今日も。からりっと晴れはしない空。蒸し暑くて。いっそのこと早く。 真夏になればいいなあと思う。入道雲や燃えるような太陽や。蝉の声。
それでいて。もう稲穂が見えるようになった田んぼ。 早咲きのコスモスの花を見つけたりもする。着実に。 季節はそのように流れているものと思われる。なんだか。 とり残されてはいやしないかと。我が身を不安がったりもするのだ。
今日も。ただただ日常に在った。変化といえば。どうやらやはり。 人恋しいのであろうか。やたらと会う人ごとに話し掛けてみたい。 ほんとうにこれが自分だろうかと。ふと疑いたくなるくらい不自然。
仕事中も。暑さを気にせず自転車でJAへ行ったり郵便局へ行ったり。 そうすれば。ひとりふたりは必ず人に会うから。ついついブレーキを。
お遍路さんに会ったから。「ご苦労さまです〜」と大きな声が出た。 そしたら。びっくりさせてしまったらしく。立ち止まった彼を見ると。 なんとまだ少年ではないかと思うほど若いひとだったから驚いてしまう。
すっかり陽に焼けた顔と。にっこりと微笑む顔が。なんともいえず。 地図を広げて。目的地を指差しながら。あとどれくらいかかりますか? と聞かれ。私ときたら方言丸出しで「車なら10分やけん、もうちょっとや」 「けんど、歩いたらどればあやろう。わからんけんど、がんばりよ」とか。 言うて。「木陰もあるけん。休みもって行きよ」とかも言うてしもうて。
笑顔で見送ったものの。それからずっと気になってたまらんかった。 クルマで10分を。休みながら歩けばどれくらいかかるのだろう。 もし民宿に着く時間に遅れたら、彼は泊めてもらえんかもしれん。 お風呂も入れんし、晩御飯も食べれんかったらどうしよう・・・。
もうもう、この時点で。わたくしはすっかり母親みたいな気持ちになり。 心配で心配でたまらんのでした。
一時間後。やっと自分も帰る時間になり。急いで彼を追い駆けたのであるが。 あんのじょう。彼はまだ牧場のあたりをとぼとぼ歩いていた。 私が休みなさいって言うたから。きっと木陰でひと休みしたのに違いない。
嗚呼。どうかしてあげたい。けんどたんなるおせっかいかもしれんけん。 クルマを停めることも出来ず。窓を開けて深く頭を下げて追い越してしまう。
それから。なんか涙出そうやった。
暑いけん。無理せんように。明日も頑張りよって言ってあげたかった。
ひきつづきの蒸し暑さ。空はぼんやり。風は熱っぽくちょっと悪戯。
職場のやまももの実が食べ頃になり。今日はたくさんお客さんが来てくれる。 毎年楽しみにしてくれている人がいてくれるのが。ほんとうに嬉しい限りだ。 となり町の居酒屋さんのご主人。それから和菓子屋さんのご主人も大喜びで。 宝物のような笑顔。今年が見納めだとは思いたくないから。来年もきっとね。
夕暮れて。めったに鳴らない家の電話がめずらしく鳴って。 夫君の同僚からだった。携帯に何度かけても出てくれないとか言う。 なんだかすごく話したくないふうだったから。気になってしょうがない。
送別会をしてくれると言うのを。ずっと断り続けていたらしい。 だから皆がよけいに気遣ってくれて。かわるがわる電話してくれていたらしい。 あんまり鳴るから。携帯の着信を無視し続けていたと言うのだ。
ちょっといじけている彼。どうして自分ひとりがリストラなんだと。 すごく悔しがっている彼。なだめてなだめて。やっと落ち着いたところ。 だけど、どんなにか情けない思いに苛まれていることだろうと。 思うと苦しかった。「大丈夫!なんとかなるよ」って言いながら不安ばかり。
これくらいのことを不幸に思わず。これがあるから前に進めるとしよう。 もう炎天下で作業しなくてもいいよ。この夏は今までの疲れを癒そうよね。 身体がくたくただったんだ。もう限界だったんだから。これでよかったよ。
ほらほら。いつまでいじけてるの。男でしょ。しゃきっとしなさい。
