「彼はまた言った。『主よ。どうかお怒りにならないで、今一度だけ私に言わせてください。もしやそこに十人見つかるかもしれません。』すると主は仰せられた。『滅ぼすまい。その十人のために。』」 創世記18:32
メッセージ題 「信仰者の祈り」
ユダヤ人の父祖であり、信仰の祝福の源であるアブラハムについて見ています。今日はその周辺と言いますか、甥(おい)のロトについて見てみましょう。 ロトは、ソドムという町に住んでいました。ソドムとゴモラと言えば、罪を象徴する名称になっています。その通り、ソドムの町は荒廃していました。ロトはそれでも正しく生きようと葛藤していたようですが、それでも町に馴染んでしまったようなところもあったようです。 ある時神様は、この町を滅ぼそうとおっしゃいました。それを聞かされたアブラハムは、「50人、いや45人でも・・・、いえ40人、30人、20人・・・もしも10人の正しい人がいたら、思いとどまってくださいますか?」と、とりなしの願いを捧げました。神様はその10人のために町を救うと約束されたのですが、結局は10人の正しい人がソドムにはいなかったのです。神の使いが町に入ると、人々は彼らを犯そうとします。その神の使いを守ろうと、ロトは娘を身代わりに差し出そうとします。神の使いを守ろうとする思いは正しいのですが、娘を犠牲にするという発想は間違っています。そういうロト自体が、あまり事態の深刻さを実感していないようで、「町が滅びたら自分の財産はどうするの?」みたいな心配をしてみたりしますし、娘婿(むこ)は言うことを聞かないし、奥さんは滅び行く町を惜しんで振り返り塩の柱になってしまいました。娘たちも逃げた先での神の守りを確信できず、父親に酒を飲ませて自分たちの子供を作らせてしまいます。もうヒッチャカメッチャカという感じですね。 こんなロトでありましたが、それでも神様は彼のほんの小さな信仰に応えてくださいました。また、背後のアブラハムの祈りに応えてくださったのです。祈りは尊いものです。とりなしの祈り、そして信仰者の祈りには、大いなる力があります。たとえ小さな祈りでも、神様は必ず応えてくださるお方です。
ペニンスラ フリーメソジスト教会 牧師 榊原 宣行
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