2008年10月30日(木) |
こころひとやすみ。こころあわてずに。 |
鈴虫ではなくコオロギでもなさそうな秋の虫が。とてもか細く。 窓の外で鳴いている。そっとその窓をあけると。ただ闇があり。 ひんやりとした夜気が忍び込んでくるばかり。ちちち。ちちちと。
小鳥のようになく虫は。どこにいてどんな姿をしているのだろうか。
わからないということ。知らないということが。時には愛しくもある。
今日も平穏。昼間のあれこれなどもう忘れてしまうくらい寛いでいると。 ぜんぶひっくるめてそう思えてくる。零れ落ちたものはもうひろわない。 そんな夜の訪れがありがたくて。手のひらに温かなものをそっとひろげる。
思うように尽くせなくてもいい。きちんとするべきことを置き去りにしては。 いまは時を待っているのかもしれなかった。その時がくれば心も動くだろう。
こころひとやすみ。こころあわてずに。こころうずくまっていてもいいから。
仕事。いつもより30分早目に終えられたおかげで。牧場の牛達に会えた。 その道を通り過ぎてからまた引き返して。一気に子供みたいな気持ちになる。
柵のすぐ近くまで行き笑顔で眺めていると。一頭の牛がそばに寄って来てくれた。
優しい目。牛に限らず動物の目というものはほんとうに澄みわたる空のようだ。
肉牛であることの運命など。彼や彼女や子牛達には少しも苦ではないのだろうか。
草を食み。仲間とよりそう。子牛は母の姿を頼りに乳を吸い日々育っていくばかり。
そこには何者も侵せやしない輪があり。満ち足りた空気が漂っているのだった。
牛になりたい。肉牛になりたい。この身を捧げられるように私も生きたい。
2008年10月29日(水) |
ただひとつきりの太陽に |
窓辺に居てふっと暮れなずむ空を眺めていると。その紅のすぐ間近に。 きらきらと輝く一番星を見つけた。大人心に子供心がそうして重なり。
いちにちのことなどそっと折りたたむように。夜空に託してみたくなる。
あらゆることが時間差で押しかけてきては。それは波のようだけれど。 ひとつの波に捉われず。次の波を待ちわびるくらいの心の余裕が欲しい。 だいじょうぶ海は凪いでいる。ただ裸足では冷たすぎるくらいの秋だった。
仕事を終えて買物を済ませ。川沿いの道を河口へと向かい大橋を渡ると。 どっと肩の力が抜けたように放心するのが常だった。西風のせいだろうか。 それとも遊覧船のたてる波紋だろうか。それともやはりそれは流れだろうか。
河川敷に流れ着きそこでしっかりと育った大きな木を影のように映しながら。 太陽が微笑んでいる。まるで水鏡にその姿を曝け出すことが喜びであるかのように。
わたしはあえる。たとえ決して会うことが叶わぬひとがいるのだとしても。 ただひとつきりの太陽がいてくれる。それだけでじゅうぶんだと思うのだった。
ススキの生い茂る小道を抜け路地を曲がると。『あんず』の姿が見えてくる。 目を眩しそうに細めながらお座りをして。ちょこんとそこで待っている。
ゆびきりげんまんしたのだもの。きょうもふたりでお散歩に行こうね。 それはそれは嬉しそうに尻尾を振って。私の膝に跳びついてきてくれる。
行き先はもう決めているらしく。今日もお大師堂に向けてぐんぐん歩いた。 実は昨日も行ったのだけれど。ちょうど宿泊のお遍路さんが二人来ていて。 「おいでよ」って優しく呼んでくれたと言うのに。そこで尻込みをしてしまった。
人見知りなのか臆病なのか。彼女は犬いちばい警戒心が強そうに見える。 その点わたしはけっこう人懐っこい性質なのか。少しおしゃべりをした。 備え付けのカセットコンロで晩御飯の準備をしていて。晩酌の時間ですね。 と言うと。そろそろやりましょうかねと笑顔で応えてくれたのだった。
今日はどうかなってそこに辿り着くと。し〜んと静寂の気配が漂っているばかり。 ただ水の音だけがする。川岸にひたひたとちいさな波が打ち寄せてはかえす。
あんずをお堂の石段の近くに待たせて。お大師堂にあがり正座して目を閉じた。 そうして手を合わせてお祈りをしていると。心身ともにとても清らかになれる。
どれほど祈っても私は無力であることを。すでにじゅうぶん知っているけれど。 だからこそ祈らずにいられない。そうして自分を育て続けているように思えてならない。
おなじひとつの空のした。ただひとつきりの太陽に。きょうも感謝の気持ちをこめて。
2008年10月27日(月) |
ゆびきりげんまんしようかな。 |
この秋いちばんの朝の寒さだった。季節はもう晩秋なのだろうか。 なんだかとても急ぎ足で流れていくものを感じずにいられない頃。
今朝の山道で山茶花の白い花を見つける。民家の柿の実も鈴なり。 目を瞠るほどに鮮やかなピラカンサスの紅い実が。青空に映える。
月曜日だというのに。不思議と憂鬱ではなかった。 やはりあれは旅だったのか。道に迷っていたのか。 悪戯な魔法使いに出会って。試されたのかもしれない。 そんなことを本気で思って。今日の穏やかさをぎゅっと。
抱いて抱いて。壊さないくらいの抱擁をせずにいられなかった。
ひとりふたりさんにん。今日も7人のお遍路さんに出会えて嬉しい。 ラッキーだなって思っていたら。なんと久しぶりにお駄賃を貰った。 だから帰りのお買い物もウキウキしてしまってビールをたくさん買い。 お刺身を奮発して。ついでに彼のポロシャツも買って笑顔で家路につく。
けれども母の心遣いを思うと。やはり申し訳ない気持ちも押し寄せてくる。 貰ってもいいのかな。ああ手が出るほど欲しいな。うん貰っちゃおうかな。 そんな複雑な思いが確かにあったのだけれど。やはり嬉しさには勝てなかった。
帰宅していちばんにポストを確かめたところ。見慣れない字の手紙があった。 誰だろう?って首をかしげながらその名を見てびっくり。目が星になった。 台所の窓際で正座してそれを読む。ほんとうにありがたい縁だと胸は熱く。
