2006年11月30日(木) |
口に出して言えないこと |
冬の桜並木もいいものだなと。ふっと今日は思った。
夕暮がすぐそこまで来ているのを。その枝の指先に似た影で捉えては。 かなぐりもせずまさぐりもせず凛とあり。風のためにと道を標してあげる。
とぼとぼとあてもなく。ひともその道を歩いて行きたくはないだろうか。 追い立てられもせず早くはやくと呼ばれもせずに。ただただ歩いてみたいと思う。
帰宅して豚汁を作る。もう最初からおうどんを二玉入れるのが我が家流で。 味見しながら日本酒をちびちび飲むのが私流である。だから鼻歌が似合う。
彼と差し向かう頃にはほろ酔いがよくて。小料理屋の女将さん風なのがよい。 男は不思議と心を開いてくれるものだ。なんか今夜はひと恋しくてさって感じで。 世間話もそこそこに。ついには本音もぽろりと出ると。女将はついつい優しい眼差し。
あと三年なのだそうだ。彼の生きる目標というのは。もうそこで仕方ないと言う。 それは彼の父親が亡くなった歳。実のところそれに深く拘っているらしくて弱気で。 なんだかすっかりもうそこまでと決めつけているのが哀れでもあり愛しくもあった。
おまえは俺より生きろよと言わんばかりで。励まされているような寂しいような。 その真剣な風をかわすようにしながら。またまたそんなこと言ってとお酌をしつつ。
ひしひしと何かが迫って来る。このところずっと感じている不安がまた起き上がる。 私だって死ぬ時が来れば死ぬ。それはいつなのか明日なのかもしれないと思うけれど。
言えない。
思い残すことがあまりにもあり過ぎて。焦って急いで走りそうになる私のそばで。 彼というひとはいつだって冷静に見える。もう充分なんだって口にする時もある。
もしや彼も言えないのではないか。
そう思うと矢も盾もたまらなくなって。真心や労わりや気遣いや優しさのことを。 ひとつひとつなぞるように心がけるようになる。それはほとんど無意識のうちに。
私は愛されているのかもしれず。たしかに愛しているらしかった。
やはり青空は愛しいものだった。濁流の名残りの大河さえ眩しく光に満ちていて。 水鳥が群れて飛ぶ空から天使のように舞い下りて来ては。浮かぶ川面に心が和む。
今日は。悲しいお弔いの日であった。 その庭にはくっきりと切り揃えられた山茶花の垣根に。激しかった雨のせいか。 桃色の花びらがまるで小道のように散り続いていては。胸に痛く儚なげであるばかり。
私たち夫婦にとっては恩人にほかならず。そのひとがいてくれたおかげで今がある。 ふたりには元同僚であり。夫にとってはよき先輩でもあったのだけど。 すぐ裏隣に住んでいながら。その恩にどれほど報えたのかと問うてみても。 あまりにも不義理を重ねてばかりだったと。今になり悔むばかりであった。
身近すぎたのかもしれないとも思う。朝に晩にすぐ近くに声を聞きながら。 それに慣れすぎて。それが当然のように思って。気がつけばながい歳月が流れた。
だからこそ最期の声も真っ直ぐに届いて来てくれたし。すぐに駆けつけることも出来た。 だけど。救ってあげることが出来なかった。あと2分早ければもしやと悔まれてならない。
ましてそのはかり知れない苦悩や。とことん追い詰められていたであろう心痛を思うと。 ただただいつも笑顔だったこと。気さくで明るくて朗らかだったことばかりが浮かんでくるのだ。
お棺にたくさんの花に埋れて。決して安らかとはいえない死顔はとても遣りきれなかったが。
とうとう永久の別れ。「お父さんほんとにありがとう。今までお世話になりました」と。 残された奥さんが涙声で告げたのだった・・・。
悲しみに勝ること。それが感謝でなくてなんだろうとつくづくと思ったことだった。
「ありがとう」「ありがとう」とふたり手をあわせて。私たちも彼と別れた。
どんよりと厚い雲が重く苦しいほどに。濁流の大河を渡りいつもの道をいく。
国道沿いに良心市があって。時々そこで旬の野菜を手に入れるのだけれど。 今朝は。ちょうどその市をしているおばちゃんが荷をおろしているところだった。 三輪車っていうのかな。大人用の自転車だけど三輪で後ろにおっきなカゴがある。
ほうれん草や。ブロッコリーや。朝採れの野菜は新鮮でとても瑞々しいものだ。 この前買った丸大根がとても柔らかくて美味しかったので。今朝もあるといいな。 そう思ってクルマを停めたのだけど。昨日の大雨で畑に入れなかったのだそうだ。
じゃあキャベツ買うね。ブロッコリーも買うねと。初対面のおばちゃんだけど。 無人の良心市っていうのは不思議なもので。どんなひとが野菜を育てているのか。 すごく知りたくて。ぜひ一度会ってみたいものだと思っていたから。今朝は嬉しくて。 やたらと親近感がわいてきたりするのだった。おばちゃんもそうだったのかもしれない。 すごく嬉しそうに微笑んでくれて。なんとおまけだと言ってさつま芋をくれたのだ。
ほのぼのと温かい気持ち。なんというかそれは。お芋さんをふかした時みたいなほこほこ。
今朝っていいなあってすごく思った。そうして銀杏のはらはらと散った道を進んで行く。
