従兄弟のお通夜からさっき帰って来たのだけれど。 なんだか平然とし過ぎている。あっけらかんとこれはどうしたことだろう。
かと思えば切羽詰ったような気分にもなり。今夜でなければいけないように思い。 サチコを自室に呼び入れては。『もしも母が死んだらの時』のメモを見せていた。
それを書いたのもついさっきで。明日にすればとサチコが笑って言ったのだけど。 明日では不安でならなかったから。とにかくすぐに書いておきたかったのだった。
お葬式に友達がひとりも来てくれなかったら寂しいでしょう。とか言いながら。 年に一度会うか会わないかの『友達』の自宅の電話番号。知らせたらきっと皆に。 伝えてくれるはずだった。どんなに遠くてもきっと駆けつけて来てくれると思う。
それからバド仲間。クラブのことを引き受けてくれるだろう信頼出来るふたりの。 電話番号。お葬式にも来てくれるかな。来てくれたらすごい嬉しいなあって思う。
そしてあのひと。サチコにはいつも話しているひとなのでサチコにしか頼めない。 携帯電話はいつ不通になるかわからないから。念のために自宅の電話番号も記す。 いつかはきっと会えるのかな。その時わたしは生きていてはいけないように思う。 お墓に来てくれたらいいな。やっとやっと会えたねっていっぱい微笑みたいなあ。
それからネットのお友達。迷ったけれどただひとりにした。私と同じ名前のひと。 彼女なら冷静に対処してくれると思う。追悼文とか書いてくれたらすごい嬉しい。
そしてここ『エンピツ』は。そのままログイン出来るからサチコが書いてねって。 みなさん今までありがとう。母は死にました。サチコ。ってきっと書いてねって。
言ったら。サチコがもうもう堪えきれない様子で笑い転げてどうしようもない。 母さん。その前にこのPCが死んじゃうよぅ!うむ・・確かに今にも死にそう。
それでも母はまくし立てる。母さんのリブにちゃんと餌をあげてね。 まきしむ君とちゃぺす君は飼い主がもういないから面倒見てあげてね。
それからミクシィはね。ここだからねっとマウスで矢印してぱっと開いて見せて。 やっぱここにも『死んだ』って書いておいてよね。お願いだよきっとだよサチコ。
へらへらへら。サチコはちっとも真面目じゃない。洗った髪をタオルでもじゃもじゃしつつ。 母がこんなに頼んでいるのに。はいはいはいと返事を連呼するのはよくないんだぞ。
しょうがないなあもう・・・。
大切なメモは。豆地蔵さんに預けておくことにした。
そっと手を合わす。「どうかたくさん生かせてください」と。
やはりどうしても。私はそう呟いていた。
2006年10月29日(日) |
夕暮には「ありがとう」 |
なんだかいろんなことがあったいちにちなのだけれど。 空も風も穏やかでいて。ぐるぐると回り始めた風車が。 きゅるっと軋んだ音をさせてのち。ゆっくりと静かになった。
朝は。まだ夜も明けぬ頃で。何かに突かれたようにはっと目覚める。 デジタル時計の薄ぼんやりとした灯りは。まだ午前四時を少し過ぎた頃だった。
日曜なんだって思い。また浅い眠りにつく。そしたらまた怖いような夢を見てしまう。 それはカラダが壁に吸い込まれる夢だった。「おとうさん、おとうさん」と彼を呼ぶ。 壁がザラザラしていてとても気持ちが悪かった。ほっぺのところが痛くてたまらない。
こんな時はいつもお父さんが助けてくれる。それは幼い頃からずっとそうだった。 そのお父さんがいまでは彼で。私が声を限りに呼んでいるのも彼にほかならない。 しかし呻き声らしかった。私はちゃんと「おとうさーん」と呼んでいるのに不思議だなと思う。
そして午前5時。まだ闇の中。家の電話がけたたましく鳴り始めてまたはっとする。 それは。彼の従兄弟が亡くなった知らせだった。四時を少し過ぎた頃だったらしい。
夜明けを待てず。とにかく大急ぎで駆けつけたが。その顔はもう白い布に覆われていた。 悲しみはいうまでもない。けれども漠然と突きあたるのは。またひとが死んだという事実だった。
そしていつもとかわらぬふうにあって夜が明ける。 お通夜は明日で。従兄弟はまだ仏さんではなく病人と同じなのだと皆そう言って。 それぞれが肩を落としつつそれぞれの家へと帰って来たのだった。
少し遅い朝食。食後のコーヒーは変らず。いつもと同じに洗濯機をまわす。 今日は甥っ子がバドミントンの大会に出るので。応援に行く約束をしていた。 毎回欠かさず私も参加している大会だったが。今回はなんとなく躊躇してしまい。 やはりやめておいてよかったのだなと思う。だけどとにかく約束は果たしたいものだ。
そうして出掛けようとしていた矢先のこと。また思いがけない知らせが入る。 甥っ子とペアを組んでいる子が急病で出られなくなったのだという。 このままでは棄権するしかなく。とても楽しみにしていた甥っ子が可哀相でならない。
私が行かなくちゃっと思った。その時大会本部からも助っ人求むの電話が入る。 大急ぎだった。スポーツバックをクルマに放り込んでぐんぐんと走って行った。