わたしはながいながい手紙をあなたに書きます。どうか待っていてください。
そうして日暮れ間近の夕陽のことを想いながら。飼い犬と散歩に出掛ける。 実はどうしたわけか。このところずっと彼とは行きたがらないのだった。 朝は行くけれど夕方は尻込みをするらしく。老いたせいにしていたけれど。 私やサチコとなら。とても喜び勇んだふうに歩き出してくれるのだった。
毎日とはいかないけれど。昨夜はほんの少しだけ小雨の中を歩くことが出来た。 今日も行ってみようかねと声をかけるより先に。もう待ちかねているふうで。
よっし行こうと。夕陽のほうへとふたりで歩いた。すごい元気な足取りで。
もしかしたら毎日待っていてくれるかもしれない。そんな気がしてならない。
明日も行こうかな。あさっても行こうかな。ゆびきりげんまんしようかな。
曇りのちいつのまにか雨が降っていた。ひそやかに匂いたつ雨が。 あまりに静か過ぎて。まるで時が止まってしまったような午後になる。
午前中は。また整理病にとりつかれてしまい台所で奮闘を続けた。 よほど物持ちが良いのか。ざくざくと古い物がたくさん見つかる。 片方だけのお箸。錆付いた包丁。木製のしゃもじ。味塩の空き瓶。
捨てながらも包丁は捨てられず。砥いでみたら見違えるようになった。 新婚時代の物だけに懐かしくなり。油をひいて紙で包みまたしまい込む。
身体というか手をこんなふうに動かしているのが心地よくてならなかった。 くつろいで座っていなさいと言われても。それほど苦痛なことはないと思う。
そうしてやるだけやってしまうと。やっと寛ぐのが恋しくなってくる。
午後。読み掛けていた本を最後まで読み終える。胸が熱くてならなかった。 このところ新しく本を買う必要はなく。ずっと再読を繰り返してばかりいる。 他の作家の本をどうしても読む気になれない。一年かけて読み尽くしたものを。 また一年かけて読もうともう決めている。今日は『国境の南、太陽の西』 主人公は『僕』だけれど。たまらなく自分と重なる。痛いほどに似ている。
そうして複雑な後遺症が尾をひくのだけれど。また『僕』に会いたくなる。 不確かな自分を手探りで触れているような。そんな彼が私は愛しくてならない。
雨はひそやかなままに日が暮れる。飼い犬に晩御飯を持っていったところ。 なんとなくそわそわしていて。おしっこ?って訊くと「くいん」と応えた。
傘なんかいらないよねと。ふたり小走りで川辺の道まで駆けて行った。 彼女はすぐに用をたすと。お大師堂の方を目指しぐんぐん歩き出した。 薄暗いその先には小さな灯りが見えるけれど。少し心細くなるのが常で。 おまけに。優しいはずの雨が思いがけずに冷たく。身体が震えてしまう。
ねえ帰ろうよ。風邪ひいちゃいそうだよ。「うん」と応えたかどうだか。 諦めたらしく彼女もくるりと踵を返す。さあ早く晩御飯を食べようねと。 今度は家の灯りを目指してふたりで駆けた。灯りはいつだってあたたかい。
明日は晴れるって言ってた。すかっと気持ちよい秋晴れになるんだって。
2008年10月25日(土) |
のんびりと元気でいよう |
うすい雲がベールのように空にあり。やわらかな陽のにおいがした。 つい先日まで響いていた海鳴りが聴こえず。凪いだ海のことを想う。
わたしはいったいどこにいっていたのだろうと。 じぶんのことがよくわからないまま帰ってきた。
ずいぶんと迷路だったような気がするのだけれど。 もしかしたら私らしく方向音痴だったのかもしれない。
だいじょうぶ。完璧でなくてはならない理由などない。 歩いていればどんな道だってあるのだから。ここから。 またいけばいい。そういきあったりばったりでいこう。
昨日はなんとなく。案ずるより産むが易しの一日だった。 なるようになるだろうと少し開き直るくらいがよかった。
そう。中学の時、陸上部だったのにハードルが跳べなかったみたいに。 体育祭のクラブ対抗リレーで。ハードルを屈んで抜けて走ったように。
母は上機嫌で朝市で買物をして来たと喜び。新鮮なお魚と共に遅刻して来る。 午後は日課の喫茶店に出掛け。これも営業のうちだからと一時間も帰らなかった。
そういうのがほっとする。これでいいこういうのがいいのだと心から思った。
自動車保険の精算日でもあって。毎週来てくれる保険会社のお兄さんが。 実はもう10年来パニックとつき合っていることを知り驚いてしまった。 「来るなら来い!」の気持ちで。そうして腹式呼吸の仕方を教えてもらう。
帰り道。それがとても励みになり。さっそくその呼吸法に助けられたのだった。 信号待ちが怖くない。自動車専用道路もぐんとアクセルを踏んで無事に抜ける。
そうして夜はすっかり勇気が出てきて。大好きなバドにも行くことが出来た。 一気に無理をしないよう軽く体を動かしただけでも。気持ちよく汗が流れる。 なによりも仲間達とふれあえる時間が。嬉しくてならない夜になった。
こんなふうにぼちぼち。焦らずゆっくりのんびりと元気でいたいなと思う。
今日は『ウィンタークローバー』という花の苗を買ってきて植えた。 ちいさな苗だけれど。どんどん根を張りひろがって見事に咲くらしい。 その名の通り冬の寒さにも強く。冬の陽射しが大好きな花だということ。
ピンクの可愛らしい花がいっぱい咲く。そんな冬が待ち遠しくなった。
2008年10月23日(木) |
駄目もとでいいのだから |
朝は柔らかで優しい雨。午後からは少し暴れん坊の雨。
いろんな姿の雲が流れてきては。山にぶつかっているみたい。 それはこつんとさりげなくであったり。ええいっとまっしぐらに 体当たりしてみたり。その時々の雲の気持ちなど誰にもわからない。
けれども。濡れるひと。潤える植物。濁り始める川の水などがある。
