時々は取り乱したりもして。ときどきは哀しみに沈み。 嬉しい時は心いっぱい感謝。楽しい時は満面の笑顔で。
喜怒哀楽の怒だけを忘れて生きていけたらなとずっと思っているけれど。 もし怒がなければいけないのだとしたら。いつだって自分にでありたい。
責め過ぎないでいて。怒ったあとは優しく宥めてあげて。ぎゅっとして。 そしてゆっくり自分を愛してあげたいものだ。自分を愛せいないひとは。 ほかの誰も愛せないのだそうだ。じぶんのなかに愛が溢れそうになって。 はじめてそれを誰かにわけてあげたくなる。それが愛というものらしい。
きれいごとだろうか。そう思うひとはいっぱいいるのかもしれないけれど。 私は努力する。かつて愛されたくて狂うほどそれを欲しがっていたのだから。
いまはわかる。その信念を曲げるつもりはない。もし忘れそうになったら。
怒る。何度だって言い聞かせて。時には殴る。少しくらい血を流すべきだ。
満たされないのなら。満たしてあげてよ。ねえ・・これだけはきみに伝えたい。
いまは気だるさ。なんだかとことんとくたばっている。 かといって眠くもならず。神経が張り詰めているのが。 我ながら理解出来ず。窓からは夜風。窓からは虫の音。
いけないスイッチをまた押してしまいそう。だから。 とにかく冷静でいなければいけないのに。酒をあおる。
いつものバドからさっき帰って来た。すぐさまお風呂で。 ぼけぼけどうでもいいことなどを考え込んでしまったり。
S君が先週から姿を見せなくなって。たまたまかなって。 思っていたのに。今夜も来なかった。いつも一番のりで。 一緒に準備をしたりちょっとはおしゃべりもしたりして。
ずっと息子みたいに思っていたから。とても寂しい気持なんだ。 なんかお星様が消えて真っ暗な感じ。心に穴が開いてしまった。
いつも心配し過ぎる私は。この前先輩に怒られたのが嫌だったのかなとか。 あの時はすぐに笑顔になってすごいほっとしたけど。やっぱ尾を引いたのかな。 あれこれ。真実は何もわからないというのに。胸が痛くてどうしようもない。
ああでもこれはしょうがない。もっともっとさっぱりとした理由があるのかも。 でもそれを知る権利など私にはないのだから。聞けないというのはやっぱ辛い。
またこうして時が流れていくのかな。いまはこんなにさびしいけれど。やがて。 もっともっとあっけらかんと受け止められる日が来るのかな。だといいな・・。
もしかしたら親身になり過ぎていたのかもしれない。
私はすごいおせっかいだもんな・・・。
ばかだな・・わたし。
ほろ酔ってまた陽が暮れて。三日月の少しふっくらとしたのを。 ぼんやりとながめてみたり。この脱力のこの溜息がほどよくて。
たたむようにしている。閉じるようにしている。その裏側でそっと。 息をひそめているものの正体を。いつか見たような気がしたのだが。
いまはただそっとしてあげたいなと思うのだった。
あいかわらずサチコを待っている。肉じゃがのほくほくしたのと。 豚肉の生姜焼きにキャベツをてんこ盛りして。胡瓜の浅漬けも作る。
上げ膳据え膳して。おおよしよしといっぱいしてあげたいと思うのが母心で。 目の下に隈が出来てるサチコが「ばあや、ちょいと肩をもんでおくれ」とか。 いつも言うのだけれど。「はいはい、お嬢様、どうれここらへんですかね」と。 凝りをほぐしてあげると。とても気持ち良さそうにして喜んでくれるのだった。
ばあやはいつだって幸せなのだ。家族ほど尊くありがたいものはないと思っている。
特に娘。サチコは私の太陽であり。その陽をいつも私に注いでくれるのだった。
「もう、いっつもお兄ちゃんばっか」って今までどれほど寂しい目にあわせたことか。 それほど私は息子にばかり執着していたらしい。男の子って不思議な存在だった。 子供のような男のような。今おもうとその複雑な感情など。まさに過去の出来事で。
熱が醒めてしまうと。現実ほどありがたいことはなく。 家族の群れから飛び立った。一羽の鳥のように思える。
立派に巣立ってくれたのだ。それが親の喜びでなくてなんだろうと思う。
どんな日も私のかたわらに寄り添うことを選び。蔭の日も陽になろうとして。 笑顔を絶やそうとしなかった娘に。感謝することも忘れていた日々があった。
ごめんねサチコ。ありがとねサチコ。
母さんね。こんな母さんだけど。サチコの太陽になりたいなあって。
すごくすごく思っているんだよ。
朝の道の。血の色をした花は好きだけどこわくて。胸がどきどきしてしまうのだ。 季節ごとにいろんな花の写真を撮ってきたけれど。いまだかつて撮れない花だ。 感じるこわさは。恐ろしさとはちょっとちがう。言葉に出来ない何かがそこに。 群れをなして咲き乱れているのが。私はとてもこわいと思ってしまうのだ・・。
そんな朝の道で出会うお遍路さんの白装束が。私を安堵させ私を救ってくれる。 背中に手を合わせ。横顔に会釈しては。進む峠道。見上げればいつしか秋の空。
とつにゅうしていく。ここから日常が。穏やかに色をなして進み始めていくのだ。
かつての苛立ちは。いつしか諦めに姿を変え。どうにもならないことだから。 なんとかしようとは思わず。とにかく終らせてしまいたい日々ばかりが続く。
微笑んでもみたり。そうすることでまわりを明るく出来るのなら。私のような。 不甲斐ない者でも。陽のように降り注ぐことができるのかもしれない。だから。 いつだって精一杯でありたいと思う。押し殺すのは自分だけに留めておきたい。
風が吹く。刈り取られた裸んぼうの田を縫うように。揺らぐものを見失っては。 どこまでいくのか。いきあたりばったりで。風がひゅらりと舞い過ぎていった。
いつだって家路を急ぐ。私はまるで吉本新喜劇の新人芸人のふうで。さて今日は。 彼をなんとしても笑わせてやろうと意気込んで。そのための笑顔をいっぱいにして。
「おっはよう!」って扉を開けると。「今日も早いお帰りですな」と彼が笑う。
彼によく似た代議士が。このたびめでたくなんとか大臣になったのを樹にして。 今夕から彼を「大臣!」と呼ぶことにした。
