舌の色はピンク
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| 2022年01月24日(月) |
介護、市民的成熟、自己都合 |
晴れ。 月曜朝とはいえ明日が休みだと思うと張り切れる。 先週と同じくコーヒーは多めに入れた。 着替えはめちゃ厚着。万全。
弁当は牛丼風。 玉ねぎと牛肉いためて、 肉屋で牛肉買ったらついてきた牛丼のたれを合わせて ただ煮込んだだけ。
朝イチでヤングケアラー特集。 中学生の頃から認知症の祖母とうつ病の母を介護してきたという 女性を取り上げていた。 直感的に、そりゃタイヘンだ、そりゃかわいそうだ、 といった感情が湧いてくるが、 それはつまり彼女の境遇を特別視しているからであって、 ほとんど「例外者」と見なすに等しい。 だが彼女の境遇はもっと身近でありふれているものであると 認識すべきだろう。 どこにでもいる、スタンダードな例であると。 そうしないと数々の取り組みから振るい落とされてしまう。
番組では、中学生の17人に1人が ヤングケアラーであるという数字を伝えていた。 衝撃的だ。100人中6人か。 この割合は今後増える一方であるのは間違いなく、 覚悟しておく必要があるのだが 自分自身に覚悟が足りていなかった。 現時点でその数字は恐ろしい。
この先老人は増えるばかりであるし、 若年層は減るばかり。 医療の進歩は長寿化を促し 健康寿命をも延ばしうるけれども、 双方には大きな開きがある。 しかし医療の進歩は「いいこと」で、 長寿化、死を遠ざけうる可能性の検討も「いいこと」だから、 この流れを誰も止められない。
ヤングケアラーを支えるためには 衰弱しつつある行政の福祉サービスだけではまかなえない。 市民の一人ひとりが何かを諦めていかないといけない。 増税と言われれば多くの人間が憤るが ことを単純化させてくれていると思う。 じゃあ互助的な地縁を結んでいけるのか。 日常的にボランティアに従事できるのか。 消費社会が日々絶え間なく刺激してくる欲望への刺激に耐えられるのか。 「何を諦めていける?」 この問いが迫ってきている。
僕はボランティア活動に従事して行きたくはある。 地縁だって深めていきたい。 何も望んでやりたいわけじゃない。 ただ、諦めの一環として、 見て見ぬふりせず向き合っていくために、 すべきだからやるという話だ。
多くの人が 社会とただ呼び習わしているその社会は、 成熟した市民を成員として構成されている集合体を 前提としているくせに、 自分自身の市民的成熟からは無関心すぎる。
でも考えの及んでいない未成熟な市民も 社会の立派な成員ではあるのだ…。
「人は思っているより多い」 と最近つくづく思う。 なかなか伝わりづらい観念だけどものすごい大事。
弁当美味かった。 自分で作る牛丼より美味かった。さすがにな。
関連会社でコロナ陽性者が出た。 とうとうって感じ。よくここまでもったな。 でも弊社には濃厚接触者なしとの判断で、 みなさんも気をつけてね で終わり。 せめて仕事に余裕のある人間だけでも 残業なしであがらせてやれと思うのだが放置。 遺憾ながら自己判断で後輩に定時で上がってもかまわないと告げた。 しかしこの後輩は 「かかっても無症状って話なんで…」 とノンキしていて 結果的に僕の勝手で帰らせたような格好になった。
わかっちゃいたけど物事の基準が自己都合にかかっていて幼稚にすぎる。 僕より歳上なのだけどな…。 なげかわ…し…。
帰りには西荻のTSUTAYAに寄って 映画1本を返すと同時に 寅さんをイヨイヨ借りた。 シリーズ一作目。 こいつ今の社会問題意識を解決はしてくれないだろうけど 糸口を与えてくれそうな気がするんだよな。
夕飯は明太子。 先日の妻の希望をかなえた格好となる。 しじみの佃煮。味噌汁。 美味しい…。しみじみ美味しい。 これに煮物がありゃあ完璧なんだけど。
食後、風呂入るのが煩わしくって 今朝考えた話を妻に聞かせたりした。 そして家を買うことへの戸惑いの気持ちも語った。 …社会善と自らの幸せとを調和させて、 どちらかに傾かずどちらにも折り合いをつけて相克していく、 その答えを出すのではなく絶え間なく答えを出していくことが 「大人」に求められる生き方だと思われるのだが、 社会善と自らの幸せは対立はあまりにも容易く対立する。 家なんぞ買って、安全圏でふんぞりかえってていいの? って気持ちがある。 正直なところ、妻がいなかったら僕は、 あちこちの都市をまわって地域の事務所を訪ね、 あるかないかの賃金で糊口をしのいで 自分にできる手伝いをしていく、そういう生活をしちゃうと思う。 でも 自らの幸せ を見限ってしまうのも問題だ。 人には、自らの幸せだって追い求めていいんだよと言ってあげたいし、 自らの幸せあってこその社会奉仕だよとも諭してやりたい。 なればこそ、それをいう自分自身が "エゴイスティックな"幸福追求をあんまり手放してしまうと 説得力というか 理論に重みがなくなって ふわふわしてしまう、きっと。
毎日いろいろ考えてるなあ こんど一日くらいはなぁんも難しいこと考えんと ただただ遊んだり呆けたりするお休みの日を設けてもいいかもしれない。 なんでもかんでも思考に結び付けられる今は ある意味では絶好調だし別にそれで疲れたりもしないけど メリハリはいるからなきっと。
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