午後。ぽろぽろっと少しの雨。おかげで今夜はずいぶん涼しい。 雨風のにおいがする夜風に吹かれていると。渇いた心が潤ってくる。
町では。市民祭があって。今頃にぎわっていることだろう。 提灯をいっぱいつけた『提灯台』が幾つも練り歩くのだ。 交差点の度に。ぐるぐると回転するのだけど。 その威勢の良い掛け声とか。転びまわる若い衆とか。 見るのがすごく好きで。毎年のように見に行っていたけど。
今年は断念。飲酒運転はいかんぞ!と止められたし、 それでも行こうとしていたら、救急車のサイレンが二度も聞こえた。 無茶は禁物。それよりも、帰宅するなり酒飲むなってことかな。
なんとなく。ぽっかりと物足らない思いを飲み込んで。 いつものようにしていても。そわそわと落ち着かない夜だった。
人ごみは苦手なくせに。お祭りは好きなのだ。 太鼓の音とか聞こえると。血が騒ぐというか。 花火の音だってそうだ。いてもたっても居られなくなる。 そっか・・私はたぶん。どんどんぱんぱんな人なのかもしれない。
ただたんに。すいっちおんになるんやね。
ずっとおんなら。けっこう楽しいひとだろうな。
こんばんは。
仕事中に漢字ナンクロしていたら。急に首が回らなくなったあたしです。
痛いの我慢して。例の金バト頑張って来ました。 中学生も高校生もいます。おばさんはわたしひとりでした。
いやはや。さすがについてはいけません。 へこたれてると。「大丈夫ですか?」って敬語で優しく言ってくれます。 ありがたいことです。だからおばさん来週も頑張れるんです。
とにかく続けないと。やめたらいかんぜ!と仲間のひとりが言ってくれる。 思えばながい付き合いになった。20代だったその人も。もう36歳だと。
髪が薄くなってきたし、やたら暑いからスキンヘッドにしたそうな。 とても似合っていた。かっこええねって言ったら嬉しそうにしていた。 私も男ならそうしたいと思う。さっぱりと気持ちよさそうで憧れちゃう。
帰宅して。お風呂上りのビールだか雑酒だかが。やたら美味しく思う。
それがあたしの。ささやかなしあわせ。
相変わらずの猛暑。ずっと冷房の中にいて。家に帰ると汗がどっと出る。 首にタオルをかけて。時には捻りハチマキにしたりして。お炊事をする。 冷たいのをゴクゴクしながら。ウナギを煮たりするのも。夏の風情だとか。
家の近くに養鰻場があって。素焼きしたのを1キロ2700円で買う。 おっきめの鰻が4匹ほど。店頭だと結構高値だから。かなりなお得だ。
それを。もう一度焦げ目がつくほどに焼いて。甘辛く煮付けるのが。 ここらへんの食べ方。うな丼にして食べまする。私も今夜は大盛り。
で。精がついたのやらどうだか。食った食ったの満足が幸せというもの。 おかげで。身も心もご満悦。食べて寝りゃあ朝が来るわさの太っ腹なり。
で。多少。ちまちまと女々しく思うことが。突発性発疹のごとく現れて。 いるらしく感ずるところもあるのだが。考えれば考えるほど。お馬鹿さん。
だいたいさ。あんたって。言ってることの通りに生きてないでしょうが。 信念みたいなこと偉そうに言っては。すぐにヘマばかりしてるでしょうが。 かっこつけてんじゃないよ!
