2008年09月30日(火) |
裸ん坊で旅に出てみたくなる。 |
日が暮れるなり雨の音がつよくなってきた。
傘を差して犬小屋に晩御飯を運んだけれど。 彼女はもう寝ていたらしくめんどくさそうに。 顔をあげ。降り込んでくる雨を恨めしそうに。
こんやはもういらないと言って目をつぶった。 そんなこと言わないでと器を犬小屋に押し込む。
いつもと変わらない時間だというのにすっかり夜。 一眠りしたら空腹に気づき平らげてくれるだろう。
台風がまた近づいているけれど。前回と似た進路。 ざわざわと心騒ぐでもなく。今夜も穏やかでいる。
お風呂にながく浸かっていると気が遠くなるほど。 いろんなことがほぐれていくのがわかる。それが。 何なのかじぶんでもよくわからない。消えやしない。 そうして湯船に浮かぶわけでもない。ただ軽くなり。 湯気の中にとろけていくように思う。はぁふぅほぅ。
だからなのか。湯上りはとても新鮮な自分にあえる。 こういうのが好きだった。まるで透明人間のようだ。 ちょっと勇気を出して裸ん坊で旅に出てみたくなる。
飾りたくもない。纏いたくもない。生まれたままで。
泣きたいだけ泣き。笑いたいだけ笑いたい。
そうして誰にも見つけられないでいるけれど。
私には見える。ひとも景色も雨も風だってわかる。
だいじょうぶ。裸ん坊でも風邪なんかひくもんか。
雪にだってあいたい。氷の浮かぶ海にだっていく。
そうして春を見つけ。また夏にだってきっとあえる。
2008年09月29日(月) |
雨だれの音に鼓動を重ねる |
いちにち雨降り。そんな雨に少し濡れては秋を感じる。 一雨ごとに深く。どうしようもなく移りいくものがあり。
身をまかせつつ。それでいて逆らいたくもありこころが。 そのしじまのそのいちぶぶんにしがみつこうとするのを。
まるで他人事のように見て見ぬふりをしているのを感じた。
どこまでがじぶんなのか。どこまでが真実なのかときには。 見失いそうにもなる。けれども確かに存在するらしいいのち。
雨だれの音に鼓動を重ねていると。ふしぎと心が安らいでくる。
月曜日。例の憂鬱をよそにたんたんと仕事をこなす。 忙しいのが嬉しい。もっと目まぐるしいほどだって良いと思う。
午後は接客というべきだろうか。話し好きの老女が訪ねてきてくれ。 二時間あまり世間話をしていた。苦痛ではなくむしろ楽しくもあって。
同時にせつなくてならない。老いるということは諦めに似た哀しみであり。 かといってそれを嘆くことなどなく。まるで最期までの道しるべを見つけ。 ほっと寛いでいるようにさえ感じた。いくのよそこに。そこしかないから。
80歳を越えたのだというその老女の姿に。ふと自分を重ねてみるのだった。
いきたくないよ。ぜったいにいやだよ。いくら背中を押されてもいけない。 それが今の自分だとつくづく思うのだった。足りないのだ何かが足らない。
それを見つけるまで歩かせてもらえるだろうか。いや歩くのだきっと。 そんなことを思いつめるくらい思って。またすくっと前を向きすすむ。
ひとにあうたびにひとをすきになる。
そのひとにあえたからあえるひとだっていてくれる。
なにひとつそまつになどできないとこころからおもう。
ささやかであってもふれあえるひとときがあることは。
もしかしたらそれがいく道のしるべかもしれないのだ。
2008年09月28日(日) |
鈴虫の声を聴きながらこれを書いている。 |
うす曇のいちにち。日中も気温が上がらずぐんと涼しさを感じる。
空模様を気にしながら洗濯物を干していると。お隣の庭の秋桜が。 ブロック塀越しにそれは可愛らしくたくさん咲いているのが見えた。
去年は一面の秋桜を見に出掛けたけれど。今年はもう充分だなと思う。 お隣が秋桜畑のよう。朝に夕にそっと見せてもらえるだけでありがたい。
いちばん好きな花だった。薄桃色の花達のなかに真っ白の花を見つけたい。
昨日に引き続き。今日もいちにち押入れの整理整頓に精を出す。 そうして懐かしいものなどを見つけては。子供みたいに喜んでいた。 がらくた同然の物や未練のない古着の類は思い切って捨てることにした。 廊下にゴミ袋を並べると五つも。そうして少し得意顔になったりもした。
片付けるってなかなか良い気分だなと思う。また次の土日も頑張ろう。 どうしても捨てられない物と。潔く捨てる物と。見極めるのも楽しい。
晩御飯は。炊き込みご飯をしてみたのだけれど。出来上がったら大失敗。 水加減を間違えてしまって『おじや』みたいに炊けてしまったのだった。 でも味はとても良くて美味しかった。珍しくお代わりをして二杯食べる。
あれこれしていても。今日も平穏。それが何よりの幸せだと思える。 こころのなかはふくふくっとしていて。その感じがたまらなく好きだ。
いまは鈴虫の声を聴きながらこれを書いている。りりんりりんと響く音。
鈴の音はなぜか懐かしい。こんなに近くで耳を澄ましているというのに。
それは。はるかかなたからとどく。いにしえびとの子守唄のようだ・・。
2008年09月27日(土) |
秋風が連れて来た旅人 |
彼岸明けから一気に涼しくなり朝晩は肌寒さを感じる。
なにかと何かが切り離されていくような切迫感さえもあって。 こころのなかの空洞には。秋風が連れてきた旅人が宿っている。
彼なのか彼女なのか。どこか遠いところから突然やってきては。 口を閉ざしたまま何ひとつ語ろうとはしない。かすかに息をして。 そのまわりのほんの一所だけが。やわらかな温もりになって漂う。
