もう梅雨明けではないかと思うほど青空の日々が続いている。 きのうは最高気温が35度もあったそうだ。太陽は好きだけれど。 太陽は無邪気すぎて。空はときどき困惑したような顔をして見せる。
きのうとても反省したことがあった。 わたしはとても心配性だから。ときたまそんなこともあるのだけれど。 良かれと思った事が。ちっとも良くなくて。その反動がちょっと衝撃的だった。
過剰な心配というものが。相手にとってすごく負担になる時がある。 もし自分が相手の立場ならと。もっとよく考えて行動すればいいのだけれど。 咄嗟に突っ走ってしまうのが私の悪い癖だと思う。心配でならないということは。
信じていないことにもつながる。大丈夫だよってちゃんと言ってくれたのに。 大丈夫じゃないような気がしてならなかったのだ。少しでもチカラになりたい。 純粋に。ほんとうに純粋にそう思った。精一杯伝えられることを伝えたかった。
その気持ちはちゃんと届いたのだと思う。けれど相手が心から願っていることは。 誰にも詮索されたくない。話題にされるのも嫌だ。どうかそっとしておいて欲しい。
そう言われてはじめて気づく事がとても大きかった。もし自分が彼女ならばと。 やっと考える事が出来たのだ。それは私ほどそれを願うひとはないのではと思うほど。 ほんとうにそっとしておいて欲しい時がいっぱいいっぱいあったから。
そんな時の私は。ちいちゃな器の中だけれど。自分なりに何かと闘っていたくて。 自分で気づいて。自分のチカラでそこから歩みだそうと必死になって生きている。
そんな時に。うるさくノックをされたりしたらきっとたまらないだろう。 それはとても孤独だから嬉しくもある。けれど何かが壊れてしまいそうな不安もある。
壊したくはないのだ。だからどうしても鍵をかけてしまいたくなる。
そうして「だいじょうぶ」なのだ。誰が何と言おうと私は大丈夫って言えるのだ。
ごめんね・・って言わせてしまって。ほんとうにごめんね。
2007年06月28日(木) |
とぼとぼと歩くどこまでも歩く |
ツバメの『二番子』たちがそろそろ巣立ちそうだ。 今度は6羽が無事に育った。今回もやはり一羽が駄目だったけれど。 ほんとうにそれは仕方ないことだとやっとそう思えるようになった。
いまにも飛立ちそうなツバメの瞳は。とてもきらきらと光っている。 希望みたいな瞳をしている。それは夢ではなくてきっとそうだというふうで。
前途とか未来とか。いまはなにも考えられない。とにかく空へと向かうこころ。 ひともそうでありたいものだ。ひとはどうして途惑って悩んでばかりいるのだろう。
わたしもとにかく『とにかく』をおもいたい。 とにかくどうするべきであるか。とにかくなにを成すべきか。 だけど。その『とにかく』がとにかくけんとうもつかないから。
ため息をつく。ぐるぐるぐるぐるいろんなことが絡まってばかりでそこに在る。
きのうSさんとすこし語りあった。肩を並べることも出来ず顔さえも見えない。 けれど。なんだかその文字が声のように聴こえた。すごくすごく遠いけれど近く。 Sさんはほんとうに不思議なひとだなと思う。この上ないほどの親近感で満ちる。
『迂ヲ以テ直トナス』Sさんのとても好きな言葉だそうだ。
Sさんの迂がそうであるように。わたしの迂もとてつもなくはるかだと思う。 そこに行けばもしやあるかもしれないという確信も何もないはるかな道のり。
てくてくと行く。そうしてやがてすぐに。とぼとぼと歩くばかり。 朝がきて夜がきてまた朝がきて。そうして永遠に日々が続くわけではないのに。 いつだって明日を思う。明日が来ない訳はないと自分に言い聞かせてはまた歩く。
ほんとうはとても臆病なのだ。ほんとうはとても不安なのだ。 この道が間違いであるかもしれない。行き止まりかもしれない。この先は崖だ。
だけど空がある。この空が間違いであるはずは決してない。 信じているものがひとつだけあるとすれば。それはこの空だと胸をはって言おう。
もっともっと遠回りをしてもいいのかもしれない。 たとえ残された時間が。わずかしかないのだとしても。
行けるところまでわたしは行きたい。
きっとそこがわたしの。ほんとうの在りかではないだろうか・・・。