仕事中。こんどは自転車でやってきたお客さんのおばちゃんが大根を持って来てくれる。 私のふくらはぎぐらいある立派なので。「珍しいはないけんど食べてや」ってくれた。 私はジーパンを捲り上げて比べてみたりして。とてもとてもはしゃいでしまったのだ。
そうして午後。今度は「おもと売り」の商いの人がやって来た。島根の大根島から来たという。 おもとは『万年青』と書くだけあって。その緑は活き活きとしてなんとも鮮やかな青。 何種類もあるという万年青は。七色にガクの色が変るもの。赤と紫の可愛い実のもの。
出雲の神様が宿っているとか。こんなに縁起のいいものはないとかの売り言葉に。 とうとう負けて経費で二鉢買えば。もう一鉢おまけにつけてくれるというありがたさ。
実は今日。先月分の電気料を払わなければ。明日職場の電気を止められるのだったから。 ほんとうは万年青どころではないのを。ええいと笑って奮発してしまったのだった。
笑う角には福来るを。最近ではとことんそれになりきっていて。なんとかなるさと笑ってばかり。
そこへ。今度は農家のお客さんのおじさんが軽トラックでやって来る。 ぷ〜んといい香がするのは。手にいっぱいの柚子を持って来てくれたのだった。 レモン色によく熟れた柚子は。頬にきゅっと唇にきゅっとしたいほどの芳香を放っていた。 大根島のお姉さんにもおすそわけ。きっときっとまた来ますと笑顔で帰って行った。
今日っていいなあって。すごいすごい嬉しかった。ありがたいことがいっぱいだもの。
そしたら帰り際。今度はすぐご近所のお客さんが福島の柿だというのを持って来てくれる。 今年の地元の柿は悉く熟れる前に落ちてしまって。初物さえも知らずにいたので珍しく。 事務所の机の上に並べてもらった柿の艶やかな色が。なんだか懐かしい色に映ったほどだった。
ひとはみなこうして温かく。笑顔には笑顔が何倍にもなって返ってくるように思う。
くじけちゃいけない。福はいつだって思いがけない笑顔で会いに来てくれるものだから。
朝からまるで嵐のごとく。叩きつけるような雨と雷のいちにちだった。 夕方やっと静かになり西の空が薄っすらと明るくなって。そっと窓から。 真っ白な太陽が見えた。光もせずそのまるい不思議さに心がほっと息をする。
はりつめていたものが。ふわりっとそこから空へと飛んでいったように思えた。
昨夜すぐ近所でとても衝撃的なことがあり。家族みな気を落としつつ。 この世にはなんと計り知れないことがあるのだろうと。恐さや不安や嘆きや。 ひとの命の儚さをこれでもか。これでもかと思い知らされた出来事であった。 断末魔のような悲鳴が耳から離れない。なんとも痛ましいひとの死であったろうか・・。
気を取り直しつつ。それを語らぬふうに努めながらも。激しい雨の音さえ心に疼き。
命の尊さをつよくつよく思う。いちばん悔んでいるのは自ら命を絶った人に違いない。
2006年11月24日(金) |
もう決して逃げはしない |
恵みの雨が降り止まずにいて。銀杏の黄金色が蜜柑色に映されるのもよいもの。 灰色の空にも似合うものがあるのを見ると。心がほっと投げ出されたようになり。 冷たい雨の中。小走りにどこかあてもなく転がって行ってしまいそうで。はたと。
立ち止まる冷静に息をする。このままではいけないのではなくてこれでいいと。 思うときが。もっともっと。あるべきではないだろうか。ふとそんなふうに思った。
執念深い奴だなあと彼に呆れられたのは。若い仲間ふたりの婚礼についてであった。 ずっと自分の息子のように娘のように慕っていたのだけれど。前日までそれを知らず。 もちろん披露宴の招待状も届いてはいなかったことを。愚かにも私は嘆いたのだった。
彼は笑いながら。おまえもアホだなあと言い。若いもんにはそれなりの付き合いがあると。 おまえみたいなババアを誰が招待してくれるもんかと。ますます悲しい暴言を浴びせ。
だからと言って私は反論しなかったけれど。これはなんという寂しさだろうと思った。 そしてすごく納得したのは。このところずっと感じていた疎外感に他ならなかったのだが。
考えれば考えるほど。自分はそれほど煙たいのか。それほど邪魔者なのか。消えればいいのか。
いじいじめそめそ。こうなったら手がつけられず。片時もそればかりに拘ってしまうのだった。
その時ふっと思い出した笑顔があった。夏の日のことキャンプに誘ってくれた青年こと。 その前には飲み会にも呼んでくれて。少し遅れて行ったのを「こっち、こっち」と。 手招きで隣りの席に呼んでくれたのは彼女だった。あの時はほんとに嬉しかったなあ。
ここ数日。ずっとその笑顔を思い浮かべていて。それがどんなにありがたいことだったか。 それなのにどうして私はふたりを恨むような気持ちを抱きしめようとするのだろう。
ふたりが晴れて結ばれて。こんなに嬉しいことはないのに。こんなに祝福しているというのに。
伝えなくちゃってすごく思った。真っ直ぐにとにかく私はもっと素直になりたかった。
今夜またふたりに会えてほんとうに救われる気持ちで。お母さん嬉しいようって。 ちゃんと言えた。そしたら懐かしいような。愛しくてたまらない笑顔が返って来たのだ。