甥っ子は中学生なのだけれど。地元の中学校には通ってはいなかった。 不登校の子供達だけの学校があって。この春からずっとそこで勉強をしている。 おとなしく消極的で友達もいなかったのが。今ではその学校の人気者になっているらしい。
自信をつけさせてあげたかった。まだどうみても子供なのが大人ばかりの大会に出る。 初心者クラスとはいえ。対戦相手は地元の専門学校生ばかりで三試合を頑張った。 自分よりもずっと背の高い相手に。甥っ子は怖気もせずバシバシ打ち込んでいく。 全敗だったけれど。なんとも心地良い負け方で。えらいぞっていっぱい褒めてあげた。
夕暮れて。甥っ子が。玄関の戸を開けるでもなく庭先から声がして。
「おばちゃん 今日はありがとう」っておっきな声で叫ぶように言って。
照れくさそうに路地を走って帰って行った。
おばちゃんも「ありがとう」だよ。今日ってなんかすごくいい日になったんだよ。
今朝のこと。峠道にさしかかるすこし手前の山里で。一軒の民家に立ち寄る。 県道脇にクルマを停めて坂道をよいしょよいしょと。「おはようございまーす」 と。我ながら元気な声が出る。「ほーい」と応える声がトイレらしきところから。 聞こえてきて。そのドアの前でしばらく待っていた。なんだかくすくすと愉快な朝。
おじさんがズボンのチャックを上げながら慌てて出て来たので。朝からすみません。 どうもどうもと謝りながらいて。私のくすくすは止まらずそれが微笑みになった。
仕事がらみの用事を済まし。おっとっととつんのめりそうになりながら坂道を下る。
その坂を下りた所に『伊平さんの墓』と立て札があり。その草の中に古いお墓があった。 いつもは止まることもなく見過ごしてしまいそうな場所で。すぐ横の小さな祠は。 以前から気になってはいたのだけど。そこでクルマから降り立つ事などなかった。
伊平さんは。ずっと昔に巡礼の途中。この山里で病に倒れ亡くなった人のようだ。 その尊い亡骸を村人が手厚く葬り。ずっと今でも供養をしているとのことだった。
苔むして少し傾きかけてはいるけれど。そのお墓の周りは雑草が生い茂りもせず。 つい最近刈ったと思われる茅などが奥の竹やぶに横たわっているのなどを見ると。 やはりほっとする。なんぼか故郷へ帰りたかったであろうけれど。伊平さんはここで。 一生を終えたことを悔みはしないだろうとさえ思える。志しなかばではあるけれど。
死とは。もうこれが運命だともいえて。この山里で心安らかに眠る事が今は幸せだと思う。
私はただただ手を合わすことしか出来なかった。
しゃりん。しゃりんと。その時鈴の音が間近に聞こえ。はっとして振り向いてみると。 すぐ下の道を歩いてくるお遍路さんがいた。それはすごく不思議で。どうしてって。 それはこの道を通って来た私だから。途中で出会って追い越しているはずなのに。 いくら記憶を辿っても。今朝はまだひとりも出会ってはいないはずだったから。
その証拠に。この鈴の音。こんなに響く鈴の音はかつて聞いたことがないと思う。
しゃりんしゃりんと。ああなんとしても声をかけたいと強くつよく思ったけれど。 またもや小心者に成り下がり。情けないことにクルマに飛び乗り。先へ先へと。
その時。確かに彼を追い越してしまった・・・。
峠の空は今日は曇り空。ぼんやりとした心にだけは鈴の音がずっと響き渡っていた。
か細く。今にも消えてしまいそうな声で。鈴虫が鳴いている。 あちらからこちらからではなく。ただ独りの声は少しせつなく。
三日月の夜だから。そっとしておいてあげたくなるのだ。呼んでいる。 彼は誰かを待っている。今夜限りの声ならばどうか見つけてあげてよ。
私には夜風が似合う。少しひりりと。もう痛くなったこの風のことが。 私は好きで。少し窓を開けてみては招き入れている。きりりっとして。 なんだか澄み渡る。心のどこか一部分の。私の汚れが風になるのがいい。
今朝。思いがけず。それはそれは嬉しいメールが届いていた。 私はいつも不確かだったから。いつだって不安だったけれど。
書いていてよかったんだなと。このままで大丈夫なんだなって思った。 誰かを傷つける。誰かの気に障る。それがもっとも悲しいことだったから。
誰かがほっと微笑んでくれる。誰かがほんの少しでも元気になってくれる。 それが私の喜びであり。幸せなことだった。こんな私でも誰かの役に立てたら。 この上ない事のように思う。それがどんなに思い上がりでも。私は私の信念を。
折ってはいけないのだと思う。だから立つ。もう老い始めてもう枯れ始めて。 いるのかもしれないことに。誰よりも気付いているのが。わたしなのだから。
みじめな姿を晒すわけにはいかない。私はもっともっと精一杯生きていきたい。
若いひとは。懐かしくって。なんだかとても恋しくて愛しい我が子のようだった。 ああ。このひとは。私がかつて殺した子供。生きていればと死んだ子の歳を思う。