めでたい日なのに。鯵の開きでは誠に申し訳ないのだが。大臣は文句も言わず。 出されたものは何でも美味しそうに食べてくれるのだった。ほんにほんに彼は。
ありがたいひとであるゆえ。手を合わせつつご飯をよそい。よいしょよいしょと。 満面の笑顔が何よりの幸福であることを。もはや私は疑うことさえしないのだった。
幸せとは。そうしてほしいと願うものではない。
幸せとは。いつだってじぶんでそう仕上げていくものだ。
幸せはとは。仕合せとも書く。肝に命じて本日を終了としておく。
2006年09月26日(火) |
みかちゃんとわけわかめちゃん |
いま窓の外は一番星と三日月。右舷の月というべきか絵のような夜空だ。 しばしぼんやり。なんだか少しばかり腑抜けていて。無気力を愉しんでいる。
ふうとかはあとか息を吐いては。あれこれをおとなしくさせようとしている。 のだけれど。ちょっと情緒がいまいちなのか。いけないいけないと思っている。
早くサチコが帰って来ればいいな。今日は遅番なのかな。待ち遠しいなあ。 今夜も母娘漫才みたいなのしたいな。ふたりでウケて泣くほど笑いたいな。
ヘルプだよ。サチコ。ママ待ってるよ。
それからどうしよう。ああ、そうだテレビ観よう。『ナースあおい』あるよね。 あおいちゃんめっちゃ好きなんだ。きぶんてんかん。きぶんじょうじょうだね。
なんかさ。このままだと支離滅裂しちゃいそうなんだ。 原因はわからない。わからないからちょっと苛立ってる。 パシっと平手打ちとかして欲しいくらい。わけわかめだ。
しゃきっとせえよ。しっかりせえよ。みかちゃん!!!
ほんまにヘルプや。サチコはまだか。サチコ急いでくれ。
今朝はいちだんと涼しく。ぶるぶるっと肌寒さを感じるほどだった。 暑さ寒さも彼岸までとはよく言ったもので。いまがその境目らしかった。
お味噌汁を作りながらその湯気を暖かいなと思う。そして厚焼き卵を焼く。 ウィンナーをころころと炒める。朝刊がコトリっと郵便受けに届く音など。 はじまりはいつもこんなふうで。それが平穏の合図のように時が進み出すのだ。
その時窓の外で一斉に何かが蠢いて。大音響のごとく騒がしさが聞こえ始めた。 いったい何事だろうとブラインドを指でちょいっと開けて覗いてみたところ。 ものすごい数の鳥の群れがいた。電線に等間隔にあっちもこっちも交差するように。
彼が言うのには。それは椋鳥だということ。どこにでも居るだろ珍しくもないぞ。 って教えてくれたけど。私にはそれが珍しくて。こんなにいっぱいなの初めて見る。
すごいすごいよって思わず外に飛び出してしまい。しばしぽかんと見とれていた。 なんだかすごい刺激的で。そのうえ極上のこれが活力でなくてなんだろうって思う。
出勤前にネットで調べてみた。椋鳥のこと。日本国中にそれは生息しているらしい。 北の地が寒くなれば群れをなして南の地へと飛んで行くのだそうだ。だとすると。 もしかしたら北海道から来たのかもしれないなって。ひとり納得したりするのだ。
飛ぶってすごいななんて。やたら感動してしまう。胸がきゅきゅんと嬉しくなった。
きっかけはいつもこんなふう。ささやかな贈り物が思いがけず届いた時のよう。
受け止めるこころ。時には何も気づかずにただ流され過ぎてしまうこともある。
謙虚な自然は。ちょっと待ってよとは言わない。ましてやちゃんと見てよとも。
だからこそ見つけてあげるんだ。この目でこの心でいっぱい受け止めてあげたい。
2006年09月24日(日) |
穏やかな風ふく午後に |
少しうす曇の空から。やわらかな陽がほろほろと降り注ぐ。 地区の小学校は運動会らしかったが。風向きのせいか音楽も聞こえず。 あのよういどんの時のピストルの音も聞こえなくて。嘘のように静かだった。
午後。近所でお葬式がありお悔やみに出掛ける。 ずっと看護士をされていた女性で。先ごろ退職してからは自宅でのんびりと。 お孫さんの相手をしたりして毎日を過ごしていたらしい。 急に激しい頭痛に襲われたのだそうだ。すぐさま異変を察したのであろう。 ご主人の運転で病院へ行ったらしい。でも診察ではどこも異常が見つからず。 とりあえず脳波を撮ることになり。しばらく待合室で待っていたのだそうだ。
日頃から明るい性格で。その時もご主人に冗談を言ったりして待っていたらしい。 でも。突然そこで倒れてしまい。そのまま意識不明になってしまったのだそうだ。
手を尽くしても尽くしきれず。とうとう亡くなってしまったのだった・・。
お孫さんの運動会をとても楽しみにしていたそうで。それが今日だったというのに。
読経に耳を傾けながら。次第に惹き込まれるように心が張り詰めてくるのだ。 いままさに引導を手渡そうとしているとき。なんぼか口惜しかろう。なんぼか。 未練が残るであろうと。和尚さんがゆっくりと語りかけるように悟し始めていた。
ええい!ええい!と声が高くなる。それはかつて聞いた事がないほど強い声で。 終いにお棺を思いっきり叩く音が響く。とても強い力で。これでもかこれでもかと。
そして和尚さんはガクっとなり。一瞬うなだれたように見えた。
そして振り向くと。「終りました」と皆に告げてくれたのだった。
肉親のひとたちはもちろん。参列者のあちらこちらからも啜り泣く声が聞こえる。
逝くことは。決してあっけないことではないのかもしれないと思った。 死を受け止めなければいけないということは。ものすごく過酷な試練なのだろう。
ひととして生を受け。それがほんとうに最後の最後の試練なんだと思った・・。
なにごともないはずはないというのに。
痛いほどに。穏やかな風が吹く午後のことだった。
秋分の日。彼とサチコと私とでお墓の掃除に行く。 小高い山の上。まるで冬のように落ち葉が降り積もり。 木々のあいだから突き抜けるように風が吹いてくる。
身が引き締まる。なんだかいつもここに来ると清く。 厳かな気持ちになれる。そしてなぜか懐かしい場所。