彼は。やっと同僚の言葉に素直に頷いてくれた。 親身になって最後まで気遣ってくれるお仲間に。心から感謝したいと思う。
ほんとうにありがとうございます。
真夏のような暑さ。風もあまり吹かず。身はなんだか熱をおびたようなさま。
午前中は少し動く。また日曜市へ行ったりしてアーケード街を歩いた。 夏野菜が盛りたくさん。海のものもある。ムール貝に似た『しい』という貝。 それからジャコ天屋さん。お魚のすり身を揚げて熱々のを売っている。
ゆるやかに。のんびりとひとがながれている。ほのぼのとしてなんとものどか。 人恋しい時なら。ここがいいなと思う。笑顔がいっぱいあふれている場所だ。
午後はまた本を読みながらごろ寝。眠くなれば寝ちゃうのがよろしい。 なにも考えることをしない。誰かを想うわけでもなく。とろんとろんと。 どこか別の世界に行ってしまうような。ありがたい時間だなあと感じる。
帰ってくれば。少しの気だるさと仲良くするように。また動き始める。 茄子を焼いて。お素麺を茹でたり。冷蔵庫の冷たいのをごくごくしたり。
つくづく。ここって平和だなあって思う。
朝いちの。アガパンサスの花。
アガパンサスの花が咲き始めて。それは紫陽花の色のようでもあり。 ちいさな花がたくさん集まって。ひとつの花の姿になるのも似ている。
川向の国道沿いに花ばかりの『良心市』があって。 良心市ってわかるかな?無人のお店でお金を入れる貯金箱みたいなのが。 備え付けてあるから。欲しいのがあればそこにお金を入れて買うのだけど。
そこは。春だなあって思う頃から開店して秋の終わりごろまである。 一番最初は青い麦なのだ。それからだんだん花盛りになるのがならわし。 マーガレットだった頃が終わり。今はアガパンサスの頃になった。
今朝のこと。少し早目に家を出て寄り道。朝一番に採られたらしいのを買う。 すくっとした茎と可憐な薄紫がなんともいえない。清々しい感じの花束だった。 5本で百円。ほんとにこれだけでいいのかなと良心が咎められるような値段。
職場に着き事務所に活ける。つぼみがたくさんだからこれからが楽しみだ。 なによりも。出勤してきたオババが歓声をあげて喜んでくれたのが嬉しかった。
仕事は順調。なんだか嘘みたいにすべてがまるくおさまっているよう。 諦めてはいけなかったのだと思う。成るように成っているのが今だから。
帰宅して。ポストに冊子小包が。その筆跡をみただけで誰からかわかる。 『コイノカオリ』という本を届けてくれた。ページの中に手紙もあった。
しばらく音沙汰がなかったから。もしやと気にかけていたとうりのことが。 なんだすごく寂しく不安になるようなことが書かれてあった・・。
病気で「もうながくは生きられないかもしれない」と。 ただそれは心が弱っているからだと続けてあった。
生かさねばと思う。なんとしても生きてもらおうと思う。 恩返しがしたい。まだまだひとつもそれをせずに甘えてばかりいたから。
そして自分を恥じた。思い過ごしでも自分の命を儚く感じたことを。 明日死ぬわけにはいかないのだ。そんなことは決して許しはしない。
気が湧き立つように流れ始める。ぐるぐるではなく。さらさらと。 なんだか自分は川のよう。ならば大切な友は。きっと海なのだろう。
やまももの実が日ごとに紅く色づくこの頃。 甘酸っぱくて。食べるときりりっとした顔になる。 ひとも鳥も待っている食べ頃は。今週末くらいかなと思う。
私は。食べるのよりその実だくさんを眺めているのが好きで。 わあわあ言いながら実を採っている人を見ているのが好きだ。
なにげなく目にする夏が。今年ほど愛しく思えることがなく。 ついつい思い過ぎてしまうのは。今年が最後の夏かもしれん。 いやいやまさか。まだ30回くらいはあるだろうと思い直す。 おかしなもんだ。年を重ねると。とてつもなく儚さを感じる。
だから当然と言っていいのか。みんなみんな愛しいものだから。 儚さを抱きしめては。ぎゅっとして抱きしめてばかりの日々だ。
