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■ 無題2-6
凪いだ風が冷たくて、窓を閉めに行った。
放課後にはこれまで通り、あの人は俺達を指導に訪れた。 短めだった髪がだいぶ伸びて、少しずつ≪ナミコ先輩≫は大人びていった。 外見は変わっても、内面までは早々変わるものでもなく、受験生だという緊張感も感じさせることなく、相変わらずよく笑ってよく怒った。冬の演奏会まで、こうやって顔を見せに来るから、とあの人は言った。
例のごとく時間ギリギリまでパート練習に励み、最後に音を合わせて解散となり、練習室は瞬く間に人気がなくなっていく。
結局最後まで残った俺とあの人が、準備室に片付けにいっているフルートのパートリーダーを待つことになった。純粋に考えれば二人きりでもないのだが、実際に視界に入るのが一人だけというのはプレッシャーに近いものがある。
「だいぶ気合い入ってきたよね、皆」 「…そうですね」
静かになった練習室を愛着込めた目で見回した後、あの人は「ふふ」と笑った。
「何ですか?」 「相変わらずね、やる気なさそうなのに、結局一番頑張ってるところ」 「俺のことですか」 「勿論」
しばらく考えた後に返した変哲のない答えに、さも気の利いたものであったかのような笑みを浮かべる彼女は、とても眩しいと思った。
「どうせやるなら、やり切りたいだけです」 「でも好きでしょう?」
柔らかな笑みを浮かべたまま尋ねる内容は、当たり前だが楽器のことを問うている。わかってる。だがその問いは、俺の中の何かを動かすには、十分過ぎるほどの力を持っていた。
「好きですよ」
思ったより、ぎこちなくは感じなかった。
言ってしまえば、随分簡単な台詞だとも思った。真面目くさった俺の態度に、あの人は少し目を見開いてから、また笑った。
「あは、びっくりした。あんまり真面目に言うから、私のことを言ってるのかって思ったじゃない」
悪戯めいた瞳。漏れた吐息は、笑い声にも聞こえた。自然と笑みが浮かぶ。
「――好きですよ、俺。先輩のこと、今でもずっと」
困らせてしまうとはわかっていた。でも言わずにはいられなかった。もう前のように、話せなくなったとしても。少し俯いたあの人の表情はうまく見えなくて、ちょうどいい。見えないから、言ってしまえる。想っていた気持ちを、感じていた全部を。
「勝手に言ってるだけ、ですから気にしないでください」
何と言っていいのかわからない、困惑の空気に心がぴりぴりした。本当は違う。そうじゃない。気にして欲しくて堪らない。明日も明後日もその次も。俺を見る度、思い出して欲しい。俺があなたを好きだと言った、その言葉を。
いつも凜としているあの人が、まるで違う人のように小さく、見えた。さっきまでの和やかさは、もうない。代わりに降りかかる沈黙。卒業して会えなくなるまで、言う気はなかったのに、吹き出した吐露は尽きない。
「…シュウ、くん」
二の句が継げないでいるんだ、とは気付いてる。気付いていて、笑い返す。あるはずのない余裕をみせるように。
目線を伏せていたあの人が、俺を見る。そうして近づいてくる。
一歩、二歩、三歩。たった数歩の動きさえ、スローモーションに見えた。腕が俺を捕らえる。生まれて初めて、心臓が跳ねるという意味を知った。いつものように、凜としたあの人が目の前にいた。
「あ…」
「すみません! 終わりました」
時を止めていた沈黙は、準備室から出て来た部員の恐縮した台詞に、霧散した。
2007年12月27日(木)
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