壁はあくまでも私自身ではあるまいか。くよくよと思い詰めてはそれを築いていたのは。
わたしなのだ。
ならばコツコツと少しずつでもいいではないか。その壁を壊してみるべきだ。
愛しいものから。もう私は決して逃げはしない。そう決めた今夜であった。
2006年11月23日(木) |
さあさあ。無礼講だよ。 |
二十四節季の『小雪』を境に降り始めた雨は。さすがに冬らしく冷たく感じるものの。 恵みの雨だと思えば軒下の鉢植えなど。かき上げては庭先で雨に打たせたりしていた。
我が町では『一条さん』と呼ばれる大祭の日でもあり。昔から決まったようにその日は。 木枯らしが吹き荒れては。霙まじりの雨が降ったりでついに冬の気配が濃くなる日でもある。
子供達が幼い頃はせがまれて参拝にも出掛けたが。もはやそれも遠い日の思い出となった。 出店で綿菓子を買ったり。鯛焼きを買ったり。玩具のひとつは必ず買ったりしたものだった。
昔な話をするときの夫婦は。なんともいえない郷愁に似ていて。穏やかな笑顔など。 微笑ましく。時の流れなどを愛しくも思い。懐かしさで胸がいっぱいになったりもする。
そうしてそれぞれの休日をする。夫はもはや自室となった茶の間でTVやらプレステやら。 妻はこれも恵まれた自室に篭り。エアコンで惜しみなく暖めては読書にふけるのであった。
夕暮て。今日もまた『おでん』にした。というのも『一条さん』といえばおでんで。 若き日同じ職場だったふたりには格別それが尊い思い出であるらしく。会社では。 その日は無礼講で。お客さんには振舞い酒をし大鍋でおでんをことこと煮ていながら。 その具が足らなくなると女子社員は近くのスーパーへ買いに走らされたものだった。
ガゾリンスタンドであるから。当然お客さんは皆クルマに乗って来ているのだけれど。 ガソリンを入れたら最後。そのまま真っ直ぐ帰れないのが『一条さん』なのであった。 常連さんはもちろんのこと。たまたま通りすがりでも容赦なく。ここで引き止められるのは。
今思えば大いに不謹慎でもあるのだけれど。それが土佐中村の無礼講であるものと言える。
町をあげての『一条さん』は商家民家を問わず。通り掛かれば皆古き友にもなり得。 昨日までは見ず知らずの人でさえ互いに肩を並べて。とにかく酒を酌み交わすのであった。
懐かしさを語ればきりがなく。今はそんな風習も悉く影を薄めてしまったのは寂しく。 よき時代だったと語り合うひとが。そばにいてくれるだけで心が和むものでもあった。
さて。ひと煮したおでんを台所のストーブに設え。あたりがすっかりおでんな匂いに満ち。 妻としては。まだ午後四時にも関わらず、純米しぼりたてと銘打つものなど喉から手が出て。
されどこっそりとはさすがに気が咎めるものだから。一応はお伺いを立ててみるのが道理。
すると茶の間でふんぞり返っている彼の言うことに。「今日は無礼講だぞ!」と。 見るともうすでに缶ビールを飲んでいるのであった。おっし、おっしそれはいい。
純米しぼりたては。冷やでくいっといくのがなかなかによいものであった。
なんと幸せなことだろうと。窓の外冷たい雨にゼラニウムの紅色も鮮やかに見え。
気がつけばどれほどの時を過ごしてきたものか。
すべてが思い出とは。なんとありがたいことだろうと思うのだった。
2006年11月21日(火) |
秋の蝶か。冬の蝶か。 |
蜘蛛の糸が花びらをいちまい攫って行った。
もちろんそんなつもりはなかったと思うけれど。 たまたま風が吹いてきて花びらが散ってしまったのらしい。
離れたところからそれを見つけて。珍しい蝶々がいると思った。 薄紫の蝶々はゆうらゆうらと揺れていて。とても遠くへは飛べないふうで。 誰かに操られているかのように不自然に。その場所を離れようとはしなかった。
とても不思議な光景だった。そして駆け寄って見ると透明な絹糸のごとくあり。 か細くもそれにしっかりとしがみつくようにして花びらは風に吹かれていたのだ。
野牡丹の花だという。夏から秋深くまで咲き続ける花だそうで。民家の軒下で。 もうすでに終わりの頃を迎えてしまったのだったが。木枯らしなどは哀しくて。 今日の優しい風をありがたく思いつつ。今にも切れてしまいそうな心もとなさは。
運命だとひとがいうようなことなのかもしれなかった。
蜘蛛はどこに行ったのやら。たぶんもうその糸のありかさえ思い出しもせずに。 花びらは。まさか最期に繋がることなど夢のように思っては。風の声を聞くばかり。
その時。まるで絵のように黄色な蝶々が飛んで来た。 そしてしばらく花びらの周りを舞って舞ってしながら。
陽だまりのなかへ。不安げにとびたっていった。
秋の蝶か。冬の蝶か。なんだかそれはとても儚い姿だった・・。
2006年11月20日(月) |
篭の鳥。一羽います。 |
雨あがりの朝のこと。何処からかそれはすぐ近くのようで見つけられず。 山鳩がしきりに鳴いている声が聞こえた。誰かを呼んでいるふうであり。
ふとたまらなく。せつなさがこみあげてくるのだった。
『逢いにきたのになぜ出て逢わぬ ぼくの呼ぶ声忘れたか あなたの呼ぶ声忘れはせぬが出るに出られぬ篭の鳥』鳥取春陽