とにかくそっとしておいてあげようと思う。いま起こしてはいけない。
その時がくればまた旅立っていくのだろう。笑顔で見送ってあげよう。
朝のうち。またふと思い立ち押し入れの整理整頓に励んだ。 納戸というものか。我が家には納屋というものがないので。 そこにはストーブやら。サチコの雛人形などを押し込んである。
ベビーダンスだってまだ捨てずにあり。その引き出しの中には。 子供達が書いた絵日記や。母の日にもらった色紙や古い人形や。 とにかくいつまでも残しておきたいものがたくさんあるのだった。
そのことを知らずにいたサチコがびっくりして懐かしんでくれた。 これはずっとここにあるから。いつか自分の子供に見せてあげようね。 なんてことを言いながら。母も懐かしくてならず目頭を熱くしたのだ。
「母さん、もしかして死ぬんじゃないの?」って笑いながらそう言う。 「うん・・母さんもなんかそんな気がする」って母はけっこう不安顔。
それをそばで聞いていた彼が可笑しそうに言うことには。 「普通の主婦はいつも綺麗に整理整頓するのに、おまえは10年に一回!」
かもね・・と妻は思う。やっとその時が巡ってきたのだなと納得をする。
儚いのだ。だれだってそんな儚さと隣り合わせで日々を生きている。 命の蝋燭なるものがあるのなら。この目で確かめてみたいといつも思う。
だとすると『ふと思い立つ』それはとても大切なことのように思える。
暑くもなく寒くもなくちょうどよいこの季節。 明日は茶の間の押入れを整理しようかなともう決めている。
わたしはお宝発見に目覚めたさすらいの探検隊員ということにしよう。
9月も残り少なくなったけれど。日中は蝉の声。 残暑と言っていいのだろうか蒸し暑い一日だった。
見渡せば確実に秋らしく。山々の色も変わりつつある。 山道にいが栗が転がっていたり。おっとっとと避けて。 感じる秋もあった。雑草もずいぶんとたくましくなり。 穂の咲くものは花らしく風に身を任せているのだった。
昼休み。洗車場の屋根の下でクルマのドアを開け広げ。 好きな作家の短編小説などを。いちにち一編読んでいる。 時には声を出して音読する日もあって。そうしていると。 声が震えるくらいによけいにぐっと感動することもあった。
『こんなことを言ってもだれも理解できないだろうけれど』
読み終わって心地よい風に吹かれている時。そんな言葉が。 どこからともなくあたまに浮かんできては。物語が始まる。
つらつらと書いている。後からあとから文章が浮かんでくる。 捕まえなくちゃと思う。そうしてノートとペンを急ぎ取るが。
いざノートを開くと。それが逃げるように風に散っていくのだった。 所詮それは妄想だったかのように。忽然といなくなってしまうもの。
あーあとつぶやく。かたちにできないものがそうして潔く去っていく。
かたち。かたちって。いつだって掴みどころのないものかもしれない。
これまでどれほどのかたちに拘りつづけてきたのだろうと。ふっと思う。
それは目に見えるものでなくてはいけなくて。触れられるものであって。
しっかりと確かめられるものでなくてはいけないのだろうか?
ことば。ひと。しんじつ。まごころ。ゆうき。こころ。いのち。じぶん。
言葉に出来ないことで。いっぱいになりながら私は満たされていたかった。
2008年09月24日(水) |
我が家の末っ子。甘えん坊。 |
今朝も飼い犬の声で目覚める。 とても辛そうな声で呼ぶのだった。
彼女はずいぶんと老いてしまったのだろう。 人間だともう80歳くらいの年頃だと思われる。
けれどもまるで小さな子供が足をすぼめて震えつつ。 漏れちゃうようって泣きながら訴えているような声。
「またかよ・・」と彼がしぶしぶ起き出して行く。
そんなふうに私たちの朝が始まる。ごく自然な朝。
お味噌汁を作り。卵焼きを作る。魚肉ソーセジを切る。 朝のニュースを見ながら。それを話題にしながら食べる。 私だけ納豆をかき混ぜ。牛乳に黄粉を入れて飲むのだった。
食後。いつもなら洗濯物を干すのだけれど。今日はお休み。 あまりに少ない日はなるべくサボるようにしているだけだ。 そのぶん明くる日にどさっとある。そのほうが洗いがいがある。
けれども彼女は庭で待っていた。そのことを出掛ける時に知った。 空はこんなに晴れているのに。どうして姿が見えないのだろうと。 彼女なりに不安がっていたのかもしれない。いつもならこんな朝。
少しだけ遊んであげるのが日課だった。「来て、来てよう」と。 犬小屋から呼ぶ声が聴こえる。「はいはい今行くよ」と応える。
そのことを今朝は思い出しもせずにいた。さあ仕事に行こうと。 クルマにとび乗って庭からバックしながら出て行こうとしていて。
彼女と目が合う。ああそうだったごめんよってそんな声も届かず。 もう完全にいじけている顔がそこにある。とても寂しそうな顔だ。
「行けば・・」ってその目が訴えていて。うなだれているのが解る。
家族だった。どんなに老いてしまっても我が家の末っ子甘えん坊だった。
帰宅していちばんに会う末っ子は。もう今朝のことなど忘れたのか。 尻尾を振って嬉しそうに出迎えてくれる。「おかえり」って顔をする。
そうして晩御飯時。その甘えん坊度は頂点に達しているらしかった。 とにかくどこもかしこも舐めたくてたまらない。まずは足次は顔と。 やわらかくて温かい舌は。我慢が出来ないくらいくすぐったいもの。
ついつい「やめて」と声を荒げそうになる。けれども本心は嬉しい。