秋桜の種をきっと蒔いてね。サチコに頼んであるのだ。 それはもうずいぶん前のことだった。生かされている。 こんなにありがたいことはないと。やっと思えるようになった。
我が身の罪深さを悔み。もういつ死んでもいいのだと嘆いた。 母であることや妻であることをすっかり忘れていたのだろうか。 女である自分だけを憐れむ。それがどんなに愚かなことだったのか。 もういまはじゅうぶんすぎるくらい。思い知っているつもりである。
まだ少女だったサチコは。どんなにか不安だったことだろう・・・。 秋桜のこと。おぼえているのかな。思い出すのはずっとずっとあとに。 どうかそれまで忘れたふりをしていてね。母さん秋桜好きだったなあって。
ひたすら生きたい。いまは執着するくらいそのことにこだわっている。 思い残すことがなくなるまで。生きられたらどんなにいいだろうと思う。
悔んでも悔んでも。それを糧にしてひとは生きられるのではないだろうか。
日々は愛しい。こんなに愛しくありがたい「いま」はないのだと思っている。
2006年09月22日(金) |
さびしいという気持ち |
夜の来るのがとても早くて。そして夜はとてもとてもながい。 鈴虫やコオロギや。網戸越しにそよと吹きこむ夜風や。酒や。
戯言や。胃の重さや。溜息や。ちょっとした苦悩や。あれこれの。 つかみどころのない思考を弄びながら。眠くなるのをじっと待つ。
さっきまですごく笑っていた。その反動なのか。なんだかしゅんとしている。 どうしようもなく静かだなあって思う。だけどひとりきりが好き。そんな矛盾。
例の如く。今夜も仲間達とわいわい楽しく汗を流していた。 お疲れ〜おやすみ〜と言い合って体育館を出る時。いつもひとつの輪が出来る。 その輪に入り込むのは容易ではなかった。ちょっとくじける。ちょっといじける。 そこにはバリアみたいなものがあって。立ち止まってはいけないような空気がある。
まあ言葉で表現するなら「おじゃま虫」なんだけれど。いまひとつ自覚が足らない。 身の程をもっと知らねばといつも思うが。私というひとはあまりにも身の程を。 知らな過ぎるのではないかと。なにが障害なのか。その事実を知るのが怖いのだ。
歳をとるということはそういうことなのだ。微笑ましく遠巻きに見ていられる。 心のゆとりというものがない。漠然と感じる寂しさを。私は恨みがましく思う。
それが今夜は。どうやら私だけではなかったようだ。 もうひとりいた。私よりずっとずっと若い仲間のひとりだったが。 彼女もすごく寂しそうだった。ふたりで肩を並べて駐車場まで歩いた。
輪のなかに彼女の親しくしている友達がいた。いつも週末は一緒に買い物とか。 ランチしたりとか。すごく仲良しみたいなのだけど。今週末は駄目らしいのだ。
ちょっと待っていた。だけど輪はなかなか崩れない。早く駆けて来てくれないか。 私はクルマのバックドアを開けて荷物を放り込んだけど。彼女はじっと待っている。
「帰ろうよ」って言ってみる。「うん・・」と頷く。
そしてやっとエンジンをかけた。逃げるんじゃない。帰るんだよって。
さびしい気持ちがすごくすごくわかる。
さびしいという気持ちは。どうしてこんなに孤独なんだろうって・・・。
「負けないで」ってすごく伝えたくなった。がんばれじゃないんだ。 ちっともがんばらなくていい。いまだからこそ自分を愛してあげて。 救ってあげて。守ってあげて。見つめてあげて。抱きしめてあげて。
もどかしいのはいつだって。自分の無力さ。 だって自信はいつだって揺らぎ続けているから。 いったい自分になにができるというのだろう・・。 信念は幾度も幾度も折れ続けている。すくっとは。 むつかしい。すくっとは理想であり。希望でもあった。
毎朝通る道の。夏けやきの木。育子先生の家の庭にある。 いまは緑が溢れんばかりに生い茂っている。空に向かって。 それはとても誇らしげな姿だった。聳え立ち凛々しくある。
ある季節。それは一昨年の秋ではなかったかと記憶している。 ばっさりとその枝を切り落とされてしまったことがあったのだ。 その朝のなんと悲しかったことか。ぽっかりと心に穴があいたような。 なんともいえない虚脱感を感じた。夢を失ったような。とにかく。 とても大切なものを失ってしまったんだと思った。どうして?どうして? 遣りきれない怒りみたいな悲しみが襲ってきたことを今もおぼえている。
それからしばらくして。郵便局で偶然、育子先生に会えたのだった。 どうして?どうして?と私はまくし立てるように問うたのだ。 「ごめんね」って先生は言った。恩師にそんなことを言わせる私も。 尋常ではなく。いま思えば。すごく取り乱していたのだと悔まれる。
けやきの木は病気にかかっていたらしい。なんとしても救わねばと。 ご主人がとにかく切ることを決めたらしかった。悲しかったよって。 このさき生きられるのかわからなくてすごく不安だったけど切ったよって。
「ずっと見ていてね」って言った。それがその時交わした約束だったのだ。
その冬は。とても憐れだった。これまで空に伸ばしていた腕も手もなくて。 それは冷たい風に晒されている墓標のように見えた。悲しみが募るばかり。
だけど春。そのわずかな指の先が空を指し始めた。あっち。あっちだよって。 どこなのかわからない。そこはただ果てしない空で。ぼんやりと霞む空だった。
そして夏。その指先に緑の蝶々が留まっているのを見た。ひとつふたつの。 希望はそうして生まれてくる。諦めるもんか。負けるもんかって思ったのだ。
ずっと見ている。明日もきっと見る。もうすぐ緑の蝶々が死んでしまうだろう。
だけど。精一杯伸ばした腕で。その手で指で。空に向かって伸びていくのだ。
青空の日々が続いている。夏のような陽射しだったり。秋みたいな風。 もうすっかり稲刈りの終った田の畦に。紅いのがすくすくっと咲いて。 山里はとてものどかだ。夏を惜しむ蝉の声。ひゅらひゅらとトンボ達。
のほんとしている。ふしぎなくらい考えることを忘れてしまうくらい。
お祖父ちゃんに本を送る。走り書きだけど手紙を添えて送った。 また宮尾登美子で『きのね』を。きっときっと喜ぶことだろう。
