僕らが旅に出る理由
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別に持っている自分のブログに載せたものですが、ここへも転載しておきます。 『天国はまだ遠く』という映画に触発されて書いた物語です。 映画はほのぼのしたよい作品です。女の子向けかな。
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『再びの花』
俺自身は、これまで死にたいと思ったことがない。 それって呑気なのだろうか。 4年くらい前までは、死ぬことなんて身近でさえなかった。 しかしその後、なぜか立て続けに周りの人間が死んでいった。 それ以来俺はすっかり変わってしまったように思う。
そんな今でも、やはり、死にたいとは思わないし、死んだらどうなるのか、具体的に想像もつかない。 だから、由香里の気持ちは俺には永遠に分からないのかも知れない。
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俺が由香里に初めて会ったのは、6年くらい前だ。 俺は26歳で、大阪のデパートの企画部で働いていた。こう言っちゃ何だが、かなりノリノリで仕事をしていた時期だった。初めて、仕事の面白さというものが分かってきたような気がしていた。 そんな頃、就職活動中だった由香里から連絡をもらった。 俺と同郷だということだった。 正直、驚いた。過疎も過疎、数えるくらいしか住人がいない上に、半分以上は年寄りというような田舎なのだ。実家の住所を聞いて、あぁそう言えばそのへんにそんな名字の人いたな、くらいの記憶はあったが、年齢的にも離れていたからか、俺は彼女をあまり知らなかった。 希望していた流通関係に俺が勤めていると地元の誰かから聞いて、連絡先を教えてもらったそうだ。
初めて会った由香里はリクルートスーツに身をつつみ、真面目そうで、いかにも就職活動生といった雰囲気だった。化粧は控えめだが肌が透き通るように白くて、潤んだような目をしていて、かなりかわいかった。 最初の印象では人見知りしそうな、どこか淋しげな感じもあったのだが、話してみるとよく笑う、普通の女の子だと分かった。出しゃばらないが人の話はきちんと聞き、仕事についてはなかなか鋭い質問をしてきて、頭のいい子なんだなとも思った。
付き合うようになったのは自然ななりゆきで、お互い、「付き合おう」と口にする前に、もう分かっていた。空気というか、波長というか、そういうものが似ていた。 就職も無事決まり、由香里は 「男と仕事と、両方手に入れたわ」 と冗談を言って笑っていた。 一人暮らしをするためのアパートを探したり、家具を見に行ったり、その年は楽しかった。クリスマスにイルミネーションを見に行くなんてベタなこともやった。よく笑った。幸せだった。
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翌春、由香里はうちのデパートで働き始めた。 俺が思った通り、由香里は優秀だった。他の同期のやつよりよく働いて、上司の評判も上々だった。 しかし、由香里は熱心に働くあまり、無理をしすぎることがあった。 社内はどこも人手不足で、優秀な由香里に仕事が集まってしまうこともたびたびだった。 そのたびに、 「たまにはうまく仕事をかわさんと、全部引き受けてたら潰れるぞ」 と俺は言った。 由香里はその時には頷くのだが、しばらくするとやっぱりたくさんの仕事を抱えてしまっている。 適当にはぐらかすという事が、この子は苦手なのかも知れないと思った。
俺は企画部の仕事を続けていた。 初めての企画展がなかなかの盛況に終わり、次は何をするのかと、周囲も期待していたし、俺もそれを考えるのが楽しかった。 デートの時にそんな話をすると、由香里はいつも自分の事のように喜んでくれた。その笑顔を見ると俺はまた元気が出て、どんどん仕事をこなした。時には、夜遅くまで残業することもあった。そのために2人でせっかく予約したレストランをキャンセルするようなこともあった。 俺が謝ると、由香里はいつも笑って、 「仕事がんばって結果が出てるんやから、ええことよ」 と言って許してくれた。 俺は由香里に、仕事が忙しい自分を見せることが誇らしかった。仕事のできる彼氏になってやることが、由香里にもいいのだと思い込んでいた。 もちろん、デートのキャンセルが続くと由香里もへこんだし、俺もこのままではいけないと思った。 が、ほとぼりが冷めると、俺は結局由香里の優しさに甘えてしまった。つまるところ、当時の俺は仕事が面白くてたまらなくて、ただ夢中になってたんだと思う。