どうしたの?なにがあったの?私は無性に抱きしめたくなるのだったけれど・・。 それが私の身勝手だと充分過ぎるくらいわかっているから。執着しつつも距離を。 おかなければいけないことが。すごくすごく辛くてたまらないのだった。
書く。きっと読んでくれる。確信は時々揺らぐけれど。書く。
ねえ。一緒に空を見上げようよ。ほら。今日の夕陽はすごいすごい紅いね。
猫じゃらしのゆらゆらしているとこ。薄の穂の優しさ。野菊の愛らしさ。
みんなみんな。きみにあげたい。きみに見せてあげたいんだよ。
だから。書くね。死ぬまで書かせてね。
今朝もいつもの峠道。もうその頃なのか山茶花の花を見つけたのだった。 誰かが植えたというのではなくて。雑木林のあいだから白くやわらかく。 そっと静かに顔を覗かせていては。健気で愛らしく心がほっと和むのだった。
たしかめるようにうなずくように。また巡り来た季節を受止めていく。道は。 天へ天へと昇るように高く。登りつめた峠にはただただ真っ青な空が広がる。
まぶしい朝だった。ついさっきのこと川辺の道で光に満ちた川面に見たそれが。 今度は杉木立の雄大な山を照らしている。少しも不思議な事ではないはずなのに。 なぜか不思議に思えて。こんなふうに感動しては始まる朝がありがたいと思った。
ふっと。この道がなければ生きていけないようにさえ思える時がある。 朝の渋滞。信号待ち。自動車専用道路を時速90キロで突っ走ることなど。 わたしの朝にはふさわしくないのだと思う。もしずっとそんな道ならば。 たとえ道端に野菊が咲いていたとしても。私は気づかずに行ってしまうだろう。
だから。ほんとうにありがたい道だと思っている。
気分が。本日も良好でなにより。どうかどうかこのままそっと在りたいものだ。
2006年10月23日(月) |
心がけだよおっかさん |
目覚めるとかすかに雨の音。ひたりひたりと何かを忍ぶような水のおと。 私は薄っすらと寝汗をかいていたらしく。その身が欲しがるように窓を。 そっと開けて見ては。まだ夜の明けぬほの暗い庭の草花が濡れているのを。
撫でるように眺めていた。ゼラニウム。初雪かずら。レモンバーム。薔薇。 優しい雨というものはありがたいものだった。みんなみんな嬉しそうな朝。
そうしてまたゆっくりと日常が始まる。厚焼き卵とお味噌汁と大根菜の浅漬け。 軽く冗談も言い言いしては。彼がぷっと笑い出すのがたまらなく嬉しいのだった。
始めよければ終わりよしと。この頃は特にそう心がけているらしく。とにかく。 朝から愚痴など言わないことだ。しかめっ面をしないことだ。たとえ二日酔いでも。 イテテイテテ〜ヨと歌えるくらいに陽気であるのが。私の良いところだと思う。
一日は早いようで。実のところいろいろあったりするのが当たり前の事だった。 だからそうなんだ。当たり前のことにとやかく拘らないでいるのがとてもいい。 さらっとさらりと。この頃は私も成長したのだろうか。そのさらさらが上手くなった。
だけどちょっと猫かぶりもしてみる。どこかに穴を掘って大声で叫びたい時など。 にゃんともしょうない顔をしてすましているのだけれど。それもなかなか上手いのだ。
まあすこうしは自信過剰。自尊心などは多大なほどで。この先も生きると思う。
見過ごしてはなりませぬぞ。これは自分探しの永いながい旅であります!
いつもと同じ時刻に目覚めては。布団の中にいてNHKだったのだろうか。 落語をやっていて。虚ろな目と耳でなんともなしに聴いていると思いのほか。 それが面白く。早朝から大声で笑い転げてしまった。そんな日曜もよいもので。
夢見が悪く。どうしてあんな夢をみたのだろうと不安だったのも嘘のように思えた。
とうの昔に亡くなった叔父が。どうしても話しておきたいことがあると言って。 差し向かっているところに紙を広げ。漢詩のようなものを書き綴って見せたのだった。 意味がよく解らず。それはどんな詩なの?と問い返す間もなく。フラッシュして。 今度は数年前に亡くなった知人の息子さんと手に手を取って逃げ回っている場面だった。
ふたりはなぜか裸で。いったい何に追われているのか。なんだか薄暗い屋敷の中で。 とうとう追い詰められてしまって。そこは布団部屋のようなところだったけれど。 その彼が。「ここで待っていて。必ず迎えに来るから」と言い残し私の髪を撫でた。
だけど独りはすごく心細く怖くて。私は裸のままおもてに飛び出して行ったのだった。 そこは真昼で陽の光が眩しく。私は胸元を庇うようにしながら草むらに蹲っている。 そしたら左側から。なんと花魁行列がやって来た。鮮やかな着物の柄が次々と過ぎる。
私は叫んだ。どんな襤褸でもいい。何か着る物を分けて下さい。お願いですどうか。 そしてまたフラッシュ。私は誰かに捕まってしまったのだろうか。布団に寝かされ。 とうとう金縛りになった。まわりにたくさん誰かがいるけどその誰の顔も見えない。