会いに行かねばと思う。いつもそう思うだけですまないなと思う。 お彼岸だというのにお墓参りも行けない。ほんとうに薄情な孫だ。
私はすごく大切なことを忘れていたのだと思う。 自分のことばかりだったんだ。自分があとどれくらい生きられるかとか。 そればかりを不安に思っていた。そんなことはとても些細なことではないか。
職場のすぐ近くに住んでいる人で。地域のボランティア活動していたひとが。 昨日急に亡くなったそうだ。お昼寝してるみたいに寝転がっていたのだという。 お歳を聞いてびっくりした。とても81歳には見えなかった。元気溌剌だったし。 背筋をぴんと伸ばして颯爽と歩く人だった。疲れた日もきっとあっただろうに。 地域のお年寄達のお世話をしていたのだ。『サロン』を楽しみにしている人達が。 きっとたくさんいたはずだと思う。それなのに陰口を叩く人もいたと聞いて・・。 ショックだった。世の中には、自分に出来ないことをする人をそんな風にいう。 心無い人もいるということだろう。とてもとても理不尽で。悲しいことだと思う。
だけど「ほんとにありがたいひとだったよ」ってみんながそう言っていると聞くと。 ほっとする。最後の最期まで尽くしきったその人の命がとても尊く思えるのだ。
いのちはほんとうに儚い。その儚さを歩むのがひとというものであってほしい。
台風一過。爽やかな風と青空に恵まれる。 難を逃れたとはいえ。竜巻の怖さや豪雨の悲惨な爪痕を目にすると。 いつだって明日は我が身。他人事ではなく心痛めることばかりである。
平穏とはなんとありがたいことだろうと。感謝せずにはいられない。
『敬老の日』予感していたとうり息子君たちがお昼にやって来た。 「おばあちゃん家におらんかったぜ」と言って。残念そうな声で。
おばあちゃん。姑は畑仕事が何よりも好きで。少しからだが不自由なのだが。 ほとんど一日中畑仕事に精を出している。細々だけれど季節の野菜を作ったり。 どくだみのお茶を作ったりしては。近くの地場産市場へ毎朝出荷しているのだ。
お昼のサイレンが鳴ったのを合図に。ごとごとと手押し車を押して帰って来る。 その車がないと歩けないのだ。パーキンソン病なのでつんのめって転んでしまう。 それでも鍬を持つ。種を蒔く。水をやり肥料をやって丹精込めて野菜を作っている。
私が嫁いだ頃は。今の私より少し若いくらいの年だったのだが。とにかくエライ。 川仕事のかたわらに畑仕事。休むことが恥じだと思わせるくらいよく働く人だった。
だから当然のように私は戸惑うばかりで。今まで自分が育ってきた環境とは。 まったく別世界に投げ込まれたような違和感を感じずにはいられず。だけど。 それが嫁ぐということなのだろう。そう観念しそう理解するまでずいぶんと。 ながい歳月を要したように思う。いま思いおこせば。懐かしい若き日であった。
「あ!おばあちゃんだ」家の前の路地に。例の手押し車の音が聞こえ始める。 それを追いかけるように。たたったたっと姑の足取りが聞こえて来るのだ。
孫夫婦に呼び止められた姑の。なんともいえない微笑ましい姿。満面の笑顔。 ちえさんが先になって飛び出して行く。「お昼に食べてや」ってお赤飯の折り詰。 それから「おじいさんにもお供えしちょってね」って和菓子の袋を手渡してくれた。
その時のおばあさんの顔ったら。口癖の「夢にぼた餅」そのままだった。 私もすごく嬉しくて。なんだかじわじわっと目頭が熱くなってしまった。 25年も昔に亡くなったおじいさんのことまで。敬老の日してくれるんだ。
息子は大のおじいちゃん子だったけれど。今までここまで気のつくことはなかった。 ちえさんのおかげだなあって。ほんとうにいいひとに巡り逢ったのだなあって。 この縁を心からありがたく思わずにいられない。ちえさんほんとにありがとう。
ふたりは老人介護施設の同僚であった。 ともに老人心理学を学んでいることはさておき。たんなる仕事だと思うことなく。 毎日を「こころ」なくしてどうして尽くせようか。昨日手足をさすったひとが。 明くる日はこときれる。幾度も幾度も容赦なく命の終りを痛く受けとめながら。 これまで頑張って来た。これからもそれを使命のように感じては尽くし続けるだろう。
わたしはふたりを誇りに思う。肉親であることよりもひととしてふたりを労う。
2006年09月17日(日) |
どうか。見つけてあげてください。 |
幸いなことに台風直撃は免れたようだが。暴風雨圏内に入るらしく風が。 夕刻よりずいぶんと強くなった。雨戸を閉めきっていてもはらはらと気が。 落ち着かず。8時になったら『功名が辻』をみようとか。9時になったら。 『僕たちの戦争』をみようとか。いまは心ここにあらずだけども。少しだけ。
書き残しておきたいことがあり。ペンならず指を動かしているところである。
このところ読む本といったら。ことごとくネットのブックオフで買うばかりで。 街の本屋さんに足を向けることなどなかったが。今日は久しぶりに行ってみた。
雰囲気は嫌いではない。本屋さんというところはなんか気分がすくっとするので。 あてもなくというのもいいけど。まっしぐらにさがしていますっていう気分とか。 そういうのが好きだなと思う。だけどお目当ての本が見つからないとがっくりと。 肩を落として帰らねばならないので。まあそれも行き当たりばったりでいいのだが。
今日もそうだったけれど。文庫本のところの通路を出口に向かっているとき。 平積みにされている本のなかに。はっと心が惹きつけられるような一冊があった。
帯に「とにかく、見開き2ページ目の『詩』を読んで下さい!!」とある。 思わず立ち止まり手にする。そしてそこを開いてみたら。
『ごめんなさいね おかあさん
ごめんなさいね おかあさん
ぼくが生まれて ごめんさい』
ああなんてことでしょう。いったいどうしたの?なにがあったの? 放っておくことなんて出来ない。とにかく連れて帰らねばと思う。
