ゆらゆら日記
風に吹かれてゆらゆらと気の向くままに生きていきたいもんです。

2007年12月29日(土) わたしの衣になった糸

いちねんを振り返りつつ。いちねんをたたむようしながら。
ずっと昔のいちねんのそのうえに。またひとつ重ねていく。

それは織物のようでもある。たてによこに日々があり時々。
思いがけず好きな色も浮かぶ。ああここ好きだなって思う。

いまだ未完成な布切れであっても。不器用な私にも出来る。
精一杯の織物なのかもしれない。まあこんなもんだろうと。

うなずきつつ。まだあるだろう日々が。かけがえのない糸だ。


それを纏っていけるのだと思うと。すこしわくわくとしてくる。
寸足らずかもしれないって思うと。ちょっと照れくさくもなる。

でもとっておきの衣になるだろう。えへんと胸張って私はいく。



ことしほど糸を頂いたことはなかった。ありがたい糸をいっぱい。

私にはもったいないほどの糸を。どんなにか嬉しかったことだろう。

じぶんひとりで糸は紡げないのだと思った。どんなに頑張ったって。

その糸は脆い。その糸は切れる。我儘で強情ですぐに絡む糸だから。

ずっと。ずっとそれでもいいと思ってた。自分ひとりで織るのだと。


いただいた糸はどれも。ひとのぬくもりのように柔らかでしなやか。

それでいてしっかりとつよい。そうして織った日々の優しさといえば。

頬ずりしたくなるほど愛しい。あの糸この糸が我が子のように思える。


織ったからには切れはしない。もう破れもしない。わたしの衣になった。



ありがとう糸。ありがとうみんな。この衣がわたしは大好きです。







2007年12月27日(木) 手折れない花の咲く道

寒椿なのだろうか。それは山茶花にも似ていて。

朝の道の民家の庭から。冬の景色を彩っている。

ふわふわっとした白い花びら。ふっと懐かしい。

あれは幼い頃に作った柔らかな紙の花のようだ。

きちんきちんと折りたたんで。真ん中をしばり。

一枚ずつそれをめくるように起こしていったら。

花になる。中指につけておっきな指輪みたいに。

髪にかざせば。みんなお姫様みたいになって遊ぶ。

踊ることだってする。歌うことだってする嬉しさ。



とおく遠く来てしまったというのに。花になる日。

山里の雀色の道に。咲く花は愛しいひとのように。

懐かしい。ふっと声が聴こえる。朝の光のなかに。

逢えないのではなかった。逢わなかったのだと思う。



手折れない花が。いまもそこに咲いているのだった。






仕事がすこうし気楽になる。随分とじたばたしていたらしい。
もういいやって今日は思った。なるようになるさって思ったら。
逃げる必要もない。急いで焦ってどこに行こうが勝手にしよう。

そこに川があるからといって泳がなくてもいい。

寒いし。風邪をひくから。なんとなく見ていることに決めた。





2007年12月25日(火) ただただぐっすり眠るのだろう

いつもの峠道をきょうも行く。行かなくちゃって思う。

そんな朝の気持ちは。晴れそこなった空みたいに憂鬱。


自分はとても急いている。はやくはやくといちにちを。

終わらせてしまって。解放されたいと思っているよう。

逃げたいのだなと気づく。それはあまり感心できない。


気をとりなおす。言うのは簡単。上手く出来ないのが。

現実。明日こそはと思う。夕暮れはもう雨の道だった。




さつまいものシチューが。ついに三日目となりにけり。
いくら好きでも作り過ぎだよってサチコにも言われた。
でも頑張ってやっつける。ご飯もおかずも食べないで。
げっぷげっぷするまで食べた。やっとお鍋がからっぽ。

おまけに別腹でクリスマスケーキも食べた。チョコの。
三等分したのを彼がお皿に入れようとして落っことした。
白菜のお漬物の中にぽたんと。それが可笑しくて大笑い。
私がしそうなことでも。彼だってすることが出来るのだ。