そんな空のした今日も頑張らないひとを演じ続けていたような一日。 母からメールが届く。「だいじょうぶですかしんぱいしています」 つい先日携帯を新しくしたばかりで。慣れないメールを練習していた。 そんな姿を思い浮かべると。さすがに心苦しく複雑な心境になってしまう。
情はある。こんなふうになっている私にだって。情は確かにあるのだった。 ただひどくもがいているのだと思う。反抗か反発かよくわからないけれど。
そうして反省だってもちろんする。まだ充分に尽くしきれてはいない。 これまで以上の親孝行だと割り切れば。いくらだってまだ精を尽くせる。 お給料も要らない。何も求めずに助けてあげられたらどんなに良いだろう。
そうしてあげなければいけないのではなく。そうしたいと思う気持ちが大切。 わかっている。そうわかっているのに葛藤に苦しんでばかりいるらしかった。
心配ないよとメールを返信せずにいて。しばらく悩みつつ電話をかけてみた。 きっと責められるだろう。我侭だと叱られるだろうと胸が締め付けられた。 けれども母はあまりにもあっけらかんとしていて。それを笑いとばしてくれる。 あげくには「もうしばらく来なくていい。気が済むまで休めばいい」と言う。
うむ・・そう来たかと。それを素直に喜べない自分を感じずにいられなかった。 彼女は私の性格を知りすぎているらしい。とにかく先を読むのがとても巧みだった。
おまけに「私は何でも自分で出来る。あんたなんか頼りにしない」とまで言う。
参りましたわ・・母上様。そこまで言われてどうして私はサボれましょうか。
70歳の母上様がこんなにしっかりしているというのに。まったく私ときたら。 情けないったらありゃしない。つよくなれ勇気出せ。不安に負けるんじゃない。
今夜はこんなふうに吠えている。駄目もとでいいのだからとにかく歩み出そう。
もうじゅうぶんに休ませてもらった。またあの峠道を越え山里に行きたいなと思う。
2008年10月22日(水) |
こんな日があってよかった |
くもり時々晴れて日が暮れると静かな雨になる。 おんな心と秋の空というけれど。そんな感じだ。
くもってしまうと誰かを憂鬱にさせはしまいか。 いまここで笑えば。みんなが楽しんでくれるのか。 そうして雨になれば。誰かを泣かせてしまうかも。
思い煩うことなかれ。もっともっと自由でいよう。
そうしてきょうは頑張らない日。一気に怠け者になってみた。 けれども小心者なのだろう。そうきっぱりと告げられもせず。 彼に頼んで職場に電話をかけてもらう。とても気が咎めては。 それでいて。楽になろうとしている自分の狡さを強く感じた。
頼られていること。そばにいてあげられること。尽くすこと。 何度も葛藤を繰り返しては。自分にはそれが出来ると信じていた。
けれども。心が悲鳴をあげる。限界だと身体が教えてくれたのだ。 そうして襲ってくる不調を。認めてあげたくてならなくなってしまう。 いま許してあげなかったら壊れてしまう。壊れるわけにはいかないのだ。
決して逃げているのじゃない。これは解放なのだろうと思ってやまない。 そうして少しずつ希望を育てていく。勇気を生み出すような心を育てたい。
だいじょうぶまだ負けてはいない。だいじょうぶちゃんと生きている。
昼下がり。お隣の海辺の町でひとに会う。ひとりよりふたりでいたくて。 ひとつ返事で駆けつけて来てくれるひとがいてくれるのがありがたかった。
波音を聴きながらシフォンケーキと紅茶。そのあとハーブの庭で語り合う。 『カレープラント』はほんとうにカレーの匂いがして嬉しくなってしまう。 『ラベンダー』はもう枯れかけていたけれど。私のいちばん好きな香りだ。 『ローズマリー』は小さな白い花を咲かせ。思わず頬ずりをしてしまった。
もうじゅうぶん。なんだか満たされすぎているほどのひと時をいただいた。
弱音吐くやつ。情けないやつ。愚かなやつ。それでじょうとうじゃないか。
「こんな日があってよかった」って心から思えるようなそんなお休みをしよう。
日中は気温が上昇し夏日となった。
空には綿菓子のような雲が浮かぶ。
ぽかんぽかんとそんな空を仰ぎたい。
手を伸ばしてその甘い雲を食べたい。
そうすれば天使の羽根が生えてくる。
そんな伝説をきょうはつくってみた。
月曜日。思うように動き出せずにいる情けなさ。 そうだ。メダカの水をまた汲んでこようと決め。 お弁当を作れば。あとはもう行くしかない気持。
そのくせ身体が言うことをきいてくれなくて困り果てる。 不調を並べたらきりがない。もういい加減にしたまえよ。
気を取り直していつもの山道を行く。お遍路さんひとり。 ふたりさんにんと数えているうちに。今日は七人も出会えた。 みんなそれぞれ独りきりで歩いている。一心に前へと歩く姿。
こんな日はラッキーって思う。なんだか良い事がありそうで。 そうしてとても勇気が湧いてくる。へっちゃらだいって思う。
峠道の例の谷川でまたメダカの水を頂く。冷たくて心地よい水。 そうしてそこでツワ蕗の花を見つけた。その黄色がとても鮮やか。 ちいさな向日葵みたいな花で。山の中の光みたいに咲く花だった。 こんなに心が和むことはない。今日のラッキーはこれだなと思う。
そうしてその気持ちをぎゅっと抱く。決して手放してはいけないと。 いつだって何度だってそう思ってきた。自然の恵みはこんなにも尊い。
けれども思うようにいかない。自分でもどうしてなのかわからない。 時間差でいろんなことが襲ってくる。挙句には闘う勇気さえなくなる。 気の持ちようだとわかっているのだけれど。その気がとても頼りない。
だいじょぶだからしっかりしろよ。聞く耳を持っているなら耳を澄ませ。 見る目があるなら見失うな。戒めればそうするほど泣き出してしまいそう。
帰り道。空を仰げば朝とよく似た綿菓子を見つける。
手を伸ばしたつもりだったけれど。届いてはいないのか。
食べたつもりだったけれど。口に入れてはいなかったのか。
天使の羽根はどこだろう。この背中はどうして重いのだろう。
