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■ オープン・ザ・ドア
今日はこの扉を開ける。
私は、脳卒中になってから今年で9年が経つことになる。
脳の手術をしたあと、自分の身体が自分じゃないみたいになっていた。
自分の身体なのに動かし方がわからなくなってわざわざ身体の動かし方を教えてくれる担当が3人もついた。
正確に言うと先生方のお休みの日の代わりの先生も含めると6人。
今日、作業中に今年で26歳になる東京の芸能人が多く住む街に暮らす娘から電話があった。
娘は、ふたつの仕事を掛け持ちしている。
親がこのとおり病気になってあやつり人形のようになった姿を目の当たりにしていたので大学時代から、いや正確に言うと高校時代からアルバイトをはじめ働きづめで自活していた。
大学入試の費用は、大学から願書が送ってきて、大学の論文コンテストで3位に入賞した賞金でまかなう。
当時、私はまだ脳卒中でマヒした左足に装具をつけていたくらいのあやつり人形レベルだった。
あやつり人形には、マリオネット、文楽、辻村ジュサブローとあるが、そんな文化的な意味合いではなく、自力では動けないという意味だ。
その頃は、もちろん自分で歩いていたが今よりもずっと動きが鈍くて、冬の夜など蒲団のなかで左手があるかないかもわからないほどだったので右手で左手を探って「ある」ことを確認していた。
よく「痛いの」とか聞かれたが「痛い」って? 痛いことがわかればそれは治っていることなのでその頃の私は痛くなりたかった。
正確に言うと「痛い」がわかるくらいに回復したかった。
痛くもかゆくもなく、手が身体に「ある」という実感をとり戻したかった。
そんな頃に娘は高2、高3で成績もよくて遊びで書いた論文が大学で評価を得てバイトで貯めたお金を入学金の先に入金する分に充てて入学にこじつけた。
そういう子だったからお友達のお母さん方が娘を気にいってくれて親が何もしてやれないので不憫に思ったのかバックとか買ってくれたり、フラワーアレンジしたお花をくれたりして卒業&入学を喜んでくれた。
そんな娘が今日は休みで洗濯をして午後出かけるまでのほんのひとときに母親に 電話をよこしたのだった。
今、なんとかという医療の40歳の医師とつきあっているという。
私は、いーじゃん、いーじゃん。10歳以上かまやしないよ。 娘は乗り気じゃないみたいだった。
第一に年齢。二十代からすれば「おっさん」なわけだ。
でも、独身でいわゆる「募集中」なわけだから数字的には「とし」だけど。
ただ時間が経っただけだから気分はまだ俺は「若い」と思っているはずだから。 って、娘が肯定的になるように何か言ったけれど・・・
第二に娘はその男に対して好意を抱いていない。 誘われたから行くだけ。
娘が二十歳のときにつきったK君に対してのウキウキが感じられない。
K君と別れてその後これって人は出てきていない。
でもなんだかんで何人かの人とつきあっている。
そんなに恋愛経験が多くない私からするとうらやましいよな、相手が決まらないって出口見えない迷路にはまったみたいで人生不安なのかもしれない。
で、はたして結婚って迷路の出口なのだろうか?
2015年02月20日(金)
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