わたしが私を叱ってる。
わたしは。思うに。もっともっと。ありのままでありたい。
いま陽が沈んだところ。今日もお疲れさんの太陽が。 残り香みたいな熱を残して。ゆらりゆらりと落ちていった。
本日も平穏。特にぐるぐるともせずに。たいらなところにいられた。 ありがたいことだなと思う。野ばかりを歩いている。空を見上げて。 思い詰めたら山になる。落ち込めば谷になる。そんなもんなんだろうが。 野だと思っている限りは。夏草と戯れながら。野の花にも会えるものだ。
そうしていると。ほこほこっと嬉しいこともありまする。 私は。やたらと感激したりするもんだから。ささやかなことで。 ついつい涙もろくなったりもして。いやはや・・もう年ですな。
だから嘆かないです。嘆かわしいことがあっても。ため息ひとつで。 おさまってしまうから。まあどんな時もあるさと思えばお終いになる。 年をとった証拠といえばそれまで。見ざる聞かざる言わざるになったのかも。
でも必要とされれば言います。それがおせっかいの老婆心かもしれない。 そこで躊躇するのが。必要とされているか。されていないかの見極め。 それがもっかのところの難題。おせっかいだったら・・すごく悲しい。
躊躇しながら時が流れていく。たぶんこのまま。年を重ねるのだろう。
野を歩けば。水枯れた土地もある。恵みの雨が降りますようにと。
ただただ祈り続けるだけだ。
ここ数日。ずっとお隣りが大阪だったから。 なんかやたらと嬉しかった。
でも。今日帰宅したら。もう大阪じゃなかった。
今朝はまだ大阪だったのに。すごく残念に思う。
お隣りのおじさんは。生まれは高知だけど、ずっと大阪に住んでいたひとで。 定年退職をきっかけに。家の隣りの空家だった家を買って。帰って来たのだ。
でも去年から身体を悪くしていて、今年の始めに入院して手術をしたから。 心配した娘さんが迎えに来て。また大阪に帰って行ってしまった。
夏休みになったら遊びに来るからと約束したから。お孫さんも一緒に。 よかった。ちゃんと帰って来てくれたから。すごく嬉しかったよ。
それから大阪。声がいっぱい聞こえて来る。
耳に心地良くて。こころに懐かしくて。
関西弁って。すごくすごく好きだもん。
あああ、なんだかぷっつりとスイッチおふ。
ひたすら。さびしい。
曇りのち晴れ。
そうなんだ。曇ったからといって雨だとは限らない。
今日。ちょっと愉快なことがあった。 オババが集金に行ったのだけど。お昼ご飯時なら会えるかなと。
そしたら。インスタントラーメンを食べていたそうな。 「金はないぞ!」といつもと同じことを言ったんだって。
それから。「飯食ったか?」って聞くから。まだだと言うと。 「まぁ、あがれや」とオババを無理矢理引きずり込んだかどうだか。
どんぶりご飯に。天然ウナギの蒲焼をのっけて。 それがなんとも。すごく美味しかったそうな。
オババは悔しかったけど。その美味しさに負けて帰って来た。
「借金取りにはお茶を出せ」と言うけれど。 ウナギの蒲焼っていうのは。最高もんだねと笑い合った。
ぴりぴりとしていた25日。午後はすっかり気が抜けて。 あとは野となれ山となれで。
出来ないものは出来ません。それでまあるくお終いのいちにちと。
なりにけり。めでたし。めでたし。ごちそうさまです!
ずっと猛暑な日々であったが。今日は午後から曇り空になる。 熱気が白く煙ったようになり。あたりはぼんやりとした風景。
おっきな台風が接近中とあって。急いで稲刈りを始めた農家もある。 たわわな黄金色。どうか無事であって欲しいものだ。避けられないこと。 そのためにどれほど苦労すればいいのか。稲穂は助けてとは叫べないし。
自分はいたって平穏だった。週末になると一気に脱力するのだが。 ぷっつんと何かが切れたようにも思うし。だからどうしたとも思うし。 あれやこれや。おさまるところにおさまってじっとしている感じになる。
ちっぽけな執着にしたって。今はとても静かに横たわっているみたいで。 無くなりはしないから。ながい目で見てやりたいと思ったりしている。
相も変らず飲む酒の旨し。さたでぃないとだとことんやれと言ってあげよう。
べいびぃ乾杯だぜ!
