舌の色はピンク
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| 2021年08月18日(水) |
メンタリスト問題についての所感 |
晴れ。 朝慌てて洗濯機をまわし、てんやわんやで干した。 風が強めで気持ちいい。 ちょっとだけ嫌な予感がして布団は干さなかった。 案の定というか、昼に大雨が降った…ようだ。後から知ったが…。 最悪濡れても構わんという衣類しか外干ししなかったのと、 通り雨ならその後晴れて風が吹けばまぁ乾くだろうという算段だった。 じじつ その後晴れたようだし風も十分あったから 帰宅した頃には洗濯物は無事乾いていた。 ただまぁTOKYOの雨に降られた以上は 不衛生なのかもわからんけど… 肌着は外干ししてなかったからいいかなって…
弁当はステーキ。 肉を買うとき、毎回序列がわからなくなる。 3等級と4等級ではどっちが上等なのか…。 一等賞の見なしかたで数字の小さい方が格上なのだろう、 だがやれA4ランクだのA5ランクだのあるからややこしい。 単純な話なのだが目の当たりにした一瞬間は混乱する。 今回は3等級。 170gくらいで1000円する。 本来は一人分だがこれを二人分の弁当とするのは コスト面のみならずステーキの味が濃いから。 味付けは塩コショウとニンニク醤油だけだけど 脂っけが強いんだよな。 今日はニンジンをたっぷり添えた。
ちょっと思ったこと。 あのメンタリストさんの問題、 あらゆる観点から批判しまくれるし 口出すのが本当に馬鹿馬鹿しいんだけど 例によって安直な非難を浴びせっぱなしの モブキャラみたいな連中が絶えないから 公平で公正な立場を目指すものとしての所感を残しておく。
発端となった発言には 個人的な見解として、 といったエクスキューズが置かれていたわけでしょう。 たとえ本心があけすけに見えたとしても、 この言質をないがしろにしてはいけない。
「高齢者やホームレスの生活を保証するための 行政サービスにあたる福祉関係の予算を削減し、 その分を犬猫といった愛玩動物保護の予算にまわすような政策を支持する」 これなら何も問題はないわけです。 実際に、限りある予算の配分は常々上げ下げされているわけだし。 「〜を支持する」という考えまではなんぴとも覆せない。 思想の自由が保証されている以上、 世論の是非に先立って、個人が支持する思想は尊重される。 「韓国人は嫌いだ。絶対に我が家には入れない」 だけだといかにもヘイトスピーチじみているけども、 「韓国人は嫌いだ。祖父や祖父の兄弟は戦争で韓国人に殺された。 だから我が家には絶対に入れない」 といった事情が個人にはあったりするわけです。 その事情はもっと些細な、 他人にとってしてみたらどうでもいいようなこじつけかもしれないけども、 なんにしても「個人的な見解」に限れば、 その考えをもっていること自体は否定されちゃならんわけです。 もちろん企業でこれをやったら差別でアウトです。個人じゃないからね。
しかし表面上つくろった言いざまがどうであれ、 「どうせこういう意図で言ってるんだろう」 と、賢い人ほど本心、本懐を見透かし、批点を見出してしまうわけです。 ただ、憶測が取り入れられた時点で、 理性だとか論理だとかいった ロゴスのフィールドを成立させているルールからは逸脱します。 そうすると感情的な「好き/嫌い」に寄ってしまって、 当然この場合は「嫌い」にそそのかれてしまって、 結果、非難している人は、「個人的な見解」にまとまってしまっている。 社会的善を背負った格好で、公的な意見と信じて疑わないが、 実際には、非難先と土俵が同じという。 「そんなのは織り込み済みだ。 向こうがそのつもりなのだから、 同じように意趣返しとして個人的な批判をぶつけてやるのだ」 とてもいうんなら、 それはとても社会を語る大人のやることじゃねーです。
本音の本音、正直なところでいえば 僕はあの人間を軽蔑、嫌悪していて、 個人的に忌み嫌うのみならず この世から抹消されたほうが世のためだとすら思うし、 彼が叩かれるほど、不利益を被るほど、 制裁されるほど、 この世界から否定されるほど スカッとするところはある、 偽らざる本音としてそれはある、 でもそんな自分を醜いとも思う。 とても。 それは到底、自分が目指すところの カックイー自分 ではない。 漫画でいえば悪役だ。それもモブの。賑やかしの悪。 彼を叩きまくる連中は 自分がその手の しょーもないモブに成り下がってる自覚はあるんだろうか。 叩いてるってほどじゃない穏健な傍観者にせよ、 嫌いなやつが叩かれてる様に ホッ としてはいないか。 寛容とか不寛容とかの話じゃない。 論点を特定できているか。 論点だけを論じていられているか。