浅学菲才の身ではあるが。なぜかこのうたは知っていて。 ずいぶんと昔。おそらく母ではなかったか。いや父だったのかもしれない。 幼い子供に『逢いたさ見たさに恐さを忘れ』とはよく教えたものだと思う。
おかげで19で篭の鳥とやらになってしまったではありませんか。父よ母よ。
一度は逃げてしまったけれど。またまた今も篭の中。とくに苦しゅうはありませんゆえ。 どうか安心して下さい。私はもうじゅうぶんに恐さを知っておりますから。
ここが好きです。ここ以外の何処がわたしの住処だというのでしょう。
子供を産みました。子供を育てました。子供がおとなになりました。 彼がすこし老いました。私も負けずに老いました。母はもっと老いました。 父はとうとう死にました。
どうしようもなく遥かに。時代が流れました・・・。
2006年11月17日(金) |
真紅の寒木瓜が咲いたよ |
初冬らしくあり日に日に朝晩冷えるようになった。
もう菊さえも枯れ始めてしまって。あたりは雀色のいちめんになりつつある頃。 先日の真紅の山茶花についで。今日はこれも真紅の寒木瓜の花を見つけた。
そのただいちりんの健気なことこのうえなく。葉もなく枝は冬枯れているのに。 今日を選んで咲いたかのようなその微笑には。陽だまりのやわらかな光がよく似合う。
職場の庭続きにおばあちゃんが住んでいて。血の繋がりこそない義理の仲とはいえ。 母の姑であるから。やはりながねん接していると気兼ねもなくなり身内のように感じる。
89歳の高齢でもあり認知症が進んでいるようでもあるが。畑仕事が大好きな彼女であった。 しかし。身近には畑がなく。それでも毎日鍬を提げて出掛ける場所というのがあり。 そこはなんと職場に隣接する廃車置き場で。いまは枯草が夥しく広がっているばかり。
そこでほぼ一日中彼女は。その枯草をひたすら夢中のように掘り起こしているのだった。 よほどの雨でも降らない限り休むことをしない。木枯らしのなかでもびくともせずに。
何かの種を蒔くのでもない。なにかを育てるわけでもない。時には石ころも拾っては。 顔は紅く上気し薄っすらと汗をかいている時もある。その姿を気遣い終に見兼ねては。 止めるとこれがもの凄い怒った顔をして。たちまち不機嫌になってしまうのだった。 好きなようにさせてあげようではないか。とうとう皆でそう決めたのであったけれど。
今日もお昼のサイレンに気付かぬふうで。何かにとり憑かれたような姿を見つけた。 止めれば怒るからと思えば躊躇もするが。さすがに気が咎め。何よりも憐れでならず。
駆け寄って行き。もうみんなお昼しているよとおしえてあげると。ふっと顔をあげ。 彼女はやっと空を見上げた。「おうおう、おてんとさまがお昼じゃねえ」と微笑む。
そうして少しふたりで肩を並べて歩くとき。その真紅の寒木瓜の咲いているのを見た。
「寒うなったに、この子は偉いのう」「ええ子じゃ ええ子じゃ」となんと嬉しそうな顔。
そうして「お昼もわからんような、わたしゃあボケの花じゃねえ」と声をたてて笑った。
そう。ただいちりんの真紅の花。その後ろ姿が家路に向かうのを見届けながら。
なんだか胸がいっぱいになり。ほろほろと涙がこぼれそうになった・・。
老いるとは。なんとせつないことだろう。
されど。老いるとはこんなにも優しく咲くことも出来るのだ。
2006年11月16日(木) |
風に吹かれていたい日 |
今日はすこしだけざわざわのいちにちだった。 だけどなんとなく肝が据わっている気配もあって。 わずかに成長したなのだろうか我が心根も逞しく。
こんな日の空ほど。つつと流れていくものであり。 とり残されては駆け足で進む道は石ころだらけに見えるものだ。
とある場所へ相談がてら。ほんとは抗議も半分で押しかけたのだけれど。 低姿勢でいるべきところをついつい声を荒げてしまったりで。なんだか。 もしかしたらこれが自分の真実の姿ではないかと思うと。オソロシかった。
観念しないさいと言わんばかりに。相手は自信に溢れていて。愚かにも私は。 同情を期待していたらしく。情け容赦ない様子にすっかり負けてしまったようだ。
もうすっかり決まっていることを覆そうとするのは。ほとんどこれがあがきでもある。 それでも勇気を振り絞り立ち向かって行ったけれど。法律は強し。人情は儚しだった。
私だって観念はする。反省もする。感謝だってちゃんとする。
「ありがとうございました」と深々と頭を下げると。その人がふっと呟くように。
「僕だって明日のことはわかりませんよ・・」と言った。
なるようになるのだから。いまがそのいちぶだとすればこれもなっているのだし。 すべてをじゅんちょうとなづけるのがよいなら。それがあるから進むことも出来る。
おもてに出ると。優しくはない風がひゅるひゅると声をあげて吹き荒れているのが。
なぜか心地良く。わたしはもっともっと風に吹かれていたいなと思った・・・。
2006年11月15日(水) |
希望だとすればまだ前途がある |