ほろ酔って夕陽を眺めている。久々のオレンジカルピスな空だ。 川風がそよそよと頬にふれる。気が遠くなるくらいそれが心地良い。
夕暮どきは。なんだかいちにちを折りたたむようでいて。いちにちが。 しわくちゃにならないように。それでいてそれを再び開こうとはしない。 過ぎ去った恋みたいなカタチをしている。たたんで重なるそれが日々なのかも。
しれない。
胃痛のおみやげを持ったまま家に帰る。すごくすごく苛立っていたのか。 帰り道の信号で右折の矢印が出たのに。前のクルマが進もうとしなかったから。 クラクションを二回も鳴らしてしまった。「ばかやろう!」って怒鳴ったりした。
家に帰るなり冷蔵庫を開けてビールを飲んだ。冷たくてとても美味しかった。 それからまくしたてるように愚痴をこぼした。そうか、そうかそれからどうした。
彼は。うんざりしないのだろうか?どうしていつもしっかりと聴いてくれるのだろう。 ありがたいひとだ。ほんとうにありがたいひとなのだなあってつくづく思う。
胃痛はすぐに治まる。ほんとうに嘘みたいに楽になってくれる。 ハイテンションで鰹のたたきを作る。山芋をすりおろして今夜はトロロご飯だ。 鼻歌は出るし玉葱を切っても涙も出ない。晩酌の本番は焼酎ロックがよろしい。
わたしはいつも酔っている。なんだかもうその時にはなにもかもが虚ろだけど。 ときどきは自分に絡む時もあって。本音とかもあるからしつこく書きたくもあって。
朝になって。ひどく焦ってしまう時がある。これは誰が書いたのか?と思う。 たまに詩みたいなものも書いてある時もあり。それは一刻を争うくらいマズイ。 消さなくちゃって思うのだ。だけどすでにもう。それがそこにちゃんとあるから。
わたしだったんだなあって。ゆるす。ゆるせばそれなりに愛しいものだ。
いまも。ほんとうはすごく虚ろだから。そのくせどんどん書いているから。
そんな私に会ってしまうひとに。ほんとうにすまないなあって詫びたいのだけれど。
このように無様で。このように支離滅裂で。このように愚かなわたしを。 見つけて欲しいと思う。それが私の本音であり。願いでもある。
私は綺麗でもなく美しくもない。わたしは優しくもありません。
だけど会いたいです。いちにちのおわりに。折りたたんで少し歪んでいるけれど。
重なろうとしているワタシにです。
梅雨のさなかの青空。立葵はその名を誇るかのように立っている。 しっかりと空に向かって。いくつもの蕾を我が子のように支えながら。 鮮やかに。いきいきと咲いている。それは本当にはっとするほど美しい花だ。
先日から。いやそれはほんとうはずっともっと前からかもしれないけれど。 私は例の青年のことでひどく悩んでいたのだと思う。喧嘩みたいな事があり。 その時あまりにも決定的なことを。彼にとっては衝撃的なことを告げたのに。
ちがいない。きっと彼は泣いただろう。悔しくてならなくて泣いただろう。 そう思うと。やはり私の確信というものは脆くなり。心がどんどん痛くなった。
そのくせこれくらいのことでへこたれるな。私になんか負けるんじゃないと。 すごくすごく願った。憎んでもいいから強く。つよく歩みだして欲しくてならない。
優しくしてあげたかった。宥めてあげたかった。ぎゅっとしてあげたいくらいに。 だけど。踏み出せないのはむしろ私であるかのように。私はもう限界に近くなり。
逃げてしまいたくなった。そんな自分がとても情けなくてならなかったけれど。 たくさんの葛藤や。たくさんの途惑いに。たくさんの涙が出るくらい辛くてならず。
とうとう昨日。救いを求めてしまった。彼女ならきっと受止めてくれると思った。 私はいつも彼に厳しかったけれど。彼女はほんとうにいつも彼に優しかったから。
「わかっているよ」と彼女は言ってくれた。すごくすごくわかっているからって。
「だいじょうぶ、わたしにまかせて」って。その言葉にどれほど救われたかしれない。
私のこころはずいぶんと楽になった。けれど彼が。彼こそが救われなければいけない。 私から受けたこの上なく痛いムチを。彼がその核心に触れたのかどうなのかさえ。 いまは何もわからないけれど。とにかく彼を楽にしてあげてくれることを願うばかり。
