2005年12月30日(金) |
わたしを見つけてくれてありがとう |
振り返る記憶は思い出。そこから歩み出した自分を確かめてみよう。 どんなにいびつで。どんなに後悔していたとしても。そうでなくては。 今が在りえないことに気付かなければいけない。
まだきっと遠いのだ。はるかかなたまで道は続いているのだろう。 別れ道で悩もう。峠道では休もう。空を見上げて心で呼吸しよう。
時には石ころ。時には木の実だったわたしを。見つけてくれてありがとう。
一粒のわたしと。一粒のあなたが。一本の木になれますように。
いつかきっと。ともに空を見上げましょうね。
この一年のいっぱいのありがとうをこめて
2005年12月29日(木) |
ふっくらと。やわらかに。 |
まあいいかと思えた今日。きっとすごくこだわったていた。 それはいったい何だったのだろうと。さらりと心が軽くなる。
そんな日に見上げた空がとくべつなのだ。どこまでもひろい。 時々は曇り。時々は雨。時々は雪さえも降る。それが私の空。
帰り道。ラジオから。コブクロの『桜』が流れる。 いい曲だなと思っていたが。今日はすごく胸にこたえた。 じっくりとその詩をかみしめる。うなずくように耳を傾ける。
せつなさをのりこえるような希望がそこにあふれていた。 はかなさを。かなしさよりも。命にかえる精一杯の強さ。
わたしはなんどちっただろう。だけどきっとはるがくる。
こころのそこから。そう信じられる『桜』だった。
ここ数日の。焦りに似た感情を思う夜。 それは。かたくなな我が咲きたくて血迷っていたのかもしれない。 手折ることが怖かったのだろうか。手折れば咲けないと思い込むように。
だけど。そんな我など。なんどでも散ってしまえばいいのだ。 誰の手も借りる必要などない。自分の手で散らせてしまうべきだ。
そうしてなんどでも地にかえろう。そこからまた始めればいい。
ふっくらと。やわらかに。心地良く天を仰ぐ日。
わたしは。きっと。思いがけず咲いていることに気付くことだろう。
2005年12月28日(水) |
のほほんを呼ぶけれど。 |
残り少なくなってきたなと思う。なにが?って思う。 ただこの一年が終ろうとしているだけなのに。どうしてこうも。 落ち着かず。押し流されるように過ごしているのだろう。
のほほんを呼ぶけれど。のほほんはいったいどこに隠れてしまったのか。 みせかけのような穏やかさの中で。自問自答を繰り返しては少し疲れた。
笑い声ばかりが聞こえるテレビを見ようとして。ふとためらう。 そうなのだ。いっそそっちへ行ってしまえば。どんなにか楽しいだろう。 なのに。そわそわと気分があちらこちらへと散ってしまうのを抑えられず。
また自室にこもる。こんなスイッチなんか壊れてしまえと思いながら。 叩き壊すこともせずに。ずっと。もう何年なのか大切にし過ぎているようだ。
終わるということは。始まることらしい。 だとすると。終われないということは。始まらないということだろうか。
わたしはいったい何を終らせたいと思っているのだろうか・・・・。
イマハソレガドウシテモワカラナイ。
青空と冷たい風。それらしく急いでいる人々。 ささいな焦りと。ちょっとしたわだかまりと。
いっそ早く終ってしまえばいいと思う諦めに似た心で。 いちにちが過ぎる。とんとんとただ前にすすむように。
今日も茜雲。ほんの少し日が長くなったようで嬉しい。 空を見上げることを忘れそうでいて。また思い出す空。
なにかとてつもなく不安なことにとらわれていたのかも。 それをぽかんと空に浮かべてくれるのが空のありがたさ。
わたしの我というものは。ときどきは強情でひどく固い。 それが異物のように生きようとするから息苦しくなるのだ。
わかっている。じゅうぶんにわかっていることを素直に。 認めてあげなければいけないと思う。ほぐすように撫でて。
石ころを空に放っても。なんどもなんども放っても。 落ちる。転がる。しまいには行方知れずになるやもしれず。 それでも諦めずに。空に浮かびたいと願った石ころのことを。
愛してあげたいと思う。どんなかたちでそこにいようと。
空はすべてを知っている。夕陽をあびて茜色に光る石ころが。
