう少しと春爛漫を待ちわびている。


川仕事の疲れがそろそろたまってきたらしく。
ざわざわと気分が落ち着かない日が多くなった。
あれもしなくてはこれもしなくてはと思っていても。
何から手をつけて良いのかわからず気ばかり急いている。

明日は午後から山里の職場に行く約束をしてしまった。
やらなければいけないことがたくさんあって気が重い。
時間が足らないかもしれないと思うと不安にもなって。

ふぁいと!と自分に気合を入れているのだけれど。
これを書き終えると少しは心に余裕が出来そうに思う。

だから書こう。とりとめもなくつれづれなるままに。



あんず今日はごめん。またお散歩に行けなかったね。
母さん炬燵で寝入ってしまってもう晩御飯の支度する時間で。
日が暮れてからおしっこだけしようねと土手まで走ったんだ。
そうしたらあんずそれがわかっていて自分から家に帰ってくれた。
すぐにUターンするのだもん。母おかしくなって笑ってしまったよ。

ありがとうね。わがままもいわずちゃんとりかいしてくれているの。
母さんほっとしてすごく嬉しかったよ。すごい助かったんだからね。



2010年02月18日(木) 嵐のあとは

とつぜん息子くんが帰って来る。
もう夕食後の後片付けをしていた頃で。
炊飯ジャーのなかは空っぽだった。

「めし!」「風呂!」と言うのを。
先にお風呂に入らせておいてから。
急いでコンビニに買物に行って来る。

辛味噌のせチャーハンを温めてもらい。
とにかく野菜を食べさせなくてはと。
ほうれん草のゴマ和えを大急ぎで作った。

ラーメンも食べたいというのでそれも。
大急ぎで作って生卵入れてさあどうぞ。

うはうはずるずるしながら美味いと言う。
母はほっとして向かいの席に腰を下ろす。

仕事がとても忙しかったのだそうだ。
いつもより遅くなり自炊も面倒だったらしい。
そうして何よりもたっぷりのお湯に浸かりたい。
今日はとても寒かったからうんうんと母は頷く。

それもつかの間。食べ終えるとすぐに帰ると言う。

ほんとうに嵐のような子。あらあらという間に。

うちの中がしんと静まりかえる。ちょっとさびしい。



2010年02月17日(水) 菜の花畑

晴れたり曇ったりそうして時雨れたり。
このところのすっきりとしないお天気は。
冬と春が空で闘っているのだと彼が言う。

北風さんが手裏剣をしゅぱしゅぱと放つ。
春風さんは身をかわしながら回し蹴りか。

さあてどちらが勝つのかな。それも楽しみ。



今日は叔母の一周忌で朝から出掛けていた。
もう一年なのか。月日の経つのがほんとうに早い。

けれどもそんな月日のおかげで寂しさも薄れてくれる。
残された従姉妹はちいさな犬を飼いはじめていた。
名を「さくら」と言う。まるで我が子のように可愛がっている。

そんな微笑ましさもあり一周忌の法要も無事に終わった。

嫁がずにいる従姉妹も私達と同じスピードで老いていく事だろう。
思い遣りながら助け合いながらこれからもともに生きていきたい。

高台にあるお墓に行く途中。いちめんの菜の花畑が見えた。

ここは春だ。冬と喧嘩なんかしなくてもいい。しっかりと春だ。



2010年02月15日(月) 存在

細かな雨が降ったりやんだり。
このところふつかと晴天が続かなくて。
これも春に向かう儀式のようなものかと。
鉛色の空を受け止めるように仰いでいた。


留守中に友人が訪ねて来てくれたらしい。
ポストに入っていたのは彼女が書いた随筆。
それはとても知的で文学的な文章であった。

彼女らしいなと微笑まずにいられないのは。
素直で真っ直ぐなところ。これが私だから。
そう言って押し付けるのでは決してなくて。
照れくさそうにそっと差し出す仕草だった。