もはや猛暑。真っ青な空に入道雲。そんないつもの夏とは違い。 もわんとしていて。空は熱い膜に覆われているような。そんな夏だった。
午後になると。不思議な鳴き声が聞こえて来る。 鳥の声のようで虫の声のよう。か細いようで。絶え間なく。 「しゃあ しゃあ」と私には聞こえるのだか。 それがとても心地良く耳に響くのだ。空に幕が下ろされて。 とても美しい何かが。そこに佇んでいるようにも思う。
河鹿だろうとひとが言う。無知な私はそれが鳥だと思った。 どんな鳥なんだろうって。そしたらなんと。それは蛙の名だった。
明日も鳴いてくれるだろう。山里の風物詩は。蛙さんあなたですよ。
夜になり。南風ではなく西風が。昨夜の月のことを思い出しては。 とぼとぼと夕涼みに出掛ける。大橋の真ん中あたりに展望スペースがある。 そこから見下ろす大河のなんと雄大なことか。水に吸い込まれそうな感じ。 とくとくと流れているものを。見続けていると自分も流れてしまいそうだ。 ぽちゃんと落ちてしまいそうで。実は怖くてたまらなくなるのだった。
背中に風の心地良さ。月は薄雲に覆われて。なんだか秘密っぽい姿。 聞けないこともあれば。話せないこともありまして。 特にそれで悩むこともないのが現状。ただそこに月がある。そう思って。
今度は向かい風。家の灯りを目指して歩く。
あとはただ。自分に幕を下ろしては。ひたすら酒に酔ってそうろう。
すっかりの真夏。もう蝉時雨の頃になった。
月曜日のお休みは。なんだか気が抜けたみたいになる。
無気力を愉しむのもいいものだ。すとっぷの小休止で。
『海の日』のおかげだもの。少しだけ海に会いに行く。
午前8時。ただただ眩しい。ただただ波の音ばかり。
その町はアンパンマンの町だった。 酒屋さんの店先に彼はいつも笑顔で立っている。 それからすぐ斜め前のタクシー会社の扉の横に。 仲間のカツドンマンがいるのだ。小さな田舎町。 そこが彼らの生まれ故郷なのを。知っているだろうか?
愛ちゃんは。ついこのまえ88歳になったばかり。 夏風邪をこじらせて。今は病院で点滴の毎日なのだ。
広くんは。9月になったら92歳になる。 愛ちゃんが老人ホームへ入居してからも。 ずっと一人でご飯を作って。頑張っていたけれど。 転んで腰を痛めてしまって。とうとう老人ホームへ。
4年前に会ったきりだった。 その日。愛ちゃんはいっぱい泣いたのだった。 「すぐに帰るのやったら、もう来んとって」と言って。
その言葉を真に受けてなどいなかったはずなのに。 私は。それ以来会いに行くことをしなかった。
愛ちゃんは。すごくちっちゃくなって。か弱くて。 でも。ちゃんと私を覚えていてくれたから。とても嬉しかった。 手を握って。いろんな話しをした。子供の頃の夏休みのこととか。 一緒に寝ていたら。愛ちゃんの入れ歯が外れて、私の手を噛んでしまった。 こととか。愛ちゃんも思い出してくれて。懐かしそうにケラケラと笑った。
それから。急に愛ちゃんが歌をうたいはじめて。 「お〜て〜てつないで の〜みちをいけば み〜んなか〜わい こ〜とりぃ になって う〜たをう〜たえば く〜つがなる」
咳き込んで苦しそうになって。止めたのに最後まで歌い続けるのだった。
私はいっぱいいっぱい反省した。もっとたくさん会いに来てあげるべきだった。 私の4年と。愛ちゃんの4年は。決しておなじ長さではなかったと思う。
老いることは。すごく勇敢に命と向かいあっていくことではないか。 終わることを知りながら。ただただ進んでいく勇気そのものではないか。
愛ちゃんは泣かなかった。
私は ちょっと 泣いた。
昨日よりもっと青空。そろそろ梅雨明けなのかもしれない。
案山子が。今朝いつもの山道を通る時、真赤な服を着て立っていて。 それがビーチパラソルと並んでいたから。ほんとうに人の姿に見えた。 朝いちばんの出会いだった。ユニークだなと思っただけで顔がほころぶ。 早ければ来月早々。もう稲刈りの頃になるのだ。早いもんだなあと思う。