10代の頃。二度、死のうとしたことがあったが。 ほんとうに死にたかったのか。いま思えばあまりにも遠い記憶となった。 自ら命をなくしても。そこからは何も生まれない・・そんなふうに思う。
そうして。こんなにながいこと。もっともっとながくなるかもしれず。 少し枯れたかなと思う身体は。土にしがみつくように生きようとして。 時には花みたいな笑顔をふりまいては。光をあびていい気持ちになって。
実をつけたり種をつくったりしながら。生きた証を残そうとしている。
梅雨らしく。今日もぼんやりとした空模様だった。 不安定な空が。時々通りすがりのように雨を降らす。
今年になって3回目だろうか。またバドの大会があり出掛ける。 手首の調子もまあまあで。無理しない程度にと思ったのだったが。
やはり。私は「ひと」が好きなんだなあと思う。 試合うんぬんよりも。たくさんの仲間に会えることが嬉しかった。 ついつい駆け寄って行っておしゃべりをしてしまう。 また反対に。手をあげて駆け寄って来てくれるひともいる。 顔見知りイコール仲間であり、みんなバドが大好きな人達ばかりだ。
結局のところ。この体がついにバドを断念する時が来るのが。 たまらなく怖いのだ。失いたくないと思うささやかな欲でもって。 継続しているにほかならないと。全身疲労の身体と不安な心でそう思った。
休憩時間に。体育館の外に出て。湿っぽい風さえも心地良く思いながら。 あたりの風景をぼんやり眺めていた。はあはあしている息や汗の感触や。
あの桃色の花は。百日紅(さるすべり)だろうか。 すぐ近くの畑には。とうもろこしの花が整列しているように咲いている。 それから。その横にぽつんと向日葵の花がふたつ並んでなんて愛らしい。
また夏が。こんなふうにさりげなく巡って来てくれたのだ。
ワタシモメグッテイルノカ。イッタイドコニイクノダロウカ・・・。
ぼんやりと曇り空。こんな日は。気だるさを愉しみながら過ごすのがいい。 ぷっつんと何かの断片を。弄ぶようにしながら。ため息を重ねたりするのも。
職場の駐車場を出ようとしたら。フロントガラスに薄紅色の可愛いものが。 舞い下りて来てくれたのだ。そんな頃になったのかとやたらと嬉しくなった。
見上げると。やはりそのよう。ねむの木の花がもう咲き始めていた。 昨日のことも一昨日のことも記憶になくて。私はきっと俯いていたのだろう。 待っていたこともあったのに。待つことさえも忘れていたのかもしれない。
風もなく。こんな静かな日に。ひらひらとして語り掛けてくれたのか。 幾年だろう。もう随分ながいこと。ともに生きてきたように思う。ねむの木。
帰りながら。想うひとがいる。 見上げても。どんなに見上げても。その姿を見つけられなくて。 萎れて枯れそうになっているのなら。雨になって会いに行きたいと。
想うばかりで。込みあげてくるのはただ涙ばかりだった。
地にしっかりと根をはって。生きていて欲しい。 どんな境遇に晒されても。強く勇気を持ち続けて欲しい。 くじけないで。負けないで。どうか空を仰ぐことを。忘れないでいてね。
夜のあいだに雨が降っていたらしい。目覚めるとしっとりと水の匂いが。 どんよりとした空に逆らうこともせず。ひとつため息。またひとつの朝。
『赤い疑惑』は懐かしさもあったが。新鮮さも感じられてとても良かった。 28年も経ったらしいが。純粋さを見失いそうな今の世に。伝えるなにか。 きっとあるのではと思う。たんなる老婆心かもしれないが。感じて欲しい。
少し頭だか心だかがぼんやりと気分が優れず。出勤前にビタミン剤を服用。 水を多めに飲んでから。その瓶をふと何気なく見たら、なんと風邪薬だった。 まあいいかと思えるまで半日かかる。おかげで頭痛が治まって良かったかも。
仕事は。時々トラブルがある。手のひらを返される的なものばかりで。 「ひとがわかって面白いね」とオババが言うので。私も頷き開き直る。 沈むのも時間のモンダイだと思っていたけれど。毎日よく浮かんでいる。 「笑う角には福来たる」苦笑いの時もあるけど。基本的には笑顔なのだ。