彼はいつまでも溶けてなくならない飴を欲しがっているのかもしれない。 人生は飴ばかりでなくてはならないと。もしかしたら思い込んでいるのかもしれない。
彼の主張する権利を私は尊重できずにいて。それを覆すことに臨んだのだろうか。 間違っていたのかもしれない。だけど飴ばかりの人生なんて在り得ないと私は思う。
彼は車椅子に頼らなくても歩けるのだ。右手が使えなくても強い左手があるのだ。 頑張り屋さんで負けず嫌いで。向上心は人並み以上にあり。いつだって挑戦者なのだ。
だからこそ自立出来る可能性がとてもおおきい。
そのおおきさに。私はかけている。彼の未来に私はあいたくてならない。
2007年06月23日(土) |
海へ。忘れない海へ。 |
友人の命日だった。8年前の今日のこと。
だけど今年もお墓参りに行かなかった。行けないというのがほんとなのだと思う。 すぐ近くだというのに躊躇してしまう。待っていてくれるといつも感じるのだけれど。
いかないのだ。気掛かりでならないのにいかないのだ。
彼の奥さんがとても喜んでくれて「いつもいつもありがとうね」って。 言ってくれた。ポットにブラックコーヒーを持って煙草に火を点けては。 その火をお線香みたいにしながら。彼としばらく語り合うのが好きだった。
だけど奥さんは。そのことをいろんなところでひとに話した。 興味本位なひともいる。それをとても尋常ではないと受け取るひともいる。 悪く考えれば。それがその奥さんのモクテキなのではあるまいかとも思う。 そんなふうに考えたくはないけれど。それがとても悲しかったのは事実だ。
うちの彼。夫くんも直にそれを聴いたのだそうだ。いきつけの喫茶店で。 もちろん彼はちゃんと知っていて。私がそうすることを咎めた事などなかった。 けれど。とてもとても嫌な気分になったのだそうだ。アナタノオクサンがみたいに。
だから咄嗟に彼は。そこで否定をしたのだそうだ。それは嘘だと言わんばかりに。 帰宅してそのいきさつを話しながら「それでよかったよな・・」と私に告げたのだ。
ひとは。ときどきはそうして途惑わなければならない。 良かれと思うことでも。やはり躊躇しなければならないのだろう・・・。
8年前。友人は病魔にひどく侵されては。それは窶れ果ててこの世を去った。 危篤状態に陥いる寸前に私は会うことが出来たけれど。もう殆ど意識はなく。 「何を言ってもわからないから」と。その時そばにいた奥さんはそう言った。
だけど何度か名を呼んでいると。彼がうめくように何かを呟いてくれたのだ。 そうして痩せ細り骨のようになった手で。私の手を確かに握り返してくれた。 それはたしかに。なにもわからないのじゃない。きっときっとわかってくれたのだ。
そしてとうとう彼が亡くなり。葬儀から何日か経ったある夜。 私は眠っていて。いきなり誰かに強く手を引っ張られて目を覚ました。 夢なんかじゃない。誰かがすごい力でぐいぐいと私の体ごと吸い込もうとしていた。
咄嗟に片方の手でそれを阻止しようと試みる。必死になって暗闇に手を伸ばす。 そしたら。そこにもうひとつの手があった。私の手首をしっかりと掴んでいる手。
その手は辛くなるほどか細くて。それでも力強く。それでも確かに生きている手。
私はその折れてしまいそうな指をひとつひとつほどくようにしながら。さけんだ。 「いやぁ!」と「やめてぇ!」と首をちぎれるほど横に振り続けてもがいた。
そしたら。すぅっと。ほんとうにそれは闇の中に溶けるみたいに消えてしまい。 その細い指は。じぶんから身をひくようにしながら遠ざかっていったのだった。
あくる日。彼の息子さんから報せがあった。 遺言どおり彼の骨を海に散骨したという知らせだった。
ずっと海が荒れていて。遅くなってしまったけど。やっと無事に済んだからって。
彼は海が大好きで。海の底の話しをよくしてくれた。 花みたいなサンゴのことや。真っ白な貝殻のことや。 魚と目が合って一緒に泳いだことや。それはどこまでも深くて蒼くて。
彼のお墓は。海だったんだ・・・・。
2007年06月21日(木) |
おねがい。かみさま。 |
ふと懐かしさをおぼえるくらい青空だった。空を海のように思う。 風を波のように思う。じぶんがそこにいて雲みたいに蟹みたいに進んでいく。 実感があった。どこまでなのかわからないけれど行けそうな気がしたのだった。