雲のこころで生きつづけていることを。
2005年12月25日(日) |
独り言のように歌いなさい |
ひとりで夕食。3時頃からおでんを煮込んだのだ。 それはそれは美味しくて。やたらはんぺんばかり食べてしまった。 熱燗とおでん。なんだか屋台のようでありながら。 テレビ相手に。独り言を呟いてみたり。にやにや笑う可笑しさもあった。
家族がみな出掛けてしまい。おかげでいただいた独りぼっち。 こういうのもまんざらではなく。わりと貴重な時間ではないかと思う。
そしていちばん風呂に入る。今夜は霧島温泉にしてみた。 ぽかんとお風呂場の天井を眺めたりして。何も考えることもなく。 いまここにひとりだから。ずっとひとりでもいいかとかふと思う。
さあそしてお次はビール。なんだか懐かしい歌番組をずっと見ていた。 井上陽水、山口百恵、五輪真弓。カラオケ気分で大声で歌いまくる。 桑田さんの『白い恋人達』はやたら好きな歌で。ほろほろと泣ける。 山下達郎の例の歌も。ああほんとうに胸が熱くなる名曲であった。
ひとり帰る。すぐにふたり帰る。そしてとうとう三人目が帰って来た時。 私は『夜空のムコウニ』で感極まっているところであった。 この詩は。この詩のように。この詩が真実であると。重なる想いで涙が。 歌いたくても声にならない。とにかく私をそっとしておいての状態なわけで。
とうとうとどめの焼酎のお湯割りになった。 グラス片手に逃げるように自室にこもる。その時ふと自分を戒めようとした。 書く必要がどこにあるのだ。何をいったい書かなければいけないのだ。 ずっとそのまま茶の間で。さんまちゃんと楽しい時間を過ごせばいいものを。
いけないスイッチがまた入る。今夜は黄色の注意信号が見えている。
ラストクリスマスに届いた。あのひとの手紙を読み返しては。泣いた。
わたしのなかでは何も終っていない。夜空の向こうにきっとあのひとがいる。
寒気が少し緩み。ほっと陽だまりの猫の気分。
土曜日の仕事はいつもだらりんとやり過ごすのだけど。 今日は来客が多くて。ちょっとした活力でたんたんと頑張る。
お客さんのひとりが言う。「お天道様がいちばんだなあ」と。 みんなこの冬の寒さに戸惑っている。日向ぼっこは心まで温まるものだ。
のどかに。何もかも忘れたように陽だまりでほこほこと。 昨日のことも明日の心配もせずに。ただただぼんやりしていたいものだ。
そうぼんやりがいい。何かをしかと捉えたりしないように。 何かのために思い詰めたりもせず。何かについて深く踏み込まない世界。 それは決して逃げているのじゃないと。そう信じられる時間が大切なのかも。
帰宅途中。国道沿いのケーキ屋さんでクリスマスケーキを買う。 チーズケーキの美味しいお店。甘くなくてふかふかと柔らかくて大好き。 助手席にそっと置いて。気分はすっかりメリクリサンタさんになった。
しかし。そのサンタさん。帰るなり郵便受けを。もしやと確かめる。 今さら。あのひととか。そんなこと言ってはいけないと思うサンタさん。 音信不通だっていいじゃないか。生きていてくれたらそれだけでいいと思う。
サチコの帰宅を待ち。家族そろってケーキを食べる。
なんだかむしょうにワインで酔いつぶれたい夜であった。
2005年12月23日(金) |
あんずるよりうむがやすし |
午後から冬の陽射しに恵まれて。雪が少しずつ融け始める。 ぽたぽたと雨音のように。空を仰ぐとその冷たさもとろけるような眩しさ。
夜には星がと思っていたのに。思いがけず雨が降り始めた。 なんだかその雨が今にも雪に変るのではと。また臆病な気持ちになる。
今年最後のバドの練習日だったが。みんなに連絡して中止にしようかと。 すっかり怖気づいた気持ちでいたところ。若いメンバーから電話がある。 「やろうよ、やろうよ」と言うので。「うん、やろう!」と言ってしまう。 負傷していた親指もすっかり治り。思いっきりやりたいなと思う気持ちと。 ただただ雪が怖い。夜の運転に雪とくれば。がくがく震えてしまいそうだった。
あんずるよりうむがやすしかな。いざ行ってみれば外の様子も気にはならず。 からだを動かしているのが。夢中になって動かしているのが。とても快感で。 久しぶりにいい汗をかくことが出来た。心地良い疲れと。さわやかな気持ち。
