僕らが旅に出る理由
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2009年12月12日(土) 海外へ行かなくなる日

私が子供の時には、まだアメリカに盲目的な憧れを持っている人がたくさんいた。田舎だったということもあるし、外国といえばアメリカのことで、町で外国人を見かければたいていアメリカ人と思われていた。
英語が話せない人は外国にコンプレックスを持っていたし、逆に多少でも覚えがある人はそれを誇示していた。英語とか海外というものを大いに意識していた。

私はひねくれティーンエイジャーだったので、英語が得意だったくせに、そういう風潮が嫌いだった。戦争に負けたからこんな卑屈なことになっちゃってるんだ、と当時は思っていた。

大学を出てからは海外留学の仕事につき、留学していく多くの人と関わった。
見知らぬ国の人々やその言葉に対し、憧れや好奇心や恐れをもって出かけていく彼らは、多くの場合、それによって自らを変えたいという気持ちも持っていた。
私は、海外と自分の変身願望を重ねてしまうのはやり過ぎだと思っていたけれど、そういう流れの中からやがて、もっとフラットな物の見方ができる若い人達が現れて、自然体のままで海外でも活躍してくれるような時代になったらいいと思っていた。下から海外を崇めるようなダサい風潮には、早く死んで欲しかった。
だが、そんな時代が来るのか、また、来たとしてそれはどんな時代なのかは、具体的に想像できなかった。

そこへインターネットがやってきて、世界の勢力図を大胆に書き換えてしまった。ビジネスが否応無しに国際化していき、サブカルチャーから火がついて、日本そのものにも注目が集まるようになった。
私は内心、いい流れだと思った。今や世界が日本を理解しようと努力している素振りさえ見える。いよいよ対等な時代が来るのかと思ったのだ。

ところが最近になって、海外へ出かける日本人がどんどん減っているという話を聞き、そうか、そうなるのかと目からウロコが落ちた。

相手が自分を理解しようと歩み寄ってくると、もう自分から働きかける意欲を失ってしまう。というよりこれからは、自分からも働きかけなければいけないのだという発想自体、出て来なくなるのかも知れない。

人間が人間と対等に付き合うのは、やっぱり難しいことなのだ。
下から見るか、でなければ、いっそ上から見るということになってしまうのだ、大半の人達は。

世界はそんなに簡単に完成しない。ある意味、よくできている。

しかし、海外に興味を失うにつれ、右傾化する人も増えてきそうで、なんだか怖い。アメリカを崇拝していた時代には、私は日本人ほど愛国心の薄い民族はないと言って、もっと自信を持とうぜ、みたいなことをあちこちに書き散らしていたものだけど、いまやそんなことはとても言えなくなった。


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