紫陽花の色をしたアガパンサスの花や。ハイビスカスみたいなノウゼンカズラや。 違うものだけれどそうだと信じてみたくもなった。自分じゃないけれど自分だと。 勘違いでもそれはいい。そんな思い違いをもっと。それでもいいと思えるように。
なりたい。
たとえば誰かが。いまそばにいて欲しいと願っているのだとしたら。 まっさきに駆けつけて行きたくてならない。とてもとても思いあがって。 私でなければいけないような理由なんて。すこしもはっきりしていなくても。
行きたい。
なりたい。
深くて暗い森の中の木漏れ日のように。
嵐のさなかの黒と灰色と風と雨のなかで。
ひと筋の光みたいな思いがけない陽射しになりたい。
いま。いかせて。
おねがいかみさま。
2007年06月19日(火) |
いるいるいるいると鳴くひと |
雨がときどきひどく降ってはやみ。雷も近くなったり遠くなったりだった。 そうしてときどきホトトギスの声する。そうしてカエルも負けずに鳴いた。
梅雨らしさのなかにそうしていると。ほんの少しは気が滅入るものだけれど。 なんだか。あれこれと思い煩うのも。雨にけむるようにぼんやりとしてくる。
それよりも紫陽花にこころひかれたり。草原のような田んぼにこころが向かう。 牧場では牛たちが牛舎から解き放される時間だった。雨に濡れる事など少しも。 苦にはならないふうで。お母さん牛に寄り添うように子牛が満足そうに草を食む。
ふと牛になりたくもある。わたしはとても欲張りだから猫にだってなりたくて。 鳥にだってなりたくて。お花にもなりたいし。道端の石ころや雑草にもなりたい。
みんなみんな傘をささない。たとえ雨に弱くても。傘など持っていないのだから。
そういうのがなんか好きだなって思う。『持たない』ということにだけれど。 それは。もしかしたら欲しいのかもしれない。でも持てないのではなくして。 持たないところが好きなのだ。あるいみそれは『いらない』とよく似ている。
そうしてわたしはまた考える。『いらない』についてふかくふかく思ってみる。 雨にけむったぼんやりのなかで。見つけたくてたまらないアノヒトの姿みたいに。
けっきょくなんだ。それはどんなに思っても『いらない』にはなれなかった。 いるいるいるいるの。それがどんな色なのか見分けのつかない混ざり合った絵。
その絵を破ってしまうことができない。その絵を燃やす事もできないのだった。
いるいるいるいると鳴く。わたしは鳥でもなく牛でもなく猫でもなく。 鳴くことすらできない花でも石ころでも雑草でもなかった・・・・・。
わたしは『ひと』だから。いるいるいるいるといつまでも鳴いていることだろう。
天気予報は雨だったけれど。お昼前になり思いがけなく青空が見え始めた。 洗濯物がって思うとそわそわ落ち着かなくなり。仕事中に彼に電話してみる。 そしたら「もうとっくに外に干したぜ」って。それがとても嬉しくてならなかった。 主夫というのには程遠いけれど。夫が家に居てくれるというのはありがたい事だ。
昨日の父の日はちょっとしょんぼりしていた。息子君たちが来てくれなかったので。 「忘れているんだな・・」とか。「あーあ・・」とか溜息をついたりしてちょっと。 子供みたいに拗ねているふうで。彼なりに父の日という日が楽しみだったようだ。
サチコとふたりで。それはけっこう優しくしてあげて慰めてあげたのだけれど。 もうすっかり夜になってしまったものだから。もういいやと不貞腐れてしまう。
そしたらちょうどその時、電話がかかって来たのだ。「忘れてないけんね」って。 仕事でいま帰ってきたところだから。近いうちに必ず行くけんお父によろしくと。
彼はそれですっかりご機嫌になる。そうか・・やっぱ仕事か、そうだろうなあって。
私はしみじみと思う。家族というものを。ずっと四人のまあるい輪だったことを。 ひとりが離れて行く。そしてまたもうひとつの輪を作る。寂しいとそれは言えずに。 時々はその輪を繋ぎ合わせては。もっとおおきなまあるい輪を成していくものだ。