とうとうと冬枯れていく景色のなかにいて。空はくるしいほどに青く澄む。 薄茶の草原に草を食む子牛たちのいちばんちいさいのは真っ黒な牛であり。 耳に付けられた黄色の札にいく末を儚みつつも。そのあどけなさに心が和む。
国道へと向かう道筋の小川の流れる小高いところが私の帰り道で。例の栴檀や。 すっかり裸木の桜並木や。川辺のすすきは老いても風になびくことを忘れずにいて。
今日などは真紅の椿かと見間違うほど紅い山茶花を見つけた。毎年のことが。 なぜかどうしてかこの頃は心に沁みてならない。ひしひしと何かが迫るような。 この心もとなさを何と名付ければよいものか。とにかく何処だかに行かねばと思う。
歳を重ねるということは。もしや不安なのか。希望だとすれば前途がまだある。
父の命日だった。もう丸三年を経てしまったようだ。
あの日夕暮れて午後6時30分だったことを記憶している。 ふと父に電話してみようかなと思い時計を見たというのに。 まあ今日でなくてもいいかと。ついついそのまま明くる日になってしまった。
ほぼまるいちにち。父は誰にも見つけてもらえずに息絶えていたのだが。 死亡推定時刻は前日の夕刻。午後6時過ぎ頃と聞かされ。ただただ愕然とした。 それはひたすらの後悔であり。間際に父が私の名を呼んでくれた証に他ならなかった。
思い立つとき。それがふっとなにげなくであってもあやふやにしてはならない。 ひとは一瞬で失うものがあまりにも多く。その大切さを忘れてはならないと思う。
こうして時を経て今では。坂本龍馬の誕生日と命日と同じで。それが父らしくもあり。 サチコなどは。おじいちゃんってかっこいいねと言ってくれるくらいの父であった。
ひとのために身を滅ぼし。それでもひとを救うことを最後まで諦めずにいた父を。
わたしは尊敬してやまない。
信念をもって。つらぬくひとになりたいと強く思い続けている。
2006年11月14日(火) |
ちくたくちくたくぼーんぼーん |
天気予報は雨のち曇りだったけれど。その雨は天気雨だった。 ここいらでは日和雨ともいう。そういえば狐の嫁入りともいうらしい。
恵みの雨というわけにはいかず。ささやかな雨の雫は風に飛ばされては。 夕暮にはやけに紅い太陽がもうさようならのふうで。夜がまた駆け足で。 やって来た。さいきんはあっけない。なんだか物足りなくも思うのだが。
終えれば平穏で。苛立つことも特になく。ぽつねんとそこに佇んでいるのだった。
差し向かいで夕餉のひと時など。このところの心を痛めるばかりの世の中のことを。 彼と話すことが多くなった。とても根本的なところで何かが歪み始めていると。 いくらふたりで討論をしても。世の中を変えられるはずなどないのが悲しいと思う。 救えるものなら救いたい。ふたりともいきつくところはつねに同じ思いなのだが・・。
嬉しいことはいつも思いがけずあり。さっきサチコが上機嫌で帰って来たのだが。 地元の情報誌に写真が載っていて大喜びだった。次はテレビやねついにデビューやと。 すぐに調子に乗るところは誰かさんとよく似ている。くすくすと笑いながらも。 太陽のような我が娘を愛しく思う。母はすごい親ばかだけれど。親ってそうでなくちゃ。
笑い合ったあとの静けさ。これもつねで。また自室にこもっては独りをたのしむ。 ラベンダーのお香をたき部屋中がそれで満たされるのを。その微かなけむりがまるで。 生き物のように漂っているのが。安堵に似ていて。心地よく時がちくたくと進み出す。
わたしは恵まれているのだなと思う。足るを知るは最上の富だ・・。
2006年11月13日(月) |
こぼれるままにこうしていよう |
まだ葉を残した仰ぎ見るほどの梢の天に近いその場所で。 栴檀の実が色づき始めた。粒々の黄の数珠のような花のような。
懐かしさは。幼い頃だったのだろうか。いいえ違う。あの頃は。 こんなふうに見上げたことなどなかった。無邪気に走り回っていたのだろう。
この木が好きだなって思ったのは。ついほんの数年前のおとなの私だったから。 懐かしさは。また巡ってきてくれた季節への感謝と。いまここに在る身の確か。 なのかもしれない。空が高く青く澄むほど。こころにいっぱいの実があふれる。
こぼれるままにこうしていよう。落ちればひとつふたつだけ手のひらにのせよう。
いちむじんのファーストアルバムを買った。
気が遥かへと遠くなる。とても目をみひらいたままでは聴いていられない。 そうして閉じたまぶたのすぐ間近に草原が果てしなく広がっているように思う。 走ってなどいない。歩いてもいなくて。ただただ立ち尽くしているような時だ。
どうしようもなく重かった肩の荷を。ふっと降ろしてみると心が涙するほどに。 かるくかるくふわりっとしてくるのだった。こんな安堵がこんなやすらぎの時を。
欲しがることから。すこしわたしは逃げていたのかもしれなかった・・・。
きみにきかせてあげたい。いま。つよくつよくそうおもっている。
2006年11月11日(土) |
わたしはぎゅっと抱きしめられた |
ひさかたに雨が。心もとないふうにはらはらっとか細く降った。 おのおのの畑では。ほうれん草や白菜や。ブロッコリーなどが。 からからに乾ききった土に根をして。空を仰ぎ雨の恵みを待っている。