夏の間すっかり落ちていた食欲が戻ってきたようでほっとする。 がつがつと一気に平らげてくれるので。「足りた?」と訊くほど。
今年も夏を乗り切ってくれたのだと思うと。よけいに愛しくなる。
明日も。しっかり起こしてくれるよね。
だいじょうぶ。どんなに真っ暗でも。父さんも母さんもちゃんといるよ。
2008年09月23日(火) |
母さんのこれがすべて |
ふと思いついて自室の押入れを整理する。 いつかそのうちにと思いながら歳月とは。
いつだって急ぎ足で先へと進みたがるのだろう。 押入れはまるでタイムカプセルそのものだった。
「どういう風の吹き回し?」とサチコがおどろく。 「ちょっと身辺整理よ」と笑って告げる母だった。
笑顔のままで不安がる。どうしてそれが今なのか。 今でなくてはいけない理由があるのかもしれない。
そんなことを考え出したらいつもきりがなくて。 けれども確かに身辺整理は必要だと思うのだった。
小箱のふたをそっとあける。30年前の手紙が見つかる。 旧姓の私にと。高校時代の友人から送られた手紙だった。 若気の至りでずいぶんと迷惑をかけてしまった友人のこと。 何ひとつ恩返しも出来ずに。こんなにも歳月が流れてしまった。
会えるものならあいたいな・・と思う。どうか元気でいて欲しい。
大好きだったおばあちゃんからの手紙も見つかる。記憶になくて。 それが何通もあったのに感極まる。お茶目なおばあちゃんだった。 「ガンバラナクチャア」って片仮名で書いている一言が嬉しくて。 読み返しながらひっくひっくと涙がとまらなくなってしまった・・。
もしや父の手紙も。そう思って探してみたけれど。それはなかった。 そうそう父はいつも電話だったっけ。「変わりないか?」と優しく。 会うことは叶わなくても。子供達のこともずっと気遣ってくれたのだ。
どんなにか孫に会いたかったことだろう。許してよねお父ちゃん・・。
秋分の日・・・亡くなったひとたちが愛しくてならない日だった。
わたしの身辺整理は何ひとつ捨てるものがない。 宝物のように残しておきたいもので溢れていた。
それを見つけやすいように奥から手前へと整理する。 きっとサチコが気づいてくれるだろうそんな場所だった。
手紙。写真。ながねん書き綴ったもの。なんだか母さんのこれがすべて。
2008年09月22日(月) |
真っ直ぐに繋がるものへ |
朝の空気がいちだんと涼しくなり。 感じずにはいられない秋がそこにある。
まだ目覚まし時計が鳴らないうちから。 飼い犬に起こされてしまい今朝も早起き。 暗闇にひたひたと彼と老犬の足音を聞く。
朝食を食べながら昨日のことを語り合う。 お墓参りに行ったことを黙っているようにと。 念を押される。私もその方が良いと思っていた。
母の生家の墓地。大好きだったおばあちゃんや。 若くして亡くなった母の姉と弟が眠っている墓。
そのあまりにも荒れ果てたさまに愕然としてしまい。 これほどまでに打ち捨てられていたことが悲しかった。
けれどもそれは母のせいではないのだと思い知る。 道々に目を見張るほど群生する彼岸花。その道は。 かつて何度も通っているはずなのに。初めて見る。 秋のお彼岸にこの道を通ったことがない証だった。
近くの谷川から彼が何度も水を運んできてくれる。 墓石を撫でるように洗った。ごめんよごめんよって。 ひざまずき涙ぐみながら朽ちた落ち葉を拾い集める。
折りしも雷雨。「もう大丈夫、許してくれるさ」と。 彼の一言に救われたけれど。後ろ髪を引かれる思いで去る。
本当はおじいちゃんも一緒に来たがっていたのだった。 でもとても無理だとわかっていて「頼むよ」って言った。 そうしてすっかり弱った足で。エレベーターまで歩いて。 笑顔で手を振ってくれたのだった。いつだってそれが覚悟。 最後かもしれないと会うたびに思い。心が締め付けられる。
母に会わなければいけない朝。少し気重なまま仕事に行く。 報告すれば。母を責めてしまうことになるのだろうと思う。 それは恩着せがましく。いくら身内でもそれは出来なかった。
それなのに思いがけないことが待っていた。母も行ったのだ。 「誰かがお墓に花を供えてくれていてね。誰だろうね?」と。 開口一番にそう訊かれ。思わずどきっと心が焦り出してしまう。
そうしてその答えがわかるなり「ありがとうね」って微笑む。 照れくさくてならなかった。喜んでもらえるなんて思いもしない。
これが血というものかとはっとする。どんなに隔てようとしても。 それは真っ直ぐに繋がってくる。たくさんのわだかまりに苦悩し。 母を母として認めたくない時があまりにもあり過ぎたように思う。
けれども母なのだ。大好きだったおばあちゃんから生まれたこと。 その母が生んでくれたのが私なのだ。それは決して偽りではない。
つぎの秋。彼岸花の道を一緒に行けるのかもしれない。行こうと。 私が真っ直ぐにそう言えば。母はきっと満面の笑顔で微笑むことだろう。
2008年09月20日(土) |
どれほど季節が流れても |
海へ海へと願っていた台風が無事に通り過ぎてくれて。 昨日の午後から。すっかり夏の名残に満ちあふれている。
彼岸の入りの今日。空には入道雲。あたりには蝉しぐれ。 なんだかこれが夏の止めではあるまいかと少しせつなく。
そうしてあれやこれやが熱を帯びたまま醒め始めるのを感じた。 どうかしていたのだと思う。それはどうしようもできないことに。 似ている。もしかしたら意味があって与えられた夏だったのかも。 しれない。だとするともう少しで乗り越えられるそんな気がする。
