舌の色はピンク
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2021年09月22日(水) "スジが通る"

晴れ。
朝から暑いくらい。

荻窪駅までは16分かかった。
ホームまでとなると17〜18分見ておいたほうが良さそうだ。

弁当は豚肉とナスのバルサミコソテー。
ブラックペッパーがたっぷり利いた逸品…のはずだったのだが
弁当を家に忘れた。
へこんだ。
で急きょ昼休みに歯科医に行くことにした…が、空いてないとのこと。
ここ1週間ほど歯が痛んでいる。
まだ強い痛みには遠いが、早めの処置に越したことはない。
まあ痛んでる時点で遅いんだけど。
来週火曜昼に診療してもらえることになった。

でラーメン屋に行った。
ちょっと濃い目の、でも家系よりは濃くないとこ。
いつも醤油なところを味噌ラーメンにしてみたところ、
なんと、あまり変わらない。
初めての経験だった。

主人がバイトの白人に厳しくあたっていて不快だった。
孤独のグルメを思い出す。
あれは他の客がいないから文句言えたんだよな。
他の客がいるときに文句言うと
飯が美味くなくなる一因に加担してしまうというジレンマ。
いやいずれにしても文句はしないのだけど。


ちょっと思ったこと。
たとえばここに、ファザコンの女がいる。
父は風体もよく、稼ぎもあり、身のこなしの一つひとつがきれいで、
ご近所や仕事仲間からの評判も上々。
まさに自慢の父なだけに、
そこいらのオトコが霞んで見えてくる。
それでもようやくまともなオトコを捕まえた。
ただ、彼には欠点がある。
マザコンの気味があるのだ。
なにかと自分の母親と比較したり、
大きな決断にあたっては相談相手に選んだりする。
この一点が気に食わない。
とする。
この場合、
「自分がファザコンである」性質をを保ちながら
「カレシがマザコンである」性質を厭うというのは、成立する。
感情の問題だからだ。
内面だけなら問題にはならない。
彼女は自然発生的に、
カレシがマザコンであるのが
イヤ!
なのだ。
イヤと感じるまでは仕方がない。
じゃあそれを表に出したときにはどうか。
一般的には、
自分もファザコンのくせに、と叩かれるだろう。
嫌がる資格はないよ、と。
ところが、実は論理的に、
そんな「資格のなさ」を裏付ける根拠はないはずだ。
他人の振る舞いや価値観、生き様を否定したり
制御しようとする行為は
ただ行為そのものが物議の対象になるのであって、
この例で言えば当人がファザコンであることは関係がない。

で。
じゃあ感情を領域とする世界には論理がないのかといえば、
こっちにはこっちで、用意されているのだ。
それをスジという。
スジが通らない、とは、非論理的であるという意味じゃない。
理に則さないとも違う。
いうなればロゴス中心主義の理とは相容れない、
東洋的な物事のさばき方がスジだ。
理は
人(主体、行為者、能動者)と
行為(言葉、行為、結果)を弁別し、
問題ごとに直接関係のない行為者の人柄や背景などは含めず、
ある行いの正当性を認めさせるにあたっては説得となる。
スジは、人と行為が一体化している。
問題ごとに直接関係のない行為者の人柄や背景を含む。
ある行いの正当性を認めさせるにあたっては納得が重要となる。

と思った。
だから、ファザコンでありながらマザコンを嫌う彼女は、
そりゃあスジが通ってないよ、
と批判はされうる。
そして当人の振る舞いしたいで、
それならスジが通ってる、
とも納得される余地がある。


夕飯は鶏もも肉と彩り野菜の中華風あんかけ。
でも僕はお弁当。
今日の夕飯は明日弁当でいただくことにする。


妻が日中、縁側の置石に小さなトカゲが乗っているのを見かけららしい。
カナヘビ、ヤモリなど、この置石には日向ぼっこしにくるようだ。
それもこれも庭の剪定が遅れているからと思われるが、
むしろ引っ越し前に剪定されなくてよかったくらいだと、妻は楽しんでいる。
トカゲの写真は確かにカワイかった。


懸念だった風呂が気持ちよく入れていて嬉しい。
ちゃんと管理し続ければ冬も快適だろう。
ちゃんと管理し続ければ。


れどれ |MAIL