枕もとに湯のみがおいてあるらしく誰かが水を注ぎ始めた。ひぃ!と叫び声を上げる。 その水の音は何とも言えず不気味で。一瞬頭をよぎったのは『死に水』という言葉だった。
やっとやっと目覚めて朝が来る。夢だとはわかっていたけれどあまりにもリアルで。 一晩中逃げ回っていたような疲れは免れようもなかったのだけれど・・・・。
朝の落語はとてもありがたかった。笑えるということは生きている証しのようだ。 気を取り直す事はいくらでも出来る。きっかけというものだってちゃんと在り得る。
日中はどこに出掛けるのも億劫で。ずっと家に引きこもっていたのだったが。 息子君から電話があった。「焼肉しようよ!」と。お肉も買って来てくれるそうだ。
おかげで今夜は家族5人となり。ビールはあっという間に4リットルもすすむ。 母のテンションはすっかりいつもと同じふうで。みんなを笑わせては喜ぶばかり。
もうだいじょうぶ。今夜はきっとぐっすり眠れる。
ありがとう。ありがとうね。
朝晩の肌寒さはこの頃のことだけれども。日中はまだ半袖で過ごしていられる。 紅葉にもまだ早い頃で。朝の道の銀杏の葉は緑濃くまぶしいほどに光っている。
つわぶきの花はといえば。あちらこちらでちいさな向日葵みたいに咲いていて。 岩のあいだからでもすくっと伸びるように咲く姿は。健気で可愛らしいものだった。
ラジオからは。沢田知可子の『会いたい』が流れていた。
約束したじゃない。あなた 約束したじゃない。会いたい・・・。 と一緒に歌えば。わたしのようなものでも。やはり胸に込みあげてくるものが。 あるというのだろうか。目頭が熱くなりほろほろっと涙がこぼれてくるのだった。
せつなさはいつだって海で。波のように押し寄せてはきては。のみ込まれるのを。 砂浜にいて冷たい水に足を浸しては。待つ。どうしようもなく待つ姿に似ている。
だけど吹っ切る。その踵を返す仕草が。わたしには私への裏切りでもあった。 もう浸らせはしない。戻させはしない。だからなのだ。私は行かなければならなかった。
時は薬であることのありがたさ。だけど良薬は口に苦しであるかのように。 無理に飲み下そうとすれば咳き込み苦しさに喘ぐ時もあるのだった・・・。
処方箋に忠実に。規則正しくきちきちと。そんなことを決め付けてはいけない。
もっともっと気ままでいて。
もっともっと。ありのままでいようと思っている。
朝の峠の道が。やはりたまらなく好きで。何度だって好きだと言うのだけれど。 いが栗がころりんと転がっているのを。おっとっとと踏まないように進んでは。
いちばん最初に見える民家などは。夜には梟の声が聞こえそうな山の真ん中で。 干されたばかりの洗濯物が暖簾のようにぶら下っているのが。なんかほっとする。 つい最近。その民家にちいさな子供がいるのを見つけたのでちょっと嬉しく思う。
赤いリュックのお遍路さんに会った。その軽やかな足取りほどありがたいものはなく。 おいちにっおいちにっと。今朝も元気をさずけてもらったのだった。どうもありがとう。
まあるい日。ふしぎにまあるくて。こんな日はつるつるしているのかもしれない。 棘とか針とかはいくら向かって来ても。無駄というか立つ瀬がないというのかも。 受止めるこころさえもなくて。悪戯っ子みたいに囃し立てることもするつもりなく。
何事も。つるつるっと滑り落ちていくのは。ちょっと客観的でちょっと愉快だった。 ちまちまとひとつひとつに。目くじら立てては些細なことに歯向かってみたり。 思うようにいかないのをひとのせいにしてみたり。我を通し続けようとしたり。
愚かな事は数えればきりがないほどあるのだった。反省はいくらでもしなさい。
おいちにっさんし。ごうろくななはち。
三角ならば。とにかく四角になるべきだ。
四角になったら。すこうしずつ角を捨てよう。
雨が近いのだろうかすこし曇り空。ぼんやりとして澄み切れない空気を。 雲間から優しい陽射しがこぼれてきてはつつみこむ。しろい白い午後だった。
職場のある山村に観光バスが来る。何事だろうと思っていたら。白装束の人達。 お遍路姿ではあるがなんとなく違和感がある。わいわいがやがやと声が聞こえる。
足摺岬のほうから来たようだった。どうやら次の札所まで歩いて行くらしくて。 15キロくらいだろうか。下り坂なのでそれほどは苦にならないのかなと思う。 ちょうど職場の前の食料品店の広い庭先で。その賑やかさについつい見とれていた。
「さあ!そろそろ行きましょう!」とひとりだけ黒い装束のひとが声をあげる。 そしたら今までおしゃべりに夢中だったお遍路さん達が。急に静かになっては。 なんだか真剣になって。きりっとした表情でみんな一斉に前を向いたのだった。
私はどきっとしてはっとした。もしかしたら心の中ではたかが観光遍路さんと。 見下すような思いがあったのかもしれない。だとしたらすぐに謝らなくてはと思う。
目指すという気持ち。達成しようという気持ちは。どんな状況であろうとも同じ。 ただひとり歩くのも。大勢で歩くのも。その道に何の変りがあろうと思ったのだった。