じぶんはじぶんを見守っているつもりだけれど。
それいじょうに見守ってくれている空のことを想った・・・。
2008年10月19日(日) |
わたしの胸を打ちながら |
曇り日。風の強い一日。地区の秋祭りがあり自転車で出掛けて行った。 小高い山の神社からお神輿が里に運ばれ。集会所の広場で神事がある。
のぼり旗が風に煽られ勢いよく音を響かせるなか。競うほどの太鼓の音。 青年達や少年達が太刀踊りを披露してくれ。地区民もそぞろ集い合った。
数年前まではうちの息子君も参加していて。それ見たさの親心だったけれど。 今年は甥っ子が参加していて。久しぶりに心が浮き立つような叔母心だった。
昨夜のこと「絶対に見に来るな」と甥っ子は家族に言ったのだそうだ。 思春期の難しい年頃で反抗期の真っ盛りらしく。それを真に受けたのか。 甥っ子の家族は。誰一人としてその場所に姿を見せようとはしなかった。
見に来るなは照れくさいと同じなのだと私なりに感じる。こっそりでいい。 どうして見に来てあげないのだろうと。いらぬ口をつく訳にもいかなかった。
少年期の晴れ姿。せめて写真をと思い近づいて行くと。甥っ子が私に気づく。 そうしてにっこりと微笑んで踊りながらピースサインをしてくれたのだった。
生まれつき心臓が弱かった甥っ子。小学生から不登校を繰り返していた甥っ子。 泣き虫でひ弱だった子が。今ではすっかり体格も立派になりこんなに逞しくなった。
午前中は叔母ちゃんの私。午後からは叔父ちゃんの彼がその姿を見に行った。 そうして夕方には「ちょっと家においで」と呼んで祝儀のお小遣いをあげる。 「すごいかっこよかったよ」ってほめると。頭をかきながら満面の笑顔だった。
親心について思う。甥っ子の両親も見に行きたくてたまらなかったのだろう。 見つからないようにこっそりと。それは可能だったはずだと思うのだけれど。
それをしなかったのには。私達には踏み込めない複雑な事情があるのかもしれない。
なにはともあれ。きょうはとてもよい一日だった。どんどこどんどこと。
いつまでも太鼓の音が鳴り響きやまない。夜更けてそれが鼓動のように。
わたしの胸を打ちながら。ゆっくりと静まって眠っていくことだろう・・。
2008年10月17日(金) |
朝まりも。ふんわり浮上する。 |
朝のうち少し雨が降る。一雨ごとに秋が深まるのだろう。 こころには秋風が吹き抜けているようでせつなくもあり。
それをみとめたくはなくて。今日は朝まりもに出会った。
やわらかそうに見えて。実は硬く触れると痛いものらしい。 けれどもながめているだけで心が和むそんな朝まりもだった。
きもちよくて。それは快感という類のものではないのだけれど。 なんとなくなのだ。好きなように浮かんでいられる心地のよさ。
川仕事のある日だったから。山里の職場をお休みさせてもらう。 母のしょんぼりとした声を聴くと。やはり申し訳なく思うけれど。 また来週から助けられる限り尽くしてあげようと思う。もがかず。 苦にせず。頼りにされていることを心から喜べるようになりたい。
雨合羽を羽織り海苔網を張る作業をした。今は種ひとつ見えない。 その網がゆっくりと緑色に変わるのを目に浮かべ。ただ願うばかり。 そのためには寒さが必要だった。厳しいくらいの冬を待ち望んでいる。
「昼からはゆっくり休めよ」と彼に言ってもらってのんびりと過ごす。 体調は自分でもよくわからない。ただ不安を抑える薬を服用している。 それも家にいる時は必要ないように思う。でも飲まないと不安になる。 ほんとにわけがわからない。でも気長に見守ってあげようと思っている。
今夜はバド練のある日だったけれど。体育館が使えなくてお休みになった。 先週来ていなかったお仲間さんに連絡のメールをする。一斉にではなくて。 ひとり一人にそれをしていると。それぞれの顔が目に浮かんできて心和む。
そうしたら思いがけずに返信が届く。ひとりふたりさんにんよにんと。 中には最近行けないけど元気ですか?と気遣ってくれる仲間もいてくれる。
歳のせいか。うんきっとそうなのだろう。ついつい涙ぐんでしまうのだった。
ここ数日引退も考えた。続けるとしてもクラブの運営は無理かもしれない。 かといって誰に頼ろう。快く後を引き継いでくれる人がいてくれるだろうか。
そんなことを思いながらも。やはりどうしても好きなことを諦められない。 最後の限界になるまでなんとしても続けたいなと思わずにいられなくなる。
バドよりも何よりもみんなのことが大好きでならない。 辞めてしまったらもうみんなに会えない。それが何より辛い事だった。
一週間後の夜には。きっと元気一杯の笑顔で勇ましく出掛けて行くだろう。
2008年10月16日(木) |
朝きりりに出会った日 |
今朝はこの秋いちばんの冷え込みらしく。 起きるなり薄手のカーディガンを羽織った。
そうして朝きりりという名のいきものにあう。
そのすくっとした姿に憧れずにはいられずに。
身も心もとらわれてしまいたい衝動にかられた。
朝きりりのたましいとひとつになりたいと思う。
けれどもそれは簡単なことのようでむつかしく。
わたしのふたふたはざわざわになり渦になった。
これはどこからくるのだろう。どうしてだろう。
不可解でならないことを。認めたくはなかった。
ありのままがいちばんだと口癖のように言って。
認めればらくになるのだと何度だって言い続け。
なんとか抜け出そうとあがけば苦しさがつのる。
そんなふうにできている。それがありのままか。
もういい。もうたくさんだと投げ遣りにもなる。
今日はたくさんのことに耳を傾け頷いた一日だった。 誰だって落ちる時は落ちる。そうして這い上がって。 空を仰ぐことが出来るのだと思う。諦めてはいけない。
くじけてもいいのだから。ゆっくりと前へ歩んでいこう。
朝きりりに出会った日は。せめて手をつないで歩きたいものだと思う。
