ぺニンスラフリーメソジスト教会 牧師メッセージ

2007年12月02日(日) 聖日礼拝 ―第一アドベント―

「ユダヤ人の王としてお生まれになった方はどこにおいでになりますか。私たちは、東のほうでその方の星を見たので、拝みにまいりました。」 マタイ2:2


「救い主を見た人々」

 先週は、ミカの預言の箇所からメッセージをしました。その預言の言葉の通り、救い主を求めて東からやってきたのは、博士たちです。東とは、バビロンだともペルシャだとも言われます。いずれにせよ、イスラエルからは遠く離れた地です。そして博士という職業自体、占星術だとも言われていますから、異邦人中の異邦人という人々なのでしょう。しかし神様の恵みは、求める者に確かに与えられるのです。もちろんこれは、占いを肯定するお話しではありません。そうではありませんが、神様の恵みと愛の注ぎは、へりくだって主を求める者に惜しみなく与えられるということなのです。
 私はアメリカに来て、7年半になります。渡米してから数年は、心細い日々の連続でした。あるクリスマスの夜、近所のグローサリーに買い物に行くと、そこで救世軍(サルベーションアーミー)の方々がクリスマスキャロルを演奏しておられました。お世辞にも上手とは言えない演奏でしたが、私はその前で立ち尽くしてしまいました。何だか涙が出て仕方なかったのです。今になって思い返すと、緊張して過ごしていることに疲れ、がむしゃらに走ってきた自分に気付き、ふと立ち止まって、我を振り返ったのだと思います。正直言いますと、ちょうど今年のクリスマスもそんな気持ちです。家内の父が倒れ、家内は急きょ日本へ行き、毎日看病しています。遠く離れたアメリカにいる私は、ICUでの闘病を続ける義父に対しても、緊張しながら毎日を過ごす家内にも、何もしてやることが出来ません。娘たちだって、本当はさびしいだろうに何も文句を言わずに、協力してくれており、その姿がけなげで申し訳なく思います。そんな、何とも言えないつらさが、今の私の中にはあります。牧師はもっと力強く見せた方がいいのかも知れませんが、私はそんな強がりを言えるタイプじゃありません。これが本音なのです。
 しかし皆さん、私はだからこそ、主イエス・キリストの降誕を心から待ち望みます。博士たちは、イエス様を待ち望み、求め、救いの光を得ました。私もまた、イエス様を求め、救いの光をいただくのですその救いの輝きは、あなたにも与えられます。

ペニンスラ・フリーメソジスト教会
牧師 榊原宣行



 < 先週  INDEX  次週 >


nobuyuki