ただひとつきりの道。
仕事を終えて。私もその道を下って家路についた。
途中の牧場では。黒い子牛達がふたつ並んでお尻を向けては草を食んでいる。 その揺れている尻尾が可愛らしくて。ついつい顔がほころんでしまった。
私もゆっくり歩いて行けたらなと思う。
せいたかあわだち草がどんどん伸びて。その鮮やかな黄の群れには。 圧巻とするほどの植物の命を感じたりする。嫌う人は鼻をむずがり。 くしゃみをしては目を背けてしまうだろうが。私は決して嫌いではなかった。
小高い丘などに。ススキとそれと秋桜などが整列するように並んでいたりして。 思わず足を止めては仰ぎ見る。向こう側の空と重なりそれはまるで絵のようであった。
たんたんと仕事をこなす。昨日休んだせいだろうか今日は少し忙しかった。 あとからあとからすることがあるというのが。基本的には好きだと思える。 退屈で手持ち無沙汰なのがいちばん苦痛で。かといってトラブルが続くと。 またそれも苦痛なものだから身勝手なものである。思うようにいく日ばかり。 そうはいかない日があるから。日々というものは面白いものなのかもしれない。
いつものスーパーで冷凍食品が半額だった。から急いで行ったけれどもう品薄で。 大好きな唐揚げチキンがなかった。フライドポテトも枝豆もなくてちょっと残念。
それから。そうそう。さっきちょっとここのアクセス解析みたいなの見てたら。 『明星鉄板焼きそば』で検索して来たひとがいたので。なぬ?って愉快に思った。 書いた本人にはまるで心当たりがないのに。一気に4年前の日記に飛んで行った。
確かにそこに私がいた。楽しそうに書いていたんだなあって我ながら感心したのだ。
はははっ・・ってちょっと笑った。さっき。
窓辺の椅子に腰掛けて。ぼんやりとおもてを見ていた。夕暮間近のこと。 西の空は茜色には染まらずにいて。子供の頃に好きだったカルピスの。 たしかオレンジカルピスというのがあった。そんなふうな乳色の空に会う。
お隣りのおじさんが自転車で横切って行く。堤防の道の一直線上を絵のように。 まだ夏の日のままの姿で。半ズボンに白い靴下。野球帽を被り携帯ラジオを提げ。 散歩中の誰にともなく声をかけているのが。とても微笑ましく耳に届いて来るのだ。
秋のこの頃とはとても思えないような。やわらかな風が吹く。心地良い風が。 そうして何を急ぐのか陽がどんどんと暮れては。追い駆けられないこころに。 また夜が巡って来るのだった。約束のようなこと。あたりまえのようなこと。
昨日の後片付けが残っていて。今日は仕事を休ませてもらった。 なんとか午前中に終えることが出来た。大量の食器など納戸にしまう。
午後から少しお昼寝をする。ぐっすりとはいかずなんだか夢なのか現実なのか。 わからないような夢をみた。部屋がすごく揺れていたので地震かと思ったのが夢で。
目覚めて。ほっとしては熱いコーヒーを飲みつつ。いつもの日常を確かめるように。 洗濯物を取り入れたり。お隣りの庭の秋桜が散り始めているのにはっと切なかったり 犬小屋の前では。あんずが早くお散歩に行きたくて待ちかねているのに声をかけたり。
平穏であることがなによりだと思わずにいられなかった。
今夜はまた。例のごとくで。サチコの帰りを待っている母であった。
なんだか夏が。忘れ物でもあったのかしらと思うくらいに汗ばむ陽気。
早朝からてんてこまいしていた。家族総出で。いとこ達も手伝いに来てくれる。 「おねえさん」と呼ばれたり。「おかあさん」と呼ばれたり「みかさん」とも呼ばれ。 段取りよく手際よくとはなかなかに思うようにはいかず。みんなに頼るばかり。
11時にはもう住職さんが来てくれて。仏間には座りきれないほどの親戚の人。 廊下や台所までひとで溢れる。慌ててエプロンをはずし一番最後に焼香をした。
お昼前から始まった宴会は。えんえんと続き。最後のお客さんが腰をあげたのは。 もう夕方近くになっていた。赤ら顔の上機嫌でみんな満足そうに帰ってくれたのが。 なによりも嬉しく思う。そしてもっと嬉しかったのが仏さんではなかったろうか。
25年の歳月は。ながいようでありながら。すこしも遠い昔には思えなかった。 あの日まだ三歳になったばかりの息子は。出棺の時に大声で泣き叫んだことを。 うっすらながら憶えていて。ひとの死というものを。もう抱いてくれないことを。
子供心に知ったのだった。
よちよちと歩き始めたばかりだったサチコは。お祖父ちゃんの記憶さえないけれど。 ずっと仏壇に手をあわせてはおっきくなった。「もったい」って小さな手をあわす。
そうして授かることのなんと貴重なことかと思う。優しさや思いやりや何よりも。 命の尊さを。お祖父ちゃんはしっかりと天から。子供達を見守ってくれたのだと。
感謝のきもちがいっぱいに溢れてきた今日という日だった。
おじいちゃん。ほんとにほんとにありがとう!