いかなくちゃとおもう。歩み出すにはきっと今しかないのだと思う。
でもまたすぐに転んでしまうかもしれない。その時は許してあげたい。
昼間。めずらしくテレビばかり見ていて。声をあげて笑ってしまう。 笑い過ぎると涙が出ちゃう。涙腺っていったいどんな仕組みなのだろう。 不思議だけれど。笑い泣きっていうのはとても心身に良いものに思えた。
おかげでとてもいい感じのじぶんに会えた。清々しくて心地よいじぶん。
あしたは何年ぶりだろう。おばあちゃんのお墓参りに行ける事になった。 明後日がちょうど命日なので。今年はそれが叶ってほんとうに嬉しく思う。
そうして老人ホームでお世話になっているおじいちゃんにも会いに行ける。 司馬遼太郎の本をお土産に持って行くことにした。喜んでくれたらいいな。
遠いのに連れて行ってくれる彼に感謝。ガソリン満タンだぞって嬉しかった。
思い通りにいかないことばかりではない。こんなに恵まれていることを。 もっともっと感じなければと心から思う。これが『足るを知るは最上の富』
相田みつをなら『おかげさん』かな。うん・・おかげさまでこんなに幸せ。
春夏秋冬。どれほど季節が流れても。この気持ちだけは大切にしたいなと思う。
それが巡ってきてくれる。その真っ只中で生きていられることぐらい
ありがたいことはない。
台風がゆっくりと近づいているけれど。 いまは風もなく。ただしとしと雨の夜。
こころの中はすっかり台風になっていて。 明日は仕事に行けないな。行かないよと。 もう決めていてくつろいでいたのだけれど。
天気図を見たら。少し海よりのコースに変わっていた。 直撃はなさそうでほっとしながら。仕事は嫌だなと思う。
今朝もまた自転車のお遍路さんに会った。 昨日は雨に濡れながら国道を走っていて。 今日はちゃんと雨合羽を着ていてほっとする。 ちょうど峠道に差し掛かる山道でのことだった。
おなじお遍路さんに二度会えるのは嬉しいなと思う。 昨日は足摺岬を目指していたのだろう。そうして。 今朝はずいぶんと暗いうちから宿を出たのだと思う。
明日もそうして順調に旅立たせてあげたいものだ。 うん。だからなのだ。台風は海へ海へ行ってほしい。
そんなふうに願っていたら。ああじぶんいけないなあって。 たかが仕事ぐらいでぐずぐず言っていたらバチが当たりそう。
ふっと。私もいちどお遍路の旅に出てみたらどうだろうと思う。 きっとすぐにくたばるだろう。甘っちょろく弱音ばかり吐いて。 もう駄目。もう死にそうとか嘆いて。助けを呼んだりするかも。
おもしろいじゃないか。そういう目にとことんあわせてあげよう。
背中に重い荷物を括り付けてあげよう。携帯電話は取り上げよう。
わずかばかりのお金は持たせてあげても良いが。足らなくなったら。
どこででも野宿して。草を食べて歩いていくがいい。さあ行くのだ。
そうすれば。きっと見つかる。じぶんさがしの旅だったと気づくだろう。
いまは。いろんなことに迷い続けている。 信念のように思っていた事さえも揺らぎ続け。 自問自答の渦の中にどっぷりと浸かっているように思う。
わたしはもっともっとじぶんを知りたくてならない・・・。
雑草のような強さ。その根を包み込む土のあたたかさ。
そんなふうに生きたいと願っても願いきれないほどの日々がそこにある。
雨が降ったりやんだりなんとなくしゅんと 沈みそうなこころを。そっとそのままにして。
みていた。みられているなと感じるのだろう。 ものすごく悔しそうなかたちをしているけれど。 だからといってはむかってなどこない。じっと。
がまんしている。そこは逃げられない場所なのだ。
哀しいのでもない辛いのでもないというのに。 ないてしまいたい時がある。ないてしまえば。
どんなにからくになれるだろう。赤子みたいに。 お腹が空いたと泣き。お母さんどこ?と泣けば。 そうして生まれた時に泣いたことを思い出せば。
その瞬間から生きることを始められるのだと思う。
なんどだって言おう。哀しくなどない辛くもない。
ただ螺旋が巻けない。壊さないようにそっとおく。
そうしてやがて理解する。じぶんの在りかを確かめ。 信じたいのではなく。信じるのだという意志を思う。
このままでいいのだ。わたし以外の誰に私を止められようか・・・。
曇りのち。思いがけず青空にあえる。
昨日からの雨でしっとりと潤った山道を行く。 山肌からは羊歯が。まるで鳥か何かのように。 それはとても大群の姿で迫って来るのだった。
その迫力が好きだなと思う。追い詰められて。 しまいたいとさえ思う。どきどきと胸が鳴る。
ふたつ目の集落を過ぎると。道端に広がる稲田。 雀色であるはずのその田んぼに青々と萌える稲。 切り株から育った新芽が。まるで初夏のように。 そのしなやかさで伸び揺れているのが心地よい。
はっとする紅い花。もうそんな頃になったのか。 緑に寄り添う姿をはじめて見たような気がする。
死んだおばあちゃんがおしえてくれた毒のこと。 決して手折ってはいけないと真剣な目で言った。 もうすぐお彼岸だということに気づいた朝だった。
おばあちゃん会いにいくよ。今年こそ行くよって。 そうしたら。空にぽっかりと笑顔が浮かんでくる。
薄情な孫は。それでも情深くありたくて日々にあり。 授かった縁にしがみつくように生きようとしている。 愚かなのかもしれない。でもそれを失うことが怖く。 どんなにか細くなっても。それを手繰ることをする。
おばあちゃん。こんな私の生き方は間違っていますか?
