舌の色はピンク
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2022年02月28日(月) ちんけな呪い、女の子の教育、物語の価値

寒いけどたかが知れてる。
こっからは三寒四温。
こわいもんないね。
角煮を弁当にしてゴミまとめて
いつも通りの月曜日の朝をこなして
いつも通りの時間に家を出た。

駅を降りて会社へと向かう道すがら、
上司が死んでないものかと夢想する。
ありがちな会社員像だとは思う。
ザコの…。
それも20代ならまだしも…。
でもこれでいい。
万人が幸せでありますよう祈りながら、
どいつもこいつも死んでしまえと呪うのだ。


バトルグランドワーカーズ一気読み。
辺獄のシュヴェスタの著者の次回作…だけど、
アレレレーという感触のまま突き抜けてってしまった。
色んな意味で同じ作者とは思えない…。
SFバトルアクションとしては
まとまりがイイと思うけれど
それはこの先生じゃなくても描けるものだ。
絶望の中から希望を見出して強気に前を向く、
という姿勢の貫きには感じ入ったけれど
やっぱアクション先行で物足りない。
辺獄のシュヴェスタが名作過ぎた。
もったいない…。


女の子が産まれることについて考えを巡らせている。
まず費用は男の子に比べてとっても増える。
今どきは子どもでも着飾らせたりするわけだけど
男の子ならまだしも女の子相手には抗えない。
というか妻はガンガン着飾らせる気だ。
それに、気を遣う。
男の子相手なら厳しめに、何かしたいことがあるなら
自分で解決してみろと突き放してやれるが、
女の子相手には難しい。
だいいち僕自身が男三兄弟で育った身であるから
女の子相手の家庭像がなかなか結べない。
都合不都合で考えると僕にとっては不都合が多いのだ。

それでも、厳しくしてやりたいとは思っている。
嫌われ憎まれてもいいという精神で。
ものわかりよく無尽蔵の優しさで甘やかしてやることは、
僕にとってはたやすい。
しかし理不尽さを学ばせてやるのも家庭の教育だろう。
頭ごなしにダメなことはダメと叱りつける役柄は必要なのだ。
できっかな。
話聞いてやりたくなっちゃうからな。
子どものときの感情、心情がっつり覚えてるから
あっち側に立ってやりたくもなっちゃうし。
だいたいが家庭内の娘はおろか
家庭内の父親というものすら
僕はほとんど知らないのだった。


夕飯、マグロの刺し身。
昨日の夜ヅケにするのを怠ってしまっていたけれど
10分だけでもと醤油とみりんの漬け液に
ぶつ切りにしたマグロを浸しておいたら
しっかり美味しく食べられた。
あさりの味噌汁も合うし。


昨日読んだ韓国の民話、妻にも聞かせてみた。
やはり、ラストの息子の弁に難しさを感じるらしい。
妻からすると、どちらかといえば付随する事情、
オマエ狩人に育てられてるんだよな、とか、
なんか父一人が損してないじゃん、とかが気になるようだった。
僕が取りざたしたいのはやはり論法だ。
「自分が父と同じ立場にあったら同じことをするだろう”から”、
父よ私に謝らないでください」
というAだからB論法について、
そこに見られる論理のヒビ割れに面白さを感じるのだ。

あと民話やおとぎ話のたぐいは、心理描写がなくって、いい。
現代的な小説やら漫画になると
ここに「妻の思い」とか「狩人の理念」とか
そうしたノイズが入ってくる。
それだけでも1本のお話になるという。

じゃなくって、行為の羅列、出来事の連続性からなる昔話は、
だからこそ複雑怪奇な命題を表しうる。
答えのない命題の渦に聞き手を迷い込ませる。
これを「教訓」だとかいう言葉で回収させると、
途端に答えが像をクッキリ結んでしまう。
じゃなくって!
答えに辿り着けそうで辿り着けない道筋こそに
かえがえない価値があるはずなのだ。
それこそが物語の真髄であるはずなのだ。


れどれ |MAIL