「来年も頑張ろう!」と笑顔で解散。雨の道をウキウキとしながら帰る。 なんだか小腹が空いたなあと。むしょうに甘いものが食べたくなり。 まだ開いていたお店でバウムクーヘンを買ってしまった。
お風呂あがりのビールがうまし。お腹もいい具合に満たされたところで。
よはまんぞくであるぞ。このうえなくしあわせな夜であった。
明け方から雪が。みるみるまに積もり始める。 いちじは吹雪のようになり。あたりがまるで見えないほどだった。
いつもならすぐに解けてしまう雪が。一日中解けずそのまま夜になる。 暖かな家の中でのんびりと過ごすありがたさ。新潟の人達の暗く冷たい夜を思い。 どうか一刻も早く電気を点けてあげてほしいと祈るような気持ちでいる。
職場が臨時休業になったため。少しだけ大掃除の真似事をした。 書きかけていた年賀状も書き終えることが出来た。なんだかやはり。 今年も終りかけていて。ひとつひとつ何かを急ごうとし始めているらしい。
サチコが雪だるまを作った。ほほがピンク色でおちょぼ口の雪だるま。 よく見ると泣き黒子まであって。目がしょぼんとして哀しそうな顔の。
でも。母娘で大笑い。笑いすぎて涙が出るくらい。それはとても愉快だった。
この写真を撮った後で。サチコはここに絵を書いたそうだ。 足跡いっぱいつけたよとはあはあ言って喜んでいた。
『1リットルの涙』を見たあとの母さんに似ている。
2005年12月21日(水) |
わたしは。すくっと立っている。 |
黄昏ていく景色のその真っ只中に。並ぶ川面の木々たち。 それは誰かの手によって植えられた木であったり。もしくは。 度重なる洪水のせいで。上流から流されては根をおろした木もあった。
海ならば。きっと途方に暮れたことだろう。砂浜に根を下ろすことは。 命を絶つことに等しい。ここでよかったと。どんなに安堵していることか。
水辺に立っている。冷たい川風にびくともせずに。その木は今日も黄昏に染まる。
いつしかその地は。私のふるさとに似てくる。 その大河の上流で育った私も。流れ流れて。ここに根付いているらしい。
黄昏の風景がとても懐かしく思う。子供だった頃。父さんも母さんもいて。 ランドセルをかたかた鳴らしては。橋を渡り家路を急いだことだった。
見渡す限りの緑のなかで。水のにおいを心地良く感じながら育った。 母さんが泣いていた日。父さんが怖かった日。弟が愛しくてならかった日。
そこから私は。ながいながい旅をし続けて来たように思う。
ひととして。こんなにもひとを傷つけて。ただ痛みだけを残して去っては。 なにひとつ。償うこともせずに。ただ自分の居場所だけを求めてさすらう。
傷ついたと思うことは何ひとつなかった。そこまで私は落ちぶれていたらしい。
あれは嵐だったのか・・と。どうして今日なのか。わけもなく思った今日という日。
わたしは。そんな嵐のおかげで。ここに辿り着けたのだと思った。
黄昏ていくすべての想いを。感謝に変えて。明日の風を受け止めるためにだけ。
わたしは。すくっと。立っている。
2005年12月20日(火) |
だから私は。微笑むことを忘れてはいけない。 |
今朝も冷え込み。あたりいちめんの霜だった。 枯草たちが。老いたすすきたちが。きらきらと眩しい道。 風は吹かず。それは氷のオブジェみたいに美しく見えた。
そして。微笑みに会いにいく。それは心がけひとつで叶う。 ことなのだろう。「おはよう」の明るい声だけで心が和む。
交差点に。中学生らしいジャージ姿の男の子達が数人立っていた。 県民交通安全の日だったから通学路に。寒いのにえらいなと感心。 すると。ひとりの男の子が駆け寄るように近づいて来てびっくり。 助手席の窓をのぞきこむように。深々と頭を下げてくれたのだった。
それはほんとうに一瞬の出来事だったが。「おはようございます」と。 声をかけてくれたようで。なんて清々しい朝なのだろうと嬉しく思う。
このひと時を無駄にはしない。私はその時。もう微笑みに会っていた。
苛立ちは。私自身の些細な我。誰も私を振り回そうとしているのではなく。 わたしは。私に振り回されているのだと。やっと気づいたように思う。