重かった雲が。いつのまにか風に連れられて流れていく。
職場の庭には。紅く染まらぬ白い彼岸花がもう咲いていた。
しずくのような雨がここちよくふる。
雨音にこだまするように濡れた心で。
遠い日のことをずいぶんと思い出す。
記憶はいつか消えてなくなるなんて。
どうして信じることなどできようか。
日がな一日。そんな雨をありがたくうけとめて過ごす。 たしかに自分なのだけれど。じぶんではないような私。
やわらかなものがあふれるようにそこらじゅうに満ちている。 それがどんなにか求め過ぎたこころを救ってくれたことだろう。
じゅうぶんなのだと私は思う。身に余ることだとさえ思うのだった。
さあいこう。ここからまた歩もう。いけるところまでいこう。
いまはばくぜんとしながらそんなじぶんと向き合っている夜だった。
2008年09月14日(日) |
さあ静まれ。そうよしよし。 |
曇り日。午後からすこし薄日が射し蒸し暑さを感じる。
命の限りと蝉が鳴く。そんな夏の名残の声が愛しくもあった。
予定通り午前中は川仕事。漁場の準備がやっと終りほっとする。 今度は11月頃になるだろう。海苔網を張り真冬の寒さを待つばかり。
心地よい達成感と脱力。午後はまた読書をしながらのお昼寝予定だった。
開け放した窓から吹き抜けてくれるであろう風の囁きを願いつつ。 どうしたわけか。些細な物音に神経がぴりぴりと敏感になっていけない。
裏のお家の赤ちゃんの泣き声。お向かいの奥さんの甲高い話し声とか。 いつもはあまり気にならないことが。無性に気に障っていけなかった。
どうどうと馬を宥めているような気持ち。さあ静まれ。そうよしよし。
結局本も読めず眠ることも出来なくて。茶の間で寛いでいる彼に愚痴る。 そうしたら。「いちばんうるさいのはおまえだ!」と叱られてしまった。
一気にしゅんとして。しかたなく一緒にテレビを見る。つまらない番組。 でもちらちらと見ていたら。けっこう面白いのじゃないのになるから不思議。
私ってじぶんかってなんだなあってつくづく思う。 赤ちゃんごめんなさい。お向かいの奥さんごめんなさい。彼にもごめんなさい。
買物にも行かず。冷蔵庫にあるもので献立を考える。鶏肉と茄子があった。 どちらも油で揚げて。玉葱をたっぷりのせて南蛮漬けみたいにしてみた。
でもご飯が一人分しかなくて。もう今から炊けないやってパスタを湯がく。 チルド室に明太子があって良かった。サチコも私もパスタ大好きだもんな。
いまはサチコの帰りを待っている。その前に『篤姫』が始まっちゃうなあ。
窓の外。救急車がピーポーしている。裏の赤ちゃんが猫みたいな声で泣いてる。
2008年09月13日(土) |
我が家が空であるかのように。 |
晴れのちくもり。その晴れた空にうろこ雲を仰ぎ見る。
つかのまであっても。そうして空を見上げる瞬間が大切に思う。 不思議と『気』が真っ直ぐに流れてくれるような気がするのだった。
そんな気。いろんな気があって時には塞ぎ込む時もあるのだけれど。 じぶんのからだ。頭のてっぺんから足の先まで。流れるものが尊い。
今日も川仕事。しんどいけれど肉体労働が癖になるくらい好きだなと思う。 へとへとになりたくてならない。めちゃくちゃに痛みつけられるのが快感。 もっともっとって思っちゃう。わたしはもしや変態なのかもしれないなあ。
そんな労働も明日もうひとふんばりすれば。明後日はお休みになりそうだ。 そう聞くとそれはそれで嬉しかったりする。きっとどちらも好きなのだろう。
午後。例のごとくまたお昼寝。いちど横になると身体が言うことをきかない。 我ながら疲れやすくなったなあと思う。けれども怠け者を愉しむのも良し。
うとうとしていたら息子君の声がしたけれど。起き上がれずそのまま寝入る。 四時近くになりやっと起き出し。なんだか家中が静まり返っているのが不思議。 そっと茶の間をのぞいてみると。父親と一緒に息子君もソファで眠りこけていた。
日々の仕事に追われて。彼もずいぶんと疲れがたまっているのかもしれない。 それでも顔を見せに時々はこうして帰って来てくれる。我が子はありがたいものだ。
久しぶりに四人揃っての夕食。特にご馳走でもない質素な献立だったけれど。 息子君は今夜も喜んで食べてくれた。鯵の開きが美味しいと言ってくれて嬉しい。
そうしてお腹がいっぱいになると。また風のようになって帰って行ってしまう。 「今度は泊まれよ」と父親が声をかける。やはり息子とお酒を酌み交わしたいのだろう。
母は玄関まで見送ることもせずに。わざとみたいに忙しいふりをして「またね!」と言う。
風は吹き過ぎていくものだけれど。またかならず巡ってきてくれる。
吹きたいように吹いてくれたらそれでいい。我が家が空であるかのように。
2008年09月11日(木) |
風がしらせてくれたこと。 |
久しぶりに肉体労働をする。きもちいい。へとへとだけれど。 なんかこうどこもかもがすっきりといい。汗いっぱいかいて。
ふっと心地よい風を感じる。そうして見上げる空は秋の青だった。
