舌の色はピンク
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| 2022年02月03日(木) |
節分、鬼の意義、売らない店 |
晴れ。 なんかめちゃめちゃ寒い。 あと2週…いや10日持ちこたえれば… でもその後花粉飛び出すのと 虫が起き始めると考えると嫌だけど…
今日は節分。 農水省がどこまで真面目なんだか 豆まきコンプライアンスというのを押し出しているらしい。 投げてオシマイじゃなく環境配慮を見据えようとか 鬼役となる人へは許諾を取りましょうとか。 まぁアホくさいけど名目上はワカランでもない、 が、そのなかにあって 「全ての鬼が悪いと決めつけない」 という項目があって、これは聞き逃せねえよと思った。 いかにも多様性と相性のいいお題目だが 悪の取扱いが転倒している。 「悪を肩代わりさせた表徴的存在」を 鬼と名付けデザインしているのであって、 悪でない鬼は鬼とは呼ばれない。 順序が逆なのだ。 共同体の外にある異人、ストレンジャー、アウトサイダーに 悪を押し付けて共同体内部の安寧を担保する、 そういった装置として機能していた「鬼」に 人性を認めてしまうと鬼は鬼である意義を失う。 それは鬼じゃない別の何かで、 いうなれば同じ地平にある人間となる。 そいつに豆を投げつけるってメチャクチャだからな。 豆まきする以上は、鬼は 悪や不幸や災厄の”表徴でなければならない”。 これは、敵とか対立相手とかにもそれぞれなりの 正義や大義や事情があったりするのを斟酌しましょう、 という認識の是正とは全く別のレベルの話だからな。 ここを混同すると道を誤る。 教育に悪い。 ひじょうに。 農林水産省ふざけるなよ、と憤激がやまない。 だいたいお前らが口出せるのは 食べ物や資源をムダにしないようにね、までと違うんか。 個人的にはおおよそ省庁というものの …少なくとも表面上の…動きや声明を信頼してきていたから その分だけ今回は失望した。
アサイチで 売らない店 特集。 製品をお試しできる店舗が増えているとのこと。 その場で買って持ち帰ることはできないが QRコードから情報を読み取って購入することは可能のようだ。 なるほど現代的ではある。 在庫をかかえるリスクもほぼないし、 店舗スペースも極小で済む。 なにより、おそらくはこれもまた間口だ。 今はまだ「オンラインを通じて買うこともできますよ」だが、 これ本来的には、オンラインでのショッピングを前提とした上で 「オフラインで試すこともできますよ」だ。 段々と慣らしていくわけだ。
経営不振の続く百貨店でも この形式を取り始めているらしい。 かつては百貨店は、商品を売り場に陳列したことが 画期的な商売であったと何かの本で読んだ。 江戸時代を経て明治に入ってもなお、 店舗における売買と言えば客は店の主人に欲しいものを告げる、 すると店の者が製品を棚や箱や蔵から出して見せてくれる。 そういう商売が常道であったところに現れた百貨店の方式が、 その後には新たな常道となって、今また翻るわけだ。 劣化していってんな。 江戸時代でいい。
さらに、YAMAHAが製造している、 歌ってコミュニケーションの取れる小型AIロボットも 紹介していた。 なるほどたしかに可愛らしい。 愛玩的な要素だけでなく、 高齢層の孤人化が問題視される昨今にあっては意義もある。 だがそれは、その場限りの目的がかなえているだけで、 孤独や孤立を構成している素地については、 解決するどころか逆の取り組みとなっている。 共生型社会のジャマをしている。 「人とつながりにくい世の中だから」 といって、 「人とのつながりにくさ」を強固にしている。 その危険性に無自覚、または目を背けて。 大反対だね。
しかし火の鳥のロビタを思い出す。 つくづく手塚はエライ… 人と寄り添い合えるようになったロボットについて、 最大限に魅力も恐ろしさも描いてみせておいて、 いいとも悪いとも言わない… かつ いいとも悪いとも言ってる…