それから仕事。「いちいち煩いわね!」とオババに言われてカチンとくる。 いつも通りのはずなのに。あんたこそうるさいわねと思う。が、我慢する。 疲れがたまっているのだろうか。昨夜パチンコで負けたのかもしれない。
イライラ虫には。無視も良いが。ちょっと笑顔になれればもっと良い。 笑顔には笑顔が返ってくるもんだ。膨れっ面には痛い矢が飛んでくる。
どうにかこうにか時間が過ぎる。明日も明後日もお休みだ。やったぁ。
そうして。我が家へ一目散。いつものひろい庭が待っている。 週末だからなのか。今日は川がとても賑やかで。川船やらボートやら。 川漁師の船を横目に。地元の高校のボート部が練習をしていた。 とても気持ち良さそうに漕いでいる。川船のたてる波にもなんのその。
きらきらとまぶしい風景だった。夕暮れまでずっと見ていたいほど。
そして夜。サチコが川エビを捕りに行くとはしゃいでた。 今度の彼は。そういうのが好きみたいで。この前はイカ釣にも行ったほど。 川エビは。水中にライトを当ててじっと待っていると。石の間からにょきっと。 長い手だか足だかを見せて。とにかく素早いのですぐに網で掬わねばならない。 これがなかなか面白くて。根気がいるけれど捕れたらとても嬉しいもんです。
さて。またゆっくりと夜が更けて来た。土曜の夜っていちばん好きだな。 なんともいえない解放感があって。このうえなくまったりな感じだもん。
明日は。ちょっと遠くに住んでいる祖父母に会いに行く。 何年ぶりだろうか。その年月さえ思い出せない。私はとても薄情な孫だった。
よく晴れて真夏のような暑さ。最高気温が35℃を超えていたらしい。 冷房の効いた事務所でばかり仕事をしていて。なんだか心苦しく思う。
いつもの帰り道。大橋を渡る時には窓を全開にして走るのだけど。 川風はほんとに心地良いものだ。熱を帯びたアスファルトと水の。 匂いというより。風そのものが薫っているように思う。すうっと。 どこかが清められるような感じ。なにもかもきれいさっぱりなのだ。
方向指示器を左へ。ゆっくりと堤防の道を。我が家はすぐそこ。 そこから見る川の姿が。私はいちばん好きだなと思う。 晴れた日にはいつもきらきらと輝いている。曇り日だって。 さらさらと水の声が聞こえてくるところだから。 ひろいひろい私の庭。身勝手だけど。そこが自分の在りか。
てくてくと。麦わら帽子を被って。犬と散歩する第一住民発見! まったりとしていて。すごくのどかで。なんだか写真を撮りたいような。
彼はさいきん。すごくまあるくて。やわらかで。時々どきっとするくらい。 額に大仏さんみたいな黒子があるもんだから。手を合わせたくなるくらい。
よかった。今日も平穏無事で。ありがたいことだなって心からそう思う。
過ぎたことは何も思い出せない。すべてがこうなるための事だったのか。 責められることも。咎められずにもいて。私はここに在り続けている。
うす曇のまま夕暮れになる。ツバメの鳴き声が聞こえたので。 もしやと思い。台所の窓から巣のあたりを覗いてみたのだが。 やはり。もうその寝床は必要ではなくなったらしい。
だけど飛び交っている。忌み嫌われているわけではなさそうだ。 我が家のすぐ近くで眠るのだろう。朝になればまた声が聞こえる。
季節が。このところずっと梅雨の頃のままで。 足踏みしているように思うのだけど。かくじつに動いている気配。 それは稲穂の黄金色だったり。日に日に感ずることが多くなった。
私もすこうしだけ動いてみようとしている。 目には見えないところで。ゆっくりとここではないところへとだ。 そのうち自ずから感じることが出来るのだろう。これでよかった。 そう思えるのに違いない。かたちにしようとしたら不確かすぎる。 だから。あえて見つけようとはしない。そして言葉にもしないだろう。
たんたんと日々を過ごす。たんとたんとじゃなくごくわずかな進歩。
