僕らが旅に出る理由
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2008年11月14日(金) 小惑星

生きることが、たとえば小惑星群の間を漂いながらたまたま何にもぶつからないだけの、不安定な、実体のないものに思えることがある。

大人がいつでも子供よりよいものかどうかは、一口に言えない。
でも、子供がすべてを持っているかのような考え方はしたくない。
人間としての美質すべては子供の頃には確かに備わっているのに、大人になるにつれて忘れて行くんだ、というような。
それなら、何のために私たちは大人になるのだろう。
自分自身になるためではないのだろうか。
そうでなかったら、生き続ける意味が分からない。

だけど、そうは言っても、人間いつかは死んでしまう。
何となく生きても、精一杯生きても、彫刻をどれほど克明に彫っても、彫らなくても、やがて死ぬことだけは誰も変わりない。
どうせ死んでしまうのになぜ生きているのだろう?

人が地獄と極楽を考えだしたのももっともだ。
あの世で精算が行われるのでもなければ、この世では人はあまりに不条理に死んでいく。

デュマの「三銃士」には長い続編がある。
三銃士の一人、アトスが死ぬ場面がとても好きだ。

アトスは折り目正しい貴族で、誰よりも高潔な精神を持っている。
身分の上下なくみんなに敬意を持って心を尽くして接し、愛されているのに、彼は不幸な人生を送る。
愛した女性に裏切られ、助けようとした王は処刑され、最愛の息子は恋に破れて自暴自棄で出征した戦地で亡くなってしまう。
アトスは結局一人ぼっちで死んでしまうんだけど、彼には、それまでの人生の報いのように、とても安らかな死が訪れる。

私はこれを読んだ時、ほんとに良かったなぁと思ってアトスのために泣いたのだが、現実はそんなふうに優しく出来ていない気がする。


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