食器を洗って大きなお鍋も洗って。飼い犬の晩御飯どき。
彼女はいつだって私を待っていてくれる。はあはあって。
荒い息を吐きながら。興奮したように餌をおいしそうに。
食べてくれる。お尻のほうに雨がぽたぽた落ちている夜。

雨というだけで。なにも変わりはしないそんな平穏さを。

あたりまえのように平凡だと。言ってしまいそうになる。


茶の間からもれる灯りの下で。飼い犬はすぐに眠くなる。

明日こそはなんて夢にも思わず。ただただぐっすり眠るのだろう・・。




2007年12月23日(日) もういいかい。まぁだだよ。

まだ雨の滴が残る朝。雀たちがお祭りのようにはしゃいでいる。

ちゅちゅんとさ。そりゃそりゃって。もうすぐお神輿が出そう。

窓をいっぱいに開けて。そんな雀たちの姿を飽かずに眺めていた。


堤防の枯れ草が。水をいっぱいに吸ってすこし紅い。茜のように。

その道に。しゃりんしゃりんと鈴の音が聴こえる。お遍路さんが。

雨合羽の頭のところだけ背中にひょいっとして。通り過ぎていく。


その空にとんびが飛ぶ。ぐるりぐるりとそれは上手に空をまわる。

お陽さまのにおいがしてきて。雨雲が追いやられるように流れる。

もういいかい。もういいよ。そんなふうにして始まる日曜の朝だ。





いちにち。大掃除の真似事に精を出す。
今までもう何年も捨てられずにいた物など。
思いきる。手にとって懐かしいものもある。
でも。もう使うこともないだろうって思う。

そんなあれこれにありがとうって言ってさよなら。

だけど。どうしても捨てられないものもある。
兎さんと熊さんのカタチのおにぎり作り器というか。
ご飯を詰めてぎゅぎゅっと押したら。それが出来る。
子供たちが保育園時代。それをとても喜んでくれた。

