2006年01月30日(月) |
もしかしたら。わたしがまるい。 |
やわらかな絹のような雨が降る。空は泣いているのではなかった。 空は潤っていたいのだと思える。渇ききることは哀しみに似ている。
だからひとも。ときには雨に濡れてみたくなるのかもしれない。
今日の不思議。
なにも変らない。なにひとつ変らない現状でありながら。 今日という日は。まるで魔法をかけられているのではないかと思うほど。 すべてが順調で。すべてがまるくおさまっているように感じられた。
もしかしたら。わたしがまるい。だからまわりもみんなまるい。 そういうことなのかもしれないなって思って。自分を撫でてみる。
このまるさが転がって。毎日ころころ転がっているうちに。 汚れたり塵がくっ付いたりして。いつのまにかでこぼこになるのかな。
ああ私って。そんなに粘着テープらしいのかしらって。少し可笑しくなる。
きれいきれいにしてあげたいなあ。毎日せっせと磨いてあげたいなあって思う。
そのためには。一日の終わりに。かならず自分を撫でてあげるべきだろう。
そっか。今日の汚れはちょっと悲しいけど。まっいいかこんなもんさとか。 ひとりごと呟きながら。撫でて撫でてゆるしてあげたい。よしよしとか言って。
そうして明日はあしたの道をいく。どんな道でも。もうへっちゃらだよ。
2006年01月29日(日) |
なんとありがたいひと |
朝はまだ冬。昼間はもしや春。このところずっとそんな日々が続いている。 今日は午後。にわかに雨雲が。ほんの少しだけ雨が降った。まるで春雨のよう。
今日も家業に精を出す。我ながらほんとうに活き活きと清々しい気持ち。 明日も明後日もこうしていたいなと思う。会社には行きたくないなと思う。 だけどそういうわけにもいかず。わりきってわりきってきちんと割っては。 また日々の流れの中に突入しようと思う。なんとかなっている事実があるし。
海苔の収獲をしながら。そうだ、明兄ちゃんに送ってあげようと決める。 遠くの町で飲食店を経営している従兄弟だった。明るくて気さくなひと。
父のお通夜の晩。みんなが帰ってから私はひとり葬祭場で夜を明かすことに。 その時。明兄ちゃんが駆けつけて来てくれたのだ。遅れてすまんかったと言って。 お弁当を作って持って来てくれた。卵焼きとおにぎり。すごくすごく嬉しかった。
30年。たぶんそのくらいながいこと。私たちは会っていなかった・・・。
住所がよくわからず電話をかけてみた。男の人が出たけどお店の人かなと思い。 やたら丁寧な口調で話していると。「俺、俺、なにを他人行儀なことを!」と。 笑い声が聞こえた。ほっとする。そうして懐かしい土佐弁がいっぱい出て来る。
「元気なかや?」とか。「久しぶりやにゃあ」とか。
決して他人ではない。同じ血を分かち合っているひと。なんとありがたいひと。
どうして縁を断てようかと思う。
若き日の罪を。私は死ぬまで償いたいと思った。
2006年01月28日(土) |
むくむくと一日が過ぎていった |
春のかすみのような空。やわらかくてやさしい陽射し。 いまにも芽吹きそうに。むくむくと一日が過ぎて行った。
今日は家業に精を出す。海苔養殖も最盛期となった。 川海苔の一種で『青さ海苔』という。緑濃い海苔だ。 手作業と力仕事。実はすごく好きなんだなあと思う。
失業中の彼が親方さま。活き活きと働く姿が頼もしい。 わたしは臨時の人夫さん。もくもくと精一杯がんばる。
日常がこんなふうに。ふと錯覚のように思ってしまう。 いまのどうしようも出来ない職場のことや。 お惣菜屋さんをしたいという夢や。みんなみんな。 そんなことどうだっていいじゃないかと思えてくるのだ。
そう思うと。家業がほんとうにありがたく思える。
桜の花びらが川面に。緑の海苔の上にひらひらと。
