舌の色はピンク
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2014年12月13日(土) 巣離れ

東急東横線の学芸大学駅西口から2分ほど歩いた路地裏に、僕の気に入る紅茶専門店があった。老女主人が切り盛りするこの店は15席にも満たない喫茶室がメインの見るからに細々した経営で、『ティールームラビニア』というその名が書かれた看板すらどうか見落として欲しいとの祈りが込められているような小さい地味なものだった。かつてひと目で気に入った。喫茶室は木の香りと茶葉の香りと焼き菓子の香り、窓枠から差し込む季節折々の光線、だれかしら一人は歩いている外の通りの景色とがあいまって、敷坪以上の広々した空間を保っていた。そのわりに飾り気ない内装が一層の寛ぎを誘う。目立つ装飾品といえば店内のどこからでも視角に入る鑑賞花程度で、この花器が春にも雪にも夕暮れにもよく似合った。僕が初めて訪れたのは8年ほど前だったか、当時まだ一人暮らしに慣れない中で、安寧を求めしばしば行った。愛想の良い老女主人が淹れてくれる紅茶をじっくり、その日買った本か漫画かを読んだり読まなかったりしているうちに渋みきってしまう紅茶を一口すするごとに、コップの水で洗い流す瞬間がなによりの幸福だった。店内に目立たない装飾品はたくさんあった。僕が好んでそれ目当てに席を決めていた品はいかにも欧州の味わいの風情で、むき出しの歯車が作動するとブリキ人形数体が踊りだす仕掛けの、いうなれば玩具だったのかもしれない木工細工が、どうかするほど愛おしく、眺めに眺めて2時間経ていたこともあった。客層は有閑の婦人が多く揃い、料理教室の放課後めいた和気は傍目にも安らぎの音楽も同然だった。憩いの索引のような店だった。ドアを開けて出るとどの道もそれは帰り道となった。ついでの事情を差し込んだりせず、どこに寄り道しようとも心揺り動かされることもなく、いつも必ず帰り道になった。そういう店だった。家を越してからは年に一度だけ、決まって挑発的に寒い冬の日に来店していた。いずれの冬の日も変わらず弛緩した。誓いを履行するごとく弛緩した。年を経るごとに周りの人間も各々マチの店に通じていく、その点僕にとってはラビニアは心強い一種の誇りだった。岸の向こうの天狗がどれだけ、小洒落た、美味しい、あるいは安らぐ店に親しんでいても、脳裏に楽園を過ぎらせて、外連味なく胸を張れた。行こうが行くまいが懐に忍ばせていつでも加護を惜しまないお守り、それもひどく美しい一つの貝殻だった。今日ラビニアの閉店を確認して去来したものは喪失感よりも自立を促された心境に近い。僕は大人になった。緩みたいならいくつかのすべを心得てる。観想郷なら今の住処で間に合うだろう。いつか大人に飽いた頃には構わず化けて出てきて欲しい。待ち合わせもせず待っている。


れどれ |MAIL