読み終えてすぐに彼女と話したいなと思った。
そうしたらそれが通じたように電話のベルが。

「わたし書くよ。今年こそ書くから」弾んだ声。
こころで思ったことをそのままにしておけない。
ちゃんと文章にしてそれを書き残しておきたい。

「だから読んでね。これからも読んでね」

それは私もおなじだった。書かずにはいられない。
些細なこともありふれた日常も平凡な暮らしだって。
それを書き残すことがたとえ無意味な事であっても。

わたしいるよ。ここにいるよ。ちゃんと生きているよ。



わたしたちはそうして老いる。けれどもそうして存在する。





2010年02月13日(土) 感謝

気温も平年並みにもどりまた冬らしい一日となる。
久しぶりの青空だった。冷たい風も心地よく思う。


午前中に川仕事を終え午後から買物に出掛けたのだけれど。
歩道を歩くお遍路さんの姿に見覚えがありはっとする。
笠を被っていて顔がよく見えなかったけれど似ている。
もしそうだとすると必ずお大師堂に泊まるはずだった。

帰宅後すこし早目に散歩に出掛けた。気が急いてならない。
ああやはり靴が脱ぎ揃えてある。確信を持って扉を開いた。

思った通りだった。先月の始めに再会を果たしたばかりで。
これで四度目の再会となる修行僧のお遍路さんがそこに居た。

なんと言葉にすればよいのか。不思議な巡り合わせだと思う。
まさに会える人には会える。縁なくしては叶わないことだった。

小一時間ほど差し向かってありがたい法話を聴かせていただく。
まだまだ修行中だと謙遜されていたけれど心が救われるようだった。


私には辛いことも苦しみもない。そんな今にとても感謝している。
ただ不安はある。それはどうしても拭いきれない澱のようなもの。

けれども無事に終えられた一日に「ありがとうございました」と。
これからもずっと手を合わせ続けていきたいとこころから思った。



2010年02月11日(木) 手紙を書いた

午後から雨になる。時折りはげしくて。
春雷と呼ぶには早すぎるだろうけれど。
その音が空を転がるように鳴り響いていた。



手紙を書いた。語りかけるように書いた。
目の前にいてうんうんと頷くような顔が。
ちょっと照れくさくてでもとても嬉しくて。

それがいったい何になるのだろうと思う。
そんな不安を打ち消すように微笑みながら。

手紙を書いた。どうかきみに届きますように。

そうしてきみもたくさん微笑んでくれますように。




2010年02月10日(水) つくしのぼうや

早朝には降っていた雨もすぐにあがり。
うす陽が射し始めると汗ばむほどの陽気になる。

最高気温が23度。とても二月とは思えない暖かさだった。
そんな暖かさに誘われたように土手には土筆の坊やが顔を出す。

その頭はまだ土の色。むくむくっと土を起こすように生まれてきた。
えらいなとおもう。坊やよくがんばったねとその頭を撫でてあげたい。

すくすくと伸びることだろう。空に向かって。
大地を踏みしめるように。力強く真っ直ぐに。


わたしはとても嬉しかった。うきうきとこころはずませ。
春の歌をうたいたくなった。わーい春だよと叫びたかった。



2010年02月09日(火) ほんわか

曇り日。気温が一気に上昇しまるで春のようだった。
ほわんほわんとした暖かさに身も心もまったりとする。

川仕事を終え午後はまたうとうとと寝入ってしまう。
それほど疲れてもいないはずなのにとても怠けている。
家事も疎かになり。文庫本を開くこともなくなってしまった。

無意味な怠惰さ。それもまた良しとしようと自分を宥めている。



寝起きの気だるさを背負うようにして散歩に出掛ける。
土手であんずのお友達のランちゃんに会うことが出来た。
ふたり鼻をこすりあわせるようにしてキスの真似事をする。
なんとも微笑ましい光景でこころがとてもなごむのだった。