いつものスーパーで夕食の買い物。店に入るなり昔の同僚に会った。 それがもうひとり居て。そこで三人が再会というすごい偶然なこと。
ひとりが「ダンナが会わせてくれたのかも・・」と言う。 明日。亡くなったご主人の納骨をするのだそうだ。 しばし涙ぐみながら語り合った。「もう大丈夫や」と微笑むから。
「元気でね。また会おうね」と微笑みながら別れたのだった。
梅雨らしくなく。からりと良く晴れて。すかっと爽やかなり。
仕事帰りに。ちょいと野暮用でとある彼の職場を訪ねたのであるが。 制服姿とか。やっぱええですな。それと字を書いている指先とかが。 そして何よりもすごく思い遣りがあって。優しくてめっちゃ好青年。 このひとがサチコの彼ならええなあって思った。一生「お母さん」って。 呼んでもらえたら。もうもう思い残すことないなあって思ったくらい。
だから。今日は最高にいい日だった。と、日記に書いておこう。
今夜は9時から『赤い疑惑』があるので。今からそわそわしているところ。 ネットしている場合じゃありません。とにかくテレビですから。
以上。雑酒350と日本酒一合。焼酎のお湯割り飲み中に。
書いてみました。今日の出来事。あっ・・いま夕焼けがちょいときれい。
最高気温が33℃を超えていたようだ。蒸し暑さに風を恋しがるいちにち。 眩しくて目を細めてしまう風景のなかに。咲く紫陽花のすこしの憐れさ。
身辺は。順調なことと不調なこととが素晴らしくみっくす。 なんだか劇的で。何かが展開している様が面白く思われる。 成るように成ろうとしているらしい。どう成るかが楽しみ。 丁と出るか半と出るか。博打っぽくてええんじゃないのと。 思う。いちかばちかなのだ。そうでないと前へすすめない。
そんな日も暮れ。夜も更けてくると。 勢いが消えそうになるものだが。今はその時ではないと戒めて。 すくっとすくっと背筋を伸ばす。ほんとうではないかもしれぬ。 自分を見つめている時間は。少しだけ息苦しさを覚えるものだ。
なにがあるのだろうここに。ふと手のひらをひろげてみたが。 このほの紅いところが血だろうと。思うばかりの夜であった。
ああ・・なにもかもつつみこんで。ぐっすりと眠るほかなし。
はんぶんほどの湿気と。はんぶんほどの陽射し。時々風がゆるゆると吹く。
玄関の新所帯では。妻ツバメがもう卵を温め始めたようだ。 夫ツバメは。なんだかあっけらかんとしていて愛嬌さえもある。 私と目が合うときょとんした顔をして愉快。すごく至近距離にいても。 まったく警戒しないのだ。安心しきってる風に見えて。心が和む思い。
まるくひと通りの家事を終えて。縁側のある部屋でごろりんと寝ころぶ。 畳の肌触りというか。なんか平らな心地良さとか。結構好きだなと思う。 読んでいる本は上中下とあり、中を読み終える。最後は『雲隠れ』の題。
午後。ふと思いついたように友人の家を訪ねた。 届けたい本があったから。たぶん留守だろうなあと思い手紙を書いてから。 日曜日も忙しくしているようだ。真夏頃には会えるかも。また語り合える。
友人宅のすぐ近くに『トンボ自然公園』という観光地があるので。 雨の後の沼地もいいかもと思い。お散歩気分で行ってみた。
花菖蒲はもう終り始めていた。睡蓮はもう少し陽射しが欲しそうだった。 遊歩道を奥へ奥へと歩くほど。うぐいすの声が透き通るように聞こえた。
なんだか自分が生きかえったように思う。ありがたい午後だった。
目覚めると雨が。暦には入梅とあって。それらしく降る雨の風情かな。
昨夜。峠の茶屋で甘酒を飲み過ぎたのか。焼酎だったかもしれないけれど。 頭がきんきんと痛く。ずっしりと重いものをぶら提げているような朝だった。
しゃきっとしたくて。出勤前にコンビニに寄りリポビタンをぐいっと飲む。 すぐにいい感じになったのもつかの間。職場に着くとまただらりんとなる。