いってみないとわからないところへ。明日も進んでみようと思う。
遠くのほうが少しだけ青空。直射ではない日光であっても。 なんだか久しぶりに浴びるアノヒトの声のような。懐かしさだった。 そして風。泣いていたかのようにうるうるとしながら強くひたむき。
お風呂上り。洗ったままの髪で。堤防へ夕涼みに行ってみる。 ひたひたと。川の水は息を殺すように流れているのだけど。 そこに薄っすらと。今日の終わりの太陽が。ため息をつくように。 あからさまではなく。気づかずにいて欲しいかのように水に落ち。 どうか目を閉じていてと。ひそやかな声で囁いているのだった。
わたしは沈黙。ただ風に会いたくて来たのだから。何も語ることはない。
月が。右弦の月というのだろか。ここにいるのだからと。 その弦で。奏でるような恋でもしているのかもしれない。 見てみぬふりが出来ないせいで。私だってそうなりうる。
だからといって。どれほどの光が届くというのだろうか。
ひたひたひたと。ただ歩く。さあ目を閉じて。
ワタシヲワスレテゴランナサイね。
雨が降りそうで降らなくて。ずっとどんよりの空模様。 庭の草花も。そろそろ太陽が欲しそう。
雨に打たれないようにしてあるキャットテールも 真紅になれないまま赤黒く変色し始めてしまった。 まだちっちゃなままで腐ったようになってしまって。 とても可哀相に思う。千切ってあげなくてはいけないことも。
ゼラニウムも。咲けども咲けども片っぱし弱ってしまう。 そうして雑草が。それだけはとても元気に雨に潤っている。
だけど嬉しいのは。初雪かずら。白い葉の先にピンクの葉が。 ハートみたいに色づいているのが。なんとも可愛らしくてたまらない。
みんなみんな耐えている。暑いのはしんどいけど。太陽が好き。
そんな休日。特に急く事も予定もなく。ただただのんびりと過ごす。 お昼には。またお好み焼きを注文しておいて。焼けた頃買いに行った。 昼間っからビール。誰も咎めやしない。お好み焼にはビールですもん。
それからごろりん。今日は読書はやめといて。クロスワードに熱中する。 最近ちょっとはまっているのだ。ナンクロとか難しいほど面白いと思う。 答えがわかってしまっても。全部のマスを埋めないと気がすまない。 やっと完成したら。なんともいえない達成感があって。嬉しくなる。
よけいなことを考えない。とにかく集中する。これはオススメですぞ。
ですから。たとえば物思うことに支配されそうな憂鬱な時でも。 時間の経つのも忘れるくらい。ただ一心にナンクロしている有り様。
そうして夜が。まだあたりは薄っすらと明るいけれど。 早目にお風呂に入って。まったりとくつろぎながら。 あれこれとは無縁である時間を。ささやかな幸せに思っては。
『義経』を見たら『いま会いにいきます』を見て。 今夜もぐっすり眠ろうと思っているところであります。
朝からずっと雨。時々どしゃぶりの雨。 午後7時頃。ぴたりとやんで。まだ暮れてしまわない空に。 おっきな鯨が浮かんでいるみたいな雲。 ようく見ているとふたつ。母さん鯨と子供鯨みたいだ。 よりそっている。今夜は空の海なんだね。ぐっすりとおやすみ。
午後7時50分。たった今、空が暗くなった。 しんしんと静か。ため息をつくのでさえいけないような夜だこと。
今日は。仕事を少し早目に終らせてもらって。 久しぶりに髪を切りに行く。ずいぶん長くなっていたから。 ひっつめたりアップにしたりしていたけど。 鬱陶しいなあって。だから思いっきり短くしてもらう。
ぱらぱらぱら。床にも膝の上にもぱらぱらぱら。 それはとても。いい気持ちの快感といえよう。 手遊びするみたいに。膝の上の髪の毛をもてあそんだり。
何センチかな?とか。そしたらちょうど5センチくらいだった。 うんうん。これくらいの踏ん切りつけとかないとねとか思う。
万事おっけいのリフレッシュなり。
どこか切り捨てる。それでどこかが変るらしい。