そうして抱くようにして帰宅し。その事実とその真実とに向き合うことになった。 浪がとまらない。目が霞んでしまい。何度も涙を拭いながら。とうとう彼の死を。
知った・・・。
ちゃんと言葉にして。ほんとうはそうしてみんなに彼の生きていたことを。 知らせたいのだけれど。どうしても言葉に出来ないことがはがゆくてならない。
『詩』はこころだ。そのこころがこんなにも伝えたがっているというのに。 声にも出来ず。書くことも出来ない。だけど命ふり絞っても伝えたいことが。
どのような境遇に生まれようとも。それがひとというものの命そのものでは。 あるまいか。残された者はもっともっと耳をすまして生きなければいけない。
どうか。どうか。見つけてあげてください。
『お母さん、ぼくが生まれてごめんなさい』 著者・向野幾世(扶桑社文庫)
Jさんへ。あのね。もうあたりは真っ暗になったけれど。蝉が鳴いているよ。 はんぶんこなんだ。風も空もみんな誰も決め付けたりしないよ。はんぶんこで。
いまはそれがちょうどいいのかもしれないね。
三連休というのを。私もしてみることにした。雨ちょっと降っては曇りな日。
宮尾登美子の『仁淀川』を読み終えて。むしょうにむしょうに書きたいと思う。 自分のこと。だけど10年前にはあった勇気が。いまはくすぼっていて。怖い。 いつかきっとって思うことは容易いけれど。そのいつかがある日突然なくなる。
そんなどうしようもできないことにとらわれては胸がきゅっと締め付けられて。 不安ばかりが襲って来る。わからないこのさき。生きてみなければなにひとつ。
決めることなんて出来ない。いかなくちゃ。とにかく行かなくちゃ。
ゆで卵して。大根を湯掻いて。おっきな土鍋に昆布結んだのを入れて。 おでんを作った。ことこと煮ながらいちばん好きなハンペンを味見しながら。 はあはあもう我慢できなくなって。「ねえ、今日ってなんかの日じゃない?」 彼にそう訊くのは。お盆だとか正月だとか誕生日だとか。そういう特別な日。 私がどうしたいのかすっかりわきまえている彼は。「敬老の日の前祝だろう」
やったあっと私は台所ではしゃいでいる。まだ5時前だというのに晩酌をする。 そして早くお風呂に入りなさいと彼をせかす。はいはいと彼が動き始めると嬉しい。
「どうも、どうもお待たせしましたね」って彼がテーブルにつくと。妻さんは。 もうかなりハイテンションなものだから。土鍋の蓋を開けてにこにこ笑っている。
大相撲を観ながら。あれこれ解説してくれるのは彼の得意とするところで。 へえ、そう、すごいねとか言って。餅巾着を食べる。玉子と蒟蒻を食べる。
まあるい平穏。まあるくすぎて。この身には過分ではないかと思うことさえある。
責めもせず詰りもせず。このひとはどうしてこんなにも私を赦してくれるのだろう。
私の過ちを忘れてはいないだろうに。どんなにか深く傷つけたことだろ・・・。 それなのに。こうして私の居場所をずっとここだと認め続けてくれたというのか。
込みあげてくるものをそっとそっと押し込めながら。 いつだって手を合わせている。拝んでも拝んでもおがみきれない。
彼は。わたしの観音様のようなひとだ。
台風が接近しているせいだろうか。今夜はどしゃ降りの雨になった。 雨音がじゃじゃじゃっとしていて。なんだか胸が騒ぐ。気が乱れる。
またバドの練習日だったので出掛けていたのだが。ほんの10分の道のり。 それが雨の夜となると。運転するのにすごくびびる。視界がとても悪くて。 緊張する。水溜りとかに突入すると心臓が張り裂けそうなくらい怖いのだ。
だから結局。バドは楽しいけれど。道中が苦痛だとか。今夜はちょっと弱音。 うん。まあいい。たまには弱音も吐きたい。そんなに私は強くないんだもん。
練習中に。S君がM君に怒られていた。S君はもっか我がクラブの成長株で。 めきめき腕をあげているのだけれど。先輩のM君と組んでゲームしてる時に。 ローテーションがいまいちだったらしい。なんかいつになく厳しい顔のM君。
そしてなんか怒鳴ってた。ちょっと見にはふざけているようにも見えたけれど。 それからS君は壁にもたれてタオルを頭からかぶって。息がはあはあしていた。
私は50センチの近距離にいて。なんかすごくはらはらとして。心配でならない。 「ねえ。明日休み?」って訊いたら。「うん、三連休・・・」って言ってくれた。
それから何事もなかったように。S君は笑顔でまた頑張ってた。M君も楽しそう。 すごくほっとした。私も楽しく頑張れたと思う。みんなの笑顔がいちばん嬉しい。
仲間のひとりに県のトップクラスのひとがいて。そのひとが太鼓判を押したのだ。 「あいつは絶対に伸びるぞ!」って。それがS君だから。みんなが応援している。
もちろん私も。すごいすごいファンなんだ。
なんか仲間なんだけど。ちょっと母親みたいな気持ちで。
眩しくてならない息子のように思うときがある。
「しんちゃん頑張れ」って。名前もうちのしんちゃんと同じだもんね。
はんぶんの曇りとはんぶんの青空に恵まれる。 そうして。その真っ只中を吹く風のように過ごす。
彼岸花が咲き始めた。今年は白いのから咲き始めた。 紅いのはまだ蕾だったけど。きっと明日咲くだろう。
風はまったり。風自身とくに急かねばならぬこともなく。 気の向くままに。ふうらふうらとあっちいったりこっちいったり。
なんかいい。こういうのが気持ちいいと。風は思ったりしたのだろう。
さて。みかちゃんは。あたしの夢ってなんだっけなあって。今朝。 いつもの峠道くねくね走りながら。お遍路さんにおはよう言って。 ああそうだったって思い出した夢があったんだ。いつ忘れたのか。 どうして忘れたのかとかあまり深く問い詰めたりしなかったけど。
夢あったなあって思い出せて。なんか我ながらやったあって嬉しかった。
アナウンサーになりたかったんだ。テレビじゃなくてもラジオでも。 声だけで存在してるひとになりたいなあなんて。すごく憬れていた。
声が命だって思ったりもした。そのためにはお腹の上にブロックだって。 載せて頑張ろうと思った。あっえっいっうっえっおっあっお〜!!