2008年10月15日(水) |
満月の夜に。呟かせてください。 |
いつもよりすこし早目に帰宅したサチコが声を弾ませては。 お月さまがすごいよめっちゃ綺麗だよっておしえてくれる。
おもてに出て夜空を仰ぐが。お向かいの屋根に隠れて見えず。 堤防の方まで駆け足でいくと。やっとそれが見えたのだった。
おっきくてまんまるなお月さま。 こんな満月を久しぶりにみたような気がする。
しばし夜風に吹かれていると。今夜も和太鼓の音が聴こえてきた。 こっちだけではなくあっちからも。川向の地区も祭りが近いらしい。
満月と太鼓の響き。なんだかとても神秘的であるような感動がある。
今夜はバド仲間のひとりと約束をしていて。一緒に汗を流す予定だった。 けれどもひどく臆病になってしまったのか。夕方キャンセルしてしまう。 からだを動かせば気分も晴れるのだろうに。情けないなとつくづく思う。 大好きなバドが怖くなるなんて。今まで一度だってそんな事はなかった。
思うようにいかない。どうすれば勇気が湧いてきてくれるのだろう・・・。
午前中。仕事の合間に手紙を書いた。走り書きで乱れた文字だったけれど。 お昼までに投函すれば明日着くはずだから。とにかく急いでそれを出した。 メールアドレスも知らない。ながいお付き合いだというのに顔も知らない。
きのう手紙が届いていて。5年ぶりに個展をするという嬉しい報せだった。 詩を書きイラストを描く。彼の作品がわたしはたまらなく好きだったから。
夏の便りにつづく秋の便り。季節ごとにそうしてふれあえることが嬉しい。
12月の個展にはなんとしても行きたい。思い残すことがないくらいに会いたい。
たくさんの縁にめぐまれ。そのなかにはどうしようもなくかなしいことも。 必然のようにあったのだけれど。誰もが愛しく。誰をもかけがえなく思う。
ひととして生まれたのだからひとにあう。それはとても幸せなことだと思う。
2008年10月14日(火) |
そうしてなんとかなるらしい |
真夜中に目を覚ますと雨が降っていた。その雨はやまずに。 今日もいちにち雨となる。お隣の秋桜から落ちる雨の雫が。
なんだか涙みたいに見えたけれど。こだわることもせずに。 仕事に出掛けた。長いトンネルを抜けいつもの山道を行く。
するとすぐにふたりづれのお遍路さんに会った。赤と青の。 雨合羽を着ていて肩を寄せ合い歩く姿は。ご夫婦らしくて。 お互いを労わりつつ歩いているように見えた。ほのぼのと。 こころが温かくなるそんな光景。雨よどしゃぶりになるな。 と願いながらふたりを追い越す。峠道の厳しさに負けないで。
仕事は相変わらずで。気持ちばかりがぐるぐるとするばかり。 それが空回りだとわかっているけれど。苛立ちが渦になって。 なかなか納まってはくれない。これは精神力のモンダイだと。 何度だって戒めてきたけれど。ほとほと疲れてしまった本音。
あしたは明日の風が吹くらしい。そうしてなんとかなるらしい。
帰り道。信号待ちをしていたら。いきなりまた例の症状が出る。 いったいどうしたことだろう。じぶんの身体に訊きたいくらいだ。 これくらいのことでといつも思う。大丈夫なんだからそうなれと。
家へ帰り着くとほんとうにほっとする。ワンコは元気かメダカは元気か。 母さんも元気だよと明るい声でそう告げるのが。私の日課のようなもの。
晩御飯はまた野菜炒め。そろそろ焼肉が食いたいなお母さんと彼が言う。 実は私も食べたいよお父さん。今度の土曜日あたりにしようかねと約束。
いまは雨もやみ。かすかに太鼓の音を聴きながらこれを書いている。 地区の秋祭りが近づいているらしい。和太鼓の音がとても好きだった。
どんどこどんどこ打ちやまぬ
おまえの胸も打ってあげよう
やぶけるな響けつよく響けよ
どんどこどんどこ打ってやる
この響き忘れるなよこの音を
信じろよ。さあ胸を張っていけ!
2008年10月13日(月) |
生きているっていいね。 |
穏やかに今日も晴れ。月曜日にのんびり出来るのが嬉しくもあり。 そのくせさあ何をしようかなと落ち着かなかったり。けっきょく。 軽く家事をしただけで。あとは自室にこもってばかりの一日だった。
じかんがとてつもなくゆっくりとながれていく。
そのなかにすっぽりと身をなげだしているような。
けれどもつかみどころがなくふたしかなものがあり。
もう知り尽くしたとおもうじぶんでさえ解らなくなる。
それでいいのかもしれない。それが変化なのだとしたら。
とてもいいほうに向かっている。そんな気がするのだった。
夕方近くなり。やっと庭に出てしばし老犬と語り合う。 ながいお昼寝から目覚めた彼女は。気だるい顔をして。 それでも嬉しかったのか。ペロペロと私の指を舐めた。 顔ではなくて指だったせいで。ふとせつなさを感じる。
指先というものはふしぎなものだ。温かさと優しさが。 まっすぐに伝わってくるところらしい。胸が熱くなり。 なんだか目頭まで熱くなってしまう。ありがとうねと。 あたまを撫でながら。互いの老いを慰めあうのだった。
しんどいけど行く?って訊くと。うんちょっとだけと応え。 ふたりとぼとぼと庭を出て。すぐ近くの堤防の道を歩いた。 ぐいぐいと引っ張らずにいて。私と同じ歩調で進んでくれる。
そうしてススキのあいだに咲いた野菊の花をふたりで愛でた。 これって母さんのいちばん好きな色だよ。と話しかけながら。
彼女はくんくんと匂いをかぐ。さわやかな菊のかおりだった。 そうして少しうっとりとした顔で目を細めている姿が可愛い。
川風に吹かれながらまたとぼとぼと帰る。生きているっていいね。
いっぱいいっぱい生きようね。
秋晴れの清々しい空に飛び立つかのように。
あてもなく西へ西へとちいさな旅に出た。
行き当たりばったりというのがたのしい。
道があるからどこかに辿り着くだろうと。
今まで一度も行ったことのない道を進む。