微笑みにいつも会いたかった。だから私は。微笑むことを忘れてはいけない。
2005年12月19日(月) |
鏡よ。鏡。鏡さん。そこに映っているのはだあれ? |
風はとても冷たかったけれど。冬の陽射しにぬくぬくと温まるいちにち。
そんな温かさだけを覚えているべきだと思うのだ。なのにまた例の嫌悪感に。 苛まれそうになり。逃げるように職場を後にした。どうしてだろう。どうして。 いちいち気に触るのだろうと思う。幾度も受け止めて来たことがちゃらになる。
夕暮が迫る川沿いの道を。今日も茜雲に会えた。それは少し紫がかった雲だった。 不思議なかたち。それぞれがこんなにもありのままの姿で。ぽかんと空に浮かぶ。
ひとは。あまりにもいろんなことに振り回されているらしい。 のほほんと。それをどこ吹く風やらと。いつも思えたらどんなに楽だろうか。
自分にとっては異物のようなこと。その人にとっては当たり前のことが。 ちくちくと刺すように痛く感じる。不愉快にさえ思える。悲しみの一種。
鏡よ。鏡。鏡さん。そこに映っているのはだあれ?
ああやはり。それはわたしなのにちがいない。
その異物が。きっとわたしなのだ・・・・・。
気がつけば。今日は一度も微笑まなかった気がする。
あしたはきっと。微笑みにあいに行こう。
2005年12月18日(日) |
今は前を向いているばかりだった |
少しだけ積雪。窓を開けると真っ青な空にほっとして。雪解けを待つ。
足跡を。昨夜はそう決めていたのに。とうとう一歩も外に出ず一日が。 なんだかこころまでものぐさになってしまい。腑抜けてばかりだった。
金曜の夜にあった『義経』の役者さんたちの座談会を録画で観た。 中井貴一が「兄ちゃん、戦に勝ったよ」って弟から携帯電話で報せがあれば。 とか。頼朝はもっと弟をほめてあげたかったのだと思う。とうとう会わずに。 会って語り合えていたら。こんなにまで悲劇にはならなかったろうにと思った。
滝沢君の涙にほろり。この役のおかげで彼はすごく成長出来たと思う。 役者さんたちの『なりきる』という姿勢には。ほんとうに頭が下がる。 魂がのり移ったかのように演じられることは。役者名利に尽きることだろう。
だからなのだ。感動という心から沸き立つ泉を。私たちは授かることが出来た。
今年も残り少なくなったと。あまりにもテレビで言うので。 ああ、やはりそうなのかと。やっと少し実感が湧いて来たようだった。
時に流されずに。ひたすら歩んで来たのだろうか・・とふと思う。 のんびりてくてくと。そんな理想をよそに。駆け足で走り抜けたかもしれず。
少し疲れたと思う気持ちを。宥めるように。今は前を向いているばかりだった。
2005年12月17日(土) |
あれはいったいどこで生まれて。どうやって死んだのだろうか。 |
午後から。また少し雪が降る。すっかり臆病になり早目に帰宅。 雪は嫌いではなかったが。雪は怖いと思っているらしかった。
ひゅるひゅると冷たい風が窓を叩いている夜。 とてもぼんやりとしていて。なんだか気が抜けたよう。
湯たんぽを入れてあるお布団にもぐりこんだら。 どんなにか心地良くて。ぬくぬくと眠りにつけることだろう。 だけどまだそんな時間にならなくて。だからぼんやりが似合う。
最近。不思議と人恋しさがなかった。 以前はよく。泥酔状態で誰かにメールしてみたり。 返事を待って。来なければ泣きながら眠ったりしたものだ。
ぷっつりと。決して切れてはいないのだけど。 途絶えていることを。今はむしろ心地良く感じている。
躊躇することがよくある。それはある意味。理性かもしれず。 いくら泥酔状態でもあっても。崩れないものがあるのだろう。
おっし!これは成長のひとつであると。ほんの今、自分をほめた。
寂しいという。淋しいという感情が。気がつけばなかった。 あれはいったいどこで生まれて。どうやって死んだのだろうか。
さあ。また眠くなるまで漢字ナンクロしよう。 目がトロトロになって、字が見えなくなるまで頑張ろう。
目覚めたら。雪が積もっているかもしれない。
そしたら。『これあたし』の足跡をつけに行こう!