白鷺がじっと水辺で佇んでいた。お魚が見つかったら動くのかな。 でもちっとも探しているふうには見えない。悠然として凛々しい。
一羽二羽。仲間みたいだけれど特に気にもとめない。それぞれが。 精一杯生きているのだろう。ここ好きだからここに居るそんな水辺。
にんげんもいっぱいいる。潮が引いた水辺のムツゴロウさんみたい。 やがて冬がやってくる。そのための準備に忙しい。せっせと頑張る。
いちねんって早いなあってつくづく思う。そのたびに巡ってくること。 そうして自然に恵まれること。今年もどうか順調にと誰しも願っている。
そんな労働の最中にいて。どこからともなくキンモクセイの香りがする。
手をとめてそのありかを探すけれど。周りには竹薮と葦が繁るばかりだった。
けれどもたしかなもの。風がしらせてくれたのかなあって嬉しかった。
くんくんくんと秋になる。わたしもいかなくてはならない。前へまえへ。
2008年09月10日(水) |
くるしくないようにしながら。 |
まあるくなっているものが。さらさらと流れていく。
けれども真っ直ぐではなくて。ときどきぶつかって。
まあるいのがちょっとへこむ。きにするもんかって。
またさらさら流れていく。息をすってすってふうっと。
くるしくないようにしながら。ゆっくりとまあるくなる。
ここはどこだろう?とふっと考える。
ここでいいのだろうか?と不安がる。
この川にはなんていろんなものが流れているのだろう。
とても信じたくないもの。つい目をつぶりたくなるもの。
それはよほど重いのか。どんぶらこどんぶらこと流れている。
わたしは海へたどり着きたいのだけれど。いけるかどうかは。
憧れみたいに遠くて。命みたいに儚くて。恋のようにせつない。
まあるくなっているものが。さらさらと流れていく。
その水の匂いをなんども確かめる。その温度さえも。
おそらくわたしは失うのがこわくてならないのだろう。
日々はよせてかえす波のようなものなのかもしれない。
今日は穏やかな波。なんとなくぽっかりと浮かんでいる自分を感じた。
上手く言葉には出来ないけれど。それが身構えないということかもしれない。
おそらく。ああしようこんなふうでいようと決めた時に身構えてしまうのだろう。
ふしぎだなあ。こころから微笑もうって昨夜いっぱい思ったばかりなのに。
ついつい忘れていてもちゃんと穏やかさのなかにいる。にっこりとしている。
むつかしいなあこころって。もっともっと向かい合って心の事を知りたいと思う。
桜紅葉(さくらもみじ)というらしい。今日は何度もそんな桜木に出会った。 昨日まで気づかなかったこと。そういえば去年だって気づかずにいたこと。
だからなのかよけいに新鮮に感じる。そうして葉桜が散っていくのだけれど。 なぜか新しい姿に思えてならない。ひとつひとつの葉がそれぞれの個性に染まる。
枯れたなどと誰にいえよう。それは風を待つ潔さの誇りのように美しいものだった。
仕事を終える。きもちよく終えて職場を出る。
きのう見つけたコスモスは。五つどころか十くらい咲いていた。
おばあちゃん今日は見えないなあ。けれども微笑みながら帰ることができた。
午後から曇り空だったせいか。夕暮れがとても早く感じた。 薄暗くなった庭で花に水をやる。そして少しだけ飼い犬と戯れる。
3日ぶりの仕事だった。案の定ゆううつでならないのを。 さあ行こう!と声を出して出掛ける。笑顔一番で行こう。
そうして好きでならない山道で。あたりの風景をたのしむ。 お遍路さんに会えたらいいなって思ったり。嬉しいことが。 この道にはいつも溢れている。緑があたたかい風は優しい。
けれども。
仕事に行くと必ずひとつくらいの嫌なことがある。 今日も笑顔でぼちぼちやろうって決めているのに。 がっくんと落ち込んでしまう自分が情けなくなる。
やはり常時身構えているのかな。 攻撃的なものを予感しているのかもしれない。
矢でも鉄砲でも持って来い!って粋がっているけど。 命中したら痛いんだ。かすり傷だって痛いものは痛い。
うむ・・自分は豆腐か。もう少し強くなって蒟蒻になりたいものだ。
ぷりぷりんとしてよくしなるこんにゃくになろうと決心したのであった。
でも今日はまだ豆腐。どうにも気分が優れず逃げ帰る木綿豆腐のよう。 明日は厚揚げぐらいにはなれそうな気がする。勇気を出して油に飛び込め。
職場の通路から県道に出る直前。ずいぶんと背高になったコスモスの陰に。 近所に住むお婆ちゃんが佇んでいた。腰を屈めて今日も草引きをしていたのか。
そうして私のクルマを見つけてくれたらしかった。腰を伸ばしてよっこらしょ。 にこにこ顔で微笑んでいる。なんて素敵な笑顔なのだろう。今日いちばんの笑顔。
嬉しくなって手を振ると。お婆ちゃんも嬉しそうにそれに応えてくれたのだった。
ようく見ると。そんなお婆ちゃんのすぐそばに。咲いたばかりのコスモスがふたつ。 明日はみっつ。ううん五つかもしれない。そう思うと明日が楽しみでならない。
木綿豆腐は思う。こころから微笑むこと。そうすればきっとみんなが微笑んでくれる。
厚揚げのままだっていい。今日のお婆ちゃんみたいに素敵に微笑むひとになろう。