思いどうりにはいかないものだ。願うならばほんのいちにちでよい。 絶え間なく降り止まぬ雨というのを。さずけてあげて欲しいものだ。
夕暮れてまた西風が強くなる。かたかたと窓を震わしている夜が来て。 熱燗とおでんとお風呂と。私にはもうこれでじゅうぶんとさえ思える。 足りないことばかりを思っていた頃など。なんだかとても遠い昔のようだ。
私は。もっともっとのひとだったらしい。ひとつでは足りないからもうひとつ。 そのもうひとつでも足りなくてもっとたくさん。今思えばなんとも愚かなこと。
結婚というのをしてみて25年が過ぎ。やっと安住の地にいることに気づいた。 幾度も逃れたがっていて。幾度も死にたがり。どれほどひとを傷つけたことか。 懺悔なくしてこの先を生きるべきではないくらい。今はこの身で償うしかない。
今日ふと。あの日のことを思い出した。
あの日も死んでしまいそうだったから。電話ボックスの中で崩れ落ちるように。 彼を呼んだのだ。いますぐ来て。どうしても来て。あいたいよいまあいたいよ。
だけど彼はとても厳しい口ぶりで。いまは駄目だ。どうしても行けないと言った。 もうそれいじょうの絶望はなかった。もうこれですべてが終ったんだと思った・・。
目の前が真っ暗になった。ただただ涙だけは生きていて溢れてくるばかりで。 独りの部屋へと帰ったけれど。玄関からもう歩けずそこから身動き出来なくなった。
天井が落ちてくる。壁が今にも崩れ落ちると思った。私はこの部屋に押し潰される。 その恐ろしさが。それは寂しさだったのかもしれないけれど。ほとんど恐怖だったのだ。
いったいどれくらいそうしていただろう。路地の向こうから足音が聞こえて来た。 そのひとはとても急いでいてとても駆け足だった。たったったっと近づいて来る。 そしてコンクリートの階段を上がってくる。もうすぐそこまで。ああ誰なんだろう。
その時ドアが。鍵をかけ忘れたドアがとても乱暴な音で突然に開いたのだった。
わたしはぎゅっと抱きしめられた。その時たしかにそこで。私は救われたのだ。
おでんの玉子がちょっとしくじってしまって。殻が上手に剥けなかったのを。 やけにちっこいなと彼が笑って。玉子好きだから何個入っているんだ?とか。 気にしながら。8個だよと言うと。じゃあ3個俺だなとか言って嬉しそうにして。
わたしは玉子ほどではないけれど。明日こそ美味しい蒟蒻みたいにありたく思い。 お鍋のなかでひたひたっといろんな思いに浸っているのが。もっかの幸せであった。
あの日救われたことを。今日。思い出せてほんとうによかった。
2006年11月09日(木) |
ひとつ山越えのほほんと |
一気に冬を感じた日からちょっとだけ後戻りをして。晩秋の小春日和は。 やはりほっとする。季節に流されているようでいてうまく身を任せられずに。 いるわたしには。時々はこうして振り向ける時が必要だなと思うのであった。
前を向いて。とにかく進めと口癖のように言ってはみても。立ち止まってしまう。 なくしたものをさがすように来た道を振り向いてしまう。後悔もする懺悔もする。 だけどここに至れば取り返しのつかないようなことであり。気を取り直しまた進む。
しかたない。そう思えば諦めも出来るが。そのしかたないを。それでよしと言える。 勇気なのだろうか。潔さと言うべきだろうか。それが時々欠落するのが常であった。
時に身を任すのはそうそう容易なことではない。だけどあえてそう努力してみたいものだ。
吹っ切ってみれば身も心も軽い。そうしてあっけらかんと空を仰げる時がある。 それが何よりもありがたいことだと思う。そしてはじめて時に感謝するが出来る。
日常がぐるぐると。時々は雁字搦めでありながら。もがけばもがくほど苦しいことを。 知ったから。ええいなるようになれと思ってみると。不思議になるようになって。 案ずるより産むが易しの時がいっぱいある。不安はきりがないのだ。ならばそれを。 もっともっと軽く受止めるられる自分になりたい。ほいきたまたかいさあどうぞ。 とことん暴れてみなさいなと。そんな気持ちになれたら不安のほうが怖気づいて。 とうとう逃げ腰になるその後ろ姿といったら。ある意味滑稽でまた些細な企みで。
これが不安の失敗になればもうこっちのもんであるから。もう勝ったも同然である。
でもそこで何か賞品でもあるかなと期待をしたらぜったいにいけないと思うのだ。 期待という欲は愚かである。それを欲しがってばかりいたらまた不安が襲って来る。
その時に負ける。それはどうしようもなく寂しさであったり。がっくりと辛くなったりで。
ひとつ山越えのほほんと。まあ口笛でも吹いてみるのがいいだろう。 ひとりぼっちならなおさら。好きなようにぶらぶら歩いてみるのもいい。
そうすれば野の花だって見つけられる。鳥の声だって聞こえるのにちがいない。
それが何よりも嬉しいことだ。それが時のなかの思いがけなさであり。 偶然のようでいて。その道がかけがえのない道の証しではないだろうか。
悩んでも躊躇ってもいい。その道を信じて生きたいものだ。
次の山はあそこだ。
おっし、行くぞ!!
