舌の色はピンク
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| 2022年02月09日(水) |
明晰、積雪予報、沈黙交易 |
晴れ。 弁当は昨日のスタミナをご飯にのっけただけ。
賢さについて。 なにかこうある事例について見解を述べたり 所見を表してみたりしたときに、 聞き手はその判断が妥当であるか、情報が正当であるか、 論理的破綻はないか、倫理的に問題はないかなどを審理する。 で。 じゃあそのなんだ… ここでは死刑制度の是非についてを例にしてみよう。 賛成であったり反対であったり、 部分的には反対とか、現状では賛成だが本来的には廃止すべきだとか、 死刑制度自体は肯定するが刑の執行には難点があるだとか、 文化的には、宗教的には、歴史的には、倫理的には、 法律学的には、社会学的には、医学的には、 人権的見地からは、経済的見地からは、… などなど、あらゆる立場から、またあらゆる観点から 答えへはアプローチできるわけだ。 当然、どの立場のどんな観点からの意見に対しても、 反証的な意見は出せる。 その反証的な意見を出せる余地が少なければ少ないほど、 もとの意見の正当性は高いといえる。 端的にいって、賢いと見なされるだろう。 だがここで問題となるのは、何が賢いと見なされるかだ。 その人自身か、その人が導き出した意見がか。
僕は、その人自身の賢さについては、 単独の意見からは追跡困難と思われるのです。 というのも、どんな判断であれ、 その人が仕入れている情報を要素としているために、 仕入れていた情報が少ないばかりに 妥当性の低い判断しか導けなかったという例はありふれている。 しかしだからといって、彼の判断能力が低いと判定できるわけではなく、 しかるべき情報さえあれば、彼は誰よりも高等な判断をしおせたかもしれない。
わかりにくいな…。 死刑の例、全然いきてないし。 あと賢さというか明晰さだな。
往年の松本人志を例にとってみる。 彼には、自らの見解が絶対的に正しいという確信がある。 近年は丸くなってきたが長年ずっとその態度は強固だった。 彼の意見には論理の飛躍が度々見える。 しかしそれは部分が省かれているだけで、 彼の言葉を紡ぎ足していくと、 正当性、妥当性の高い絵図が見えてくる。 ところが、事実に即した知識の光によって照射してみると、 見当違いと断じざるを得ない意見が多々ある。 だがそれは、彼の意見は覆せても、 彼の明晰さを崩れさせはしない。
…もうちょっと語りようがあるなあ。 でも一旦はメモとして、ここまで。
明日夜から都内でも積雪が心配されている。 金曜朝は交通に影響が出そうだ。 金曜は祝日だが会社はある。 これだけコロナ感染者ピーク更新し続けてて、 大雪を警戒するようにとの予報があって、 その上全然仕事が入らない日取りの祝日を、 臨機応変に休日にさせようとしない会社の体制は苛立たしい。 様々な思惑が、打算が、了解が、縛りが 立体交差し合って複雑な事情は組み上がっているわけだが そんな制限は百も承知で、 動ける人間というのはいる。 でもほとんどの人間は動かない。 ちょっと動けば複雑めいた事情なんて かりそめの馬鹿馬鹿しい虚像であったとすぐに知れるのだが、 誰も彼もまず動こうとはしない。 おおよそそういうふうにして組織は成り立っている。 そして腐っていく。 動ける僕はこの会社自身に潰されてしまったから 今は腐敗していくばかりの光景を静観している。
帰り道、江戸川乱歩作品の朗読を聴いた。 なんとかの指輪。短編。 話自体はなんてこともないが言葉選びがすこぶる気持ちがいい。 地の文のない会話劇。 またそのセリフを読み上げていく女性の声が上品で達者でスバラシかった。 しかもちょうど家の前まできたところで聞き終わるという…。
21時50分帰宅、 妻は友達とZoomで話している。 夕飯の味噌ラーメンを用意…といっても お湯を沸かして白髪ネギを水に浸しておくだけだから、 すこし原神をして、それからはPCを触って妻を待った。 22時半を過ぎて夕飯。 味噌ラーメンにもやし炒めとメンマと白髪ネギ。実に美味い。 これにコーンバターを加えれば絶頂ものだが 今日は健康を気にしてやめておいた。 妻はたくさん祝福してもらったようだ。 男の子だったら舞台俳優にしてくれ、 そしたら推す、たくさんお金貢ぐから…などと 冗談交じりに激励されたらしい。
内田樹先生の本にあった文を紹介した。 沈黙交易について。 人類史を遡って、原始的な市場の発生をさぐっていくと “交換”と”贈与”に辿りつく。 それについては文化人類学の基本だが 沈黙交易という言葉は初めて聞いた。 そのミソは、 「何の役に立つのだか知れないもの」が 「誰に贈与されたのだかわからない」からこそ、 返礼義務の精神から”交換”が継続するのだという。 ”交換”は、交換し続けることそのものが目的であって、 有用性の確かな等価物を返戻してしまえば、 そこで”交換”は途絶える。 であるから、途絶えなかった”交換”の連続が、 道具や言語や乗り物や道路といった文明を実現させていった… この時点で相当面白いけど、 この考えを内田先生はレヴィナスに接続する。 私はこの世界に存在してしまった。 他の誰か、あるいは何かからの席を譲り受けてしまった。 “始原の遅れ”。 すでにあるフィールドにおいて、 常に遅れたプレイヤーとしてしか存在できない自己は、 不可避の贈与をされ続けている。 その負い目のような感覚。
僕なりの解釈を交えた論を聞いていた妻は ニーチェにおける「負債」の観念を挙げ、 その弁別について語り合った。
バナナジュースを飲んだあと、 妻はYoutubeを見ながらマタニティヨガに勤しんでいた。 それなりに動画を吟味していったが いずれもそれっぽいヒーリング音楽、 真っ白い部屋に観葉植物、 ちょいスピリチュアル入った語り口と。 いかにもセラピー系の色合いが強く妻ともども参った。
1時に就寝。 寝入り話に妻から出されたお題は冬季五輪の新競技。 オリンピックがなくなった近未来、 七輪ピックというスポーツの祭典が日本で開催されることとなったが 見切り発車すぎて競技は一コだけ、 それは竹馬スケートなる競技で…。 という話を昨晩してやった、その続きを語って寝た。
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