ランちゃんは人間だと20代の青年といったところ。
あんずは70代のおばあちゃんだからそれも愉快に思える。

気の合う犬とそうでない犬があって人間と同じかもしれない。
人間も年を重ねると若者に魅かれるようになるのと似ている。



綿毛だった蒲公英のそばにはまた若い蒲公英が咲き始めた。
昨夜の雨のしずくをそのままにその花はきらきらと光っていた。

ほんわかとするきもち。こころに陽だまりができたようなきもち。


さらさらさら。川は静かにちんもくの水を満たしゆったりと海へ流れる。



2010年02月08日(月) 母をたずねて

お天気は下り坂。少しだけ陽が射したまま。
あたりが灰色に染まり始めて。雨がにおう。

ぽつりぽつりとつぶやくような雨は。
春のはじめにふる雨のように思えた。

まだまだ寒い日がめぐってくるだろうけれど。
ひと雨ごとに春の足音が近づいてくる気がする。



彼の眼科通院日のため川仕事はお休みになった。
かといって家でのんびりと寛ぐわけにもいかず。
駆けつけるようにして山里の職場へと向かった。

指折り数えてみると10日ぶり。母が喜んでくれて。
私もご機嫌よろしくたまった仕事をやっつけていく。

目まぐるしさも心地よい。ああ好きだなと思った。
次はいつになるのか未定だけれどまた頑張りたい。

何よりも母が喜んでくれるのが嬉しくてならなかった。



先日。従兄弟の葬儀のため向かった海辺の町で。
弟とふたり。かつての我が家をさがしてみたのだった。

母がパート勤めをしていた町の魚屋さんを見つける。
たしかその横の路地を奥へ入ったところ。行ってみよう!
ふたりどきどきしながらその狭い路地を進んで行った。

どんなに古びていてもいい。その家の面影を胸に抱きつつ。
あの頃と同じ波の音を聴きながら。かえれない我が家を思った。


けれども。そこにははかりしれないほどの歳月が流れていた。
弟とふたり息をのむ。モウスンダコトオワッタコトなのだと知る。


母はここからながいながい旅に出たのだろう。

そうしてわたしたちもあとをおうように旅に出たのだとおもう。



2010年02月06日(土) おとうさん

立春を過ぎたとはいえ。まだまだ冷たい風が吹くけれど。

あちらこちらに梅の花や。もう菜の花も咲き始めて心がなごむ。
そろそろ鶯の初音も聴こえるかもしれないと耳を澄ましている。


例のごとくで今日も川仕事。
海苔の生育が思うようにはすすまなくて。
ふっと不安がつのり始めた。大丈夫だよ。
彼の言葉にほっとしながら手を動かしていた。

ほんとうに自然まかせ。それが自然の恵みでもある。
欲を言えばきりがないのだと戒めるようにおもった。

彼が勤め人だった頃はそれなりに安定していた暮らし。
今は家業の海苔の収穫だけが頼りだった。保障もなく。
すがるような気持ちで日々を乗り越えていくしかない。

せめて年金をもらえる年になるまで頑張ろうな。
そんなことを語り合う年にふたりなってしまった。

そうしてそんな年だからこそお互いを思い遣れる。


このところまともな夕食を作ってあげられなかったから。
今夜はお魚のすり身をコロッケ風にしてみた。
こんがりと揚がったのをはふはふしながらふたり頬張る。
お醤油よりソースがいいなとか言いながら日本酒をのむ。