彼に「アホか」と笑われる。そんなもんどうするんだと。
孫とか出来た時にまた使えるもんって言っとく。だって。

捨てたくない。どうしても捨てたくないものだってある。


そうしてきょうが暮れていく。

サチコの大好きな。さつまいものシチューを作った。



2007年12月22日(土) 冬至の夜に。ぼんやりと。きみを待つ。

冬至。雨の朝となりだんだんそれが嵐みたいに荒れる。

冷たい雨だ。けれども「いい雨」だと山里の人が言う。

春採れのブロッコリーの苗を。先日植えたのだそうだ。

からからの畑を潤す。山だって川だって雨を待っていた。



冬至。かぼちゃとか柚子とかをすっかり忘れて夜になる。

かぼちゃは好きではないと彼が言う。お風呂は入浴剤を。

いつも通りが良いと言う。晩御飯は味噌ラーメンにする。

えらく質素だなとは言わない。ぬくもるなあってよろこぶ。



雨がやっとあがったようだ。飼い犬が庭でやたら騒がしい。

数日前から迷い犬のような一匹がいて。夜になると家の灯りが。

恋しいのだろうか。空腹かもしれない犬が路地を彷徨っている。

どうにかしてあげたいと思うだけで。なにも出来ずにいる。



窓をすこしあけて。雨が残した水の匂う夜気をすってはいて。

サチコの帰りを待っている。すぐに味噌ラーメンを作ってあげよう。



2007年12月20日(木) 枯れすすき。ああ枯れすすき。枯れてもすき。

老いたすすきの姿を透けて。夕陽が紅く落ちてゆく。

しなやかにはもう風になびけなくなった。けれども。

そのぎくしゃくとしたからだを血のように染めつつ。

頭をたれてはひとを想う。この陽ではなかったかと。

なつかしくもあり。せつなくもあり。恋しいと想う。


すすきになりたい。ふと願いたくなり今日も暮れる。




朝いちでお皿を割る。投げたのではないのに勢いがついて。
おもいっきり床にそれが落ちた。むっつもななつもに割れた。

いつもなら。またやってしまったと笑いとばす私だけれど。
今朝はなんか嫌な気分。縁起悪いみたいですごい気になる。

実は昨夜も。いつものバドの練習中。手がすべってしまい。
今年買ったばかりの新しいラケットを駄目にしてしまった。
投げたのではないのに。なぜか勢いがついて手から離れた。

二度あることは三度あるっていうし。だからよけいに気になる。
そんな時は。早目に三つ目を作れば良いと。何か割ろうと思う。

けどすぐに思い直す。それもなんかもったいないなあって思う。
気にしない気にしない。でも対向車が突っ込んで来そうで怖い。

無事に職場へ着きほっとして。忙しくしているうちにもう忘れる。
ケロっとした気分で。今日も平穏だったなあってありがたいなって。

そうなんです。それはいつも忘れた頃にやって来るものなのです。

鼻歌で夕食の準備をしていると。お風呂場から悲鳴のような声が。
彼がすっぽんぽんで震えていた。そこはもうもうと湯煙のなかで。

お風呂の栓をしないまま。お湯出しスイッチを押したのはもち私。
私としたことが。いや私だからなのか。またやってしまった〜!


やっと三つに足りたと思うと。可笑しくなって愉快な日暮となった。

ようはドジです。ようは。そそっかしく慌て者のおんなひとりいます。


枯れすすき。ああ枯れすすき。枯れてもすき。



2007年12月17日(月) また明日ね。明日もきっと晴れるよ。

きりりっと寒い朝。雀色の田んぼが真っ白な霜に覆われていた。
いつのまにか裸んぼうになった銀杏の木を仰ぎつつ。今日も行く。

日めくりはもう17日。薄くなったその暦に少しはっとしながら。
この一年を思う。とてもとても駆け足だった。息切れがしそうに。

だけどもうここにいる。ここなんだなと思う。自分がそこにいる。

そう思うと不思議に。もしかしたらこれでいいのかもってちょっと。
ほっとする。颯爽と走ったあとは風の匂いが残る。心地良い匂いだ。



帰り道。年が明ければ91歳になる老女が。日課のお散歩の途中で。
小川に掛かる橋の欄干に手を載せ。にっこり川面を見つめている姿に。
会う。いつも可哀相になるくらいお嫁さんに叱られている老女だった。

だけどその姿はとてもほのぼのと映る。小さな川魚を見つけたのかも。
話し掛けているように見えた。平和だ。このうえなく平和な風が吹く。

「また明日ね」って心の声で伝える。

「明日も晴れるよ」って言ってあげたい。


そうして。それぞれの一日が暮れていく。

生きるって。生きているって仕合せな事だなって。つくづくと思った。

幸せはいつだって。仕合せてあげるものなのだ・・・。






2007年12月15日(土) かけがえのないもの

きょうも北風が強く寒いいちにち。

夜明け前。流れ星がいくつもいくつも見えたのだと言う。
夫君と愛犬の散歩道でのこと。ふたりはいつも早起きさんだ。

私は目覚めても。しばらくお布団のなかでぐずぐずしている。
5時20分くらいになってやっと起き出す。そして朝の支度。
お味噌汁や。卵焼きや。洗濯機をまわしながらコーヒーを飲む。