こんな日は。のらりくらり。特に急く事もなく。張り切ることもしない。 雨がだんだん強くなるのを。なんだかよその風景みたいに感じたりもした。
今夜こそ。息子君の誕生日しなくちゃと思い。 好きなカレーライスに決めた。トンカツもしてカツカレーにしよう。 ご馳走ではないかもしれないけど。喜ぶ顔が目に浮かんだりもして。 残業なくて。早く帰って来てくれたらいいなあって思った。
我が家で祝うのは。今年が最後かもしれないなあ・・って思うとなんだか。 感無量になる。おっきくなったものだ。すっかり大人になったもんだ。
雨あがりの静かな夜に。幼い頃のアルバムを。そっと開いている母だった。
晴れのち曇りだった。明日あたり梅雨入りの天気予報。
出勤前に。夫君から電話あり。「奥さん、事件ですよ!」みたいなこと。 会社に着くなり社長さんからお達しがあったらしい。かなりしょげていた。
まあね。それも試練だから。人生いろいろあるもんだから。ええのじゃないの。 なんとかなるからだいじょうぶやと言える自分に朝の花まるあげたい気分だった。
とことんおいつめてくれるもんだな。一日中そのことや自分のことも含めて。 今が人生の峠越えかもしれんなと思う。なんとしても乗り越えなくてはと思う。
悲観している時ではない。すごくそのように思い。武者震いしているような。 敵を片っぱし斬り倒してやるぞとか思った。かっこええなって自分ほめたい。
ほぼ同じ時刻に帰宅した。あらま・・肩を落としちゃって可哀相に。 「気にしたらいかんよ」って言ったら「気にせんとおれるか・・」って言うし。 男って。こんなにか弱いものなのかしらん。よしよしお母さんがついているよ。
それで。朝からそんな日だったから。息子君の誕生日なのに。 母さんご馳走も作れなくてごめんね。ケーキ買うのも忘れていてごめんね。
なんだか。この峠きついなあって・・夜更けてからすごくしんどくなった。
明日はあしたの風が吹くらしいが。向かい風は勘弁してくれよって思うさ。
母さんさ・・ちょっくら。とうげの茶屋で甘酒飲んでもいいかな?
ふりかえると。今日は。とても凪いでいたように思う。
朝いちのお小言は。「どうしてそう悪い方へ考えるのか!」 そうなってみないとわからないことを。そうなったらどうする?と。 なにからなにまで。ちくいち結果を気にするのが。わたしの欠点なのだろう。
楽天的とか。そのつもりであっても。やはり本質は悲観的にんげん。 そこんところがいまいちだから。ぎゃふんと言わせて貰いたいものだ。
おかげで。ゆっくりと凪いでいく。少しゆらゆらしながら身を任すように。 冷静に。『いま』を精一杯などと。言葉にするのはたやすいけれど・・・。
追い詰められたら。やはり焦る。取り乱して判断を誤ることだってある。 そうして躓けるからこそ。気づき。成長する機会を与えられているのだと。
思って。思って。どれほどの年月を重ねてきたかわからない。 だから。まだ終るわけにはいかない。それが私の生きる理由かもしれない。
凪いでいる時は。身も心もくつろいでいる。 そよよと穏やかな風のなか。ぽつんとひとり空を仰いでいるように。
星の見えない空は。星の見えない夜。明日が雨だとは限らないのだから。
なんだかとても懐かしい歌が。テレビから流れてきて。 3時間ぶっ続けで。見ながら聴きながら。口ずさんでいた。
自分の年頃。10代の総集編みたいな歌ばかりで。 思い出すことがいっぱいあって。涙ぐんでしまう歌もあった。
ほんとに遠くへ来たものだと思うが。歌はその頃のまま生きていて。 なんとも言いあらわせないようなパワーを感じたのだった。
いい日だったなあって。心がいっぱい満たされているから。 このまま眠れるのが。とてもとてもありがたいと思う。
酒にばかり酔っていないで。たまには歌に酔うのもいいものだ。
台風の影響なのか。ざわざわと風が鳴るばかりのいちにち。 こんな日は。なんとなく胸騒ぎがしたりもするものらしい。