冬山になるならとことんなってみろ。
木枯らし一号が吹いて。からからからっと峠の道に木の葉が舞った。 せいたかあわだち草は枯れたけれど。鶏頭の紅は未だ炎のようでいる。 それは少しも理不尽なことではなかった。朽ちる者あれば生きる者あり。 冬の声を聞いた朝には。それがもっとも順調であるように思えるのだった。
いく道はいつだって空。どんな日もある。だけどいくのはいつも空へと続く道。 夢かもしれない。錯覚だって在り得るけれど。それを意志に変えてみたいものだ。
私は『ひと』だけど。ほんとうは道端の雑草になりたい。 春の日のオオイヌノフグリや。秋の日の野菊や。風に揺れるススキや。
そして猫にもなりたい。犬でもいいけれど猫のほうになりたい。 鳥にもなりたい。雀がいい。ちゅんちゅんと自由気ままに飛びたい。
ああだけど。『ひと』だからしょうがない。 ならどうして女なんだろう。男のほうがずっとよかったのに。
きっと。私はこんなに欲ばりだから。
『ひと』なんだな・・って思う。
2006年11月06日(月) |
生まれて死んで生きること |
亡くなった父の。生きていれば今日が77歳の誕生日だった。
最後に会った日のことを思い出している。あの日も誕生日だったことを。 もう三年が経ったことになるけれど。その後わずか10日足らずで父は。 誰にも看取られる事なくこの世を去った。あまりにも孤独な死。そして。 これ以上の親不孝があるものかと。私は悔み私はどん底まで自分を貶めて。 いまもなお生き長らえている。朝に晩に父に語りかけては日々をこうして。 授けてもらっている。父はいま。私の幼い頃よりも私が少女だった頃よりも。
ずっと身近で居て。ずっと私のそばに居てくれる。私を責めることもしないで。
なんとなんとありがたいことだろうかと思う。
今朝のこと。甥っ子の家の愛犬レオが死んだ。彼が物心ついた頃からの家族で。 真夜中のうちに息を引き取ったらしく。もう硬くなりもうすっかり冷たくなっていた。
どんなにかショックだったことだろう。甥っ子は犬小屋のそばにも来られずに。 玄関を開けるとすぐの階段の途中に蹲るように座り。目にはいっぱい涙を溜めていた。
ひろ君。辛いけんどしょうがないよ。人間も歳をとったらみんな死ぬやろ・・。 犬もね。歳をとったら死ぬがやけん。これはほんとにしょうがないことやけんね。
うん・・・。甥っ子は精一杯の様子で頷く。そして急に照れたようにはにかんで見せた。
後のことがとても気になり。後ろ髪を引かれるような気持ちのまま仕事に行ったが。 幸いなことに。我が町にもペット専用の葬儀屋さんが出来ているらしかった。
夕暮れて訪ねた甥っ子の家の居間には。小さな骨壷にお線香もちゃんと焚かれて。 一家はいつもと変らぬ風で食卓を囲んでいたのが。何よりもの安堵につながって。 ほっとその場を後にする。明日にでも庭の隅にお墓を作るのだとそう言っていて。 レオのことをみんなずっと忘れずにいることだろうと思う。ふさふさの長い毛足。
おっきくて。ひろ君よりもおっきかったレオに引っ張られていたお散歩の川辺。 嬉しい時は尻尾をぷりぷりさせて。跳ぶようにぐるぐるまわってはしゃぐレオ。
大好きだったね。これからもずっと大好きでいようね。
2006年11月05日(日) |
保存とは。そのままの状態で保っておくこと。 |
このひと月ばかり毎夜聞こえていた秋の祭りの太鼓の音が。 今日こそは本番で。相応しいほどの青空の小春日和となった。
親族に亡くなったひとなどがあると。御神体に近づいてはならぬと。 その一年は鳥居をくぐることを禁ずるのが常で。私などは親族といっても。 血の繋がりのないひとゆえ。彼がおまえはいいだろうと言ってくれたので。 太鼓の音に惹かれつつそっと足を運んでみたのだった。御神体はお神輿で。 もとは保育園のあった場所の集会所の広場へと運ばれてあるのだったが。
樹齢何年になるのだろう。おっきな杉の木のあるその場所で。子供達が。 太刀踊りをしている。白絣の浴衣を着て共に立つおとなは青年団の人達。
今年はどういうわけかあまりにもその姿が少なく。なんだか寂しいほどだった。 聞けば。少年野球の試合やらで子供はもちろんその親までそちらを優先したようだ。
おまけに部落中の住民が押しかけるのでもなく。人々はまだらでなんとも侘しく。 何よりも踊っている子供達が可哀相でならなかった。こうしてこんなふうにあって。 古くから伝わる伝統という貴重なものが。年を経るごとに皆が無関心になっては。 とうとう後継者のいなくなる日を思うと。とても遣りきれない思いになってしまう。
そうは言っても。我が家でさえ息子が地元を離れてしまったわけで。協力も出来ず。 申し訳ない気持ちでいっぱいになるのだが。いたしかたないと言うしかなかった。
帰宅してそのありさまを彼に話せば。ほんとうは大のお祭り好きの彼のこと。 今日だって見に行きたくてたまらなかった様子で。『保存会』を作るべきだと言う。 私もそれには大賛成であった。彼ならばきっと先にたってそれが出来るように思うのだ。
年寄りはしゃしゃり出てはいけない。私より5歳年上の彼は。いつもそれが口癖で。 身の引きどころを考えろと。なんだって引き際が大事だぞと。師のように言っては。 時に戒められ。私が最近若い人たちとしっくりいかないのを。身の程を知らな過ぎると言い。 愚痴さえもさらりと聞き流しては。おまえがいちばん愚かなのだと口にこそしないが。 その応じ方には私も参りつつ。自分の身の程というものに引け目を強く感じずにいられない。
