ぺニンスラフリーメソジスト教会 牧師メッセージ

2008年04月13日(日) 聖日礼拝

「『見よ、おとめがみごもって男の子を産むであろう。その名はインマヌエルと呼ばれるであろう』。これは、『神われらと共にいます』という意味である。」 マタイ1:23


メッセージ題 「インマヌエルの神」 

突然新約聖書に移ったかのような感じがしますが、実はそうではありません。このマタイ1章にはイエス様の系図が記されているわけですが、それと創世記のお話しとは深い関わりがありますので、今日はこの聖書の箇所を選びました。
イエス様の系図には、ユダとタマルという男女が出ています。この2人の子孫に、イエス様がおられます。しかしこの2人は、夫婦ではありません。ユダはヤコブの子です(ヤコブはアブラハムの孫)。そしてタマルとは、ユダの嫁なのです。
ユダには三人の息子がおり、長男の嫁がタマルでした。ところが長男が死んでしまいまして、当時の律法に基づき、タマルは次男の嫁となります。しかし次男もまた死んでしまいましたので、タマルは三男の嫁にならなければなりません。でもユダは、三男も死んでしまうことを恐れ、タマルに与えることはしませんでした。死んだ二人の息子は、実は神様への罪ゆえに死んだのです。それをユダは知っていたのですが、それでもタマルに対して正しいことをしようとはしませんでした。そこでタマルは、遊女を装ってユダに近づき、そうとは知らないユダはタマルと関係を持ってしまうのです。そして生まれた子供から系図は続き、イエス様はその中に生まれてくださったのでした。しかもユダとは、今のイスラエル民族の流れを作った部族でもあります。
イスラエルの本流であり、救い主イエス様の系図の中にいるユダとタマルは、実はこんなにも罪深い存在でした。それにも関わらず、聖書は堂々とこの2人を重要な系図の中に記しています。それはこの系図は、この世の現実そのものであり、私たちそのものだからです。
私が若い頃、渋谷で深夜のアルバイトをしていたことがあります。ある日のこと、そのアルバイトの休憩時間に私は歩道橋の上から、真夜中の渋谷の街をぼーっと眺めていました。自動車も人もすっかり少なくなった時間帯、静まり返った渋谷の大通りでしたが、突然「ザザザザー」という音と共に、黒い大きな影が大通りを横切ったではありませんか。驚いてそれを良く見てみると、何とそれはネズミの大群だったのです。昼間にはきらびやかな姿を見せる渋谷の街ですが、実はこんなネズミが住み着いていたのです。
その渋谷の街は、罪深い私の心の中だとつくづく思いました。表側はそれなりの人間に見えても、内側には黒いものが潜んでいます。しかしイエス様は、そんな私の心に生まれてくださいます。そしてインマヌエル、つまり共に生きてくださるのです。なんという驚くべき恵みなのでしょう。このお方は、あなたの心にも生まれてくださいました。

ペニンスラ フリーメソジスト教会
牧師 榊原 宣行



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