そこは宇和海。その海を渡れば九州だった。
きらきらとした眩しさ。うろこ雲と潮風に。
身も心もすくっとあたらしくなった気がする。
ちいさな旅またいきたいな。うんきっとまた。
2008年10月11日(土) |
ゆらゆらがいい。うんこれでいい。 |
昨夜の小雨があがり。その露を吸い込むような陽射しに恵まれた。 植えたばかりのパンジーが。ぷるぷるっとした顔で微笑んでくれる。
早朝ほんの一時間足らずだったけれど。例の川仕事に行ってきた。 川船で進むのがとても心地よい。水には朝陽が宝石のように輝く。 そうしてボラだろうか勢いよく魚が飛び跳ねるのも楽しい光景だった。
帰宅してすぐに近くの地場産市場へ行ってみる。 新鮮な野菜や朝獲れの魚などがありとても重宝している。 シシトウ目当てに行ったけれど今朝はなくて残念だった。 夏野菜はもう終わったのかもしれない。秋茄子は沢山あった。 結局イカを一杯だけ買い。観賞用の唐辛子の苗を一株買った。
しばし庭の花いじり。唐辛子は色とりどりでとても目に鮮やか。 ゼラニウムのそばに植え。しばしうっとりとしながらそれを眺める。 飼い犬が甘えてじゃれついてくるので。少しだけ相手をしてあげた。
とくになにも急くことがない。絵に描いたような平穏だった。 例の整理病も。もうとことんやり尽くしてしまい手持ち無沙汰。 それがかえって落ち着かず。じっとしているのが苦痛でもあった。
ありがたいことに息子くんがやって来る。なんとお布団を提げて。 干し場が狭くて困っていると言い。我が家の物干しにそれを干す。 ついでにシーツも洗ってくれと言うので。喜んで洗う母であった。
お昼は三人でお好み焼きをした。男達は昼間っからビールを飲む。 私は珍しく飲まなかった。飲むとすごくしんどくなりそうだった。
昨夜いつものバド練に行っていたのだけれど。ちょっとハード過ぎたのか。 帰り際に眩暈に襲われ。呼吸が上手く出来ない例の症状がまた出てしまう。 楽しい気持ちがそうして不安に繋がるのが。悔しいくらいに情けなく思う。
しんどくはないのにしんどくなる。そういうのがたまらない・・・。
病は気からっていうけれど。気と身体がちゃんとそぐわなくなった。 身体はとても正直なのだろう。無理なんかしていないのに無理になる。
ああいけない。これは弱音。私らしくないと認めながらこれを書いている。 ゆらゆらしながら不安や不確かなものや。どうしようもないことばかりで。
ここを書き残すわけにはいかない。けれどもこれがありのままだから許そう。
どんな日もあると。いつも口癖のように言っているわたしのことだもの。
明日はどこかに出掛けてみようか。行き当たりばったりでそうしようと思う。
2008年10月09日(木) |
さりげない風景のなかに |
朝の窓辺で雀達の声を聴いていた。今日も良い天気だなあと空を仰ぐ。 堤防のススキもずいぶんと立派になった。そうして風を感じられる朝。
ちゅんちゅくちゅんちゅくりん。
雀のように小躍りをしてみたい。
あっけらかんとひょうきんになって。
そうしてたくさんの笑顔にあいたい。
けれどもどうか無理にそうしないでいて。
泣いたカラスがいま笑ったように笑って。
いつもの山道。その峠のてっぺんのあたりに谷川が流れていて。 今朝はそこで自然の水をいただく。サチコがメダカを飼い始めた。 もうふた月くらい経ったけれど。いまでは母のメダカのようになる。
谷を仰ぐとそこは獣道みたいにずっと山の上に繋がっているのがわかる。 森のにおいがする。道路が近くにあっても森に迷い込んだような気になる。 どきどきと胸がふるえるのを抑えながら。冷たい清水をボトルに汲み込む。
怖いけれどその場所がとても好きだった。森深く行ってみたいとふと思った。
仕事は。午後久しぶりに緊迫感が漂う。乗り越えればどっと気疲れを感じた。 母は確実に老いている。頼りにされている身なら尽くせるだけ尽くしたい。 そう思いながらも逃げ出したい自分を感じて。その葛藤に押し潰されそう。
帰り道。遍路宿に向かう二人のお遍路さんにあった。宿への坂道には秋桜。 その花影に白装束が見え隠れしているのが。なんともいえず心が和む光景だった。
どんな日もある。けれどもいつだってそれは救われることができるのだと思う。
そんな光景を見逃してはいけない。それは偶然のようでありながらちゃんと。
そばにいてくれる。道端のさりげない風景のなかにだってそれはいてくれるものだ。
2008年10月08日(水) |
穏やかさが綿のように心をつつんでくれる。 |
秋晴れのいちにち。夜明け間近に椋鳥の大群がやって来る。 それは奇声のように叫ぶように鳴き朝の静寂を破るけれど。 電線に夥しく留まっているシルエットが。とても壮観であった。
子供のように彼を呼ぶ。おとうさんはやく来てほらみてごらんと。
もうそんな頃になったのか。感慨深げに呟く声が嬉しくもあった。
夜明けとともに川仕事に出掛ける。早朝の水辺はとても清々しくて。 身も心もすくっとさせてくれるのだった。深呼吸をいっぱいしてみる。
今日は漁場に海苔網を張る作業だった。どうか種が無事に育ちますように。 願いを込めてそれをする。大雨が降りませんように。水が濁りませんように。
帰宅してすぐに山里の職場へ。行こうと思えば間に合う時間だったけれど。 例のサボリ癖が出てしまいとうとうお休みをいただくことにしてしまった。 昨日も午後から休んでいたので。ほんの少し気を咎めつつも寛いでしまう。
ゆっくりと洗濯物を干していたら。お隣のご夫婦が秋桜の庭で戯れていた。 どうやらお互いの写真を撮っているふうで。ついついお邪魔してしまった。
ふたり一緒にと言うとそれは喜んでくれて。肩をよせて微笑あってくれる。 今年の秋桜は最高だねと声をかけながらシャッターを押した。にっこりと。 いつもは怒鳴ってばかりいるご主人も、今日ばかりは満面の笑顔で嬉しい。