一緒に暮らしていた頃は。父の日なんてそれほど大切な日ではなかったように思う。 たとえ忘れていてもどうってことなくて。笑い合ってごまかしたりもしたのだった。
彼のさびしさが手にとるようにわかる。父親も同じなんだなって思う母親の気持ちで。
子供の成長を望まない親などいない。羽ばたいてもなお成長を願うものだと思う。 そうして目を細めるようにしながら。まぶしい我が子達に会える喜びを感じるのだ。
そうして親は老いていく。生んで育ててこの目で心でそれを確信しながら老いていく。
それが親の『しあわせ』というものではないだろうか。
2007年06月16日(土) |
今夜こその願いを。星の見えない夜に。 |
なんかびみょうにせつないな・・なんかおかしいなあっておもっていたら。 やっぱアレだった。おんなって不思議だ。ブルーな湖に身を投げる宿命なのか。
昨日はちょっとあって。また例の青年とケンカをした。 電話だとまたきっと泣くだろうと思ってメールで少しやりあった。 私は。私だってすごく怒りたくなる時があるからそれはしょうがない。 だけど。あまりにも身勝手な返信が届いたので。それがすごく悲しかった。
かかわらなければいい。だけどどうしても関わらずにいられない。 ほんとうに悲しかったから。「悲しい」とまた返信をしたら。もうそれきりだった。
伝えたい事が伝わらない。そこにはなにか根本的なところで厚い壁のようなものが。 もしかしたら私のほうが間違ってその壁をよじ登ろうとしているのかもしれない。
そしてそこで必死になって。知らぬ間に壁に爪痕を残してしまったのかも。 しれない。ほんとうにわたしにはわからない。なにがよくてなにがいけないのか。
わたしの爪痕が。傷になったのなら。私は深く頭をたれて。ごめんねごめんねと。 何度だって謝ろう。だけど・・いまはそれがとても嫌なのだ。どうしても嫌なのだ。
しばらくはその青年に会うのがとてもこわい。出来れば会いたくないと思う。 だけど会えないと。とてつもなく鋭いキリみたいなものが私の心を刺し始める。
どうしているだろうか?落ち込んではいないだろうか?辛くはないだろうか?
救えるものなら。わたしのことをどんなに憎んだっていい。
憎んでくれたほうが。きっと楽だ・・・・。わたしをとことん嫌ってみなさい。
そしたらきみは。きっとこの先。自分のチカラだけを頼りに逞しく生きていける。
嫌いなさい。はやく。いまずぐに私を憎む事です。
2007年06月14日(木) |
元気にしていますか? |
やはりちゃんときてくれた梅雨。その声に自信がついたのか空はほっと雨模様。
グレイの世界もいいものだ。それはなんだか哀しみとせつなさの混ざり合った。 なんというかそれは。お別れの日の乾杯のあのカクテルのような味がするのだ。
仕事を終えて帰り道。ラジオから平井堅の『キャッチボール』が流れてきた。 それは父の日にそえてということだったけれど。父ではないひとの事を想った。
元気にしていますか?げんきですか?それは何度も・・きっとこれからだって。 わたしが投げられるただひとつのボールなのかもしれない。そのボールのことを。 それをこうしてぎゅっと握り締めていることを。わたしは忘れてはいけないのだ。
なんか・・これいじょう。今夜はもう。
もう。なにも言えない。
雨のにおいがする。夕方すこしだけぽろぽろとこぼれた。 今年は梅雨っていうのがないのかもしれないと思っていたけれど。 やはりそれはちゃんとあったほうがいい。いつもと違うのは不安だもの。
今日は萩の花が咲いているのを見つけた。たぶん山萩というのだろう。 緑ばかりが濃い山肌から。紫でもなく紅でもなくその中間の萩色が見えた。
それはずっと秋の色だと信じていたから。ふとそれがあやまちのように思った。 だけど確かに咲いていた。きっと夏に咲き始め秋までずっと山を彩ることだろう。
昨日。微笑みの練習をした。上手く出来るかどうか自信はまるでなかったけれど。 やらなくちゃってかなり思いつめていたから。とにかくそうしようと決めたのだ。
本格的に仕事に復帰してみると。どうしても拒絶反応みたいなのが生じてくる。 だから私はすごく不機嫌だったらしい。自覚はないけれど影響を敏感に感じる。