そんな春に。わたしはすくっと立っていることだろう。
2006年01月27日(金) |
ワタシハヨッテイルノカナ・・ |
白い朝。いいえそれは雪ではなくて。 朝の光。川面に射すいちめんの光だ。
見せてあげたいといつも思う。あのひとに。
ただひとつきりの太陽を。あのひとにあげたい。
音信不通になってから9ヶ月。無事を祈り続けた日々が。 決して無意味ではないと。私の確信は。あのひとの存在。
あのひとは消えない。決して消えないひとなのだから。
ふぅ・・時々はこんなふうに。おさえきれない感情に。
ワタシハヨッテイルノカナ・・・。
わたしがわたしをゆるしている。つかのまのひとときであった。
2006年01月26日(木) |
さあ。いくらでもかかって来なさい。 |
今日もありがとうのお日様が沈む頃。それはとてもとても紅すぎて。 落ちて行くのを。ああ待ってよと。せつなく呟いてしまいそうな紅。
それは決して止められない。だからそれが。あしたのためだから。
今日の記。
ふと不愉快に思った時。それを顔に出さないでいるのは難しいなと思う。 そんなつもりじゃなくて。別に気にしていないつもりでも。顔って正直。 なのかな。どんなに微笑んでいても。顔はどうして歪んでしまうのだろう。
なんだか仮面。穏やかなふり。優しいふり。そんなのほんとうは嫌だよ。
じゃあ不愉快だと思わないでいたい。ああでも。それも難しいと思わない?
今夜は反省をしている。その本心こそが。まわりを不愉快にさせることを。 だから棘と棘みたいになってしまうのだ。そんな時こそ折れないといけない。 相手を刺せない丸い棘だったかもしれないものにならなければいけないのだ。
あは・・なんだか綿棒みたいなものね。そっか・・私は綿棒になるべきかな。 それっていいかも。さきっちょは綿だもの。ふわふわしてて柔らかいもんね。
そうして。どんなものでも。ちょちょちょいと吸ってあげましょう。
さあ。いくらでもかかって来なさい。
2006年01月25日(水) |
とりあえず肩の力抜いてさぁ。 |
本日も晴天なり。風の冷たさに負けない太陽のぬくもりが嬉しい。 なによりの明るさ。その光を浴びて。ぽつんとそこにいられること。
些細なことで苛立ちそうな心を。ほらほらと宥めてくれるものがある。 そこに行ってしまいそうな心は。はっと気付き。穏やかな場所へと歩き始める。
それでいいのだ。そんなふうにいつも気付ける自分でありたいと思う。
ああ、たぶん。出口とはそんなふうなところなのだろう。 いつだってすぐそこにあるのだろう出口を。見つけるのは自分次第なのだ。
だからこそ。自分を見失ってはいけない。いつだって真っ直ぐに自分を見る。 どんなに嫌な自分でも目を反らさないことだ。見て感じて悩んでごらんさい。
そうしないと。決して前へは進めない。
・・・・と思う。
ふう・・まあ・・とりあえず肩のちから抜いてさぁ。
なんとなくめでたいので。今宵もおひとつおふたつも。
ゆっくり飲み明かそうではないですか。
2006年01月24日(火) |
あっけらかんと。そう生きる。 |
ほっこりと陽だまり。あれこれをまあるくしてみながら。 雲ひとつない澄んだ空を眺める。ちっぽけな自分だとしても。 なにひとつ咎めることもしないで。空はいつもそこにいてくれるのだ。
つかのま。ほんのつかのまであるらしかった。 こころの余裕というものが。その時はあるように感じるのだけれど。 気がつけば。ついつい焦っている自分がいて。嘆きそうになってしまう。
きっと。なにか大切なことを。忘れているのだろうと思った。 なんだろうそれは。どうして思い出せないのだろうとまた焦る。
自問自答を繰り返しては。なんだか迷路の中を彷徨っているような。 出口ばかりをさがしている。ぐるぐるぐるぐる同じ道ばかりに思える。