まだまだ序の口。たかが髪だもんな。
曇りのち晴れ。そうしてまた曇り。気分はまあまあの晴れ。
今朝はダリヤの花を見つける。満面の笑みのような可愛らしさ。 それからグラジオラスも。鮮やかな色を見つけると。なんだか。 自分だけくすんでいるわけにはいかないから。精一杯の笑顔になれる。 ありがたい花たちだこと。毎年まいとし必ず会えるんだもの。
今夜は。例の夫君の会社の送別会。この場に及んでまだ行きたくなさそう。 機嫌よくするんですよ。気持ち良くお別れするんですよと言い聞かせて。 居酒屋さんまで送って行ったけれど。後ろ姿見送ってたらなんか涙出そう。
それから私は毎週のバドクラブへ。いい汗かいてなにもかも吹っ飛んで。 区切られてるなって思う。ほんとうにおかげさまだっていつも思うのだ。
さて。二次会を断った彼は。若い頃からよく飲みに行っているスナックへ。 バドの帰りに繁華街まで迎えに行く。すごく気さくなママで私も大好きだ。 愚痴とかいっぱい。ほんとうは深夜までだってそこに置いてあげたい彼だった。
会社の仲間からお餞別を貰ったらしい。帰ってからそれを見てびっくりした。 なんと商品券が。10万円分も入っていた。ほんとうに思いがけない贈り物。 ありがたくて。神棚へお預けする。最後の最後まで遣うわけにはいかない。
人生って。何が起点になるかわからないのだと思う。 会社を辞めさせられたのじゃない。辞める時が来たのだと思いたい。 すべてすべて。準備されていたことの通り。順調に進みはじめている。
彼は。きっと家業に精を出すのだろう。 今年のはじめ。家業を廃業しようと決めたのだけど・・。 亡くなった彼の父親が。やめるんじゃない。続けてくれと。 願っているのだろうと思う。ソノコエシカトウケタマワリマシタ。
私は。自分が継ごうと頑張っていた。でも、もう限界だと諦めていたから。 お義父さんの声。それが何よりの励みに思えるようになった。
また冬になれば精いっぱい頑張ります!こんどはふたりで。
少しだけ青空。午後からまた少しずつどんよりの空。
七夕なのを。すっかり忘れてしまっていて。 なんだか。それどころではないとか。思ったりしているのかも。 しれなくて。ぐるぐるぐる。いろんなことがかくはんされているみたい。
夕食の時。サチコが。子供の頃のことを話し始めて。 夫君が。山へ笹をさがしに行ったんだぞ。毎年なって。 すごく自慢そうに話したりする。ほのぼのと懐かしい。 いつからか。願いごととか。そっとひそかになったらしくて。
私のねがいごと。それさえも。なんだかぐるぐるしているこの頃。 まあるくやさしく。手のひらにそっとのせられるようなことばかりなら。 もっと穏やかな気持ちで。日々を過ごせるだろうなと思ったりする。
なにがいちばん大切。そんなふうに特別には決めてあげられなくて。 すごく欲ばりさんで。あれもこれも失いたくないものだから。少し。 焦ったりもする。だから手のひらからこぼれちゃうことだってある。
いちねんに一度じゃなくて。しろくじちゅうそうだから。 『願い』の方があたふたしてしまって。道に迷ってしまうのかも。
だからといって。願わずにはいられない。祈らずにはいられない。
たとえば。「あいたい」それは欲というもの。 それを「一生あえなくてもいいから。どうか生きていてくれますように」
願うこころに血の文字で祈りを書いている夜だった。
午後になり。ゆっくりと空が明るくなり。久しぶりに青空が見えた。 眩しいほどではなかったが。やはり太陽は恋しさに似て懐かしいもの。
やまももの赤い実は。もうほとんど落ちてしまって。無造作に転がり。 発酵しているような匂いがしている。お酒みたいで酔ってしまいそうだ。
無惨というほどのことではない。ただ落ちるものの憐れさは。むしろ。 美しいとほめてあげたいと思う。喝采のあとの感動に似ているのかも。
そうして。ひとつがまた終った。
実ひとつ。身ひとつここにあり。