2005年12月15日(木) |
それはとても。ゆっくりでいいのだから。 |
寒気が一時的に緩んだらしく。冬の陽射しに恵まれた一日。
お昼休み。クルマに積んである毛布が。ほかほかになっていた。 膝に掛けて。また何かにとり付かれたよう漢字ナンクロに励む。 読もうと買った本もそのままで。いつまでたっても読み出せない。 気がつけばいつも寝ている。シャープペンを握ったままうたた寝。
まあいいじゃないかと思うが。何につけても踏ん切りが今ひとつだった。 とくに夢中でもないことなのに。これでお終いと決められない性格かも。
それを言い換えれば。ずるずる。もっときっぱりと潔くなりたいものだ。
師も走る頃らしかったが。私は今のところ。のらりくらりと歩いている。 言い換えれば。のんびり中としておこう。急ぐことは何もあるまいと思う。
時々ふっと。頭の中が真っ白になる時がある。 それはある意味。リセット状態かもしれなかった。 考えて考えて思い悩むようなことさえも。忽然と姿を消してしまうような。
そんな自分をほめてあげたいと思う。真っ白だから。大切なことを思い出す。
そしてまた。初心にかえることが出来るのだ。
真っ白に。ちいさな目印をつけよう。
真っ白に。自分の在りかを見つけよう。
それはとても。ゆっくりでいいのだから。
目覚めると雪が降っていた。
とうとう。従兄弟のお葬式に出席出来ずに。一日が終ろうとしている。 雪のせいにしてしまう。遠く離れた場所で。手を合わせ冥福を祈った。
弟から。たくさんのひとに見送られて旅立ったと聞く。少しほっとする。 「心配することないよ」と弟が宥めるように言ってくれて。救われる思い。
いつだったか読んだ本に書いてあったことを思い出した。 誰の何という本だったのか。今はよく憶えていないのだけど。
自分が死んだ時。その葬儀の場面を目に浮かべてみなさい。 そうすれば。どれだけ自分が愛されていたかが。きっとわかる。 だからこそ。命ある限り。まわりのひとを愛して生きていきなさい。 思い遣り感謝して。縁あったこそ出会った大切な人達ばかりです。
その言葉に出会ってから。幾度か。それはとても数え切れないくらい。 わたしは私のお葬式を見て来たように思う。紫のりんどうの花がいっぱい。 わたしはお棺の中にいて。頬に花を髪に花をかざして微笑んでいるのだった。
みんなが声を掛けてくれる。家族はもちろん。大切な人たちがみんな。 わたしは。とても心強くて。わたしはとても幸せで。すごく安らいでいた。
たとえば不慮の事故。たとえば闘病の末。もしくはある朝突然に息が止まり。 そして恵まれたなら長寿を全うしたその時に。わたしはきっと死ぬのだ。
不安があるとすれば。それがいったい何時なのかわからないことだ。 明日かもしれないし。まだ40年先かもしれないのだから。
だからこそ。精一杯生きて。みんなを愛したいと思う。
死んでからのありがとうじゃなく。生きてありがとう。
時おり小雪が舞う寒い一日だった。
いつもの熱燗。いつものお風呂。今日も平穏無事で何よりだと思う。
さいごに帰宅したサチコに上げ膳据え膳をして。またお猿さんみたいに。 きゃっきゃっとはしゃいでしまう愉快な母であった。
その時電話が鳴る。先日会ったばかりの弟からだった。 父方の従兄弟が急死した報せに。しばし言葉を失ってしまう。 信じられない気持ちが大きく。悲しみというよりも。なんだか。 ひとはある日突然に死ぬという事実に。強く胸を刺されたように思う。
