かたほうだけのパンプス
敦子



 アシャガ池に映った姿

今日は、秋分点。昼と夜の日の長さが同じでここから冬至に向けて日がどんどん短くなっていく。

これからどんどん悪く?というか、難しくなっていきますね。

生きるということを他に譲って生きてきた人、借りぱっなしの人は死にます。

どういうことかというと。

自分の人生という時間は自分のやりたいことを表現する時間。
趣味、仕事、家族とか、活動は、自分で決めます。

人に勧められることもありますが、人に支配されてはダメで。

今までみんながやるから自分もやるみたいなことってダメで。

私たちの行動、思いって全部振動しています。

自分の振動数で生きています。

他人にやらされている、なんとなくやっている。

自分の心が躍ってない状態ってその人の振動数ではありません。

他人に合わせてとりあえず、振動しています。

地球の奥底に物理的には証明できないアシャガ池にその人のオーラが映し出される。

金粉が舞い落ちてくる天の中心と同調して自分の振動が宇宙の自分の音としてうまく振動できていれば大丈夫。

そうではない人はさようなら。

さようなら。

そういうのの分かれ目が今日から始まりました。

年内、少なくとも来年、再来年越せるか?っていう人や、波動が高すぎて低い地球と合わなくて突き抜けていくレベル高い魂とがハッキリ分かれていくことが始まりました。

さようなら、お母さん。
さようなら弟。

(弟が先だった)




2022年09月23日(金)
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