微笑まないひとには。誰も微笑もうとしないのだ。 苛立ってばかりのひとには。もっとするどい矢のようなモノが当たる。 痛い痛いと嘆いていると。こんどは身体にまで打撃がおそってくる。 私の場合は胃痛だった。それは家に帰るとすぐに治まる不思議な胃痛だった。
だから彼が。ちょっと同情もしてくれる彼が。昨日は魔の月曜日やねって。 なだめてもくれたのだけど。その魔の姿もカタチも私にはよくわからなかった。
とにかく魔がそこにいる。もしくは在るのだけれど。逃げるのは卑怯だと思う。 私は魔法使いではない。すこしは小悪魔だけれども。決して魔女ではない。
だからそこが。ほんとうは怖くてならない場所なのだ。
微笑みの練習は。ちょっとぎこちない。目元も口元も傷口が乾き始めたような。 無理をしなければもう少しでその傷口も治るのだろうに。だけどもしかしたら。
もともと傷などなかったのかもしれないでしょ。
もっとよく見て。これはとてもたいせつなことよ。
わたしのまわりには。傷ついたひとたちがいた。
みんな。みんな悲しそうな顔ばかりしていた。
それは私が毎日。がむしゃらに矢を射っていたからだ。
今日は。微笑みの本番だった。もう練習する必要などこれっぽっちもない。
明日も。これからだって。私は心から微笑むことがきっとできる。
さわやかに。このうえないほどすっきりとよく晴れる。
昨夜とてつもなく不気味な夢を見て。うなされていたようだった。 声にならない声。私の呻き声のほうが、その夢よりも恐ろしくあるらしい。
朝になれば笑い話になっている。けれど。どんな夢だったか話したくてならない。
彼が薄暗い所にいて。鎌よりも大きなそれはとても丈夫そうな刃物を研いでいた。 話し掛けても何も応えてはくれない。とにかくみるみる間にその刃が鋭く光った。
殺されるって思ったんだ。どうしてだかわからないけれど私が死ななければいけない。 その理由がそこに満ちていた。タスケテって言えない。逃げる事もデキナイ夢。
彼はとても可笑しそうに笑った。朝ご飯のお味噌汁をすすりながら沢庵をかじり。 私もすこしだけ笑った。だけどちょっと緊張していたのでトマトを床に落としたり。
そうして。あまりにも青い空で雲ひとつない空だったから嬉しくなって。 今日こそは何処かに出掛けようと彼に言ったら。待っていたようにウンと言う。
あてもなく西に行く。いつだってそう。彼はあまり目標を定めないひとだから。 そのほうが楽しいのだと言う。どこかに着くだろう。そこに行けばいいのだと言う。
愛媛県に入ると。すぐに真っ青に光り輝く朝の海が見えた。思わず歓声をあげる。 シャシン写真と私は騒ぐ。ほれほれここがいいぞとクルマを停めてくれるのだった。
合歓の木の花が咲いていた。海風にゆれている。まるで孔雀の赤ちゃんのようだ。 はあはあ感動しながらその絵を写す。だけど気になる。背中に視線を感じるのが。 駄目なのだ。私はなんて身勝手なのだろう。彼のおかげでそこに立っているのに。
また走り出す。そしてとうとう大洲市まで行ってしまった。 以前にも一度来た事があった。あの時は山の公園にツツジがいっぱい咲いていたっけ。
今日は市街地へ行ってみた。確か昭和の時代の懐かしい横丁があるのを思い出したから。
そこで彼はとても喜んだ。メンコやらプラモデルやら鉄腕アトムの人形や。 ビールなんかタライに氷を入れて冷してある。飲みたいなあって彼は言った。
私は彼の写真を撮った。なんだかとても眩しくて。目を細めながら彼を撮った。
彼はちいさな子供のように目を輝かして。ここに来れてほんとうに嬉しそうだった。
私はお母さんみたいに。彼の後ろ姿を。ずっとずっと追いかけて行った。
2007年06月05日(火) |
すっぽんぽんはまんまるい |
すっかりあたりが暮れてしまったころ。飛行機が上空を横切っているらしい。 エンジン音がなんだかうなっている。きもちよく飛んでいるはずなのになあ。 はらはらしながら聴いている。そうしてそれがだんだん遠くなる。南のほうだ。
そしてこんどはすぐ真下の方から。例のかいじゅうの声がする。 日曜日に。お母さんがお迎えに来てくれなかったらしい。忙しいのかな。