そうしてまったりと夜が更けていく。

あしたもがんばろうねおとうさん。



2010年02月04日(木) 立春

立春。もう雪割り桜が咲いているらしい。
高知新聞の一面はその桜とメジロの写真だった。

寒い朝だけれどこころはほっこりと春を想う。
ゆっくりと向かう先には何が待っているのだろう。
行ってみなければわからない。すくっと前を向き。



夕暮れちかくいつもの散歩。
あんずは土手の若草が気に入っていて。
まるで牛かなにかのように草を食む。
むしゃむしゃとそれは美味しそうに食べるのだった。


お大師堂には今日も泊まりのお遍路さんの靴がある。
今日で四日連続。歩き遍路さんが多くなったのだろう。
山里の峠道が目に浮かぶ。白装束の颯爽とした後姿を。

会ってみたいなと思ったけれど閉ざされた扉を押し開く
勇気がなくて。おもてから手を合わせて踵をかえした。

会えるひとには会える。ほんとうに偶然のようにして。
巡り会うことが出来る。それが縁というものだと思う。


帰り道。いつかの蒲公英はもう綿毛になっていた。

その種も旅をするのだろう。今はまだ冷たい風も。

やがては優しい春風となって。種はふんわりと微笑む。



2010年02月03日(水) 鬼はそと福はうち

節分。毎年かかさずサチコと豆まきをしていた。
今年は豆も買わなくて。なんだかしょんぼりと淋しい。

子供の頃からずっとしていたことをやめるのって。
後ろめたいような心苦しいような気がしてならない。

豆を買ってくればよかったと夜になって後悔している。

こころのなかで豆をまく。鬼はそと福はうちと呪文みたいに呟く。



このところ立て続けにサチコの夢や息子くんの夢を見た。
おとなのこどもではなくって子供のままのふたりだった。

よほど会いたいのだろうと思う。恋しがっているのだろうと。
サチコは夢の中でウサギみたいに飛び跳ねて楽しそうだった。
息子くんはおしっこを我慢できなくてズボンを濡らしてしまった。

懐かしいふたり。今夜もこどもになって母に会いに来てくれたらいいな。

鬼はそと福はうちって母さんと一緒に豆をまこうよ。






2010年02月02日(火) メール

ふつか続いた雨もあがり穏やかな晴天。
やわらかな陽射しがありがたくてならない。

作業場の庭に海苔をたくさん干した。
緑の海苔がきらきらと光っているのが嬉しい。

彼とふたり今日も頑張る。黙々とはいっても。
実はいろんなことを考えている。それは秘密。

夢のようなこと。決してありえないようなこと。
妄想というのかもしれない。考えるのが楽しい。

そうしているとあっという間に収穫が終わるのだ。
お腹空いたなあとかしんどいなあとか思う暇がない。

夢見るおばさんっていいよ。うんいっぱい夢見ようよ。



帰宅したら母からメールが届いていた。
てっきり仕事の事だろうと思ってそれをひらく。

「寒くないですか?収穫はどうですか?」

ほろほろと涙がこぼれそうなほど胸が熱くなった。
気遣ってくれている。母の優しさが身に沁みてきた。

職場をほったらかしにしなくてはならなくて。
母ひとりでどんなにか忙しくしていることだろう。
私も母を気遣う。「無理をしないでねお母さん」


ふたり顔をつき合わすとついついぶつかってしまうことがある。
電話だと声を荒げてしまう事もある。苛立つ事だってたまにある。

メールってなんてありがたいものなのだろう。



2010年02月01日(月) ふぁいと!

昨夜は豚汁を作った。白菜もやし椎茸ごぼう大根と。
野菜たっぷりのやつを土鍋からふき出すほど作った。

ふたりきりの暮らしになってもついつい作り過ぎてしまう。
おにいちゃん好きだったなとかサチコも好きだったなとか。

だから今夜も豚汁で。おうどんを入れてはふはふと食べた。
奥さん明日の朝も豚汁ですねと彼が愉快そうに笑うのだった。

からだがぽかぽかと温まる。豚汁だいすき。また作っちゃうね。




きのうから雨できょうも雨だった。川仕事休みたいなと思う。
それでもいかなくちゃと彼に励まされるようにして出かけた。

この仕事好きだって言いながら。ときどきサボリたくもなる。
雨合羽を着てもくもくと手を動かしているとなんかせつない。
天職だとしたらなんの因果だろうと思うと哀しくなってくる。

それでも仕事を終えるとなんだか爽快な気分になるのが不思議。
うん明日も頑張ろうと意気込んでくる。ふぁいと!ふぁいと!


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