ところで今回の争点の一つに、 「個人的な見解だか知らないが、社会的に影響力のある人物として…」 といった難詰もある。 たとえば彼の意見は子どもも見聞きする。 まだ判断能力の身についていない(そのくせ多感な)青少年に、 不健全な思想を植え付けてはならないという。 ところが 「不健全」「反社会的」「反教育的」… これらの判定を早々に下すのは危険だ。 「限られた予算を社会的弱者に多くまわすべきではない」 という命題に対し反論を並べ立てるのは いかにも社会的に正しいようだが、 その正しさは民主主義社会に裏付けられない。 (「一切まわすな」なら別だけど) 子どもに向けて教えるべきは、 何が正しく何が正しくないか、の答えではない。 そんな答えらしきものは、 紐解いてみれば一人の大人の勝手な個人的見解にすぎない。 何が正しく何が正しくないか、を分別する能力を育むほうが 大人に求められる取り組みであって、 個人が正しいと信仰している勝手な答えを植え付けるべきではない。
この話は突き詰めていくと 「だから君らに”個人”を取り扱うのはムリ」 という僕の持論に落ち着く。 (ここからは公平で公正な意見じゃない) 僕は、親は子どもに対して 「これはヨシ。あれはダメ。」 と頭ごなしに教育した方が健全だと思う。 理屈なしで。 でもここに”個人”とか”理性”とか”人権”とかいった、 西欧がその風土、その歴史、その反省から尊重してきた いうなればヨソの観念を持ち込むと、 表面上は清く正しく健全な世界に見えても、 たやすく破綻してしまうんですねー。 動画配信サイトで アホがアホなことを毎日何千何万と発信する時代に、 子どもがそれらの善し悪しを分別できるよう教育できるケースは、 そんな”正しく賢明な親”、”利発で理想的な子ども”は稀だよ。 稀というほどじゃなかったとしても取りこぼしが発生するよ。 ところが”個人”とか”理性”とか”人権”とかを大事にする社会は、 取りこぼしを救済しないわけにはいかない。 それで取りこぼされた子どもたちをどうするって 後追いの策が重ねられていく、 あたかも正しいような論法がこじつけられていく、 そんな秩序は破綻している、と僕は思うのです。
だから最近(いまさら?)ロゴス中心主義への憎悪がすっごい。 正確には、無自覚にそれを信仰している連中か。 回帰とか国粋とかのつもりはなく、 ただただロゴスに根ざした理念の適用が この国ではすでに行き詰まってて このルートはもう行き止まりだから 別口をさぐりましょうよっていう、 それだけなんですけどね。
ついでに感情について。 感情を大事にするのと 感情に振り回されるのは違う。 感情ってのはなあ客観的視点をもちこむと化けるんだ。
夕飯はつけ麺。 先週だか先々週だかに美味しかったから同じものを。 ただし今回はもやしを用意した。 かるく茹でてごま油と塩コショウ。 半分は明日にとっておく。 さらに水に浸して辛みを抜いた白髪ねぎと、 メンマを加えた。 それぞれ、あんまり合わなかった…なぜだ… おそらくもやしはもっとナムルみたいにした方がよかった。 白髪ねぎは万能ねぎの方が合う。 メンマは瓶詰より使い切りパックの方がいいみたい。 夏の間にもっかいつけ麺やろう。 リベンジリベンジ。リトライリトライ。
そういえば解約を申し込んだ保険の書類の返送期限が20日なのに 投函し忘れていた、と思い出し 大通り沿いの郵便ポストまで夜に自転車走らせた。 イヤホン失くしたからこの夏は全然外で音楽聴けてなかったけど 今夜は胸ポケットに忍ばせた端末から 小音量で音楽垂れ流しにして自転車こいだ。 往復6〜7分くらいとはいえかなり浸れた。 AIRのサントラ。 AIRのサントラを聴かずに過ごした夏ってたぶんないな。 20年間。 20年間…?
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