大学に行きたかった。でもそれが言い出せなくて。ああ違うんだそれ。 これっぽちも言わなかったんだ。言わないとそこで駄目なんだよなあ。 大学出ないと決してアナウンサーにはなれない。ああうんそうかって。 あの時すぐに諦めてしまったから。夢なんてとうとうそれっきりなんだ。
この頃はっと不安に思うことがある。 このままどんどん年取っちゃったら。しわがれたばあさんの声になるかな。 やがて孫とか出来ちゃって。ねん寝の前に絵本とか読んであげたりするかも。
それはそれでいいかもって思うんだけど。
今しか出来ないことが。なんかあるんじゃないかなあって漠然と思っている。
聴いて欲しい。すんごいこれは欲だけれど。
あたしの声を聴いて欲しい・・・。
しっとりといちにちじゅう。雨は降らなかったけれど。なんだかぜんぶ。 濡れているようにおもった。このまえ紫陽花がまた新しく咲いているのを。 見つけたばかりだったが。なんと我が家の庭の紫陽花も咲いていた。白いの。
狂い咲きだっていうひともいるけど。きっとそうじゃない。思い出している。 そんな雨の日がずっとだからだろう。思い出さずにはいられなくて咲くんだ。
気温がいっきに下がったようで。ずいぶんと過ごしやすくなった。 今夜もバドの日やって。すぐ近くの小学校の体育館で汗を流した。 暑さでからだが火照ってしんどさでふうふうするのがなくなって。 適度に汗をかくのがすごくいい気持ちだなと思う。そして楽しさ。
だけど。ちょっとマイナスに感じるのは。やはりみんなすごく若くて。 もしかしたら自分は異分子ではないのだろうかと。ふと不安になった。 気だけは若い変なおばさんって。ああもしかしたら思われているかも。
いかん。いかん。そんなこと考えてたら。どんどん駄目になっちゃう。
帰るとき。「お疲れさん」って言い合って。私よりずっと若い仲間が。 なんか今日はいまいち調子が悪かったとか。もう歳なんだろうなとか言う。
ちょいまちな。そんなこと言うたら。あたしはどうなるんだようって。
あはあは笑い合う。あたしはあと10年頑張るぜ。そしたらひとりが。
じゃあ俺はあと20年やな。じゃあ私はあと30年頑張るうって言う。
じゃあ・・僕はあと40年って。いちばん若い仲間が笑った。
2006年09月12日(火) |
みかちゃんの忘れもの |
午前中。ひどく大粒の雨が叩きつけるように降った。はらはらするような雨。 空は怒っているわけではない。空は悲しくて泣いているのでもない。そらは。
ただ。さからうことをしないだけなのだ。
昨夜。いっきに遠い日のことを思い出してしまって。 今日はずっと『それから』のことをたくさん思い出してしまった。
書きたい気持ちでいっぱいになって。そうしてすごく迷ったあげく。 書かないことに決めたのだった。書けばきっと満足することだろう。
後悔やら懺悔やら。どれほどのことが自分を襲って来ても。それが。 あたかもひとつの物語みたいに自分のなかで完成されていくことを。 もしかして誇りに思うのだったら。私は書くべきではないと思うのだ。
三十年という歳月は遥か遠いことのようで。それでいてこんなに近く。 私のなかで生き続けているということらしい。だからこそ歩めたのだから。
これからも歩んでいくことにしよう。
「みかちゃん、忘れ物です」 最後の荷物の中に入っていた彼の走り書きが。
どんなにか嬉しくて。どんなにか哀しかったことだろう・・・。
青空がすこしだけぼんやりと。やわらかな陽射しにつつまれていた。 黄花コスモスが咲き始めては。なんだかちっちゃな向日葵みたいだ。
それは百日紅のほのかな紅よりも鶏頭の血のような紅よりも鮮やかで。 幾日もの濡れた緑に爽やかに映える。生まれたのだという誇りのよう。
そんなふうに。ちいさな秋に。今日は出会った。
仕事をしながら。今日はいつもよりずっと忙しくて。そのことを嬉しく思った。 めまぐるしくありたい。ふうふうするくらいまっしぐらにいまはありたいのだ。
それなのに。ふっと思い出してしまったことがある。 初めて就職というのをした頃のことだ。本屋さんだった。 ふつうに書店というのじゃなくて。そこはカタログ販売というか。 百科事典とか文学全集とかいう何万円もするような本ばかりを扱う。 東京に本社がある書籍販売会社の。田舎の営業所のひとつだったのだが。
私はそこでお茶汲みやら電話番やら。とりあえず営業事務のようなことを。 それでも結構これはいいかもと思うくらい気に入って勤めていたのだった。
朝は全員でラジオ体操。その後の朝礼では所長がやたら大声で喝を入れて。 営業の人達が。まるで出陣するように一斉に出掛けて行く。最期に所長が。 じゃあ後は頼むよって出掛けると。後は殆ど夕方まで独りきりだったのだ。
営業所の壁の半分は巨大な本棚だった。子供向けの絵本や紙芝居まであった。 復刻版といって。昭和初期に発刊されたような本をそのまま復元したものや。 それは手に取るとドキドキするくらいの。なんともいえない重みがあったり。
時々配送係の『速水ちゃん』が荷物を取りに帰って来た。 とても無口なひとで。必要以上のことはしゃべらないけれど。 なんか素朴で。なんか笑うと顔がくしゃくしゃになるところが愉快で。
ついついちょっかいを出したくなるひとだった。 話し掛けると目がきょとんとなる。そして照れくさそうに応えてくれる。
そういうのが。そんなのがいつしか私の楽しみになっていたのだった。
営業の人達がすごく頑張ってくれた時は。配送がどんどん忙しくなっていく。 ある日の休日に。私は速水ちゃんの助手をすることにした。所長には内緒で。 速水ちゃんのノルマはすごくて。どうしても休日返上しないと追いつけない。
一緒に行きたいと言ったら。ああ・・うん・・まあいいかと彼は応えたのだ。
そこはクルマで3時間くらい遠いところだった。養護施設の庭で子供達がいて。 「お兄ちゃ〜ん!」とたちまち彼は子供達にかこまれてしまいすごく照れている。
私はそこで。いままでほんとうに気づこうともしなかった彼の優しさを見た。 私が好きだなって思った笑顔で。子供達の頭を撫でている。みんなみんな笑顔。