異変は2年目の夏に起こった。 由香里が突然、休職したのだ。 原因は精神的なものらしいと皆が噂していた。 全く予期しなかったことに、俺はうろたえた。いや、全く予期しなかったと言ったら、嘘になるかも知れない。それまでも、ストレスが溜まっているのかなと思う事はあった。由香里が俺に、職場で感じる疑問や矛盾をぶちまけるようなことがあったからだ。 最初の頃はそんなものだと思った。俺も、社会全体に漠然とした苛立ちを覚えた時期がある。でも就職して数年で消えてしまった。だから、由香里も同じだと思った。女性だから、俺の時よりストレスがちょっと強めに出ているのだろうと考え、それほど深刻に捕らえなかった。 しかし、由香里は俺の想像より、ずっと悪くなっていたのだ。 しかも、俺がそれを聞かされたのは由香里本人からではない。 上司の堀江部長からだった。 由香里の上司と親しいそうで、そこから聞いて教えてくれたのだ。 「なんや君。聞いてへんのか、深瀬くんから」 「ええ、ここんとこちょっと、残業やら出張やら忙しくしてましたんで・・・」 俺は相当きまりが悪かった。 「そうやな。立て込んどったで、俺も悪かったな。深瀬くんな、頑張り過ぎて、ちょっと疲れてしもうたみたいやねん。ただ仕事はようでけるし、あっちの部署では無理せんと休んで、また元気になったら戻ってきてもうてええ、言うとるけどな」 部長は独特のおっとりした口調で話してくれたが、少し心配そうだった。
由香里の携帯は電源が切られていたので、その日の仕事が終わってすぐ、彼女のアパートに行ってみた。 アパートには誰もいなかった。長期旅行する前のように、きれいに片付けられていた。 俺は慌てて、彼女の実家に電話をした。 彼女の母親が出て来て、由香里はうちで寝てます、と言った。 今日は具合がよくないので、と言われ、取り次いでもらえなかった。 この母親は、前に一度会ったことはあるが、どういうわけかあまり俺を快く思っていないようだった。 仕方なく電話を切り、ともかく無事は確認できたことに安心して、自分のアパートに戻った。
次の休日が来るまで、俺はひたすら反省した。 田舎から出て来て友だちも少ない由香里にとって、頼れる相手は俺だけだったかも知れないのに、十分に向き合ってやらなかった。俺はそういう病気には詳しくないが、きっと淋しかったのだろう。 1人の部屋で布団に入り、明かりを消すといつも、暗闇の中で由香里の潤んだ瞳を思い出した。由香里は俺の前でたくさん笑ったのに、思い出すときはいつも少し俯き加減の、淋しそうな顔だった。
俺たちの田舎は日本海も近い、京都府の北端にある。 大阪から特急に乗って2、3時間という距離だ。 会いに行くと言うと、由香里は駅まで車で俺を迎えに来てくれた。 数週間ぶりに会った彼女の顔は、少し青白かった。彼女の肌はもともと透明で白いのだが、いつも以上に白い気がした。 助手席に乗り込んだ俺に、由香里はまず謝ることから始めた。 「ごめんね。突然おらんようになって」 「おう。びっくりしたで。俺、そんなに当てにされてへんかったんか」 あれだけ悩んだのに、彼女に言うべき言葉が見つからず、俺はそんなぶっきらぼうなことしか言えなかった。でも由香里は、俺の気持ちを察していた。 「はるが悪いんじゃないんよ。私やから。まだ大したこともできてないのに、2年もせんうちに体壊してしまうなんて、情けなくて言えへんかった。はるは仕事でどんどん成果上げてるのに」 「情けないことなんてあるか。お前、立派にやってるぞ。俺の2年目の時より100倍はええぞ。ほんまに」 何を言えばいいのか分からない。励ませばいいのか、慰めればいいのか。ただ、冗談を言って笑わせていればいいのか。 どれも違う気がした。いつの間に、由香里のことをこれほど分からなくなっていたのだろう。 「はるが気にせんでいいんよ」 「気にするっちゅうねん。させとけや」 由香里は静かに笑った。いつか見たのと同じ、潤んだ目をしていた。彼女はハンドルを握ったまま、どこへ行くとも告げずにアクセルを踏んだ。
車の中で、少し話をした。 はっきりとは言わなかったが、実家はあまり居心地がよくないようだった。田舎のことだから、噂はすぐ広まる。由香里の両親は村の総代をつとめたり、いろいろと顔が広いそうで、余計に具合が悪いのだろう。 医者の話では、由香里の病気は、とにかく無理をせず、体も心も休ませること、しばらく好きなことだけして、元気を取り戻すことが大事なのだそうだ。 「でも好きなことだけって言われてもなぁ、分からへんわ」 由香里は困ったように言った。確かに、由香里の趣味というのは聞いたことがない。 「ほな、とりあえずぼーっとしとけばええんと違うか」 「ぼーっとって。そんなん30分も持たへんよ」 あっさりと笑われた。確かにそうかも知れない。 俺が好きな事だけしてればいいと言われたら、 仲間と草野球をしにいくか、昼間からビールでも飲んでDVDを見るか・・・とにかく、する事に困ったりはしないだろう。しかし由香里はそういう風でもないし・・・ 俺が言葉に詰まっていると、由香里は少し悲しそうな顔で笑った。 「はる、ごめんね」 「謝らんでええから」 「はるに迷惑だけはかけたくないねん。それだけは、したないんよ」 「迷惑やないよ」 俺はそう言ったが、自分の言葉が空回りしているのを感じていた。
