舌の色はピンク
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2021年04月30日(金) 他者と地獄

ここ数カ月のBGMは
lo-fi HIPHOPがメインで
夜のあやしげな精神にうってつけ。
これをいろいろ検索してたら
FF7のlo-fi HIPHOPアレンジがあって
その手があったかー
と。

FF7は人気曲、定番曲がある程度固定化されてて
それらに及ばない2軍も十分いい曲多いよね、
みたいな風潮あるけど
lo-fi HIPHOPで組まれてる楽曲は
まずまずのファンくらいからじゃ見向きもされてない
ベンチ入りも怪しいような地味曲ばっかりで
それがいかにもこのジャンルらしく
好もしく思った。

午前中、大泉学園駅へ戸建て賃貸の内見へ。
練馬まではバスを使う。
経路を確認する前に赤羽行のバスが来たから
運転手に
「練馬駅には止まりますか?」
と訊いたら
「止まらない」
とツッケンドンに返されて一瞬むっとした。
けどあれでいいと思う。
丁寧に返す必要なんかない。ですますもいらない。
で、こっちも別にそれに対して
むっ
としていいと思う。
といった話を妻にしてみたけどピンときてなかった。
それもそうか。

物件はやや古く使い勝手も悪そうで、
早々と落第させてしまった。
見どころは階段が二つあること。
玄関の両脇。
一方は書斎専用階段。これは面白かった。
また、もう一方から上がった二階にも、
廊下からではなく寝室から階段が延びていて、
そこからのみ書庫部屋に入ることができる。
備え付けの本棚は楽しかったけど日が差すようになってたから
実際には焼けまくるだろうな。

不動産の担当の方は若めで頼りなかった。
いろいろ話は聞いた。
やはり池袋線は混むらしい。
あと新桜台はこちらに比べると緑が少ないとか。

車で駅前で送ってもらって、
妻の調子が優れないのもありおとなしく帰路へ。
バスで上石神井駅まで行って新宿線で野方。
妻はあのエリアでよく体の調子を崩す。
「くんな、ってことなんかな?」
「でも僕らの家からだと、ルートが悪いから」
「そうなんだよね。歩くしバス乗るし乗り換えて電車乗って…」
まだ、石神井エリアで探していきたいとは思っている。

帰ってアラビアータつくって一息入れて
スーパー行って
レンタルビデオ店で映画3本借りた。

ショートケーキつくった。
スポンジが失敗。
昨日の時点で生地は焼いていて
それも泡立ててる時点ではうまくいってて
うまくいってるとドンドンとボリュームができてくるのが楽しく
それをいつもの型に全部入れたら焼成中に片面からあふれた。
すでに固まりつつもあるから流動性を失って
片一方に生地が偏ったままとなり
熱が均一に通らず結果中央がへこんだ。僕もへこんだ。
へこむとスライスがうまくできない。
スライスがうまくいかないと三枚にカットできない。
やむかく二枚にカット。
通常五層となるところを三層に。
ナッペはなんとか形になった。ごまかし上手。

夕飯は豚汁とアジ。
アジは水煮。
本当は玉ねぎニンジンと一緒に煮込みたいけど
今回は水気切って皿に盛った。
窓を開け放して
ちょっと肌寒いくらいにした室内に風が吹きこむと同時に
豚汁を掻っ込む。しあわせだ。


「はちどり」を鑑賞。ようやく観れた。
何も起こらない地味な映画…という触れ込みだったが
どうやらそれはそういう系統の映画を見慣れていない方々の感想だったようで
これは十分起きてる方だ。話もある方だ。
それでも、余白や間隙が散りばめられていて見ごたえあった。
僕が映画に期待するのは、イメージの積み重ねが何より第一だ。
この映画に埋め込まれている、
"再現されたあるイメージ"を感じ取る時間は心地よかった。
そしていろいろこちらのイメージも湧いてくる。

単純な意味で好きなシーンだと、
両親が大喧嘩して叫びあって妻が夫に傷まで負わせて
家庭崩壊寸前、娘も大泣き…という翌日に
気まずそうに娘がリビングに現れてみると
両親がソファに並んでバラエティ番組見て普通に笑ってるっていう。
もうイッコは主人公の女の子が入院した先に
友人が見舞いに来て
それをおなじ大部屋の入院患者のおばちゃんたちが
「こっちの子も可愛いねえ」だの勝手な評判を立てだす。
二人にはこの時複雑な因縁があり
主人公はカーテンを閉めるのだが
今度はおあちゃんたち
「内緒話するのよ」
と小声ではやし立てる。
上手いよなあ…。