2008年09月07日(日) |
海と語りあいたい日。 |
暦の上では『白露』大気が冷えて来て露ができ始める頃だということ。
けれども真夏のような一日だった。ただ風だけが急いでいるのかもしれない。
早朝。飼い犬の甘え声で目が覚める。くぃ〜んくぃ〜んと呼んでいる声。 どうやらおしっこを我慢しているらしく。仕方なく起きて朝の散歩に行く。
夜明け間近の空のなんと清々しいことだろう。早起きのトンビが飛んでいて。 立ち止まり空を仰いでいると。飼い犬も一緒になってそんな空を仰ぎ見る。
川風を浴びながらてくてく歩く。薄っすらと空が紅くなりもうすぐ夜明けだった。
起こしてくれてありがとうって思う。なんだか久しぶりに新鮮な朝をいただく。
独りで朝食。テレビで釣り番組をやっていて「おお!釣れたね〜」と独り言。 その後も無意識のうちにあれこれしゃべっていて。自分で可笑しくなって笑った。
やっと起きてきたサチコに絡みつくように話し掛け。ついには鬱陶しがられて撃沈。 「いってらっしゃい」と送り出したら。なんだかそこらじゅうが空っぽになった。
午前中に買物を済ませ。なんとなく波音が聴きたくなり近くの海へ行ってみる。 こんなに近いのにずいぶんと足が遠のいていた。いつだって待っていてくれる。 そんな場所が身近にあることが幸せだと思う。きらきらと眩しい海よありがとう。
海にあうといろんなことを思い出す。懐かしいことせつないこと胸が熱くなる。 あの日たしかにいたひとがもういない。いくど夏が来てそうして去っていったのか。
もどれないということ。それが感傷である前に事実だということをもっと感じよう。
波が押し寄せてきては遠のく。そうしてそれをなんどでもくりかえしてやまない。
わたしは溺れるわけにはいかない。泳ぐことだって苦手なのだから浮かぶしかない。
いつか砂浜に打ち上げられるだろう。砂に埋もれて眠るのもいい。そんな一生もいいな。
2008年09月06日(土) |
好きなようにしていていいのかな。 |
午前4時半に目覚ましをかけていたのだけれど。 必要なかったみたいに4時前から目が覚めてしまう。
なんだか修学旅行の朝みたいな気分だった。 彼が一泊二日で熊本に行く。私ではなくて彼の旅。
けれどもわたしも旅みたい。なんていうか不思議な開放感が満ちてきて。 家事なんかどうでもよくて。早朝から自室にこもりのほほんとしていた。
慌てなくてもいい。急がなくていい。好きなようにしていていいのかな。
明け方からの雨が。つい気まぐれで降ってしまったんだというように止む。 お隣の瓦屋根がきらきらと眩しくて。朝日がおはようとその声を届けてくれる。
お洗濯しようかな。掃除機もかけようかな。やはりそうして動かずにはいられない。
サチコが仕事に出掛ける。昨日の病院の結果はとりあえず様子見ということになった。 原因がわからないということは。病気なんかじゃないってことなのかもしれない。
私が心配をするとサチコが不安がる。だからもっともっとお気楽でありたい。
お昼前。階下には誰もいないはずなのに人の気配がした。ああ、お兄ちゃんだ。 ふたり差し向かって早目にお昼ご飯を食べる。昨夜の残り物で済まないけれど。 彼はほんとうに美味しそうに食べてくれる。「おかわり」その声が母は嬉しい。
そうしてお腹がいっぱいになったら。ろくに話しもせずに帰って行った。 とてもあっけない。サチコが太陽なら。お兄ちゃんは風のような我が子だった。
午後お昼寝。ぐっすりとはいかなくて何かを意識するようにうとうとするばかり。 なんだかいろんなことを考えているみたいな自分。ああもういいよそんなことはと思う。
午後3時。飼い犬と一緒に散歩に出掛ける。そうして野菊の花を見つけた。 猫じゃらしも。ススキの穂は若々しくそこにあり。風はすいっと心地よい。
ふれあってみなければわからないことがそこで待っていてくれる。 ためらわずにいたい。もっとうごきだしてみたい。うごけ。うごけ。
呪文のようにつぶやきながら。今夜も酒に溺れるのであろうか・・。
2008年09月04日(木) |
なんだかもう怖いものがなくなった。 |
裏の空地の柿の木に青い実が成る。
その木にいるのかツクツクボウシ。
日暮れ間近の西窓に薄く紅さす頃。
南の窓から空を仰げばそこは三日月。
穏やかさを抱きしめているようなひと時だった。 ありがたいことだ。このようにほっとしていられるなんて。
そうしてだんだん夜になる。なんだかもう怖いものがなくなった。 気がする。うん何事も気の持ちようだと思う。この気を愛しもう。
いつものようにサチコの帰りを待っている。 昨夜はポニョの歌に合わせて創作ダンスを見せてあげた。 そうしたら思いのほかウケてくれて。お腹を抱えて笑ってくれた。 今夜も同じダンスじゃ駄目かな。う〜んどんな踊りがいいかなあ。
明日は三度目の病院。今度こそ大丈夫って言ってもらえそうな気がする。 病院はとても空気が重くって。ふたりともひどくぐったりとしてしまう。 「お母さん大丈夫?」っていっつも気遣ってくれるサチコ。ありがとう。