なんとかなるものなのに。なんとかしようと思うからいけないのかな。
もっと。もっと。あっけらかんと生きたいものだ。
いやちがう。生きたいのじゃなくて。そう生きる。
2006年01月23日(月) |
にっちもさんとさっちもさん。そしてわたし。 |
冬の太陽のありがたさ。ほっこりと心からなにかが芽吹きそうになる。 そのかたちも。そのすがたも。いまはただ感じるだけの。もしや躍動。
近況。
お惣菜屋さんをしてみようと思った。 卵焼きから。最初はそれだけを頑張って作ってみようと。 毎朝4時に起きて。卵焼きをたくさん作るのだ。 業務用のパックに入れて。そうだなあ三切れで百円はどうだろう。 パセリも入れたらいいかな。夏になったらミニトマトも入れよう。
先日のアルバイトのおかげで。夢がむくむくふくれあがってきて。 すごくすごく。それが今にも叶いそうな気持ちでいっぱいになった。 自分のほんとうにやりたい仕事はこれだと思う。ならやろうと決める。
現状突破。いまのにっちもさっちもいかない状態から。 なんとしても抜け出さなければいけない。このままではどうしても嫌だ。 そんな気持ちに。一気に光が射したように思った。明るくて眩しい光だった。
うきうき。今思えばそれは。『とらぬタヌキの皮算用』なのだけど・・。
『食品衛生法』というのがあるのだ。まず第一に保健所に電話してみる。
「どこで作りますか?」と聞かれたから。「我が家の台所です」と答える。 そしたら。係りのおじさんが・・むふふっと笑いながら言うのであった。
「それはぜったいにダメですよ」と。ああうう・・おお・・のぅ・・。
家庭内とは別に調理場を作ること。給湯設備、ガス器具、消毒液・・ああ。
かくかくしかじか。なんということか。私の夢はすでに瓦礫の下敷きに。 もう息さえも出来なくなってしまったのである。いやんもうしらないから。
ほとぼりが。ああいい夢だったなあと。今宵はすっきりと覚めきったところ。
いまのわたしはきっと。にっちもさっちもするべきなのだと思う。 山を登りたいのなら。なにひとつ焦ることなどないではないかと。
にっちもさんも。さっちもさんも。私の大切な友達なのかもしれないなあ。
2006年01月21日(土) |
とりあえずのいちにち |
どんよりと曇り空。冷たい北風。お日様がとても恋しかった。
今日は。本職をお休みしてアルバイトに行っていた。 まったく違う職種のところで。てんてこまいもまた心地良く。 自分的に。ほんとうはこんな仕事がしたいのだろうなと思った。
つかの間の現実逃避なのか。たんなる気分転換なのか。よくわからない。 ただすごく働いているという実感があって。面白い仕事だなと思う。
毎日となると。朝が早い仕事なのでかなりきつくなるかもしれない。 でも。早寝早起きを心がければ。きっとすぐに慣れてしまいそうだった。
とりあえずのいちにち。また機会があれば出向きたいと思っている。
私はとにかく動きまわっていたい。忙しくてんてこ舞いしていたい。
ほどよい疲れが。とても心地良く思える一日だった。
2006年01月19日(木) |
このままでいい。これがわたしたち。 |
昨日からまた冬らしさ。春なのではないかと思わせたり。やはり冬なのだと。 頷かせたりしながら。季節は気紛れな誰かさんのように。歩いているらしい。
その誰かさんの心といったら。熱くもなく冷たくもなく。程よいぬくもりで。 日々をただ。てくてくと歩いているらしかった。ため息とか戸惑いとか無縁。 なんというか。けっこう順調らしく。誰かさんのもっとも自分らしい姿である。
誰かさんは。悩むことも特にありそうもなくて。かといってのほほんと空を。 仰ぐ余裕もなさそうだけれども。ちんまりとその場所におさまっているようだ。
