舌の色はピンク
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レオスカラックスの新作情報きた。 ヤッター。嬉しいです。 予告編の映像も期待させてくれるものだった。 この人の撮る街道、 とくに車を走らせた街道がとても好きだ。 去年公開したギャスパーノエの新作は コロナで観に行くの諦めたけど7月にはレンタル解禁だそうで。 ウーン遠い。
あらためて近所のレンタルビデオ店の ヒューマンドラマコーナーを物色してて パッケージのうたい文句にいらいら。 感動作の三文字が見えた時点で観る気が失せる。 まぁ実際そのケのある映画は見たくないから 判別できて便利ではあるんだろうけど… ヒューマンドラマってくくりをやめてほしい。 その他みたいな扱いのジャンルだ。 お涙ちょうだいの感情をかきたてる場面で それっぽいBGMが流れるような三下ドラマと アートフィルムを別にしてほしい。 そしてパッケージなんとかならんのかな本当に。 これがアニメだったらジャケットに ゴチャゴチャ能書き載せてないわけでしょう。 少なくとも感動作の三文字はない。 どんなお涙ちょうだいアニメだろうと。 広告代理店が噛んでるのはどちらも同じなんだし 単に客層の違いってことなんだろうか。 だったらなおさらヒューマンドラマでまとめるのやめてほしい…。
夕飯、すき焼き。 お義母さんが送ってくれた能登牛。美味しかった。 しかしこれが、ふるさと納税による返礼品であるらしく、 この制度を快く思っていない僕にとっては複雑だ。 「ふるさと納税が気に食わないから利用しない」は個人的信条の範疇で、 「ふるさと納税が気に食わないから人からのそれも固辞する」とまでなると へそ曲がり呼ばわりも仕方ない。 そして僕はそのつもりで営業していきたい。 のだが、配偶者の親御さんという関係性は、 そうした頓着のもつ力学を機能させないところがある。 こちらが勝手に我を抑えているだけなのだが、 ちょっと考えてみれば、 あっちの偏屈もそっちの偏屈も、 義理の親には弱い。 弱いというかこの場合に限っては ゴーイングマイウェイをあきらめるというか。 この構造はちょっと面白いので今後も考えていきたい。
天気よすぎ。 あったかい。 中目黒行きたい。 中目黒行って街歩きしてちょっと冷えた飲み物飲んで また歩いて適当に店入っておしゃれなもん見て 最終的にはフレンチでフルコースしたい。 いつわりならざる本音。
むかしのことを思い出す頻度が高まってる。 もともと僕は過去を振り返りまくる男で、 8歳くらいの時点ですでに「あの頃」の感覚があり、 なにかと思い出を振り返っていた。 最近は初めて一人暮らしをした20歳くらいの頃、 狭い部屋でブラッドサースティーブッチャーズや ルミナスオレンジをかけてのんびりしていた時間を思い出す。 部屋にテレビはなく、携帯端末はガラケーで、 今では考えられない量のメールを毎日誰それとやりとりしていた。 街の歩き方も人との接し方もこなれてきた頃で、 まぁ最強だった。 いろいろ悩みはあっても こわいものなし最強の毎日を過ごしていたから 思い返すと気分が上がる。 まだまだまだまだ未熟だったけど 未熟だったからこその最強なのだ。 それは満点が低いという意味なわけではない。 深遠を、奥行きを、先を知らないからというわけでもない。 熟す余地があるからというわけでもない。 あの頃、未熟の自覚はあっても最強の自覚はなかった。 これから成長していく確信はあった。 これから挫折していく未来も想定していた。 十年後の自分は今の自分を恥じるだろうという見通しも立てていた。 風がよぎるとほんのかすかに肌寒さを感じる五月のよく晴れた休日に、 ひとり自由が丘の街路に設置されたベンチで本を読んだ。 さして集中もせず、道行く人をぼんやり眺めたり 人目を気にして微妙に場所替えをしたり 雑感にまみれながら数十分を過ごした。 もうあんな幸せな時間は味わえないかもしれない。 今でもやろうと思えば同じような時間は過ごせる。 自由が丘に行ってベンチに陣取り本を読むくらいの予定は確保できる。 でも今の僕は、最強でなくなってしまった。 しかも未熟だ。
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