幼馴染でもある従兄弟だった。私よりひとつ年上だったけど。よく遊んだ。 年頃になると。ちょっと意識して。ふたりとも無口になったりしたけれど。 叔母の家に泊まりに行くと。一緒にご飯を食べたりするのがすごく嬉しくて。
不義理をずっと重ねて来たこれまでを思う。 叔母のお葬式にも行かなかった。いちばん私を可愛がってくれたひとなのに。 父方と縁を断たねばと思っていた頃があったことを。どれほど悔やんだことだろう。
情けない。ほんとうに情けないと。思っている。
「お父ちゃん・・かずし兄ちゃんが死んだ・・」父の遺影に手を合わすと。
涙があふれた・・・・。
穏やかで平和な休日だった。ありがたいことだと思う。
お昼。いつものお好み焼屋さんに電話をしておいて。焼けた頃取りに行く。 お店の入り口に張り紙がしてあり。そこには今年いっぱいで閉店とあった。 とても美味しくて評判のお店だったので。すごく残念でありショックに思う。 おばちゃんは年が明けたら68歳になるらしい。元気なうちに辞めたいと言う。 限界まで頑張ったとしても。ある日突然店を閉めるようなことになり兼ねない。 それよりも元気なうちに。ちゃんとご挨拶をしてけじめをつけたいのだそうだ。
おばちゃんは。私の母と同じ年だった。母を想い。少し複雑な気持ちになった。
午後。また例の化粧品店へ行く。約束したから。今日は口紅を買おうと。 よかった。この前よりもずっと元気そうで安心。79歳のべっぴんさん。 朝からずっと暇だったそうだ。なのに私が行くとすぐにお客さんが二人。 「みかさんって福の神ね」と言って喜んでくれた。ちょっと照れました。
そのお客さんのひとりは高校生だった。眉毛を整えてもらいに来たそうだ。 お祖母ちゃんがお孫さんの眉を。そんな感じがして。なんだか微笑ましい。
ひとに会った日は。すごくこころが温まる。こころの底から湯気がほかほか。
お好み焼屋のおばちゃんの。きりりっとした笑顔が好きだった。 化粧品店のおくさんの。やわらかで優しい笑顔が大好きだった。
そして夜。『義経』の最期を見届ける。 あまりにも悲運で。どうしてここまで実の兄に追い詰められねばいけないのかと。 嘆き痛ましく思うばかりだったが。見終わってから。なんとも言葉に出来ない。 ぬくもりのようなものを感じることが出来た。それは不思議な光のような。
頼朝は。そして。泣いたのだ・・・・。
情を殺して生きることほど。辛いことはないだろうと思った。
2005年12月10日(土) |
めでたし。めでたし。 |
しんみりと静かな夜。すっかり古くなったパソコンの唸り声だけが。 ちいさな部屋中にいっぱいになって。それが少しだけ耳障りに思う。
振り払っている。もっと潔くと思うけれど。くよくよと考え込んで。 しまう時がある。それはいつもどうしようもないこと。だからこそ。 どうにかしようと思わなければいいものを。ついつい囚われてしまう。
そう。昔から苦手だった。気分転換とかが上手く出来ないものだから。 とりあえず。どっぷりと。それに浸ってしまってから。泳ぎだす性格。
焦らずもがかず。ゆっくりと肩の力を抜く。その肩を心の一部分だと。 思うことにしよう。すうはあすうはあ息をして水に浮かぶようにして。
そうそう。さっきお風呂に入ったんだけど。今夜はちゃんと確かめた。 和倉温泉って書いてあった。湯船のなかで。ああこれってどこだろう?