夜になり。思いがけず雨が降り始めた。ひさしぶりに聞く雨の音だ。 なんだか心地良く沁みこんでくるのは。もしかしたら乾いていたのかも。 しれない。水を欲しがっていた草のような。枯れる寸前だったかもしれなくて。
慌しく。いつもとはかけ離れたような一日が。ふうはあと過ぎていったのだが。 ちょっと苦手だった。でもここをふんばろうと思っていて。憂鬱ではないけれど。
明日は我が家で法事。彼の父親が亡くなってからもう25年が経った事になる。 親戚がとても多いので。50人くらいの『お客』になりそうだ。もう慣れている。 どんとこいの気持ちなのだけれど。気ばかり急いてしまうのはどうしようもない。
いつもは寝室の日本間が仏間になった。花を活けお供えを添えお線香をたいた。 姑さんが般若心経を唱えるかたわらで。身内の家族は酒をくみかわす賑やかさ。 『宵法事』を今夜終える。とんとんとんとなるようになってほっと安堵している。
明日はもっと忙しい。早目に寝ろよと言われても。神経がすごく昂ぶっている。 とにかくいつものことが恋しく思う。つれづれに書いてほどほどに酔い潰れたい。
雨はさっきすごく激しくては。いまぴたりと静かになった。
濡れた夜風を招き入れては。うつろうつろのていであった。
いまか細く鳴いているのは誰だろう?鈴虫くんかな蟋蟀くんかな? 消え入りそう。どこなのかわからないけれど。どこか遠い闇のなか。
夜風がなんだか騒がしい。ざわざわとしているのが。なんか自分もで。 窓ガラスがことことして。胸騒ぎをおぼえる。なんだろう?これって。
深くはならずにいたいものだ。もっと浅くもっと軽くいまを突破したいものだ。
思うようにいかない。理由など探せなくて。ただただ気分が散っているのを。 宥めるためなのか。いつだって頼るのは酒で。それを阻止する心を持たない。
そうだ、ポッキーを齧ろう。かりかりぽりぽりポッキーを齧ろう。
ポッキーが折れてた。小袋の中で二分の一や三分の一になっていた。
指に熱でもあるのかな。すぐにチョコが溶けてしまう。ええい舐めちゃえ。
人差し指と中指を交互に舐めていたら。なんか愉快な夜みたいで楽しくなる。
ほんとはちゃんと書きたかった。ごめん。まだまだ散っているから。
散らしといて。
小紫の実の粒々の枝垂れ咲くのを。せつない色だと思い。愛おしくもあり。 峠道行けば。つわぶきの花が。陽の当たらぬ岩清水のそばでひっそりと咲く。
長い髪のおんな遍路さんが。なんだか苦しそうに立ち止まり。梢を見上げていた。 むしょうに声をかけたくてたまらないのに。はっとしながら追い越していくのが。
こころに痛く。行き過ぎればつかのまのこと。杉木立のうえは真っ青な空だった。
山里はまぶしいくらいの朝の光に満ちて。真正面からその光が降ってくるのを。 ひとつ残らず受止めたい気持ちでありながら。つつと零れ落ちていくのだった。 儚いとは決していうまい。我が身のほどはいかばかりか。もうじゅうぶんな光。
おかげさま。私は忘れてはいない。何度だってそう言い聞かせてあげたい。
もうじゅうぶん。たりないものなど。なにひとつ思い浮かばないでいる。
2006年10月11日(水) |
位置について。よういどん。 |
今日は南西の風。ここいらでは沖の風という。ほのかに海の匂いがする風。 そんな風のさなかで。山鳩の声がする。くっくうぼっぼぅ。くっくっぽう。
リズミカルで可愛らしくて好きだなと思う。姿は見つけられないのだけれど。 なんだか首をこくこくっと動かしているような。うんうんと頷いているような。
そんな窓辺にいると。すべてをつつみこむような穏やかさでぽつんといられて。 なんだっけ。なに考えていたんだっけと。少しばかりの物憂げもちょっと過去。
いつもの仕事を休ませてもらい。今日は家業の川仕事に出掛けた。 海苔養殖の網を漁場に張る仕事だった。水中歩行もなかなか面白いもので。 浮力にまかせってぷっかぷっかと川の中を右往左往するのが。ちょっと好き。 天職のように思う。どうか自然に恵まれますようにと願いながらの作業ほど。 遣り甲斐があるし。やってみないとわからないからとにかくやるというのが。 私はすごい好きなのだ。
夜は夜で。またいつものバドクラブで汗を流す。ちょっとハードなのがやはり。 私はたまらなく好きで。あとの疲れとかはあまり気にせず我武者羅に動くから。 案の定。帰宅するとどっと疲れが襲ってくる。その脱力が癖になる。そんな感じ。
そして今日いちにちのご褒美みたいに思って。お酒を頂いているのだけれど。
こころはとても新鮮で。なんだっていちから始められそうな気分でいられる。
よういどんだ。転んでもいいからへこたれてもいいから。また走り出したい。
ずっと青空でよかった。負けないようにって思う。 負けそうになったら雲になって。ぽかんぽかんと。 羊みたいなのや。くじらみたいなのになりたいな。
風まかせなのがいいなと思う。そういうのが好きだ。