毎日がそうして。きちんきちんと計画されているかのように。
そういうのが平穏であり。乱すものが何ひとつないことが幸せ。



きょうは。ゆみちゃんのお葬式だった。
みんな。みんな。いっぱい泣いた日だった。

最後まで生きることを諦めなかったゆみちゃん。
出会ったひとみんなに。笑顔と元気を与え続けて。
今日ほど感謝の気持ちが沸き起こることはなかった。

悔しかったことだろう。もっと生きたかったことだろう。

だけど。きっとまた会える。みんながそう信じられた日だった。

縁というものは。そんなふうにかけがえのないものだと思う。


ざわざわとしていたこころが。やっとらくになった。

彼女からさずかった大切なことを。胸にしっかりと抱き。

これからの日々を。精一杯歩みたいと思う。




2007年12月13日(木) 泣いたらいかんやいか

寒気がまた。忘れてしまいそうだった日にやって来る。

北風がひゅるひゅると声を。なんだか遠い湖の底から。
それが生まれて来たかのように。濃紺の息を吐きつつ。

忘れてはくれるなと。懇願するようにそれが窓をたたく。



ひとがまた死んだ。とても言葉では言いあらわせない。
悲しみなのか衝撃なのかよくわからず。ざわざわと心が。
風に晒されている。寒い。ここしかもう居場所がないのか。


友達だったのかもしれない。けれどいつしか離れていったひと。
そのことがとても寂しかった。たぶん私が諦めてしまったのだろう。
どういえばいいのかわからない。複雑な気持ちが日に日につのった。


夏のはじめ。彼女が病気らしいと人伝に聞いたけれど。
心配性の私のせいで。彼女を不愉快な目にあわせてしまった。
知られたくなかったのだと言う。とにかくそっとしておいて欲しいと。
ごめんね・・ごめんね・・と謝らせるようなことを私がしてしまった。
いけないのは私なのに。私なのにと情けなくてどうしようもなかった。


秋のおわり。思いがけず。とある場所で彼女を見かける。
少し痩せていたけれど。親しい仲間たちと笑顔で語り合っていた。
彼女の笑い声は。くすくすってほんとうに楽しそうに笑うのだ。
好きだった。ずっと昔から。私は彼女の笑い声が好きでならなくて。