弁当は豚バラ茄子バルサミコソテー。 鉄板で美味い。
妻の定期検診。 退勤後、無事だったとの報告だけ先に聞いた。 これでめでたく名実ともに安定期入りしたこととなる。 ホッッッッッッッッッッ。
西荻で肉屋などに寄り、19時20分頃帰宅。 夜は妻のリクエストでキンパ。 恵方巻きの代わりとでもいうのか。 韓国の海苔巻きなわけだが 作ったことも食べたこともない。 とりあえずほうれん草のナムルを用意。 しいたけは甘めに煮る。 牛肉をごま油で炒め、コチュジャンと焼肉のタレで味付け。 たくあんもかるく炒める。 卵焼きは長めにカット。 海苔巻用の海苔を巻き簾に広げて、 奥1/3を残して白米を薄くのせる。 さらに具材をのせてって、巻く。巻く。 巻いたら15分放置。 全体が馴染んだらカット。 重ねて盛り付け。 まあ美味い…か。うん美味い美味い。 ただ調味料の総量の割には、遠慮がちな味だ。 もうちょっとこう…なんだ…塩気か辛味かの刺激が欲しい。 次にやることがあるとしたらトビコかな。 今回の収穫は巻き簾の扱い。 もう気負いなく巻けるぜ。次は巻き寿司にしよ。
食後で身体が暖まっているうちに 庭へ出て福豆を投げることにした。 自前の庭があるというのは実に頼もしい。 ただ暗いし夜だし、ちょっと控えめに投げていった。 鳥の餌用に枝から吊るしている落花生のリングを ゴールに見立てて豆を投げ入れていったりした。 大量に余った分は、別の枝に吊るしている鳥の餌用の籠に入れた。 食べるのだろうか。
チョコシューを食べた。 これは先日の余りを冷凍保存じていたもの。 を、半解凍したシューアイス。 美味い。市販品と遜色ないな。 ただ食べ終わった後が虚無だった。 食べたという事実の記憶だけあって なぜか精神的な実感がなかった。
そっからお義母さんと電話。 という妻がかけた電話をスピーカーホンにして 三人でしゃべった。 安定期に入った報告と、防災についての相談。 互いの最寄りの避難所くらいは 把握しておくことにしましょうと述べた。 また、緊急時には安否確認の連絡を優先しないことを伝えた。
ベビー用品のレンタル用カタログを見た。 膨大な数だ。 見るほどいらんものまで欲しくなったり、 必要だとカンチガイしていくことになるだろう。 選択肢って多けりゃいいわけじゃないのにな。
昭和史を読んでいて 洞爺丸沈没事故というのを知った。 犠牲者1100人。 1500人あまりが没したタイタニック号沈没に次ぐ 世界的にも稀な海難事故らしい。 知らないもんだな。 ていうかタイタニックが映画の影響で有名すぎるのか。
図書館で借りてきた小川洋子、なかなか読み進まない…。 文章めっぽう上手くって小説的に高等で それだけにナカナカ入っていけない。 小川洋子はストーリーや人物よりも、 なんといっても描写こそ小説の真髄だという理念があるそうで、 創作にあたっても風景や場がまずあって、 その器として人物の動きが用意されていくのだと述べている作家。 まったくもって高等で、 かなうことなら僕も追いかけたいものだが、 いかんせん登っている山が違う。
トキノはこれまで僕が手がけてきた作品に同じく、 論法が肝となる話だ。 作者には何か言いたいことがあり、 それは作品に明示されてもいる。 ただその答えへとたどり着くための道筋を 作品のなかから手繰ろうとすると、 読み手はこんがらがる…ようになっている。 僕が提供したいのは、 読み手の頭のなかでこんがらがった論理の糸筋が描く絵図だ。 その読み手当人にしか描き得ない 「体感的な思考風景」 に美を、あるいは面白さを見出してもらいたい。
という目当てはある。 でも小説的にはやっぱり 小川洋子だったり保坂和志がいうように 描写が先立つというか 描写そのものが小説の本体になってる方が高等だって思う、 憧れるような心持で。
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