ぺニンスラフリーメソジスト教会 牧師メッセージ

2008年05月04日(日) 聖日礼拝

「神は言われた。『わたしは必ずあなたと共にいる。このことこそ、わたしがあなたを遣わすしるしである。あなたが民をエジプトから導き出したとき、あなたたちはこの山で神に仕える。』」 出3:12


メッセージ題 「神が共にいる」 

 モーセは不思議な神の導きにより、エジプトで王女の子供として育てられました。そして40年、ある日モーセは、同胞のイスラエルの民がエジプト人に虐待されているところを見てしまいます。怒ったモーセは、思わずエジプト人を殺してしまい、誰にも見られないように死体を隠します。翌日、今度は同胞同士がケンカをしている場面を目撃し、仲裁に入ります。ところが「お前は、あのエジプト人と同様に私をも殺すのか!?」と言い寄られ、前日の事件がばれていることを知ります。そしてモーセはエジプトを逃亡し、荒野へと身を隠し、そこで40年過ごすこととなるのでした。
 その荒野でのある日のこと、ホレブ山でモーセは不思議に燃える芝を見ます。近づくと、そこは神の聖域でした。足から履物を脱ぐように声がしていよいよ神に近づき、モーセはその聖なる場所で神の臨在に触れるのでした。
 ここでモーセにとって、驚くべきことが告げられます。苦役を強いられている200万人のイスラエルの民を率いて、エジプトを脱出せよと言われ、しかもそのリーダーとしてモーセが立てられるというのです。
 あまりの壮大な計画を知らされ、「自分のような者ができるはずがありません・・・」と、モーセは激しく拒みました。しかし神は、今日の聖句を示され、必ず共にいるという約束と勝利の宣言をなさったのでした。この後の歴史はよく知られている通り、確かに神のおっしゃった通りになるのでした。
 モーセがエジプトで育った40年は、帝王学を徹底的に学ぶ40年でした。そして荒野の40年は、イスラエルの民を率いるのに必要不可欠な荒野の生活を習得する40年でした。意味のない、また不必要にさえ思える人生の出来事でさえ、神にとってはみな最善に用いられていきます。それは私たちの人生にとっても同様です。
 私は神学生時代、子供を前にしてでさえ、話しをすることが苦手でした。公園にいる子供たちを集めてイエス様のお話しをするという実習があるのですが、その時にも何も話しをすることができず、子供にバカにされ、石を投げられたこともあります。そこで私は、「手作りで紙芝居を作ったら、子供は聞いてくれるかも知れない」と思い、次から早速実践しました。確かに子供は興味を示してくれるようになり、それが私の自信となって、今に続いています。この経験が無ければ、私が現在ペニンスラ教会でしているような紙芝居はなかったでしょう。
 神様には無駄はありません。その出来事の最中には私たちにはその意味が分からないかも知れませんが、神様はすべてご存知です。神様は共にいて、私たちの人生を確かに導いてくださるお方なのです。

ペニンスラ フリーメソジスト教会
牧師 榊原 宣行



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