身を引くとは。いったいどこまで引けばいいのかと。また悩み始めてみると。 友達のように思い慕っている仲間から。離れるという事はとても辛く思えてくる。
どんなに疎まれてもいい。自分の体力が続く限りは仲間だと認めて欲しいと願う。
保存会か・・それがいいと。彼が言うそれとはまったく違ってはいるけれど。
わたしがわたしのありったけの意志でもって。
わたしの保存会を作ってみるのはどうだろうか。
儚いけれど。それはとても儚いことなのかもしれないけれど・・・。
胸が痛むような出来事が。それは日常に少なからずあったりするものだが。 あまりにも理不尽であり。それに対して自分に何が出来るのかと問うてみても。 何も出来ないのが現実であったりする。それが不甲斐なさであろうか。もしくは。 祈って願ってすることを与えられる機会なのかもしれず。ただただ手を合わす他ない。
今日という日はありがたく。平凡に穏やかに時が過ぎていったのだったが。 胸がどうしてか痛くてたまらなかった。肺の中がぎしぎしと疼くような痛みで。 もしや悪い病気ではないかと思うと。不安が一気に襲って来ては気が滅入るばかり。
一度滅入ってしまうとなかなかに。起き上がりこぶしのようにはいかないのが常で。 あることないこと。過ぎてしまったことや悔む事やらが後から後から顔を出してくる。 気がつけば悲観ばかりしている自分に気付くと。ええいええいと喝を入れたくなっては。
季節の変わり目かな。いつかの木の芽おこしみたいに。体調が狂ってしまったのかな。 ああそうだ。これは風邪のひき始めかもしれない。葛根湯でも飲んでみようかなと。
そのくせ。仕事から帰宅するとさっそくに日本酒を熱燗にして飲んでいたりする。 彼と冗談を言い合ったり。昨夜の残りの酢豚が玉葱ばかりになっているのを食べつつ。 肉じゃがを作り。マカロニサラダを作る。鼻歌だってその気になれば歌えるのだった。
いま。マイナスはとても嫌だと思う。
マイナスはまわりのひとまでマイナスにしてしまうからだ。
笑顔が消える。ほっと微笑むはずのひとが肩を落とすのが。
いまはいちばん悲しいことだと思う。
とにかくゼロになってみる。もう少しの努力で。
いまゆっくりとプラスを積み重ねているところです。
2006年11月03日(金) |
いちにちをしてみるの記 |
やっと衣替えをする。冬物はまだ早く去年の今頃は何を着ていたのやら。 古いものばかりを引っ張り出しては。捨てられずにまた日常の箪笥に並べてみる。
肌布団ではさすがに寒くなり。昨夜もよく眠れなかったので今日こそはと思い。 冬布団を庭中に干す。クルマの上にも。もたれてみるともう陽の匂いがしていて。 嬉しくてならなかった。おかげで今夜はぐっすり眠れそうだ。ほかほかの夜だ。
ついでに炬燵も出してみる。彼が茶の間でテレビを見てる時。寒い寒いと言って。 昨夜も8時にはお布団にもぐりこんでいたので。今日こそはと思ったのだった。
今日はサチコがお休みだったので。すごい久しぶりにふたりで買物に行った。 明日。サチコの彼氏の誕生日なので。私もプレゼントを買ったのだ。アニメの。 トランクスで。去年も買ったけれど。すごい喜んでくれたので今年もそれにする。
なんか変かもしれないけれど。私は正直言って男のパンツを買うのが好きだ。 それに対してサチコの異論はなく。これとか好きかもよと選んでくれるだから。
晩ご飯は酢豚にする。それと残りご飯でチャーハンを作る。中華だ中華だと。 サチコは子供みたいにはしゃいでいて。その笑顔が何よりも嬉しいと思った。
晩酌は寝酒までのおあずけで。今夜もバドクラブへと行く。 さいきんちょっとひがみっぽくなったのか。時々ふっと淋しさを感じる。 やはり輪があって。その輪から孤立している自分を感じる。 歳をとるということはこういうことなのかと。もうそれは諦めでもあるが。 自分がやっているクラブだという誇りもある。それでもみんな来てくれるのだから。 私は疎まれてなどいないのだと。なだめるように言い聞かせることにしている。
声をかけてもらうとすごく嬉しい。ささやかなおしゃべりで天にも昇る気持ち。 また水曜日にねって言ってくれる若い仲間は。まるで天使のように愛しいものだ。
身の程を知り。あくまでも控えめにと。この頃それが私のなかの規律のようでいて。 そのせいでもしかしたら。私は私の殻の中にきつく閉じこもっているのかもしれない。
飛び出す勇気が。まだあるのだろうか。
あるものならきっとそれが出来るのだろうと。
悩みつつ思い。その一歩を躊躇ってしまうのだ。
従兄弟のお葬式やら。あれこれのぐるりぐるりのまっただなかにあり。 実写版の『ちびまる子ちゃん』にほろほろ泣けるほどの心の安らぎとかが。 あったりするのが。ささやかな幸せだと思う。今日この頃なのであった。
富士通のカレンダーをペリペリっと過ぎた月を切り離すと。三人の女の子達。 中国の子供達だろうか。あたまにふわふわのリボンをしているのが愛らしく。 手遊びをしている純真な笑顔にほっと心が温まる。そして新しい月が始まる。
残り少ないのかと漠然と思う。とうとうここまで来てしまったかとも思う。 日々を重ねていては。どんなにか流されていただろうかと。顧みることも。 少しばかりは焦りにも似て。時というものはまるで羽根のようだとも感じる。
破れていても擦り切れていても。飛べるものなのだ。
折れていても千切れてしまっても。飛べるものらしい。
かっこつけてるばあいじゃなかった。
ぶざまでじょうとう。ぶざまこそじゅんちょう。
今夜もかなり酒に酔っています。
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