きゃっきゃっっとはしゃいでいる声がする。なんだか枕投げをしているみたい。 ふしぎなことに。この前かいじゅうのことをあれこれ書きなぐったりしてから。 あまりその声が気にならなくなった。なんだか自然だ。そよそよっと吹く風のよう。
むしろ聴こえなくなったら淋しいかなって思う。かいじゅうって呼んだりして。 ほんとにごめんね。なんてなまえなのかな?こんどちゃんとおしえてもらおう。
たぶんいまはとても穏やかだ。まんまるい。ずっとこんなふうでありたいと思う。 もしかしたら自分を撫でる事を忘れていたのかもしれない。疎かにしてはいけない。
じぶんで自分をちゃんと見てないと。じぶんはきっととんでもなくいけなくなるだろう。 ありのままがもちろん最適ではあるけれど。そのありのままを抱きしめてあげないと。
抱かれないありのままは。なんというか・・それはとてもいびつでイジケテいるから。
綺麗な衣に身を包みたい気持ちもすごくよくわかる。似合うかどうか気になるのだって。
だけど。時にはすっぽんぽんもいい。そのほうがずっと抱きしめてあげたくなるから。
2007年06月04日(月) |
無題としかいいようがない |
コスモスが咲いていた。どうして?なんで?とびっくりするくらい咲いていた。 あっちにもこっちにも。紫陽花とコスモスが並んで咲いているすがたなんて。 ながいこと生きているけど。はんまに初めて見た。だからちょっと感動している。
それなの今日は。かなりグチグチしたけん。いかんかった。反省や・・。
わたしは誰かに頼られたらすごい張り切ってしまうのである。 なんとかしてやろうと思う。少しでも役に立ちたいと思うのである。
もしや自分だけを頼ってくれたのかもってすぐに信じてしまうけん。 そしたらそれがそうじゃなくて。あのひとにもこのひとにもの現実とか。 そういうのがなんかけっこうショックだったりする。ふにゃふにゃって萎れる。
けど。まっいいかって思う。みんなの力を合わせたほうがきっと解決するから。 わたしひとりの考えとか。わたしひとりのチカラなんてたかが知れているもん。
けど。今日はたぶん虫の居所が悪かったのかもしれん。 「わたしはおりるけん」と言ってしまった。「もう関わりたくないけん」って。
だって。もうちゃんと道が見つかっているんだよ。なのにどうして人に尋ねる? どうして歩こうとしないんだ!甘えるにもほどがある。めそめそするんじゃない!
それはこころでいっぱい思った。面と向かっては言ってはいけないと考えながら。
だからほんとうはすごく後味が悪い。誰かを突き放すということは辛いことでもある。
でもそうしないと歩き出せないひとだっているんだ・・・。
晩御飯の時に。その話をいっぱいした。ビールと焼酎でぐでぐでしながら。 「おまえは何でもかんでも首を突っ込みすぎる」と彼が言う。 「どうしておまえがそこまでせんといかんがぞ」と彼が言う。
それはほんとうにもっともなことだ。関わらなければどんなに楽だろうか。 見て見ぬふりをして。聞こえないふりをして。逃げてしまえばどんなにか。
それでもひとにめぐりあう。いつだってひとにあいたくてたまらないから。
2007年06月02日(土) |
優しい雨にあいたくて |
どんよりと空は梅雨の頃のようであり。けれども瀬戸際のところで耐えているらしい。
そんな朝。どこかに出掛けてみるかと彼が言う。 そうだあそこがいい。愛媛の庭園だ。なんだっけあの花は、きっと今が見頃だぞ。
うん、そうねと頷きながら私はしゃべり始める。 去年の今頃だよ。『海猿』観に行ったの。ねえ憶えてる?イオンの店内ぐるぐるして。 あの日ってなんか楽しかったよね。蒸し暑い日でザルそば定食ふたりで食べたよね。
うんうんと彼もうなずく。そしたらちょうどその時。もう耐え切れずに雨が落ちてきた。
ほっとする。どうしてだかそのしゅんかん。わたしはほっとしてしまったのだった。
晴耕雨読っていうよね。ああうんと彼がうなずく。そこでぷつんとふたりが切れていく。
ひとつはきちんと折りたたんで捨てられた五月のカレンダーのよう。 もうひとつはくしゃくしゃに丸められたくずかごの。たぶん五月に違いない紙。
それは見た目にはとてもお互いを尊重しあって。ひとつのカゴに収まっている。
彼はお気に入りの座椅子に深く埋れるようにしながら。特にあてもなくテレビを観る。
