舌の色はピンク
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2021年04月06日(火) 男は男らしく

今の問題は
数々の誤解をとこうとしなかったことに起因してる。
一定期間に生じた不備のあれこれの責を全面的に負って
それでよしとしていたことが今の問題に帰結してる。
後輩のミス、マシンの不調子、
ちょっとしたタイミングのずれで傍からは失策に見える実体なき不備、
パズルの完成を前に散らばったピースから判断されて段取り下手扱い、
よくある数々のこうした不適な評点の一切は
本来なら正しい事実関係を報告するのが義務なはずだが
生来の気質のため一言たりとも訳を説明する気になれなかった。
言い訳にしか思えないのが嫌だからだ。
それを聞くことになる逆の立場は容易く想定できる。
だから詰問されてもハイ、ハイ、と応じるばかりだった。
犯してないの間違いを犯したことにして、
それでも誠実に過ごし続けていれば
だいたい誤解は解けるもんだし
これまでさんざん同じようなことはあって
そのたびにちゃんと見直してもらえてたから
かえって経験があだになったのかもしれない。
世界を信じすぎていた。
向こうからすれば
(他人からの歪んだ)情報と(直接の先入観ありきの)印象で
信頼が抜けてったってとこか。
でもそんなに悪いんかな。
依然、何も悪いことはしてないんだけれど。

架空のミスで(情報で)侮られてるのは今もってどうでもいい。
仕事できすぎでドンドン仕事が増えていき
他の人の1週間分の作業を1日でこなし続ける悲劇も過去あったから
もうそれを避けたいって打算もある。
自分は間違ってないと、自分だけがわかってれば問題ない。
ただそのためには、胸中においてだけは自己弁護していく格好になる。
自分の中には言い訳が渦巻いていくようになる。
それが苦悩になる。

僕には僕なりの妥当性、僕なりの正解、
僕なりの真実があって、
一つ一つの行動に理由もつけることができる。
しかしそれを人から問われたら、
断片的にしか伝えることはできない。
会話には音楽的リズムが求められ、また時間的制限にも縛られる。
真実的に緻密な話をしようとしたところで聞き手は退屈してしまい
話し手にしてみても面倒になってしまいがちだ。
こういうときほとんどの聞き手は
話し手の言葉一つ一つを誠実に聞き取りはせず
また話し手の論法を読み取ろうともせず
なんとなくな"印象"と"先入観"で
「話を聞きながら」自分なりの答えを
「話を聞き終わる前に」出してしまう。
仕事に限らないし、僕に限った事柄じゃない。
ありふれた構造なはずだ。

誤解はテーマになりうる。
言い訳もそこにくっつくだろう。
誰になんと思われようが
自分さえわかってればいいという達観さえも
心のなかは
おれは間違ってないのに
おれは正しいのに
おれは真実を知ってるのに
など自己防衛からくる感情にまみれて地獄と化す。

でも本当は、
私だって本当は、本当のところは、
知ってもらえたら、理解してもらえたら、
いい人なんだよ…
と認めてもらいたいものなのだろう、誰しも。
半端に理解を求めるよりは
勝手に誤解されてた方がましってことはあっても
心からの理解はされたいはずだ。
それに人のことを理解してやりたいのももちろん。

こんなふうに言葉を練らず
だらだらと心中を書きなぐるのは高校の時分以来かもしれない。
たしかに考えがまとまる気はする。
でも考えようとしている思考体系はかなりの大物で、
言葉を練らないことには真相に接近できないかもしれない。
理解と誤解。
人を知ること。人に知られること。
コミュニケーション。
印象。
人を見ること。人に見られること。


リングにかけろ!を読み返してるのですが
オリンポス12神編はスカスカだなあと。
それでも好きだけど。
ボクシングまともにやってた初期を思い返すとブルーになる。
菊ねえちゃんもかわいそうだ。
バトル漫画展開のためにせっかくの人格が駒にされて。
しかし23巻からの流れは好きで好きでたまらないのだった。
とくに最終戦直前の展開。
景気のわるい、貧乏くさい人情話やってたころが
ここにきてようやく思い返され、
キャラとキャラが噛み合ってドラマが爆発する。
ラストもベタだけどあのテンカウント大好きだな。

そして改めてあの漫画を観察してると
必殺パンチで攻撃力はあがっていくばかりだけど
防御力やヒットポイントがあがるわけじゃないから
整合性を捨て置いているとはいえ
いくらなんでもさすがに
ってなってくるのが十二神編。
そう考えると
十二神編に輪をかけてスカスカな阿修羅編も再評価できる。
防御力やらヒットポイントがあるという。

で、リンかけにおける数多の問題点を
みごと超克したのが聖闘士星矢なんだなあと。
聖衣の設定があるからいくらでも必殺技を強くしていってもいい。

ただ聖闘士星矢、
さっこんのポリコレ過剰社会からすると
目の敵にされてもおかしくない、
いやされないとおかしい、されろ、とすら思えてしまうほど
前時代的だ。

身分の上下関係が定まりきった封建制度下の役回り、
現在過去未来と一生分の自由が奪われてる、
女人禁制または女人にだけ厳しい掟、
問題ごとは暴力で解決、
まだまだあるけど
そもそも聖闘士の社会には人権という概念がない。
でも「アテナのために!」を号令にしたら
何もかも美徳になっちゃうのです。

でもたしかに男側からだけなら
それはそれで成立してしまうのです。
女たちは
アテナの身の上に自分を仮託して読めばいい、
自分のためだけに無数の男たちが戦ってくれるのだ、
命を懸けて守ってくれるのだ、
誉れ高い感じも味わえるだろうと。
女がそんな物語を押し付けられる不自由を嘆く程度の自由は
実現しつつあるのが現在の日本だと思いますが

それにしても、
「アテナのために!」
でビシッと固まる価値観、
この美徳はなおも美徳なんじゃないかとも思うのです。
男は男らしく、
女は女らしく、
という前時代的固定観念がどれだけ否定されようと、
男らしくから抽出された美徳、
女らしくから抽出された美徳は、
今もってなお大事にしていっていいと思うのです。

やはり若者の自転車の二人乗りは
男がこぐべきだと思うのです。
という話。


妻が買ってきた花を活けながら
ワアキャアわめいとった。
「なんか知らないんだけどお花屋さんが
ちっこいリンゴもつけてくれた」
「リンゴじゃん、本物かよなにそれ食べれるの」
「食べられないんじゃない」
「なんかさ、今のすっごいモテない男っぽくなかった?」
「うん。なんかモテない男のセリフだね」
「でも彼女はいる感じの」
「ああ、彼女相手のセリフだよね」
「もうじきフラれる感じの」
「意外とフラれないんじゃない?」
「そうか、意外とフラれない。それもわかる。人畜無害でね」
「できた」
「おお。…なんだその、カメレオンが舌巻いてるみたいなのは」
「ぜんまい」
「は? 花屋で? 山菜?」
「大きくていいなーと思って買っちゃった」
「面白いけど。それは食べれるの?」
「食べれるんじゃない?」


れどれ |MAIL