舌の色はピンク
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| 2022年01月23日(日) |
読書、アジール、老害 |
起きたら8時半を過ぎていた。ぐっすり。 よく眠れて気持ちがいい。 でもまだ腰が痛い。 グッと体を起こす際に痛む。 昨日よりはちょっとましになったくらい。
休日トースト食べて さぁと動き出すこともなくだらだらとテレビを見た。 白井なんとかいう建築家。 渡仏しても勉強つまらぬとかなっちゃって日本戻ってきて 地方の小さい仕事をそつそつとおなしていたようだ。 当時の流行…モダニズム設計に反して 無意味な空間の多い不合理な建物を残している。 自宅は滴々居と名付けているがこれは雨漏れするからとのこと。 いや実に良い家だった。
ソファにかけながら本を読んだりして午前中はのったり過ごした。 寒い。 あんまり寒いから昼飯をはやめに作ることにした。 チャーハン。 ベーコンとキャベツで。 めたんこ美味かった。
飯食い終わって図書館。 返すもん返して、シュークリームのレシピ本借りて小川洋子を予約した。 OKマートで買い物。 結局吉野家の缶詰見つからんかったな。500円…。
妻は文芸同人仲間とオンライン飲み会。 僕はひたすら読書。 その時間の充実にあたっての位置を整える。 居間には一人掛け用ソファを二台並べているが、 一台を90度回転させてクッションをずらすと、 頭と腰を傾けて預けられるようになる。 そのだらけた、安穏とした姿勢で本を読んでいると眠気が襲ってくる。 あらがわず寝る。 起きたり読んだりを繰り返しながら30分くらいは寝たか。
夕方、掃除機掛け。 終わった後に、冷凍しておいたみかんをいただいた。 夏の給食でたまに出るのスキだったのよな。 食べにくいけど。やっぱり好き。
シャルル・フーリエのファランジュについて調べたい。 というかちょっと調べて興味を持ったから本で読んでみたい。 1620人程度の、自給自足の共同体。
Eテレの ターシャの森という番組を見た。 ターシャ・テューダーはアメリカ人だったと思うけど 番組が取り上げていたのは北欧の一家? わかんねえな…。 三つ編みの似合うやたら可愛い幼女2名が 無口そうなお父さんと ターシャの残したレシピを参考に パンケーキみたいなのを作ってた。 見た目がかなり不格好だったのだけれど 幸せココにありという感じで 見せつけられたというな感があった。
夕飯はハヤシライス。 玉ねぎじっくり炒めて、 生のトマト1コ使って、 赤ワイン足して オタフクソースも足して、 できあがりには生クリームもかけた、 味付けマシマシの極旨絶品の仕上がり。 さらにトロトロのオムレツでも乗せりゃあ そりゃあ昇天ものの美味しさだろうけど いかんせんカロリー激ヤバだからなそこまではできない。 でもお茶碗3杯分くらいは食べた。 食べ終わってから眠気。 わっかりやすく血糖値アゲアゲ。あぶねえな。
Eテレで美術番組。 抽象画描いてる78歳のおっさん。 フランスにおける絵画の賞で最高峰の栄誉を授かったりしてるらしい。 でも落書きにしか見えない。 あまりにありふれた月並な感想だけど。 抽象画、抽象画ね…。 おっさんは若い頃ピカソと対面する機会があって、 そのときこういわれたそうだ。 「私は1秒ごとに作品を創り出している。 お前とこう向き合っているだけで その時間が失われている。 お前は私から生まれる作品を奪っているに等しい」 みたいな言葉。かっけえな。 おっさんがそれにどう応えたか、 おっさんの口述がヤタラわかりにくかったけど 要は目を逸らさなかったから それで気に入られて 明日からオレんとこ来いってなったらしい。 でも40歳までくすぶってたとか。
もう長らくフランスに住んでフランスで活動しているそうだ。 ところが折悪しくコロナ禍でフランスに帰れなくなってしまった、 その期間に姫路の西島に行った一部始終を取材は追っていた。 この西島は日本神話において、 ここから日本という島国を形作られておりましてうんぬんと 宮司が説明していた。 で今はどうかといえば、 生コン採石のために禿山となっている。 それもまた今の日本を形作っていると思えば、 と宮司は肯定的に捉えており、 おっさんはおっさんで ウンウンこれはこれで美しいとか言ってる。 でもおっさんは 社会全とか社会悪とかいうレベルじゃなくって 自分の美でしか審理していない。 経緯がどうであれそれに伴う問題がなんであれ、 今見えているその景色が自分にとって美しい…… ここまでいってると、いききってて良いなと思った。
おっさんは島に一つの小学校に赴いて(招かれて?) 子どもたちに絵を描かせていた。 20畳ほどの大きな画用紙2枚に、 それぞれ火の神、海の神というお題で 思い思いの絵を描かせる。 で一段落ついて子どもたちが給食食べてる間に、 上から思い切り水彩を塗りたくっていった。 子どもたちの絵が台無しに。 でもこれも、 自分の美しか見てないという点では良かった。 子どもたちの絵は糧。 大事なのは自分の芸術。いききってる。
妻が文芸同人仲間と話していて 次の同人誌のテーマをどうするか悩んだ結果、 アジールにしたらしい。 別に僕のものではないが、 それでも重要なテーマをぱくられたような意識が働く。 アジール。 時の権力が及ばない場所。 原初にはすべての土地がアジールであり、 権力機構による統治、支配の始まりとともに、 アジールは駆逐されていく。
現代の子どもたちに、 これという逃げ場のないのがカワイソーだと妻が言う。 しかしここにはパラドックスがある。 子どもたちにとって大人たちの目が届かない逃げ場が もし本当にあるのなら それは大人たちにバレていないわけだから、 こうして間抜けにも僕たちは、 逃げ場がなくてカワイソーだね、と言いおおせてしまう。 という逆説が成り立つ。 そう言い聞かせてやると 自分なりに納得していた。
寝室では日本語文衰退の憂いみたいなテーマの本を読み進めた。 国文学研究者や中国史研究者、小説家、俳家といった 現代国語の関係者を多く集めて 彼らの意見を寄せ集めた 軸があるようなないような 芯が通っているような通ってないような本。 語ってる面白いんだけど、 現代への憂いみたいな部分には難がある。
老害、について。 もう10年くらいは前だったか、 現代的価値観に対応しきれていない年配者の振る舞いや難癖を 老害 と名付けて反感の共有ができたところまではよかったにせよだ、 今や「老害的なもの」を片っぱしから「老害」とレッテル貼りしてしまい、 明らかに行き過ぎている。 なんでもかんでも肯定するわけにはいかないが なんでもかんでも否定的態度で臨む構えも愚か。 温故知新の言を持ち出すまでもなく 前世代の言には玉もある。 それを石々のなかから発掘せよという話でもあるし、 また「自世代の肯定」にも接続されるがこれについて省く。
で それらをこんなにも踏まえた僕がなお思う。 この本、「老害」臭が強い…。 「だから今の若い人たちには想像力がないんです」とか言っちゃう。 いや、発言の切り抜きじゃなく全体の論に沿ってみれば、 僻見や牽強付会が認められるとはいえ一聴の価値はある、 しかしこんな語り口じゃ “此岸の面々”の納得は得られても “彼岸の面々に”一聴してもらえんだろうという。 一部のフェミニズムもそうだけど、 「向こう側に声を届ける」にあたって 声を大きくすることばかりが取り沙汰されて、 耳を傾けさせる態度にかけているのは問題だ。
読書、読書、読書。 読書量が足りない。 全然足りない。
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