私は読みかけの本をめくりながら。『かいじゅう』としばし闘っていた。 週末になるといつも隣家にやってくる怪獣ではなくカイジュウでもなくかいじゅうだ。
それはとても目のくりくりとした愛くるしいかいじゅうなのだけれど。彼女も実は。 別のカイジュウと闘っているのではないかと察する。奇声、嬌声、雄叫びなどなど。
そのほか彼女が得意なのは。ねこふんじゃったの連続50回演奏でもあった。 それが飽きたら。おもちゃの兵隊さんが鍵盤の上を足踏み鳴らしてどこまでも。 どこまでも行進して行くのだ。彼女はお昼寝をしない。とにかく彼女は勇ましい。
私はどうやらもう参っている。神経質ですこしばかりヒステリックでもある。
だけど怒ってはいない。なんとかして彼女を。かいじゅうを愛そうと努力する。 いつだったか窓と窓から彼女に微笑みかけてもみた。けれど彼女は微笑まずに。 あっかんべぇをすると思いっきり窓を閉めてしまったのだ。あれは悲しかった。
だけど決して傷ついてなどいない。彼女の週末がより楽しくあれと願ってもいる。
でも。もうほんとうに私は降参だった。私はいつも負けることを選んでしまう。
炬燵はもう片付けてもいい頃よね。ああうんと彼が頷くけれど。炬燵に足を入れる。 その電源オフの暗い空間は。それが炬燵だった記憶を微かにして、むしろ冷たい。
それが実はゆっくりと人肌のぬくもりになることが。心地良く思えてくるのだった。
六大学野球の早慶戦を観ながらうとうとする。佑ちゃんになったら起こしてねって。 寝言みたいにつぶやきながら。どこかわけのわからない世界に足を踏み入れていく。
そこには。かいじゅうがいない。雨はやまない。雨はどこまでも優しい雨になる。
トッテカケタカ。とってかけたかと鳴く鳥の声が聴こえてきて。 その鳥の名を忘れてしまったものだから。ネットで検索などしてみたところ。
一年前の自分の日記を見つけた。ほととぎすの声だったんだ。ありがとう私。
そうしてそこで発見した自分らしいじぶん。なんだかすごく気ままなじぶん。 懐かしいような。恋しいような。書くということにちっとも拘っていなくて。
ふっと大切なことに気付いたように思った。私はもしかしてプライドみたいな。 なくてもいいものに執着していたのでないか。このいちねんでそれが育ってしまい。
生真面目に。綺麗に。なんとか文章を書き上げようと日々そればかりにあがいて。 脱線を恐れていたのに違いない。こんな駄文なんか。こんなもの私らしくないと。
それこそがちっぽけなプライドというものだ。今こそ思い知りなさいわたし!!
初心にかえろうと思う。いや、むしろかえりたくてたまらない。
酔っ払ってへろへろしたり。愚痴も言ったり。泣き言も言ったりしたいのだ。
ありのままのじぶん。いまいちばんあいたいのは。他の誰でもない『わたし』
あってくれますか?ねえ・・わたし。
夕方。サチコがぜえぜえ言いながら柏島から帰って来た。 いきなり船で沖に出たそうだ。そしてほんのつかの間の呼吸の練習のあと。 重いボンベを背負って。後ろ向きに海にドボンしたのだそうだ。
鼻で息をしてはいけないのを。ついしてしまって泡がぶくぶく出たらしい。 サチコは一瞬パニックになったと言う。まるで過呼吸の時みたいだったらしく。 こんな海中に紙袋はないしと思うと、ますますパニックになったそうだ。
こわいよ。あれはほんとにこわいよと。それは切実な眼で一部始終を語ってくれた。
でもね。ほんのつかの間だったけれど、綺麗なサンゴが見れたらしい。 ちっちゃなお魚もいっぱいいたよって。その時の目はキラキラと嬉しそう。
だけど。もう二度と挑戦はしないと言う。母さんもやめといたほうがいいよとか。
うん・・母もこわいからそれはいい。海は好きだけど海はとてつもなく深いから。 ちょこっと夢を見ているだけがいい。サンゴのことやお魚のことや目に浮かべて。
サチコがやってくれたから。なんだか母もドボンしたような気持ちなんだ。
もう死ぬかと思ったって。そういうとこやっぱ似ているなって思う。
ありがとねサチコ。えらかったねサチコ。
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