「ヤコブは、『わたしは顔と顔とを合わせて神を見たのに、なお生きている』と言って、その場所をペヌエル(神の顔)と名付けた。」創世記32:30(新共同訳31節)
メッセージ題 「ペヌエルの経験」
エサウのもとから逃げたヤコブの逃亡先は、母ラケルの兄ラバンのもとでした。その地において、ラバンの次女ラケルとの結婚を申し出たヤコブでしたが、何も持たないヤコブは、七年間の労働を義務付けられます。ラケルを愛していたヤコブには、その七年間は数日のようでした。そして結婚のその日、連れてこられたのは実は姉のレアだったのです。だまされたヤコブですが、「姉より先に妹を嫁がせるわけにはいかない」と今更ながらにラバンに言われ、仕方なく一週間後に改めてラケルも妻とします。そして更に七年間の労働を義務付けられてしまうのでした。 こうしてだまされながら、また二人の妻との間の争いに巻き込まれながら20年過ごしたヤコブは、脱走の決意をします。しかしそれを見破られ、結果的にはラバンと和解するのですが、ともかく大変な逃亡先での日々をヤコブは過ごしたことでした。 しかしヤコブはここで、20年前の現実を突き付けられます。それはつまり、兄エサウとの再会です。ヤコブは恐怖で震え上がり、自分の群れを二手に分けて、もしも先発隊が撃たれても自分が生き残れるようにと画策します。 そしてこの夜、不思議な出来事が起こります。神の使いがヤコブと格闘するという、そんな不思議な出来事が起こったのです。この格闘で、ヤコブはもものつがいをはずされます。この出来事は、自分の力で生きてきたヤコブが、自分ではどうしようもできない人生の現実にぶち当たり、その中で神を見出し、神によって自我が打ち砕かれ、自分で立つのではなく神によって立って生きるということを思い知る、その経験でした。「はしご」の出来事で神を知ったヤコブでしたが、更に深いこの経験によってヤコブは神によって生きる者とされたのです。 こうしてヤコブは、「イスラエル」と名付けられました。「イスラ=争う」「エル=神」という意味なのですが、これはつまり、「神はヤコブの自我を取り去り、ヤコブは神によって弱さに勝利した」というものです。イスラエル国家の名前は、アブラハムやイサクではなく、ヤコブから名付けられました。自我丸出しのヤコブを神様は憐れみ、恵みをもって愛を注いでくださいました。この神が、あなたの神なのです。 私も自我丸出しの人間で、クリスチャンでありながらも、自力で何とか生きようとした時期もありました。しかし自力ではどうすることもできない現実を突き付けられ、深い祈りへと導かれたことがあります。これは私のペヌエルの経験でした。それは貴重な経験です。深い神様との交わりを経験する人は、実に幸いな人であると思います。
ペニンスラ フリーメソジスト教会 牧師 榊原 宣行
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