どんなにか名を呼びつつ。手をあげつつ。駆け寄って行きたかったか。

だけど。どうしてもそれをすることが出来なかった・・。すぐちかく。
けれど。遠いのだ。その遠さが見えない壁のように立ち塞がっていた。

その日。帰宅して泣いた。悔しくてならなくて泣いた。
なにが悔しいのかよくわからない。ひとって。どうしてって思うばかり。


数日後。仕事帰りにふっと。いつもはあまり行かない場所に立ち寄る。
そこで買い物をしていて。ぐうぜん彼女の姿を見つけたのだ。

目が合って。一瞬彼女が目を反らしたように思った。だけど駆け寄る。
謝らなくてはいけないことがいっぱいあった。どうしてもちゃんと。

そしたら。こらえようにも堪えられなくて。とうとう涙が溢れてくる。

うんうんと頷きながら。彼女は精一杯微笑んでくれている。
「泣かれんよ」「泣いたらいかんやいか」って私の肩をさすってくれた。

私は大丈夫よ。治療頑張ってきっと元気になるよって言ったのに。



きょう。死んだ・・・・。


入院先の病院から一時帰宅を許されたのは。
もう手の施しようが無かったからだと知った。


彼女は。自分が死ぬことを知っていて。

最後に私の肩をさすってくれたのだろうか・・・。


どんなにか不安で。どんなにか怖かったことだろうに・・・。


ありがとう。                ゆみちゃん。














2007年12月11日(火) かずし兄ちゃんへ

幼馴染でもある いとこ の命日だった。

一日中忘れていて。ついさっき思い出した。


かずし兄ちゃんごめんよ。

お葬式にも行けなかった。

すごいすごい悲しかったのに。

命日を忘れていてごめんよ。


ひとは。ある日とつぜん死んじゃうんだね。

わたしも。明日のことなんかわからないよ。


だから。もっともっと精一杯でいたいなあって。

ほんとはすごく怖い。ほんとはすごく不安だけど。


あした。ちゃんとあるよね。この道を行けばきっと。

まちがってなんかないよね。この道しかないよね。


かずし兄ちゃん。またきっと会おうね。

おにごっこしたり。かくれんぼしたり。

          きっとしようね。






2007年12月09日(日) まぶたの母のアゴが落ちた日

川辺にいると。鴨たちが群れをなして一斉に飛び立つのや。
水辺をすいっすいっと気持ちよさそうに泳いでいるすがた。

そしてどこからか猟銃の音がする。なんだかそういうのが。
すごく嫌だなと思う。追い掛け回して仕留めて得意顔なんて。

すごい嫌だけど。しかたないことなのかなって思うと悲しい。

私がそんなことをつい言ってしまうと。言っちゃ駄目だと。
彼がよく言う。鴨は。海苔の漁場を毎年荒らすのだそうだ。

うん。それは知っている。そのために鴨よけのオドシとか。
うちはそういうのはしないけど。している仲間もいるから。

だから。言っちゃいけないのだ。自然界と人間って・・・。

複雑だなってつくづくと思う。





昨日から。左目が痛くて。どうしてだろうって不安がっていたら。
今朝。鏡を見てびっくり。下まぶたがぷっくりと腫れて変な顔に。

どうやら『めーぼー』らしい。ものもらいって言うけど。なにか。
もらってしまったらしい。まあいいか・・もらったのだしと思う。

だけど。買い物に出掛けるのも憂鬱で。午後は炬燵で寝るばかり。
夕方になってしまい。目薬を買いがてらサニーマートまで行った。

すごいクルマ。すごいひと。ああ嫌だ嫌だと気分が沈んでしまう。

出来てるお惣菜と。安物のマグロを買う。そうだマグロどんぶり!
寿司酢のもとで。ちゃちゃっと寿司飯を作り。わさび醤油漬けの。
マグロをその上に載せ。味付け海苔を調理バサミでチョキントな。

うまいなあ!って彼が喜ぶ。どれどれって私も食べたら美味しくて。

アゴが落ちてしまいそうだった。サチコもきっと喜ぶだろうなあ!












2007年12月06日(木) コマネズミさんと尻尾な日

すこうし仕事がいそがしい。あっちもこっちも忙しい。

ついついコマネズミになる。自分の尻尾が好きらしい。

くるくるぐるぐる回ってる。止めてあげたいコマネズミ。


昨日から。また家業の川仕事が始まる。寒い朝だったけれど。
水中歩行をしていると。からだがぽかぽかと温まる。毛糸の。
帽子を被っていたけど。頭が火照ってきてむしりとるくらい。
ちょっとヒステリック。彼に散々笑われながら仕事をこなす。

養殖場に海苔網を広げる作業。緑の赤ちゃん海苔が可愛らしく。
網にしっかりしがみついている。今年も無事に育ってくれそう。

好きだなって思ってる。植物と同じなのだ。愛しいなって思う。


大急ぎでお昼ご飯をかき込んで。午後は山里の職場へと向かう。
ずっと閑古鳥が鳴いていたのに。12月になり急に忙しくなる。
ほったらかしに出来ないこと。自分にしか出来ないことがある。
そういうのきちんとしないと気がすまなくて。よけいに忙しい。

不機嫌にならないように。苛立ったりしないように気を静めて。
いるつもり。でも時たまそれが崩れそうになって。どうどうと。
お馬さんを宥めるみたいに。自分の胸をさすったりしてしまう。