明日もふたりで頑張ろう。お母さんも余裕で耐えてみせるけんね。
母さんね。サチコに謝らなくてはいけないことがある。 サチコのことついつい日記に書いてしまったりするから・・・。 今回のことなんか特にそう。あるサイトで身近な人にまで公開してしまった。 みんな気遣ってくれて母さん有頂天になっていたのかもしれない。
でも嫌だね。母さんがサチコなら絶対に嫌だと・・後になって気づいたよ。 ありのままを書くって。どこまでもありのままじゃいけない時もあるんだ。
前に・・母さんがお世話になっていた病院の先生が言ってくれたこと思い出した。
「時にはベールを被りなさい」って。母さんそのことをすっかり忘れていたよ。
母さんね。でも書くことをどうしても止められない・・・。
だからね。自分にだけはベールを被せたくないっていま思っているよ。
サチコのこと守って。お兄ちゃんのことも守って。お父さんも守るから。
母さんにもしものことがあった時。約束どおり母さんのHPを覗いてください。
そうして。ああ母さんって。こんなに精一杯生きていたんだなあって。褒めて下さいね。
ああ・・もうすぐサチコが帰る時間だ。今夜の創作ダンスは。出たとこ勝負やね(笑)
2008年09月03日(水) |
わたしは空を見ていた。 |
もしかしたら晴れるかもしれない空を 願望とかいうのじゃなくて眺めていると。
ふしぎとこころがひろくなったような気がする朝だった。
いつまでもちまちま悩んでいるのじゃないよ。 些細なことに拘っている場合かよ。ばーかめ。
そのひろーいこころの私が。呆れ顔で笑ってくれる。
そうだなって素直に思う。もうそんな私のことをゆるしてあげよう。
なんだかながいトンネルの中をとぼとぼと歩いていた。 それはかつて確かに通った憶えのある道だった。もう二度と。 こんな道に迷い込むことはしないと。心に誓ったはずだった。
それなのに気がつけばまたそこにいる。なんて情けないことだろう。 悔しくてならない。苦しくてならない。自分の頬をぶってやりたい。
そうして一気に信念に似たものが崩れていく。その音を確かに聴いた。 拾い集めることなんてとうてい出来ない。そのことがとても悲しかった。
いま悲観したな。いまおまえは諦めたな。この愚か者め。ばかやろう!
怒鳴って抱きしめる。抱きしめては突き放す。泣きたければ勝手に泣け!
ああ泣くわ。泣けばいいんでしょ。そう言うおまえのことが大嫌いなんだ。
わたしは空を見ていた。この空にいったい何を求めようというのだろう。
重たい雲が流れてきたって。嘆くこともせずにその胸を差し出すことをする。
我慢しているのでもなく。苦労しているのでもない。ただそこに在る空。
消えることもしない。逃げることもしない。そこが空のあるべき場所だった。
2008年09月02日(火) |
白い星屑さん こんにちは |
その木に花は咲かず。されどその木が花になる。
そんな純白の花を見つける。蔦のように絡まり。
ひとつの木にしがみつくようにして咲いている。
春ならば野ばら。秋ならば何と名付ければよいのか。
その花の名をわたしは知らなかった。白い星屑さん。
なんだかそれがいい。そう呼ぼうと決めたのだった。
しがみつく絡みつく。どうしようもなく離れられない。
けれどもその木は嬉しそうだ。迷惑だなんてそんなこと。
勝手に決め付けてはいけない。誰にその木の心が解ろう。
白い星屑さん。なにも怖がらなくていいよ。大丈夫だよ。
生きて伸びて。やっとその木に絡まることが出来たのだもの。
だから自分を責めないで。もっともっと堂々としていていいよ。
みんな不安なんだ。みんな精一杯なんだ。みんな求めているんだよ。
2008年09月01日(月) |
この道を信じて歩んでいこう |
きょうから9月。空は相変わらずぐずついているのだけれど。 ときたま思い出したように。ふふふっと笑顔を見せてくれる。
そんな空に私も似ているのかもしれない。
ひどくこだわっているらしいことがあり。 自問自答や。叱咤激励が良い方向に迎えなくて。 ついついくよくよと思い詰めていたりしていた。
結局。こころから自分を愛してあげられない。 頼りなく不確かな自尊心に苦しむことになる。
けれども。そんな自分を見捨てるわけにはいかない。 語り合ってしかと見つめ合って。抱きしめてあげたい。
そんなふうにいまは思う。ずいぶんと歩いた。まだそこに道がある。
日常は。仮面のようでありながら。ささやかな喜びや楽しみに恵まれる。 ひどく追い詰められている心にも。救いのような言葉が届く時もあった。
このままじゃいけないのではなく。このままでいいのだと思えること。 ものすごく気になっていた人から。「元気です」と便りがとどくこと。
そうしてともに暮す家族のあたたかさ。笑顔ほどありがたいものはない。
あしたの空を思い煩うことなかれ。どんな日の空もそれがありのまま。
泣いたっていい。怒ったっていい。そんな空のしたの道を歩んでいこう。
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