サイバーカスケードなんていうように
ネットを情報の仕入れ先としてベースにしてるような生活では
知見が偏りがちだから
意識的に
自分と反する立場の声も見聞するようにしてるし
また意識せずともランダムに
そうしたノイズに触れられるようにも心がけている。
だからというわけでもないが、礼儀作法についての本を読みだしてみた。
小笠原うんぬんという由緒正しい宗家の宗主が執筆されたものだ。
もともとある先入観は取っ払って読む。
礼儀作法に興味はある。またそれぞれの由来についてはもっと興味ある。
礼儀作法を大事にするのはいいけど押し付けるな、
という現代人にありがちな声にも乗っかったりはしない。
公平性を保って読む。
ところが書き手に公平性がない。
いきなり現代批判から始まる。若い世代がなってないと。
僕は本には常に公平性を求めている。
そこんとこが欠如していると
もう書いてあること全部がうさんくさく見えて信用ならない。
というわけで残念なスタートだった。
しかし、マナー講師への批判も高まる昨今、
マナーの教え手は、若い"なってない"世代に
歩み寄りがちなきらいはあるだろう。
そうなると、悪い言い方だが
これはこれで「必要悪」だ。
歩み寄らずに、前時代的な観点を保つことが求められる立場で、
実践し続けることが仕事なのだから。
「価値観のアップデート」って言葉は随分流行ったけど
ばっかじゃねえのとも思うのだ。
柔軟性も深みもなくて都合いいばっかりで。


レヴィナスを基本から読み直してる。
というか何度も何度も基本を洗い直してる。
そのたびに考えがずれていく。
他者は、自分が観測してその理知に取り入れた自分の延長としては存在しえない。
他者は自分とは絶対的に切り離されたところで存在している。
これが「地獄」のヒントとなるはずだ。
サルトルにとっては、他者のまなざしに晒される現実が地獄だった。
僕が思い描く地獄は、外へ明かされない言い訳によって構築されている。
私の行動の一つひとつには、それなりの理由がある。
どんなに愚かな、間違ったような行動にも、それなりの弁明が、本当はある。
「なんでそういうやり方するの?」
「どうしてそんな風にしか思えないの?」
といった他者による批判は、彼らが口にせずとも、こちらは勝手に受け取ってしまう。
「でも私にだって、その時はこんな考えがあったんだ。
こうした事情を鑑みて、こうしようと思ったんだ。
そうした背景を説明するのはあまりに面倒で相手にも退屈で、
きっと何時間もかかる。とうていやってられない。
だからわざわざ弁明はしないが、でも本当は私だって、変じゃないんだ」
というような言い訳が渦巻いた心の有様こそが地獄だ。
そしてこれは、他者によってもたらされている。
その他者とは、「自分が観測して勝手に取り入れた他者」であるはずだ。
これは、本来的な意味では他者と向き合っていない。
その人そのものと向き合おうとしたとき、
この地獄からは解放されるんじゃないか?
聞けばいいのだ。そして言えばいいのだ。
当たり前のコミュニケーションだ。
が、しえないよ。そんなことはわかってても、し続けられはしない。
だから、地獄を許容しよう。
せめてこの地獄を愛してやろう…。
という試みを、今回の読み物に込められるかどうか…。
正直なところ、あまりに読者が見えないから
やる気がなくなってる。
ちょっとでも反応があればやる気がでるのは間違いない。
でも今は、あらかじめ考えておいた筋立てに
文章をのっけてるだけの作業で、創作意欲に接続しない。
まいったなこりゃ。
でも人に読んでくれーって頼むのもな。
単純に嫌だし、
完結してようやく意味のある作品だから
現時点で読ませてもそう面白くもないし。
じゃあTwitterでやんなよって話だから、
はじめからこれは織り込んでるのだ。
どんなに反応がなくてもやりきると。
だから、やる気がなくなってもやりきるつもりではいる。
でもそれでもやる気がほしい…。


れどれ |MAIL