自分次第だと思うのだ。自分が穏やかでさえいれば。まわりも。
みんな穏やかになる。気のせいかもしれないけどそんな気がする。

逃げるのじゃなくて。じゃあまた明日って言ってタイムカードを。
カチャンっと鳴らせて帰る。なんか清々しい。不思議といい気持ち。


そうだ今夜は。サチコが大好きな『とりの水炊き』にしようって。
家に帰り着いたら。お昼の汚れた食器をちゃんと洗ってくれていた。

「サチコちゃん大好き!」って言ったら。「お母さん大好き!」って。
しばしふたりで親子漫才みたいなのをしてふざけ合う。楽しい夕暮れ。

はふはふしながら水炊きの。最初から入れてあるおうどんを奪い合い。
温もるね〜おいしいね〜って。ほのぼのと満たされていくささやかな。

じかん。コマネズミはもう。尻尾を追い掛けなくてもいいのかな。うん。

尻尾よしっぽ。どうかぐっすりとおやすみなさいね。





2007年12月04日(火) ただいつも。見上げれば空。

冬らしく寒いいちにち。帰り道に見上げた茜空が。
動物園みたいに水族館みたいに見えるのが楽しい。

豚さんのお尻みたいなの。照れ屋さんのパンダ君や。
おっきな龍が頭をぐいっとしながら空を泳いでいる。


雲になりたいなって。とてもすごく思っていたころ。
あれからもうどれくらいの歳月がながれたのだろう。

おとなたちはみんな身勝手だって思った。嘘つきで。
抱きしめるふりをする。そして突き放すこともする。

そんなおとなになりたくはなかった。けれどなぜだか。
すすんでいった。どんどんいった。もう止まれなくて。

おとなになった。もうじゅんぶんと思えるくらい遠く。
いまはここにいて。時々はぽつねんとたたずみながら。

ひとに出逢って。ひとを想い。あたたかくすっぽりと。
毛布にくるまっているように。その優しさをおぼえた。

生まれ育ち歩む。いけるところまで歩む。そういうの。
与えられている道。ひかりの道やかげの道。交差点や。

並木道や。細道や。峠の道や。水辺の道や。鳥の声や。

どこまでなのかわからない。ただいつも見上げれば空。


ここにいる。いま生きている。これ以上の幸せはない。

それはきっと。この道でよかった。間違いではないと。

いう。ささやかなあかしなのかもしれない。うんそう。

もすこしいきます。きもちよくいきます。あっちへです。






ことしも無事に誕生日を迎えることが出来ました。

ありがたいことだと。つくづく思える今日という日です。






2007年12月01日(土) 忘れな草の芽のそばに

日向はぽかぽかとあったかい。庭にパンジーを植える。

そういえばはるか昔。すごく好きだなって想うひとに。

三色すみれだよって言ったら。違うこれはパンジーと。

どうしてもそれを三色すみれだと言ってくれなかった。

ふっと思い出す。あれは春だったのだろうか。いつの。


きょう。三色のすみれを植える。忘れな草の芽のそばに。




昼下がり。昨夜録画していたドラマを見ようとおもって。
茶の間のこたつにすっぽりしたけれど。どうしてだろう。
まったく録れていなかった。がっくりと残念でならない。

だからそのまま眠った。夢の中で息子君の声がきこえる。
ちょっと遊びに来たとか言って。二階に駆け上がる足音。

今朝。引き出しの整理をしていて見つけた10年前の写真。
髪型が変ちくりんだったので。ぷぷっと笑ったりしては。
専門学校の入学式。母とならんで撮った最後の写真かも。

こんな頃もあったんだなあって。いつだってそういつも。
そんな頃があった。歳月はまぶたに写る。重なって写る。


夕方ちかくなり。やっとむくっと起きだしてぼんやりと。
二階へあがっていくと。誰かが部屋にいるのでびっくり。
夢ではなかったのだ。息子君が居た。母はすこし照れ笑。


晩御飯の頃になり帰る。正月は仕事になるかもしれない。
大晦日に正月をしようかとか言って。またさっさと帰る。

昨夜作りすぎたカレーを温める。こんなに残っているのに。
タッパーに入れて持たせてあげたらよかった。あ〜あって。

母はすっかりあとのまつり。カレー大好きだったのになあ・・。


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