ずっとどこかちょっと痛くて。日に日にそれが薄らいでいる。 だけど後ろ髪をひかれるような。それがいまだに残っている。
だとしたら。それが忘れてはいけないことの証しかもしれないのだが。 忘れずにいて前へと進むのは。なかなか思うようにいかないものだった。
記憶は消せない。それが当たり前なのだろうと。ちょっと観念している。
書いて確かめる。書いて思い出す。書いて戒める。書いて歩みだす。
書けなくなったら。死んだと同じだと思う・・・。
このごろ。なんだかむしょうに種をまきたい。
春に咲く花のことばかりを想っている。
すっかり陽が落ちた川辺の土手から。リズミカルな太鼓のような音がする。 ぽこんぽこんとそれはまるで月夜のタヌキさんの腹鼓のようにも聴こえる。
軽やかで陽気だった。なんの音だろう。誰が叩いているのだろうとずっと。 それはずいぶん前から。春も夏も夕暮れ時になると。聴こえてきていたから。 気になっていた。歩いて行ってそっと確かめてみようと思ったりもしていた。
それが先日。とても思いがけないところでその正体というか。それを見たのだ。 『シャンベ』という打楽器で。西アフリカなどで古くから伝わっているものらしい。
ネットのなかでそのひとに会った。ほんとに偶然にそのひとを見つけたのだ。 その『シャンベ』の写真の向こうがわは。確かにうちのすぐ近くの川辺だったから。 そしてもっと驚いたのは。そのひとがうちのすぐ裏隣に住んでいることだった。
子供の頃はよく遊びに来ていた。テレビゲームしに漫画読みにも来たりしては。 昨日のことのようにも思うけれど。もうあれから20年近く歳月が流れたらしい。
成長とともに遠ざかる。裏隣とはいえそれ以来会った記憶がなかった。 もう30歳になったらしい。なんぼか立派な青年になっていることだろう。
ネットのなかで再会するなんて。ほんとうに思ってもみなかったことだったから。 私の放ったコメントに。汗だらけの顔文字で応えてくれたことに。ほんの少し。 それがいけないことのように私には思えた。そっとしておいてあげればよかったと。
だけど気のせいだろうか。そのことがあってから今までよりももっと。 シャンベの音がよく聴こえるようになったように思う。
いつも楽しみに聴いていますって。伝えてよかったのかもしれないな。
陽気なおと。うなだれていてもついついからだが活きて来る。
それはとてもありがたいおとだった。
午後5時。西の空が紅に染まった。まるで緋鯉が泳いでいるかのようだった。 5分後。ちょっと目を離したのがいけなかったのか。緋鯉は姿を消してしまい。
そこには墨汁が飛び散って。そこにはちいさな子供が悪戯をしたような空がある。 そんなことがささいな嘆き。拘ればこだわるほどせつないものがまた落ちてくる。
寒露。冬鳥が渡り来て菊花が咲き。秋に鳴く虫が衰える頃だそうな。 飛翔するもの。咲誇るもの。衰えるものがあれど嘆くことはすまい。
こころに秋風などと。真に受ければどんどん吹かれてしまいそうなこの頃。
すくっと立って。よろけぬように。いっぽいっぽといかねばなるまい。
秋晴れというのだろう。真っ青な空はより高く。西からの風が心地良い。 お隣りの秋桜は庭いっぱいにあふれそうに咲き。洗濯物を干しながらいて。 ついつい微笑んでしまう。わずかばかりの切なさなど。この時はもうなく。
庭にうずくまるようにして草をひく。雑草とはいえ緑はいとおしいものだが。 その健気さを引きむしる行為は。ふと一瞬の決意に似て無心に手が動き始める。
犬小屋のそばの鉢植えを手入れしていると。例の如くあんずが甘ったれた声で。 閉め切ってある柵を右手だか右足だかで。ちょちょいと簡単に押しのけて来て。 私が後ろ向きならお尻を。前を向けば顔をなめようとして擦り寄って来るのだった。
「まぎらんといて」とは。邪魔しないでということなのだが。聞く耳を持たない。 「無視せんといてよ」と言えない彼女は。ひたすら鳴くことでそれを伝えてくる。 くぅくぅとしつこいくらいに鳴く。それはもはや根比べのようでありながらも。
とうとうヒステリックな荒い声で。箒でひっぱたかれるのは酷いことでもあった。 犬小屋に走り込んだあんずは。それはそれは恨めしそうな顔で私を見つめている。
もうすでに老犬だった。ひとの歳ならば70歳に近い頃だろうと思う。 恋さえもさせず子も産ませず。朝夕の散歩だけが楽しみの柵の中の暮らし。 不服も言えず怒ることもせず。そのうえたまの甘えさえも叱られるばかり。
そして今日は。年甲斐もない落ち着きのなさを詰られてしまったのだった。 まったくもうとそれを告げ口しているのは。紛れもなく母親らしきひとである。
父親らしきひとは。ああまたおまえたちかと。なぜかそこでも微笑んでみせて。
「犬だからさ」と言う。
その一言ほど身に頷ける一言はないくらい。はっと我に返ったわたしだった。
この先もっと老いていく。私の十年が彼女の一年になりどんどんとすすむ。 甘えたくてはしゃぎたくて。たまにはぎゅっと抱いてほしいくらい寂しくて。
