舌の色はピンク
DiaryINDEX|past|will
| 2022年02月07日(月) |
コムナルカ、料理本自作、宗教、防潮堤 |
晴れ。寒い。
弁当はガパオライス。 いつも通りにつくって、 サァ大葉を切って散らしたら完成だと取り出したところで、 僅かに二枚入ってるだけという事実が発覚。 大葉が二枚! 10枚68円だとちょっと多いかなと思い 48円のものを中身を見もせず買ったのだが よもやこんなことになるとは…。
コムナルカ-8号室の住人図鑑-を読み始めた。 旧ソ連にあった共同住宅。 言うなればアパート型長屋的シェアハウスといったところか。 面白い。 読んでてちょっと思ったけど、 会社のオフィスも自席を完全に仕切って部屋に見立て、 フロアからほぼ出ることのない閉鎖空間としてみたら、 その生活空間での日々はちょっとした読みものになるかもしれない。 例えば災害で会社から出られなくなって、 従業員いずれもがフロア内で数日過ごさなければならず、 それぞれのプライバシーを最低限確保するために 間仕切りで自席を区切って…いうなればネットカフェみたいにして。 で、「部屋」を訪れる形式。 うん、これ、いずれ書く本丸の、花束の試作にはピッタリかもしれない。
昼休み、妻から連絡。 職場で、新型コロナワクチン三回目の職域接種の予定が立ったらしい。 どの日でもいいよと伝えたところ、ひとまず3月11日となった。 だが居住区の接種券も明日から発送されるらしい。 そちらが届いてみてからまた医療機関へ連絡してみて、 3月11日より早く打てるようだったらスケジュールを変更する、 という方針を立てた。
夕飯は昨日の残りのシチュー。 これに僕にはカツを、妻にはソースカツを添えた。 テレビはグレーテルのかまどで、 マザーテレサが貧しき人々に配っていたチョコレートを 題材にしていた。 「宗教って大事なんだなあ」 と妻が言う。 月並なコメントではあるが、教会通いしていた時期もあり、 そのあたりの人よりは宗教学に通じているから それなりの重みは込められている。 「宗教が必要とされない世が実現されるなら まぁそれが一番なのかもしれないけど、 そうはならないからこそ宗教が大事といえるのだろうね」 僕の方は文化と結びついた宗教学がかなり好きだから 現代社会においてだって どれだけ宗教に意義があるか、価値があるかをかなり語れはする。 ただこの、 宗教が必要とならない世の中がが一番ではあるだろう、 という観点は、我ながら秀抜なんじゃないかと思われた。 これはとくに、非宗教家にすごく通じやすいロジックなんじゃないか。 だから”こそ”価値が認められるという。
ここしばらく、 妻が料理を覚えたがっている。 何年も前から言ってはいたのだが、 いよいよ現実味を帯びてきている。 ただ、出産後に炊事しなければならないという ちょっとした強迫観念があったようで、 それは予定上は必要ではないだろうと正した。 「じゃあ、子どもが物心つくまでにはでいいや」 「結局見栄なの?」 「うん」 「子どもに軽蔑されたくないの」 「うん」 「あわよくば尊敬されていたいんだね」 「そう。そうだよ。 料理もできないのかお前は…って…絶対いやだよ。 尊敬されたいよう」 そんな会話をしていて思ったのだが、 料理の超初心者向けのレシピ本を、 自分で作ってしまえばいいのだ。 超初心者向けって、あるにはあるけど、 読者をバカにはしていない。 僕が今回求めるのは、おバカ相手にも通用する、 「ただそれにさえ従えば料理が仕上がる」プログラムコードのようなレシピと、 「従い続けていれば料理の手順、手際、手配が習得できる」体系だ。 だからまずはレトルトカレーから入る。 レトルトカレーとサラダを規定時間内に手際よく配する。 すごく大事だと思われるのだが、 レシピ本ではまず見かけない。
たとえばこんな感じだ…。
まずはサラダを用意します。 具はサラダ菜とトマトだけ。 サラダ菜は食べたい分だけをちぎって、 水でさっと洗い流します。 水気を切ったらサラダ皿へ。 トマトはヘタにあたる上部を切ってから 縦に半分に切って、 さらに食べやすいサイズに切っていきます。 食べない部分はポリ袋に入れておきます。この短い料理時間における簡易ゴミ袋となります。 それぞれを器に持ったらドレッシングをかけてできあがり。
現在のレトルトカレーは、ほとんどが お湯で温めるかレンジで温めるかを選べます。 出来上がりはどちらでも変わりません。 より楽なレンジで温めるとしましょう。