いっそ落ちればいいものを。
痛さをおそれてしがみつく。
あんなこともこんなことも。
決して夢ではなかったけれど。
夢ならば覚めることもできたろう。
実ひとつ。身ひとつここにあり。
千切るのはよぶんなこころ。
腐るのは時の仕業にまかせ。
どんな日もいつだろうとて。
なにひとつ恨むこともなく。
我が実を見失うことはあるまい。
ここ数日。梅雨らしい天気が続いている。 幸いなことに大雨は免れていて。どんよりとした空と。ぽつりぽつりの雨。
土曜日から。急に我が家のツバメの姿が見えなくなった。 夕暮れ時になっても。帰って来なくなったのだ。 卵は。毎日温めていた卵は。いったいどうなってしまったんだろう。 気掛かりでならない。孵化できずに死んでしまったのかもしれない。 しかと確かめることも出来ず。ただただ寂しく遣りきれない思いばかり。
忌み嫌われてしまったような玄関のあたりで。いつもの悪い癖なのか。 不吉なことばかり考えてしまっては。まあ、どんな時もあるのだしと。 ふたつ並んだ巣を。壊さずにいて。また来年の帰宅を待とうと思った。
7月も4日になった。今朝もいつもの山道に差し掛かるところで。 田んぼの稲鋪が。たったいちにち見なかっただけで。少し黄色く。 それから。『おどし』が。鬼太郎の目玉おやじみたいなのがしてあって。 ほのぼのと。順調に時が流れているのだなあとか。感心するように眺めた。
わたしも。まけないようにじゅんちょう。 いろんなことがあっているようだけど。すべてきめられていたこと。 のようにおもえる。じゅんびされていることをうけとめるように。 ひびを。ぼちぼちあゆんでいこうとおもったりしている。
雨が降ったりやんだりだった。恵みの雨と言っていいのか。 各地で水害がおこっているようで。なんとも心苦しいことなのだが。
いまは雨あがり。あたりが暗くなる前にちょっとそこらへんを散歩。 どうしても蒔いておきたい花の種があるので。大橋の袂まで行った。 休憩所があるところ。ベンチもあってちっちゃな公園みたいなところ。
芝生のあいだあいだ。白爪草のもう眠りについたあたりとか。 スコップで地面に線を引くようしながら。せっせと種を蒔く。
芽が出るといいな。晩秋の頃かな。きっときっと咲いて欲しい。 いちど咲くことが出来たら。毎年咲くことが出来る花だから。 その場所でずっと生きていかれる。私がおばあちゃんになってもだよ。 その頃には。毎年の種があたりいちめんで育って。花畑みたいになるかも。
なんだかすごい楽しみで。わくわくしてきたよ。
夜になって。久しぶりに雨が降った。ざあざあと音をたてて降った。 稲妻も。雷は好きではないけど。なんか心地良く感じたりして不思議。
今はもう静か過ぎる。ただただ水の匂いが漂っているのが。 誰かさんの吐息みたいに思えて。放心しそうな一歩手前のところ。
半年。もう半年が過ぎたのか。流されてばかりにも思えるが。 少しは浮いてもみたし。泳いで来たのかもしれないなと思う。
あの島までとか。目的などないものだから。ただ身を任せるしかない。
紫陽花が。とうとう化石みたいになり始めた頃。 いつも憐れに思うばかり。去年もその前もその前も思った。
桜みたいに。潔く散れない花だから。老いていくひとみたいで。 うす紫も。うす桃色も。青く澄んだものも。心はずっと紫陽花の心で。 一部分が茶色くなっては。日に日にそれは止めることができなくて。 悲しくないことはあるまいにと思う。いや・・哀しいというのがよいのか。
色褪せる日々に今は在る。いっそ千切ってと。私ならそう叫びたい。 だけど。紫陽花は。どんなに醜くなっても。その場所に在り続ける。 そこで生きることを。そんなふうに生きることを。誇りに思っているかのよう。
憐れむのはひと。哀しいのもひと。ひとは花にあらず。花の心で生きるひと。
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