そのちんまりかげんが。とても居心地が良いらしい。私から見るとそこは。 なんだかきちんとしてなくて。少しだらしないような気がするのだけれど。 ああすればこうすればと。とやかく口をはさむ理由が見つからないのだった。
とにかく。こんな時だから。そっとしておいてあげたいと思っている。
そのちんまりとした空間で。誰かさんと私は今宵もふたりきりで。
あれこれは静かに眠らせてあげようではないかと。語り合っているところ。
ああいま。誰かさんが微笑んでいる。そうそうその微笑が私は大好きだよ。
このままでいい。これがわたしたち。
2006年01月16日(月) |
わたしは山を登りたい |
じぶんはとても恵まれていると感謝しつつも。 どうしてこうも不運なのだろうと嘆く時もあったりするものだ。
「母さん。ナンクロ誌ばかり買ってないで。風水の本買いなよ」とサチコが。 「そうね。ちょっとそういうのにはまるのがいいかもしれないね」と笑ってみる。
笑う角には福が来るのだ。きっと来るはずなのだと信じてやまない今日この頃であった。
とはいえ。貧しさに負けた。いえ世間に負けた。このところずっとそんな感じで。 『平成枯れすすき』を作詞して一発あててやろうじゃないかとさえ思うのである。
と。このように心は決して貧しくないのが。わたしのとりえなのだから。 その豊かさを糧に。一歩一歩めげることなく。前へ進もうと決意しているのであるが。
たまに転びそうになる。なんでもないことがすごくでこぼこに見える。 なんて岩だらけの山なんだろうと。ため息をつきながら泣きそうになる。
ずっとお花畑ならどんなにいいだろう。スキップしながら歌もうたえる。 さえずる小鳥たちはみんな天使。じぶんにだって羽根があるような気がする。
でもね。わたしはたぶん。そういう道を選ばずに生まれて来たのだと思う。 そういう道じゃいけない理由をもって。自らその道を避けて生まれてきた。
わたしは山を登りたい。ああ、きっとそのてっぺんから海を眺めたいのだ。 汗とおなじくらいの涙を。流して流して。それはすごく爽快なことだろう。
険しければ険しいほど。わたしは生きられるのだと思う。
この山をきっと越える。そして次はあの山に登るとしよう。
とうとう最期に辿り着けば。そこがきっとお花畑なのだろう。
2006年01月15日(日) |
切ってあげないといけない |
もしや春ではないかとおもうほど。暖かで穏やかな休日だった。
窓際で生い茂っていた『ブライダルベール』というな名の植物が。 その名のとうり、それはベールのように垂れ下がりながら伸びて。 小さなそれはほんとうに小さな白い花をひとつふたつ咲かせていたのだが。 根元の方から枯れ始めて。いくら水をあげても葉がぽろぽろ落ちるばかり。
とうとう今日は思い立ち。きれいさっぱりと散髪をしてしまった。 その葉の先は巻きつくように。ブラインドの隙間から手を伸ばすように。 光へと。どんなにか光が恋しかったのか。窓にへばりついているものもあった。
酷なことのように思い。謝りながら切る。手繰り寄せながら切る。 残してあげたいところも。根元はもう力尽きそうに弱り果てている。 切ってあげないといけない。なんだかとても苦しそうにもがいている。 何がいけなかったのか。どうしてこんな姿にさせてしまったのか。 ほんとうにすまない気持ちでいっぱいになったが。切るしかなかった。
そしてすっかり丸坊主になった。私のせいで死んでしまうかもしれない。 私は切れないひとだったから。いつもそう。切ることをためらいすぎた。 伸びたいだけ伸ばしてあげる。咲きたいだけ咲かせてあげるのが愛情だと。 思い込んでいたのかもしれない。ただ水をやる。ただ可愛がるためだけに。