悪い予感というか。ついに来る時が来たかと思うような事が。 ひとつあり。また午後になりふたつ目があった。とうとうと。 そういうふうになるように。なっているのだろうなとおもう。
たとえれば。それは沈みかけている船のようだ。 あっけらかんと空ばかり見ていた者も。おろおろと不安がる。 船底からどんどん水が溢れている。なすすべもないありさま。
船長は未だに船を守りたがっている。この場に及んでと私は思う。 みんなを助けてあげて。島まで泳いでいけるようにしてあげてと。 何度も頼み訴え続けて来た。それがやっと今日認めて貰えたのだ。
私はすごくほっとしている。 明日からは。その準備に追われるだろう。それこそが本望というもの。
私は最後まで船に残る。沈むのをこの目で見届けなくてはいけない。
船長と。そして母と一緒に。
日向はすっかり夏の陽射しだったが。風が心地良いほどによく吹いた。
今朝。いつもの峠道で不思議なことがあったのだが。 もしかしたら気のせいだったのかもしれない。けどすごくはっきりと。
くねくね道の道幅が急に狭くなる寸前に。白装束のお遍路さんが歩いていて。 ちょうど急カーブだったから危ないなって。スピードを落としたのだった。 それがどうしたわけか。追い抜いたような気がしたが。追い抜いていなくて。 その時には歩くの早いなあって思った。けど・・前を見てもどこにもいなかった。 もちろん後にもいないものだから。うそ?なんで?ってすごく戸惑ってしまう。
キツネにつままれるって。こんなことを言うのかもしれない。 まあ、ながく生きていると。こんなこともあるのだろうと思うことにしてみる。 山深い道だもの。タヌキと猿は見たことがある。でもキツネは初めてだった。
そうして仕事。今日はなんだか苛々と落ち着かず。胃がしくしく痛かった。 順調だと思える事はとてもありがたいが。あまりにもあやふや過ぎている。 経営とはどういうことだろう。現状をもっと把握して対処出来ないものか。 などと。いくら訴えてみても。ただいたずらに時が流れているだけのようだ。
そんな時に。専務オババったら。あまりにあっけらかんとしているのだから。 「サボテンの花が咲いたよ!」「写真撮れば、ねえ撮りなさいよ」とか言う。
そうしてすべてのことがまあるくなっていく午後だった。
作り始めたばかりだと思っていたツバメの巣だったが。 今日も一日せっせせっせと忙しく。夕方には半分ほど完成していた。
朝のうち少し観察していたら。雄らしいのが濡れた土を運んで来て。 くちばしでコツコツとくっつけておいて。それから左官さんみたいに。 すごく器用に土をならしているのだ。やるなあって声をかけてあげる。 そしたら振り向いて。とても得意そうな顔をしたから。なんだか愉快。
すぐ近くの縁側の庇のところに。雌らしいのがいてわら屑を咥えていた。 なるほど。順番待ちをしているのだなって思ったら。雄がさっと飛び立つ。 その時「さあ行くぞ!」って声をかけたみたいだった。雌も一緒に飛んだ。
我が家に初めてツバメが来てくれたのは。もう何年前だったろうか。 ずっと最初の巣をそのまま補修しては棲んでくれているので。 今回の新しい巣作りがなんだかもの珍しく。わくわくしてしまうのだ。
ふともしかしたら。今度のつがいのひとつは。我が家で生まれたツバメかも。 そんなことを思うと。とても嬉しくなった。覚えていてくれたんだなあって。
無事生まれて。すくすく育って。飛べるようになって。ながいながい旅を。
命あるものが。こんなにも愛しく思えることはない。
つばめ一家が帰って来なくなって。なんとなく寂しかったのもつかの間。 今度は別のつがいなのか。また玄関のドアの上に新しく巣を作り始めた。 わら屑のようなのがいっぱい散らかって。あらあらと思うほどの有り様。 でも許す。好きなようにしていいよと思う。また生まれるのがたのしみ。
梅雨入りが近いのか。とても蒸し暑い一日だった。 昨夜はしゃぎ過ぎたせいなのか。朝から生あくびばかりしていた。 毎週土日がお休みだったらいいなあって思う。