レトルトカレーの包装箱にある説明に従い、 必要に応じて器を用意。 電子レンジで温めます。 指定時間でアツアツになっていなければ、 もう20秒温めてみましょう。
レンジにかけている間に配膳をします。 サラダと水を食卓へ。 箸とスプーンも忘れずに。 カレー皿に白米を盛ります。 温まったレトルトカレーをかけて、 包装袋は臭うから、さきほどトマトのヘタを入れたポリ袋に入れてからゴミ箱に捨てましょう。
…ていう感じか。さらに後片付けとかも入るわけだけど。 しかしこのアイデアは妻には受けなかった。 何分、相手が夫といえでも自分より長じている分野について 教えを請うのは悔しくある、 むしろ夫相手だからこそナオサラ悔しく、 かなうなら独学で道を切り開いていきたいのだという。 しかし夫に頼るのがベストであるとも認めてはいるから、 用意してくれるなら見てみたいもんだといった話に落ち着いた。 こうなってみると俄然やる気もなくなってくる。 ウーン。よっぽど気が向いたらになるか。
内田先生の合気道の話はいつも興味深い。 今回の本では呼吸法について触れていた。 通常、運動においては 身体をどれほど統御できるか、 どれだけの力を発揮し、蓄積していけるかに意識が傾きがちだが、 そうではない、 身体とは9割は思い通りにはならない、 呼吸法に通じるほどその自覚を深めていけるようになった… といった話をしていて興味深かった。 それは自己肯定とはまた別のレベルの、自己への畏怖となるらしい。
昭和史、伊勢湾台風。昭和34年。 台風で死者行方不明者合わせて5000人以上とか…。 ある地帯では120日間にわたって水がひかなかったとか。 想像もつかないような大災害だ。 こっから災害対策が強化されていったらしい。 そういえば週末にテレビで防潮堤の特集をしていた。 90人が暮らす離島に10億円かけて防潮堤作ったけど 当初の名目であったはずの保護対象である農地は 今や荒れ果ててて誰も管理しておらず 島民も減る一方でなんのために建てたんだかという。 それでいて島の風景が変えられてしまっている。 「この島から人がなくなってもあの防潮堤だけが残る」 と島民はぼやいていた。 また一方では宮城の例で、 やはり十数億円かけて立派な防潮堤をおっ建てた。 震災の事例を鑑みて高さは10m。 どれだけの水害にも対応できるとの触れ込みで もともとは住民の合意も得ていたはずだったが いざ建てられてみるとこれが想像以上に高く、 住民からすれば、やはり風景が変わってしまったという。 海とともにあった暮らしから、 景観としての海が奪われてしまったわけだ。 ある漁師は 「もう陸からじゃ波の具合もわからん。 船の具合もわからん。かえって危ないよ」 と笑っていた。 一方で県知事は、自分はどんなに非難されても まったく引くつもりはない、 住民の命が最優先である、 数十年後、数百年後までを見越して、 あってよかったとされればいい、 そのためなら私はこの職を辞すことになっても構わない… とまで覚悟を決めている様子だった。 景観の問題はまちづくりでもよく出てくる。 安全性と景観とはたしかに対立しがちだ。 だからこそ合意形成が必要になってくる。 そこに求められるのは説得よりも納得だ。 コミュ力って程度の言葉に言い表されるほど コミュニケーションの力は矮小じゃない。 課題解決にあたっては工学的観点のみならず 人文学の価値を見直すべきだと思う。 究極的には、人命が最優先、とされなくたっていいのだ。 「いつ死んでも構わない」というつもりで生きていられる、 僕はそれこそ きれいごとの頂点みたいなところにあるお題目、 「今を生きる」 の真髄だと思っているし、究極であると信ずる。 なかなかそうはなれないから 社会的な取り組みが必要になるというだけだ。
あと昭和34年に美智子様が皇室で嫁がれたらしい。 皇族全然わかんないんだよな…。 あの品のいい老婦人が美智子様か。 今は上皇であらせられる当時の皇太子様のお相手を、 宮内庁はじめ華族から探していたらしい。 しかしおの候補も皇室入りは躊躇したようで、 ご本人もほとんど結婚を諦めかけていたらしい。 そこで民間から、美智子様に白羽の矢が立った。 大手企業の社長の娘。 聖心女学院の英文科を主席で卒業。 スポーツも得意で文武両道。 容姿性格とも優れていたとのことだ。 そりゃ宮内庁に目ぇつけられるわ。
|