それが。二時間くらいたった頃。私は信じられない光景を見た。 窓辺で西陽を浴びながら。その切った枝先がキラキラ光っているのを。 私が切ったすべての枝先に。ちっちゃな真珠みたいな水の玉が見える。
生きている。ああ生きているんだ。泣きたくても泣けなかったのだろう。 生い茂りすぎて。どうやって泣けばいいのか。わからなくなっていたのかも。
水の玉は夜になっても消えなかった。
よけいなもの。それをとりのぞいてあげたら。きっと生きる。
潔く。切ることが大切なのかもしれない。
植物も。ひとも。
静かに雨。しとしとといろんなことが水のなか。
たとえば。あのひととか。水紋のごときかたち。
ゆらいでいる。それは水の中。もしかしたらもう。
まぼろしなのかもしれない。こわさ。消える怖さ。
いともかんたんに。流れてしまうものなのだろうか。
すくいあげてみる。たしかめてみる。こぼれてしまう。
かなしさ。つめたい水。ほほにあてる。くちびるにも。
ああ。あのひとは。さいしょから雨だったのかもしれない。
指先からこぼれ落ちる。そのしずくが。あのひとのかたち。
2006年01月12日(木) |
微笑んでしまったのでした |
雨が近づいているらしい。寒気が緩みぽかぽかと暖かい日中だった。 冬枯れた草たちが。柔かな藁のようにまるく重なって息をしている。 そこで眠っているだろう小さな命たちに。雨は潤いの糧を与えるのだろう。
今日も微笑んでみる。
微笑んでみなければいけないのではなく。
微笑んでしまうのがいい。
お風呂で。久しぶりに鼻歌を歌う。
歌おうとしてそうするのではなくて。
いつのまにか歌い始めているのがいい。
『夢をあきらめないで』
なぜかいつもこの歌になる。
ふふふっと可笑しくなって。
お湯をちゃぽちゃぽさせながら。
微笑んでしまったのでした。
2006年01月11日(水) |
太陽に手をあわせてごらんなさい |
とても冷え込んだ朝のこと。まるで粉雪のように霜がおりる。 きりりっとした澄んだ空気は。真っ青な空からの贈り物のようだった。
いつもの川沿いの道を行けば。川舟が一艘ぐんぐんと水を掻き分けるように。 進んでいる。なんだか競い合うかのように私も前へ前へとクルマを走らした。 そしたら。おっきな太陽がそれはそれは眩しくて。負けちゃいそうになったのだ。
目の前が真っ白になる。ほんとうはオレンジにミルクを流したような川面が。 それは夢かもしれないと思うほど。私をどこか遠いところに流してしまいそうに。
光に。光につつまれると。ひとはそんなふうに思ってしまうものかもしれない。
もしかしたら。それが光の一部分になった証なのかもしれないのだった。
そんなはずはないと思うことがあるとしてみよう。 邪念や。我が身を貶めるあれこれなどが。どれほど自分を束縛していることか。
なのに光というものは。どうしてこうも赦してくれるものなのだろう。 どんなに醜くても。どんなに愚かでも。光はそこに在るものに降り注ぐものなのだ。
だとすると。赦されていることを。もっと感じて。もっと感謝してみるべきだろう。
みんなみんな太陽に手をあわせてごらんなさい。
2006年01月10日(火) |
ほんの些細なことから |
とんとんとんと。また日常が平穏に流れ始めている。
ときどきふっと。空を仰いでは。その順調を確かめている。 順調とは。どんな空模様であっても。それが空だという事実だ。
仕事を終えて帰り道。また例の小川沿いの細道を行く。 今日は。栴檀の実を拾った。道一杯に落ちているそれを。 なんだか子供みたいに夢中になって。拾い集めていた。
この前少しだけ拾って帰ったのを。姑さんの霜焼けの治療に使ってみた。 煎じた苦味のある汁を患部に湿布すると。一晩で腫れが引いていたのだ。 紫色に腫れあがって指も曲げられないと嘆いていたのが。すごく楽に。