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着いたのは、紅葉が目に美しい眼鏡橋だった。 旧国鉄時代に使われた橋梁だ。今は廃線になって、冬にはもっぱら自殺の名所になる物騒な場所だ。 俺はほとんど来たことがなかった。 由香里は俺の前を、迷いのない足取りで歩いて行った。何度も来ているのだろうか。橋の上に出ると、辺り180度の視界が開けて、怖いくらいだった。 「なんで、こんなとこに来たんや」 俺は聞いた。お世辞にも、デート向きの場所ではない。 「ここ、自殺の名所なんよ」 「知ってるよ、そんなこと」 「ねえ、怖くない?下見てみて」 俺はしぶしぶ、下を覗いた。高所恐怖症ではないが、さすがにゾッとする。 「何十メーターあんねん、これ、下まで。えげつないもん作りよるよな」 そう言いながら、俺は視界の端から由香里を逃さなかった。 由香里は橋の手すりに覆いかぶさるようにもたれて下を覗いている。俺は手すりに垂直にもたれて、横目で下を見ているだけだ。由香里が変な真似をしたら、すぐに捕まえようと思っている。 「なんで飛べるんやろう、人って、こんな高いところから。怖くないんかな」 「さぁ。それは、実際飛んだ人に聞いてみな分からんやろう。それはまぁつまり、聞かれへんちゅうことやけど」 「その瞬間に、怖いって感情は消えてしまうんかな」 「さあ、分からんな」 由香里は何を考えているのだろう。 「ねぇ見て・・・なんか、吸い込まれそうやね」 「やめろや。気色悪い。こっち来いや」 俺は嫌な予感がして、由香里を呼んだ。彼女は軽く笑ったが、谷底から目を離そうとしない。 「こんな風に試されるなんて、俺嫌やぞ」 「何それ。試してへんし」 「ほな、こっち来い」 「はる、もしかして本気で心配してる?私が飛ぶって?」 「ええから、来い」 俺たちの間には、2mくらいの距離があった。 いつもは素直な由香里なのだが、この時はなかなか言うことをきかなかった。その頑さが、妙に俺を不安にさせた。 「はるがこっちに来たらいいやん」 「お前、分かっててじらしてるやろ」 「ねぇ、はる」 由香里は構わず続けた。 「みんな、飛ばずに済むものなら飛びたくなんかないと思うねん。生きてれば辛い事もあるけど、同じくらい良い事もあるんやって、分かってるもん。死んでしまったら、大事な人たちを悲しませることも、分かってるもん。だから・・・」 俺は何も言わなかった。 しばらく、お互い黙ったままで見つめ合った。 「・・・だから、私は死なへんよ、はる」 「なんや。そんなことか。当たり前やないか」 俺は内心ほっとしていたが、わざと怒ったような声を出した。そのまま、心の動揺を悟られないように彼女の腕を乱暴に掴んで引き寄せ、橋を降りた。 由香里はもう、いつもの由香里になり、大人しく俺についてきた。
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それから、俺は休みが取れる時は、できるだけ田舎へ帰って、由香里に会った。 仕事は忙しく、自分だけの問題であれば、休み返上で働きたいくらいだった。それくらい集中したい時期だったが、それでも、俺は無理に人並みの休みをとって、それをすべて由香里のために使った。 とにかく、由香里に会い、話をすることが一番の薬だと、信じていたからだ。 疲れ果てて、京都から帰って来る特急の中で前後不覚に眠りこみ、大阪で駅員に叩き起こされることもあった。それでも、俺は京都へ通うことをやめなかった。 由香里は一見、順調に回復しているように見えた。最初は、数ヶ月で職場に戻ってきた。 職場に戻ってからは、彼女を見かけるたび声をかけた。俺のマメマメしさは上司に冷やかされるほどだった。以前はしょっちゅうキャンセルしていたデートの約束もきちんと守った。 由香里は喜んでいるように見えた。 でも、だめだった。由香里はまた休みがちになっていった。 また休職した、今度は退職ということになるかも知れないと堀江部長から聞かされて、俺は脱力感に襲われた。 どうして好転してゆかないのか。 俺の何が悪いのだろう。 仕事ではキャリアを積み重ね、自分なりの方法論も確立しかけていた。だが由香里に関しては、それは何の役にも立たない。 由香里は、少しの雨や風にも耐えきれず倒れてしまう、弱い弱い芽のようだった。俺が傘をさしかけても、手で風よけを作っても、ほんの少し漏れて入る風や雨だけでだめになってしまう。だったらそもそも、傘や風よけの意味なんてあるのだろうか。 どうすればいいのか、分からなかった。よほど考えが行き詰まる時には、一瞬、由香里を疎ましいと思うことさえあった。ほんの一瞬で、すぐにそんな考えは頭から追い出すのだったが。
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