閉ざされた柵のなか。そこが彼女の唯一の安住の地なのかもしれなかった。
彼女は。ずっと犬だから・・。
わたしは。ずっとおんなだから・・。
十五夜のお月さま。風が強く雲がぐんぐんと流れていくのが。 なんだか月が走り出したかのように見えて。地に立つ自分も。 ふらりっと傾くようにしながら夜空を仰いでいた。ぐるぐる。
待って待ってと声にならない声を。夜空に放ちながら。 ここは何処だろうと思う時が。時々はあってしまうものだ。
昨日からの胸の苦しさは。何かが胸につかえたような痛さで。 こくこくと時をありがたい薬に思い。それが和らぐのを待った。 しかし夜空を仰ぐことなどすると。ついつい大阪の天気を思う。 おなじひとつの月を見ていて欲しいなどと願わずにいられなくなる。
あと少しの時が必要らしい。ただ一日のことなど永遠にしてしまいたい。 そしてきゅっときゅっと結んでしまおう。自ら解くことなどしないように。
なびくなよ。揺れるなよあたし。かたくなに拒めよ。泣くなよあたし。
昨日から雨が降ったりやんだりで。夏の名残がとうとうと冷めていく。 桜木のわずかばかりの葉も落ちて。もう冬ごもりなのかと思うほどの裸に。 ついこのまえこわいと思った紅の花さえも。いつのまにか朽ちてしまった。
そして炎のように群れて燃え咲く鶏頭の紅が。情愛のように咲いているのへ。 雨がひとしずくふたしずくと落ち。その情愛が罪であるかのように熱を冷ます。
今朝目覚めてすぐに手に取った携帯に。思いがけないメールが届いていた。 真夜中に届いたその一言に。今日はずっととらわれていて。胸が苦しかった。
昨夜すごく念じたせいかとも思う。豆地蔵さんに手を合わせながら。名をふと。 呼んでしまったからだと思う。いつもいつもこんなふうな偶然を装っては心が。 たぶん彷徨いながら相手に届いてしまうのだろうか。それがワカラナイナニモ。
郵便局へ行って。銀行に行って。傘もささず小走りに駆けては濡れて。
足りないんだと思う。もっともっと私は雨に打たれてしまいたかった・・。
うす曇りの日。にわかにぽつりと雨も降る。 そして金木犀の花が咲いたのを知る。 ああどこだろうと見つけたくなるその匂い。 何度めの秋だろうか。それはなぜか。 懐かしくて。ふっと遠い日へと私をいざなう。
行ってみたい。でもそこはとても遠い。
仕事。いっぽんの電話の声にまた冷静でなくなる。 知りませんわかりません!とついつい声を荒げてしまう。 まくしたてる相手の声がまるで石つぶてのように痛くて。 もういいかげんにして下さい!とがちゃんと切ってしまった。
自分なんだけど自分だと認めたくなくて。いつだって葛藤している。 ひらたくてのほほんとしていたいのに。どうして石を投げるんだと。 ついつい恨んでしまう。頭に血がのぼって。まっさかさまに落ちていく。
落ちてしまえば。悔むばかりで。そうしてしまったものはしかたないと。 自分を宥めるばかりなのだが。とてもとても後味が悪いものなのだ・・。
いつもの大橋を渡って帰宅。むしょうに夕陽にあいたかった。夕陽は。 落ちるけれどいつだってそれは希望で。あした昇るのを誓ってくれる。
灰色の雲の隙間からでも。せいいっぱい微笑んでくれるのがありがたい。 どんな日もあるよって。どんな時もあるよって。心をなでなでしてくれる。
あたしはちっともかんぺきではない。
悟りくさいこと言って偉そうにしてるけど。
ちっともちっともかんぺきなんかじゃないんだ・・。
うす紅の秋桜が秋の日の。なにげない陽だまり揺れている。っと。 ついつい十八番を口ずさんでしまったりして。ふふっとする午後。
ふふっは不思議なおまじないみたいで。ふふっはちょっとしたお薬。 張り詰めていたものが一気にゆるくなる。なあんだって思える瞬間。
ずっとずっと穏やかでいたい。ゆったりといろんなことを受止めて。 深く詮索することもなく。問い詰めることも。責めることも忘れて。
その難しさが壁なんだなって思う。だけどその壁を築いたのが自分。 自分で作っておいてそれを容易く壊せないのが。ひとというものなら。
私もひとなんだ。よかった鬼でなくて。もしかしたらすごく普通の人。 かもしれないな。そう思うとぜんぜん平気で。心がとても軽くなれる。
ふふっと。またしてみようかな。
ふふっと。できることから始めよう!
久しぶりに雨が降った。なんかちょっと濡れた。
彼の伯父さんが亡くなってしまって。今日はお葬式だった。 ひ孫さんがそれはそれはたくさんいて。小さな子供達が走り回る。 寂しさよりも悲しさよりも。微笑ましい姿の天使達にかこまれて。 伯父さんもにっこりと笑顔で旅立って行ったことだろう。安らかに。
そんなくうき。涙流したひともふっと。穏やかな空気のなかにいた。
今日はそんな日。多くを語ることはない。そう記しておきたい日だ。
残された者は。それぞれの人生を全うすることを今日に誓う。
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