そうして役に立てたことがすごく嬉しかった。試してみて本当によかった。
ほんの些細なこと。それがどんな結果になるのかまったく分からなくても。 何かを思い立って。そうしてあげたいと心からそう思い。行動することで。 思いがけず感謝されたり。思いがけず人の役に立てることは幸せなことだと思う。
時にはおせっかいで。時にはありがた迷惑になり兼ねないこともあったりして。 それは本当に悲しい結果なのだが。それを恐れていたら何ひとつしてあげられない。
そう肝に命じて。これからもそんなふうに。ひとと接していきたいと思う。
ただ。そうしないほうがそのひとの役に立てると確信した場合は。 そうしないことが。そうしてあげることに等しいことを忘れてはならない。
2006年01月07日(土) |
ひとやすみ。ひとやすみ。 |
午後からまたつかの間の雪。少し早目に帰宅する。 鏡餅を割って七草おじやを作る。それと熱燗をちびちび。 からだの芯から温まり。この上なく満足な今宵であった。
仕事始めの日からわずか4日。なのになんだかもっと長くて。 どっと疲れを感じたりしている。家事を終えてひとりになると。 やたらため息がこぼれる。ほっと一息という感じのため息だから。 特にどうということはないのだけれど。気分がいまいち花丸ではない。
よく笑って。よくしゃべった4日間だった。 お顔とお口がお疲れさんになっているらしかった。
こころは。ちょっとひとやすみ状態。だらりんと不貞寝しているよう。 もう少しあっけらかんと。そんなことおかまいなしでゴロ寝の気分に。 なれたらいいなあって思う。なろうとすればなれるのかもしれないな。
そうは言っても。なりたい自分になるのって。けっこう難しいよね。
ひとやすみ。ひとやすみ。
月曜日もお休みだから。すごく嬉しいよ。
2006年01月06日(金) |
明日も会えるといいな |
午後。少しだけ雪が舞っていたが。夕方には晴れ間が見える。 いつもの県道を下りながら。脇道の小川沿いの道を通ってみた。 クルマ一台がやっと通れるくらいの細い道だが。時々ふっと。 なんとなくそこを行けばいいことがありそうな気がしたりする。
今日は虹だった。それはもちろん県道からも国道からだって。 見える空だったが。その細道の続くところにだけある空のようで。 誰も気付いていないのではと思うくらい。わくわくと嬉しかった。 真冬の虹。その七色は小川に注がれてどこに流れて行くのだろう。
今日はいい日。そんな心のままで夕食の買い物などしていると。 いつものおじさんに会った。年の頃は私のお父ちゃんくらいで。 どこの誰なのかもまったく知らないけれど。すっかり顔なじみ。 毎日同じ時間帯に買い物をしている。いつも同じお店で。ただ。 それだけの縁なのだけど。ちょっと愛嬌があって愉快な人だった。
たとえば。私が鮮魚売場にいると側へ寄って来て何を買う?って。 野菜売場へ行こうとすると後をついて来て。ほうれん草高いなとか。 最初は変なおじさんだなあって思ってちょっと警戒していたけど。 最近は。見かけないと心配になるし。見つけたら笑顔がこぼれる。
今日はね。そのおじさんが食料品を買ってから。ホームセンター側へ。 そこで暖かそうな絨毯を買ったのだ。桜の色みたいな絨毯だった。
「寒いけんね」って。なんだか照れくさそうに微笑んでいたのが。 ほのぼのと嬉しくて。今夜から少しでも暖かな部屋で過ごせるなあって。
もしかしたら独り暮らしなのかもしれなかった。
そう思うと。やはりどうしても。お父ちゃんとかさなる。
明日も会えるといいな。
また明日の夜から雪かもしれないと天気予報。 それも仕方なく。冬だから仕方なく。怖がったり。 不安がったりは。もうよそうと思う。降るのならば。