和やかな朝のひととき。おかげで穏やかさが綿のように心を包んでくれた。
午後。のんびりと本でも読めば良いものを。また整理したい病のおかげで。 どこかないかとそわそわとしながら。ふっと和室の小引き出しを開けてみる。
古い通帳や領収証などをひっくりかえし。捨てるものがないかと確かめる。 するといちばん底にへばりつくように。なんと一万円札が折りたたんであった。 三枚も。なにこれ?とどうして?と最初はとても信じられなくて途惑ったが。 今年の春に自分がタンス貯金をしていたのをやっと思い出したのだった。
一枚おくれと彼に取られ。残りは今月の生活費の足しにすることになった。 実は正直困っていたところ。これは天からの恵みか。整理病万歳の気持ち。
あれやこれやのおかげで。今日もありがたく暮れ。今は鈴虫の声に心和み。 これを書いている。この穏やかさをそのままに抱いて眠りたいと思っている。
こころは打たれ苛まれていたけれど。その山をやっと越えたようなこの頃。
もうじゅうぶんにじぶんを責めた。あとはぎゅっと抱きしめるだけだと思う。
2008年10月07日(火) |
忘れないでいる。忘れないでいてくれる。 |
くもりのち雨になる。そぼ降る音がしなやかな調べのように聴こえる。
なにもはりつめていなくて。なにも急くこともなくて。夜をむかえた。
とてもたいらに見える地面にもわずかなくぼみがあり。水があつまる。
晴れたらその水たまりを両足でぴょんと。ウサギみたいに飛び越えよう。
今朝のこと。こんなに早くから誰だろうとおどろくような時間に。 一通のメールが届く。多感な少女時代をともにおくった親友からだった。
我が町のすぐ近くまで来るのだそうだ。少しでも会えないかと言ってくれて。 どんなにか嬉しかったことだろう。もちろんなんとしてもとすぐに応じる。
携帯電話を握り締めたまま。つい一昨日のことを一気に頭に浮かべたのだった。 あの手紙の束。懐かしくてならず。ああ会いたいなあってすごくすごく思った。
これも偶然なのだろうか。こんな思いがけないことがあっていいのだろうか。 彼に報告する声が震える「おとうさん・・まただよ。また叶ったよ・・」
7年ぶりの再会だった。彼女はすこしも変わっていなくてとてもほっとする。 少女時代からあったニキビの痕も。日焼けしたままの健康的で明るい笑顔も。 つかの間であったけれど。お互いを下の名前で呼び捨てにする心地よさ。
殻に閉じこもってばかりだったあの頃の私を。いつもそっと見守ってくれ。 どれほど支えてくれたことだろう。一緒に泣いて一緒に笑いあえた時代だった。
今思えば人生のほんの一部分かもしれない。けれども永遠の宝になり得る時。
忘れないでいる。忘れないでいてくれる。そうして会いに来てくれたのだった。
降り始めたばかりの雨に濡れながら。手を振って見送る。ありがとうって。 またきっと会おうねと心から叫びながら。再会の時が遠ざかっていくのを。
みていた。今生の別れだなんて誰が思うものか。そんなことがあるはずがない。
あのときも手を振った。つい先日も手を振った。そして今日も私の手のひらは。
いつまでもふりつづけてやまない。さようならではないむこうがわへとつづく。
2008年10月06日(月) |
わたしのしょうたいを。ゆるしてはくれまいか。 |
朝は肌寒かったけれど。日中は気温が高くなり汗ばむほどだった。 今日もツクツクボウシの声を聴く。不確かさを信じるように耳を澄ます。
こんなことをいってもだれにもわからないだろうけれど。
きょうやっと。じぶんのしょうたいがわかったきがする。
見つけたくてならなかったから。心地よくそれに打たれた。
もうけっして目をはなしはしない。しっかりと世話をする。
気がつけば彼岸花は枯れ。赤黒い布切れのように風に揺れている。 そのかたわらに生い茂った雑草が。ピンク色の花を咲かせていた。 コンペイトウのようなかたちをしたそれは小さく可愛い花だった。
ひとつぶくちにふくんでみたくなる。それは甘いのかもしれない。 こころを咎めつつもそれを無心になって千切ってみたくもあった。 そんな姿を誰にも見られないように。草むらにひそむ虫のように。
そうして叱ってあげたい。それがわたしの過ちのすべてであるように。
すすきの穂。ねこじゃらし。夕陽の落ちる川辺で揺れるものたち。
あなたたちのふところにもぐりこませてくれまいか。
そうしてわたしが素直でいられるよう祈ってくれまいか。
わたしのしょうたいを。撫でながら赦してはくれまいか。
2008年10月05日(日) |
そうしてきりりっとおもう。 |
いちにち雨が絶え間なく降り続き夜になった。
窓の外で誰かがずっとシャワーを浴びている。 そんな雨音を聴いていると。ほんの少しだけ。 取り乱してしまいそうになり。鎮めるために。
これを書いている。ゆっくりとまえへいこう。
息をすってはいて。心静かに時と戯れようか。
今日も変わらず。やはりうごきたくてならず。 そんな自分のことが解らなくなってしまった。 けれど。とにかく何かを整理したくてならない。
そうして先日見つけた手紙の入った箱を取出し。 今度は送ってくれた人別に仕分け作業を始めた。 20通もの束になるものもあれば。一枚の葉書も。 そのどれもが懐かしく愛おしい。心のこもった。 あたたかいひとたち。かけがえのないひとたち。
若き20代からこの歳に至るまで。自分ひとりで。 歩んできたのではないのだとつくづくと思った。 こんなふうに支えてくれたひとがいてくれたこと。 私の人生は。たくさんの縁に恵まれていたのだと。
感謝の気持ちでいっぱいになった。ありがたくて。 たとえ今は会うことが叶わずとも。ずっと繋がる。
縁には決して距離などない。胸をはって私は云える。
感極まり涙するかとおもえば。不思議と涙もろくもならず。
とても大切な儀式のように。またその箱をそっとしまった。
