| 2008年02月03日(日) |
聖日礼拝 特別講師;水城ジョン牧師 |
「さて、ステパノのことから起こった迫害によって散らされた人々は、フェニキヤ、キプロス、アンテオケまでも進んで行ったが、ユダヤ人以外の者にはだれにも、みことばを語らなかった。ところが、その中にキプロス人とクレネ人が幾人かいて、アンテオケに来てからはギリシヤ人にも語りかけ、主イエスのことを宣べ伝えた。そして、主の御手が彼らとともにあったので、大ぜいの人が信じて主に立ち返った。」使徒11:19〜21 「さて、アンテオケには、そこにある教会に、バルナバ、ニゲルと呼ばれるシメオン、クレネ人ルキオ、国主ヘロデの乳兄弟マナエン、サウロなどという預言者や教師がいた。彼らが主を礼拝し、断食をしていると、聖霊が、『バルナバとサウロをわたしのために聖別して、わたしが召した任務につかせなさい。』と言われた。そこで彼らは、断食と祈りをして、ふたりの上に手を置いてから、送り出した。」使徒13:1〜3
メッセージ題 「アンテオケの教会」
アンテオケの教会は、牧師が中心として建て上げられたものではなく、信徒が中心であり、しかも異邦人が中心でした。保守派と改革派によってバランスよく運営されており、包括的でもありました。そして何よりも、愛のある教会だったのです。エルサレム教会は、ユダヤ人中心で、使徒たちによって建てあげられていました。エルサレム教会も愛のある教会でしたが、どちらかというと教会内にその愛は向けられていました。ところがアンテオケ教会は、外に愛が向けられていたのです。そして、アンテオケ教会には聖霊が満ち満ちていました。更に、断食と祈りをする熱心な教会だったのです。 アンテオケ教会は、外に向かっていく教会だったわけですが、伝道のために遣わした人々は、実に有能な人たちでした。本当は外に行って欲しくない、教会に残っていて欲しいという人材を、あえて外に送り出したのです。そういうことが教会には必要です。 私は先日、ブラジルに宣教旅行に行ってきました。とても成長した、恵まれた教会を訪問しました。その教会は、伝道する、宣教する教会でした。教会員が街に出て、伝道して歩くのです。50年の歴史で7000の教会と100万の信徒を生み出したという、素晴らしい教会でした。 教会はある時期、伝道によって伸びていきます。しかしある程度の大きさになると、内固めになり、成長が止まってしまうことが往々にしてあります。でも、本当は伝道の止まる時があってはならないのです。教会は常に伝道し、外に向かって働きを続けていかなければなりません。そうした時に教会は成長を続け、祝福され続けていくのでしょう。
特別礼拝 メッセンジャー 牧師 水城 ジョン
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