そして。とうとう。それはどうしようもなく。
私は恋に落ちていったのだ・・。
空が重くておもくて雷雨だったり。午後はゆっくりと明るくなった空。 久しぶりに夕焼けをみた。はにかんでいるような照れているような空。
懐かしくてアルフィーを聴いていたら。むしょうにギターが弾きたくなった。 じぶんにとってそれは青春で。高校時代に買えなかったのを就職してからやっと。 買えたのだった。結婚した時も持って行った。離婚した時も持って出てから。 また結婚する時ももちろん抱えて行ったのだ。育児に追われるようになってから。 それはちょと目を離した隙に。幼子の玩具になってしまったりもしたのだったが。
ときどきは弾いた。とても下手で弾けない音がたくさんあったけれど。好きで。 あの海辺の教室の。放課後の。まさ君やけんちゃんと過ごしたかけがえのない。 青春のアルバムを。そうしてめくるように懐かしんでは。ぽろんぽろんと音が。
涙みたいに流れ落ちてくるのを。いくたびもいくたびも受け止めては遠く想った。
そうして意に反するように時は加速し続けては。まるで約束していたかのように。 私のギターはいつのまにか。息子くんの部屋に立てかけられるようになっていた。 『山崎まさよし』がすごく好きらしく。よく弾いていた。声がよく似ているのだ。 そうほめると。もうすっかりなりきったようにうっとりと弾くのが。母は嬉しくて。
そしてとうとうあの日「持って行くからな」って彼は言って。とても大急ぎで。 「俺のだから」って抱えて行ってしまったのだった。ぽかんぽかんとなんだか。
それは寂しさに似た門出であったが。私の青春が彼の青春に姿をかえていたのを。
母はそのとき。すごくはっとしながら気がついたのだった。
弦が切れたら張り替える。また切れたら張り替えればいい。
私のギターは。きっとこれから。また新しい青春に出会えることだろう。
2006年09月09日(土) |
雨と陽と雨と陽と雨と |
空はこのうえなく不安定。雨と陽と雨と陽と雨と。
それはちょっと酒に酔ったあたしと似ていて。 笑い上戸と泣き上戸。笑いながら泣いているというところ。
とくに悲しいわけではない。嬉しいと涙出ちゃうのらしい。
さて今日は。ひさかたの肉体労働に励んだ。 冬場の家業の準備がそろそろ始まったのだった。 干潟で。有明海のムツゴロウみたいに泥にまみれて。 海苔養殖のための竹杭を打つ作業だったわけだが。 しんどいけど。これがまあまあの愉しさでもあった。
あたしというひとはすごく肉体を酷使するのが好きなようだ。 とことん追い詰めるというか。極限っぽいのがむしろ快感に思う。 いいかえれば苛めるというのか。もしかしたらそんな性癖でもあるのかも。
しれない・・・・。
遅い昼食のあと。また何かにとり憑かれたように本を読んだ。 私は学もなくそれほどの識もなく。書評めいたことはずっと避けてきたが。 これだけは薦めたいと思う一冊に出会った。久々の『文学』に溺れたというか。 自分の身を満たした血潮のようなものを。自分以外のひとに浴びせてあげたい。 そんな気持ちでいっぱいになってしまったので。書き記しておきたいと思うのだ。
大原富枝『婉という女・正妻』(講談社文庫)である。
土佐藩家老、野中兼山の娘。わずか四歳の幼子が父の失脚のため罪囚の身に。 その幽獄はなんと40年もの長きに渡った。
生きるということ。ひとは生きるために生きなければいけないと強く思った・・。
2006年09月08日(金) |
誰も咎めはしないであろう |
ときどきは薄陽がさしたり。ときどきはどしゃ降りの雨だったり。 なんだか空は自由気ままで。その時々を愉しんでいるように映る。
そんな空と一緒に流れてゆくのもいいものだ。泣きたければ泣き。 ここらでちょいと笑ってみるかと。にっこりと微笑んでみるのが。
今日はっとしたのは。川辺の道の茅のみち。あの斬ってしまいそうな。 緑の草の刃から。これが真実の姿なのよと。花の穂が優しげに伸びて。 濁流を宥めるかのようにそれが。そよよと。風になびくのに出会った。
わたしのなかの刻々としたものが。もはやもうとどまれずにいるのを。 溜息やら歓喜やらわけもわからず。身を任せるように動くのを感じた。
このように巡るもののさなかにあり。どのようにあろうとどのように。 生きようと。わたしが空ならば誰も。咎めはしないだろうと思うのだ。
今日はっとしたのは。男たちの汗の肉の光る。ああどうすればいいのだ。 と。思わず目を潰したくなるつかのまのことに。途惑ってしまうほどの。 頬の熱く胸のいいようもない動悸と。そこに在るらしい己の性の痛みと。
とくとくと血が迸るのを堪えて。もう堪えきれない瀬戸際のところにあり。 冷静というものをさがしながら。その在りかに迷い狂っていくのを感じる。
男たちは。どうしてあのように惜しげもなく裸の肉を晒そうとするのであろう。 膨らみのない胸というものが誇らしいとでもいうのだろうか。私にはただ痛い。
だから私はいつだって逃げなければいけない・・・。
今日もどんよりと曇り日。せめてせめてと風のように過ごしてみるのがよい。 時々は遠雷。胸騒ぎをおぼえながらも。確かめるような平穏をありがたく思う。
やはり。あの少年は自らの命を絶っていた。 そのことを察していたせいか。ひどく悲痛な思いが胸を刺している。 もはや真実は誰にも解らないというのに。『犯人』という言葉ほど。 悲しくきこえることばはない。罪を憎むならいくらでも憎めばいいのだ。
わたしは彼の死が。とても悲しかった・・・。
嗚呼イケナイ。今こそ陽を呼ぼう。
昨日。オーラ診断っていうのをちょっとやってみた。 てっきり『紫』だと信じていたのに『黄色』だった。
なんか信じられないけど。ついつい自己暗示をかけてみたくなる。 適職が『お笑い芸人』っていうのがめっちゃ気に入ったのだ。
確かにひとを笑わせるのが好きだ。その笑顔が何よりも嬉しいと思う。 そうしてその笑い声に救われるように自分自身が元気になっていける。
実のところ陽気の『陽』が好きなんだなあって思った。うん!そうしよう!