そうしてきりりっとおもう。だいじょうぶわたしは生きる。
2008年10月04日(土) |
思い出の部屋づくり。 |
くもり日。午後少しだけ青空がみえ始めると。せみが。 生きているよここにいるよと裏の柿の木で鳴いてくれる。
ひとつふたつと早熟な柿の実が。もう色づき始めたころ。 いきつもどりつしながら。わたしの心も少しだけ歩んだ。
ひとところにしがみつこうするからくるしい。
だからといってせなかをおされるとしんどい。
そのための意思であり意志なのではあるまいか。
開店したばかりのお店で食料品の買出しを済ませ。 さあ今日もやろうかなとまた整理整頓に精を出す。 部屋全体が物置化しているかつてのサチコの部屋。
もう弾くこともなくなった電子ピアノや古いCD。 リカちゃん人形もあれば。リカちゃんのタンスも。 鉛筆削りもあれば。色鉛筆もある。三角定規だって。
ここを思い出の部屋にしようと母は決めたのだった。 サチコの歴史部屋みたいにしようと思い心がときめく。
午後それがついに完成して。思わず涙が出そうになる。 部屋の真ん中にぽつんと座って。しばしうっとりとする。
さすがに少し疲れたのか。一気にチカラが抜けてだるくなった。 よろよろと茶の間に行き。彼と一緒にテレビを見ているうちに。 夕方まで眠ってしまう。もう明日は休めよって言ってくれたけど。
たぶんまたうごく。だって整理整頓に目覚めているのだから。 いましかないと思ったりしている。とめないでとめたら駄目。
晩御飯食べて。お風呂入って。ビール飲んで。焼酎飲みながら。 サチコの帰りを待っている。手を引っ張ってでも見せてあげたい。
ほうらここが思い出の部屋だよって。母は自慢したくてならない。
2008年10月03日(金) |
神さまは海なのかもしれない |
きょう縁結びの神さまにあった。
神さまはなぜか地下足袋をはいていて。
深い海のような濃紺の作無衣を着ていた。
そうして口ひげが似合う顔は少年だった。
本来なら出雲の国に行かねばならぬころ。
とくべつな任務を果たすかのようにして。
北の国から流氷の妖精を連れて来てくれる。
ちょっと泣き虫だけど笑うとほんのりと光る。
それはそれは目に入れても痛くない程可愛い。
さんにんで輪になってお昼を食べる。神さまは。
鰹のタタキ御膳。妖精はザルうどん。わたしは。
大好きな鶏の唐揚げとおむすびセット。紅葉が。
それぞれの器に添えられてある。今は秋だった。
縁というものは不思議でならず。神さまだって。
結ぼうと努力してそれを探したりはしないのかも。
けれどもそれは川の水がやがて海に繋がるように。
水と水が出逢ってしまうものなのかもしれなかった。
奇跡のような偶然。けれどもそれは必然でもあり得る。
魂をみくびってはいけない。果てしなくそれは旅する。
ひとりの存在がひとりを導く。待っているひとの元へ。
そうして懐かしさが込み上げてくる。それが縁だと思う。
わたしは川 妖精は魚のような貝 神さまは海なのかもしれない。
2008年10月02日(木) |
きもちよくわたしはいく。 |
朝の窓辺から見上げた空は雲ひとつなくて。
くうきが空の息のように流れているのだった。
このままどうしようもなくとけてしまいたいとおもう。
そうくうきのように。それを風だと感じられるように。
山里へと向かう道。その脇道を左に折れる道沿いに。 今年も紅い鶏頭の花がたくさん咲いた。炎のように。 空気がいちだんと澄んでいるせいだろう。勢いよく。
それはほんとうに燃えているように見える。はっと息をのむ。 そうしてとくとくと流れる我が身の血を。痛いほどに感じた。
ふあんがるな。おそれるな。呪文のようにそんな声が聴こえる。 今はただ空に向かい精一杯に咲けばよいと。それが訓えてくれる。
日々花にあう。そうして山道を行けば萩の花びらが散り敷かれて。 若き黄色は背高泡立ち草。嫌う人も多いけれど私は嫌いではない。 昨日は気づかなかったそんな花の姿に。むしろ心を弾ませている。
そうして桜紅葉は花と似て散り急ぎ。もう冬支度のようでもあった。 裸木はさびしいけれど。その骨のような姿に朝陽が降り注いでいる。
きもちよく。きもちよくわたしはいく。
わたしの灰汁などほんの些細なことなのにちがいない。
2008年10月01日(水) |
まるで夏の忘れ物のようだった。 |
朝のうちの雨はすぐにやみ。ゆっくりと青空がひろがる。 お日様がとてもまぶしくて。それはまるで夏の忘れ物のようだった。
ツクツクボウシが鳴き始める。その声に呼応するようにトンビが鳴く。 仕事の手を動かしながら耳を澄ましていると。空が音を奏でているよう。 つくつくぴぃ。ひょろろんつくぴぃ。それはとても楽しい歌に聴こえた。
もう最期なのかもしれない声だとしても。太陽に見守られているいのち。 同じ空を飛ぶ一羽の鳥にだって。そのつかの間をともに歌う喜びがある。
そうして神無月。暦をめくると一気に秋なのかと思わずにいられない。 なんだかとても急いでいる。もっとゆっくり歩きたくてならないけれど。 いつだって背中を押されているような気がする。その歩を確かめられず。 気がつけばそこにいる。そんなふうに季節が幾度も巡ってくるのだった。
いっぽ。一歩とひとにはよく言うけれど。
じぶんの一歩はとても不確かな歩みだった。
どこまで行けばいいのかまるでわからなくて。
そこがいったいどこなのかさえも知らなかった。
たどり着けばわかるだろうと希望のようにも思う。
暮れていく空をぼんやりと眺めていると。その紅く落ちるものが愛しい。 そうしてそれが輝きながら昇りくる朝が嬉しかった。息をする心いっぱい。
ひとに生まれてよかったとこころからおもう。
ツクヅクホシイとなく日もあるが。ひとだからゆるしてあげたいとおもう。
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