さっそくネットで調べてみたら。石川県の七尾市っていうところだった。 能登半島か。ああいいなあ。一度は行ってみたいとずっと思っていたっけ。 老舗のホテルをクリックしてみる。食い意地張ってるもんで夕食が気になる。 うむ。これはビールより日本酒だなと決めると。わくわくと嬉しくてたまらない。
旅はいいです。温泉は最高であります。
気がつけば。すっきりすっかりいい気分でありました。
めでたし。めでたし。
冬枯れていく景色のあれこれ。たとえばすすき野。たとえば欅の。
老いてうなだれているように見えるが。すすきは風になびく姿が。
なんともいえない哀愁を感じさせてくれるものだ。欅はもう一葉。
風に落として。まるで振り落とすように潔く。枝先を空に伸ばす。
まあるく伸びるのだ。か細い指先で空をなぞるように伸びていく。
そんな季節のまっただなかに。ぽつんといられることが。ささやかな。
わたしの幸せだと思う。
そうではないあれこれのために。心を犠牲にするのはよそう。
そうではないあれこれのために。自分を見失ってはいけない。
2005年12月08日(木) |
ほんの一粒で生きている |
きりりっと今日も冬。少し時雨れたが。午後は晴れ間が見える。 夕暮間近の茜雲が。なんともいえず可愛らしくて。ぽこぽこっと。 おっきなのやちっちゃいのが。生きものみたいに空に浮かんでいる。
そんな茜雲に。栴檀の黄色い実がすごく映えている。空いっぱいに。 真珠を散りばめたように見える。どきどきとしながら。少し切ない。
せつなさはどこからくるのだろう。せつなさは空の欠片だろうか・・。
わたしの実は。たわわではなかった。
一粒で。ほんの一粒で。生きている。
だからこそ。見失うわけにはいかないのだと思う。
2005年12月07日(水) |
わたしはそれを食べたりしない |
午後からまた雪の前触れのような雲が立ち込めてくる。 家路を急ぐ。灰色の川沿いの道。鴨の群れも今日は見えず。
熱燗でまったり。そしてなんだか自分ではないような笑い声。 変なひとだなと思う。このひとってこんなにひょうきんだったかしら。 お猿さんみたいに。きゃっきゃっとはしゃいでいる。自分の可笑しさ。
家事を終えて。お風呂に入る。温泉シリーズの入浴剤が気に入っている。 ああでも。今夜はどこの温泉だったのか覚えていない。ただ気持ち良く。
そして。やっとひとりになる。
わずか三畳の部屋ではあるが。とにかくここが私のお城のようなところ。 また飲み始める。もういいかげんにしようと思いながら。いつもそうだった。
ぼんやりと。まあどうでもいいじゃないかと思うこととか。 手の平にのせてみたり。ころころ転がしてみたり。弄んでいると。 ぽとんと。それが落っこちてしまって。あらまあと笑ってしまう時もある。
くすくす。ほんとうにこのひとって。こんなふうで。少し好きだなと思う。
不満とか。ささいな欲望とか。かつてあったような気がするが。
なんだかみんな。お団子になってしまったようで。可笑しかった。
わたしはそれを。ひろって食べたりしない。
今夜。月が揺りかごのよう。揺れないゆりかご。
揺れたら。きっ落ちてしまう。いったいなにを。
のせているのだろう。それは星だけが知っている。
『1リットルの涙』を見たあとは。 感情がすごくあちらがわにいってしまって。 ここにはすぐにもどれなくなる。
言葉を失うこわさ。 伝えたいことを伝えられないかなしさ。
でも。きっと伝わるという光。
そんな光になりたいと。ふと思う・・。
2005年12月05日(月) |
ここはもう。雲のうえだった。 |
初雪が降った。強く風が吹いて。雪がころころ踊るように降った。
オババの髪は小奇麗にまとまっていて。なんだか別人のように見える。 不思議なものだ。苛立ちも小言も。すっかりきれいさっぱりになった。
そんなオババに。穏やか光線を送り続ける。彼女はまあるくそこに在る。 もっともっと思い遣ってならねばと思う。それはほんとうに鏡のように。 毎日の出来事は。ぶつかるほど跳ね返って来るものなのだ。時に痛い程。
帰宅すれば。お釈迦様が居る。このお釈迦様は晩酌が唯一の楽しみ。 いつも私の帰りを待っている。穏やかな顔でいつもにこにこしていて。 玄関の明かりを灯してくれている。台所のストーブも点けてくれている。
そうして天使たちが。つぎつぎに帰って来てくれると。まるで天国のよう。
私は。かつて。雲にのりたいと思ったことがあったが。
ここは。もう。たしかに雲のうえだった。
