舌の色はピンク
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文化大革命についてちょっと調べた。 もともとのイメージとして、 悪名高い文革のせいで 中国はその文化や文物、歴史が積み重ねてきた風習を バキバキ破壊されて 儒教思想も根絶やしにされて そうして今の中国になっていった。 歴史で学ぶ中国と今の中国が結びつかないのも文革のせいだ。 という見方があった。 調べた限りそう誤ってもなさそうだったが 一部の意見としては 文革が破壊せしめた文化文物は 広大で深遠な中国文化のほんの一部に過ぎず、 莫大な歴史を誇るかの国においては その影響などたかが知れている。 そーゆー話があった。 これがどれだけ正しいかはともかく、 なるほど自分は 文革がとかく悪の原因になっていると見なした方が 自前の思想の論法が成立しやすいから 安直にその図像に飛びついていたきらいがあったな と反省した。 こういうことって多い。 自分で描いた絵図のピースを埋めるために よそから引っ張ってきた断片の形を 都合よく歪めてはめてしまうこと。 いや、歪めるというほどじゃない。 曲解や牽強付会くらいなら皆意識してる。 あらゆる物事には正誤も善悪も多元的に含まれている。 少なくとも、そう前提すべきだと僕は思っている。 そのバランスを無意識的に偏らせて扱ってしまうルール違反を 世の多くの人が犯している、 だから自分は気を付けよう本当に気を付けようと、 かなり警戒していたはずなのに まだ自覚しきれてなかった。
意見。主張。論考。 対立するどっちの意見も正しい。 どんな正しい意見にも穴はあるし どんな愚かな意見にも正しさはある。 そんなことは当たり前だ。当たり前のはずだ。 でもなかなか共有されてない。 だから正論なんて恥ずかしー言葉がはやる。 コロナ禍は世間に潜んでいた多くの問題を暴いてってるが 意見の対立については みなさん身近になってよかったと思う。 意見の対立慣れをしてないと被害者意識ばかりもってしまうから。 コロナ禍で目下いらいらしちゃうのは 「〜しないと意味がない。」構文。 もともとコロナとか関係なく大嫌いな言い回し。 全然何にも考えてないんだなって思う。 ただ強調したいからその言い方を 慣用句的に採用してるに過ぎない、 軽い軽い、上滑りの日本語。 だいたいほとんど意味はあるし。 本気でその意味を見いだせてないならまんまバカだ。 さすがにそこまでバカとは信じたくないから、 ただ強調したいだけで何も考えず その言い回しを使ってる三下という見方にとどめておいてやる。
ここの日記には かっこつけずてらいもなく 文章も練らず ただネガティブな感情を書きつけてしまおうと決めてる。 こうしてみるとTwitterなんかでは ずいぶんかっこつけてたんだなあと気づく。 そして毎日いろいろなこと考えてるもんだなあと再認識。 Twitterでは考えがキッチリ整理されたうえで ちゃんと健全な出口を用意して さらにそれが140字×3程度にまとまらないと 投稿もしないようにしているから。 ここでは書きなぐってるだけなので 毎日じゃぶじゃぶ所感が出てくる。 今日こんなことを思った。 ってだけなら無限に出てきちゃうもんな。 頭のなかの一日は24時間よりはるかに膨らんでる。
あぁそうだ TwitterでRTされてきたツイートで まともな人はTwitterやめてったから 今残ってるのは異常者だけ みたいなしょーもない いかにもTwitter的痛々しさにまみれた文を読んで いちぢるしく気分が害されてたことをここに記録しておきます。 自虐風なのが本当に痛々しい。 帰属意識まみれで恥ずかしいし これに無批判に賛同してる連中って 「ほんと私の周りって変わった人ばっかりなんだよね」 とか もっと言うと 「濃いメンツと飲んだ!」 みたいな言いぐさをどう捉えてるんだろう。 お前らがみたいな連中が一番 こうした言いぐさをイタイイタイ!って面白がってたんじゃないのかって。
あともういっこTwitterで。 グルメ情報や美食の美学を書きつらねているアカウントを フォローするでもなくリストに入れるでもなく たまに覗いていて しかしどうやら人格的には好めない。 彼なりの思考様式は確立しているし 文章の節々に知性が散りばめられ 世間的に見て賢い人ではあるのだろうとは認められる。 ただ気に食わない。 人格よりは価値観の問題だろう。 勝手にツイートを追っていながら ひそかに敵愾心を燃やす一人相撲をとっていたのだけれど 何日か前のツイートで大塚英志の名前を自前の論法に援用していた。 それを見てどこか安心してしまった自分を恥じた。 大塚英志は文芸評論も創作もいくつか見てきたが くだらん男だ。 生半可なくだらなさじゃなく 日本の文化にとって害悪と見なしきってるから はっきり悪い言葉で貶す。 アホをもっとアホにさせるアホの活性剤みたいな男だ。 こんな愚劣の筆頭みたいな輩を好む人間が この世から一人でも少なくなればいいと本気で思っている。 なのに、今回そのアカウントの彼が大塚なんとかの名前を (好きかどうかまではわからないが)引っぱってきたことで、 僕は瞬間的に、 ほらねやっぱりこの男も下らん男だった、 と自分に言い聞かせる心理を作用させていたのだ。 これはとても、とてもとても醜いことだ。 劣等感まるだしだ。 フェアーでもない。 品もない。強さも。知性も。 ただ、この作用の構造自体は、 人間が人間と関わり合うフィールドにおいて、 多かれ少なかれ、見えにくく働いてるとも思う。 覚えておきたかったのでここにメモ。 へこんだが…。
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