例のごとく。お昼休みに本を読んでいたら。職場の前の道に。 屋台のクルマが停まった。「いらしゃいませ。いらっしゃいませ」と。 連呼して。それがとても耳について。はっきり言って煩かった。 「美味しいお好み焼。大阪風のたこ焼き。あんこたっぷり鯛焼き」と。 延々と30分も聞かされて。堪忍袋の緒が切れそうになった。
我慢。がまんじゃと思っているうちに。一時になってしまった。 今日はついてないなあと。がっくりしながら。なんだか愉快な気にもなる。 お好み焼もたこ焼きも。鯛焼きも。大好きだから許して遣わそうと思う。
帰宅して。昨夜頂いたお魚をから揚げにしてみたが。 鯵はちっちゃいほど骨ごと食べられて。とても美味しかったが。 鯖のちっちゃいのはイマイチだった。でもしっかりビールは美味しかった。
やっと。やっと土曜日の夜。どんどん腑抜けてしまいそう。 あれやこれや。みんなばたんきゅして。ぐっすり眠りたいなと思う。
紫陽花がいい感じになったよ(出勤途中の国道沿い)
髪からぽたぽた落ちるほど汗をかくと。 なにかがふっきれて。なにかがすごく。 新しくなったような気がするから不思議。
ひと月ほど前から。少し腱鞘炎気味で無理が出来なかったが。 今夜は久しぶりに。思いっきりバドを楽しんでみたのだった。 気力はあっても体力がついていけないのが現実。だけどやれるだけ。 やってみると。思いのほか動けたりするから。やれば出来るのかも。 と。また少し自信が出てきたりする。諦めたらそれでお終いだもん。
練習が終ってから。最後のほうに体育館を出たら。 先に帰ったはずの仲間たちがみんな一ヶ所に群がっていて。 何だろう?何かあったのかな?と駆け寄ると。 お仲間のS君がクルマからクーラーを下ろして。 みんなに釣ったお魚を分けているところだった。
小鯵と鯖のちっちゃなのをたくさん貰った。 から揚げだ。南蛮漬けだってみんなが口々に歓声をあげている。
私も明日の晩御飯は。またから揚げをしよう! 揚げたての熱々に。ビールをごくごくしようっと。
ぶるぶるっと身震いしてしまうほどの雨だった。 だけど。嬉しいのは紫陽花。濡れて濡れて明日。 もっと咲けるんだ。雨好きだよって言ってるみたい。
なんだか熱燗が飲みたくなって。ワンカップを買って帰る。 夕食の支度をしながら。ちびちび飲むのがご機嫌なのだ。
今日はサチコがお休みだったので。仲良く台所ではしゃぐ。 釣りたての小鯵とウルメ鰯を頂いたので。サチコがするって。 手ほどきをしながら見守っている時の。母の気持ちというのは。 ほのぼのと嬉しくて。ほろりと涙が出そうなくらいだった。 余談だけど。ウルメ鰯って。目がウルウル輝いているんだよね。 それをサチコが勇ましいほどに。指でぐさっと頭を千切ったり。 カラリっと鯵のから揚げが出来上がる。鰯は酢漬けにして頂く。
ほろ酔った母は。いつもよりずっとはしゃぎながら思うのだった。 娘も。この家を出て行くんだな。嫁がせてあげないとなあ・・・。 でも。やっぱ母は寂しくてたまらない。すごく我儘だけどそう思う。
そうしてまたいちにちが暮れていく。
巣立った子ツバメ達はいったいどこで眠るのだろう。
今朝職場に着き。事務所のカレンダーを6月にめくると。 『川から見ると流れているのは橋である』と書いてあった。
常識にとらわれずに物を見なさいという。禅の教えらしく。 なんだか。きゅっとどこかを掴まれたような気持ちになった。 決めつけていることが。思い込んでいることがあり過ぎるかも。
でもまあさておき。あとはひたすらそれなりがよろしくおもう。 かたのちからぬいて。のほほんとしていたい。あれこれしらず。
どうやら明日は雨らしい。 夜になってもツバメ親子が帰って来ないので。少し気掛かりになった。
続・・我が家の庭 『アマリリスとキャットテール』
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