2005年12月04日(日) |
あたたかなたくさんのことに。心からありがとう。 |
もうすっかり冬。午後からずっと時雨れている。 南国とはいえ。山間部では雪が降り続いているらしい。
ひゅるひゅると風の声。そんな声も遠く感じるほどに。 とても穏やかなこころで。静かな夜を過ごせるありがたさ。
不思議とあの朝のことを懐かしく思える。もう36年なのか。 ずっとあの出来事を悪夢のように。感じながら生きてきたのか。 なんて愚かだったのだろう。ずっとあの日の少女を忘れられずに。
土曜日の母は。どうしても仕事をしたいと言って。やっと今日。 髪をきれいにしてもらい。すっきりと気持ち良くなってくれたらしく。 近くまで来ているから「お茶でも飲まない?」と電話をしてくれた。 弟夫婦も用事があって。遠方からはるばる来ているから一緒にねと。
私はすごく照れていた。素直に「うん」と言えないくらい照れていた。 今思えば後悔になるのだが。あれこれ理由をつけて。ありがとうだけで。 会いに行かなかった。でもそんな後悔より以上に。満たされた心が残る。
それからしばらくして。思いがけず弟たちが訪ねて来てくれた。 「ちょっと、あんずの顔見たかったから」とか言って。 我が家の愛犬は。弟の家で生まれた仔犬だったから。
ながいこと会っていないから。もとの飼い主のことなど忘れているだろうと。 思ったのだけど。弟があんずに声をかけて撫でていると。すぐに甘えだして。 弟の手をペロペロ舐めていた。それはとても微笑ましい光景だった。
ほんのつかの間。庭先で立ち話をしただけで帰らなくてはいけなくて。 私がちゃんと出掛けて行けば。ゆっくり会えて話しも出来たろうに・・。
あんずと一緒に見送る。そしたら運転席に座った弟が。思い出したふりで。 「あっ・・姉ちゃん、今日誕生日やね」と言ってくれたのだ。
姉ちゃんは。またまた大いに照れまくり。ほろりと胸が熱くなってしまう。
あの朝。弟の手をひいて。ふたりは泣くことも出来ずに歩いた。 いったい何が起こったのか。目の前が真っ暗で何も見えなかったけれど。
とにかく歩いた。そんな寒い冬の朝さえも。今はとても懐かしい思い出。
あたたかなたくさんのことにほっこりとつつまれた。
きょうほど。ありがたいいちにちはなかった。
冷たい雨が。静かにずっと降り続いていた。 言葉を失った空の。ためいきのような雨だった。
職場の前の小道を。お遍路さんが通る。 それはとても鮮やかな色の雨合羽を着ていて。 私にはそれがすごくあたたかな陽のように見えた。
オババの髪の毛がボサボサで。なんだかしょぼくれていて。 明日美容院へ行くように勧める。仕事は大丈夫だからと言って。 すっきりするよ。髪が綺麗になるとすごくいい気持ちだよって。 そしたら素直に「うん、、」と言う。なんだかほっと嬉しかった。
それからトイレに行った私は。ふっと母のことを想った。 嫌いだって思う気持ちがずっと付き纏っていたのに違いない。 尊敬できないと。もしかしたらそう決め付けているだけかもしれないと。
母を頼って。母に会いたくて。元夫から逃げ出して来た私を。 駅まで迎えに来てくれた母は。涙ひとつ見せずに。きりりっと立っていた。
20歳になったばかりだった私を。そうして母はまた育ててくれたのだ。 その恩を。どうして私は忘れてしまっていたのだろうか・・。
恨んでいたのは13歳の私だった。だってあの朝は私の誕生日だったから。 目が覚めたら母はもうどこにもいなかった。あの時の悲しみが恨みだった。
赦してあげなくてはいけない。そんな恨みを抱いた13歳の私のことを。 それができたら。きっと母を。心から愛することが出来るだろう。
オババ。いいえ。私のお母さん。
明日は。すっきりといい気持ちになってね。そしたら私もすごく嬉しいよ。
2005年12月01日(木) |
むぎゅっとしてあげよう |
今日はなんだか色んなことがあって。
すごくすごくそれが溢れるほどいっぱい。
だけど決してめまぐるしいとかじゃなく。
ひとつひとつかみしめるようなことばかり。
嬉々とした感情に酔っているわたしは。
たんなる酔っ払いに他ならないけれど。
その酔っているさまが安らぎに似ている。
だからむぎゅっとしてあげたくなるのだ。
ひとつひとつありがたいと思っただけで。
ひとはこんなにも満たされるものらしい。
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