仕方ないといえば。今日は職場で。『無い袖は振れない』と。 オババと語り合った。無いものをいくら欲しがっても。無い。 そんな現実を嘆いてばかりいた自分を。ふと思い浮かべてみる。
在るものを欲しがるのは当然のことだろう。 目の前にそれがあれば。誰だって期待して。 当たり前のようにして。受け取ってしまうのだろう。
だけど。無いものは。つかみようのない空気のようなものだった。 ひとは愚か。そのないものをどうにかしてかたちにしようとする。 それさえあればと懇願するように。手で掻き集めるようにもがくものなのだ。
無いのだよ。ああ、うんわかった。無いんだね。 そんなふうにあっさりと現実を受け止められたら。どんなに楽だろう。
辛くても我慢するべきだった。我慢とは。己を満たす力なのかもしれない。 だとすると。少しでも不満があれば。我慢していることにはならない。
じゃあどうすればいいのか。やはりそれは結局のところ『感謝』なのかな。 これでじゅうぶん。これ以上は無いのだから。これだけでありがとうと。
いつも思える自分でありたいものだ。
2006年01月04日(水) |
とにかく歩いて行くのであります |
仕事始め。前途多難、前途不安でありますが。 犬も歩けば棒にあたるのでありますから。 その棒が望やもしれず。とにかく歩いて行くのであります。
また。笑う角には福来るとも申しますゆえ。 いらいらがみがみするまえに。とにかく笑って過ごしましょうぞ。 世間の風は冷たいが。春が来れば夏もきっと来ますゆえ。
そのいちにちの平穏は宝であります。今日をありがとうございました。
さて。午後からまた雪の前兆のような雲が空いちめんに立ちこめ。 ひゅるひゅると冬将軍が得意げに口笛を吹いている今宵であります。
わたくしはといえば。相変わらず熱燗やら新生3やら焼酎やらで。 おかげでこのように。いたって元気。明朗陽気この上なく上機嫌。
ある意味。ぷっつんとしているのでありますが。特に思い煩うこともなく。
めでたく幸せであります。
苦しゅうはないぞ。みなのもの。そばへよるがよい。
2006年01月03日(火) |
あいにいかねばならない |
あらあらと。もう3日になりにけり。
元旦、2日と来客があったため。主婦らしくまかないに追われていたが。 少しも苦にはならず。むしろ和気藹々と酒宴を楽しめたことを嬉しく思う。
やっと今日。例年どうりに初詣に行くことが出来た。 クルマで30分ほど西へ。四国霊場39番札所の『延光寺』へ。 日頃から『寺山さん』と呼んでいる。静かな山沿いのお寺だった。
今年こそはと。本堂の脇から山道を登ってみることにした。 ミニ八十八ヶ所巡り。山道の随所に八十八体の仏様が奉納されてある。 しぶる夫君を残し、ただひとり。てくてくと登りながら手を合わせて行く。
竹やぶからこぼれる陽射し。どこからともなく吹き抜ける風。 仏様はどの顔も優しく微笑んでいてくれる。心がさらさらと。 拭って拭って。もう何も思い残すことがないような気持ちになれた。 最後には。感極まり涙がこぼれる。それは澄んだものへの愛しさに似て。
あとはただ。駆けるように。山を下るしかなかった。
いつだって。そこにいてくれるものならば。
なにひとつ。まようことなくあいにいかねばならない。
このいとしさが。ありがたさでなくて。なんだろうとおもう。
とても穏やかなこころで。新しい年を迎えることができた。
明日はあしたの風が吹く。いつもそう思える自分でありたい。
いまはのはらでねころんでいるきぶん ふしぎとさむさをかんじない
ほしもなくつきもなくあのひともいない それがなぜかあたりまえのよう
まんまるくなってねむりたい
あしたのかぜ
あしたのそら
あしたのわたしがまっている
|