気というものは不思議なもので。その気になるっていうのがすごく大切かな。
なんていま思い込んでいる。もっともっと思い込んでみるべきなのだろうな。
おっし!っていま思ったんだ。けどまあ・・そうきばらんでもええかもね。
さて。もひとつ。明るいニュースしとこうか。
今夜は。息子君たちが沖縄旅行から帰って来たので。ちょっとどんちゃんしてた。 まっすぐアパートに帰らず。我が家に帰って来てくれたのがすごく嬉しかった。
泡盛とパイナップルワインで。ごらんのとうりのハイなテンションであります。
サチコがぽつんと呟いた。「お兄ちゃんなんだけど・・なんかちがうよね」
うん・・・。母のつぶやきは。うん・・・と。ねっ・・だった。
曇り日。午後から少しだけ雫みたいな雨が降った。 しっとりと空気が濡れている。いまはもうそんな日暮れ。
蝉がいっしょうけんめい鳴いている。うん夏をあきらめないで。 どうしようもないことだってあるけど。精一杯なの私は好きだ。
陽から陰へ。この季節はたぶんそんな感じなのかもしれない。 心に秋風が吹き始めると。なんとなくもの哀しく切なくなってしまう。
さっきJさんのネットラジオで。もうすっかりそれがJさんだとわかる声を。 うんうんって頷きながら聴いていて。いつもよりすごく感慨に浸ってしまった。
夏に「行かせないぞ!」って言って。秋が好きではないという理由がすごく。 すごく胸にこたえた。冬から春になる。あの命が息吹くような季節のことを。 むしろ好きだと言っていたのだ。陰ではなく陽だ。Jさんは光になれるひと。
だからなんだ。ちょっと気分が落ち込んでいるかもってJさんは言うけど。 もしかしたら。もっともっと気が沈んでいるかもしれないひとを救ってる。
聴くたびに心がすぅっと軽くなる。それはほんとうにありがたい声だった。 だからほんとうは。もっともっとたくさんのひとに聴かせてあげたいと思う。
陽から陰へ。私は時々引き摺り込まれるように流されてしまうのだったが。 それはたぶん。私がわたしの蔭を嫌いではないのだろうと思う。哀しみが。 悲しみが好きなんだろうなって思う。どうしてかというとそれがウツクシイと。 錯覚しているからではないか。そのウツクシサに酔いしれていることこそが。
『愚か』なことであることに。少しずつ気づき始めているのが『いま』だった。
こうして。ささやかながら書く場所を与えられていることにもっと感謝したい。
そうして。ただひとりのひとでいい。そのひとの光になりたいと強く思っている。
2006年09月04日(月) |
ちと笑いながら書いている |
朝晩ずいぶんと涼しくなった。日中の残暑も風のおかげで和らいでいるよう。 こんな頃には深呼吸がいい。私は心呼吸と言ってしまうのだけど。それが好き。
清々しくきれいさっぱりと。それが理想である。 なにもかもふっきれたような気がしたりもする。
だけど『なりたい自分になる』のは。そうそう容易くはないのだが・・・。
まあ。自己暗示もたまにはよい。そうなったつもりで前向きに生きようぜ。
最近はとにかく酒量が多い。一日のとどめはやっぱそれしかない。 少々では酔えないし。少々では眠れない。まあちょっとは病的である。 時々は反省しながら。なんぼか健康を害しているであろうと気遣うが。
それがどうしたわけか。わたしはすこぶる健康であり元気いっぱいなのだ。 ごくたまに精神に疲れを感じる時もあるが。そんなのへのかっぱみたいだね。
ふう・・まあ。だからよいよい。気にするでないぞあたし。
しかし。秋の夜長だかなんだか。まだ寝る時間じゃないし。ちと退屈であるな。
ひっく。しゃっく。ここでしゃっくりが出て来て。ちと笑いながら書いている。
そうそう。息子くん達は無事沖縄に着いたそうだ。 わ〜いわ〜い泡盛だ。お土産を楽しみに待ってるぞ〜〜!
日曜の朝。いま今日の陽がかすかにあたりを白く包み始めている。 もうすぐ。青くなる。くうきはすこしひんやりとしていて。秋だ。
昨夜は息子君たちの新居にお呼ばれしてもらって。 ちえさんの手料理をお腹一杯ごちそうになった。 焼きビーフンがとても美味しくて。うんうんと。 うなずきながら食べた。海老のマヨネーズ焼き。 アサリの酒蒸し。カツオのたたき。どれも美味。
もう4ヶ月が経ったのだ。しみじみと感慨に浸る。 息子というものは不思議なものだ。子供なんだけど。 私のなかの切り取り線から。そのミシン目にそって。 これほども真っ直ぐに切り取られていくものらしい。
だけど。もうあの日の寂しさはどこにもなかった。 あるのは。育てあげた自負のような母の誇りだけである。
月曜日からふたりは沖縄旅行に行くことになっている。 結婚式や披露宴など。世間並みの儀式はなにもなく。 新婚旅行だけは行こうとふたりで決めたらしいのだ。
息子くんはちょっと緊張している。 そのぶんちえさんがすごく頼もしくみえる。
高校の修学旅行は長野のスキー場で高熱が出てダウン。 専門学校のハワイ研修は。直前になり「やっぱ止める」と言った。 バイトしながらの積立金を。サチコの自動車学校の費用にくれたのだ。
今度こそはと母は祈るようなきもちでいる。
いい旅を。しっかりといい旅を「行ってらしゃい」ね。
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