「受けるよりは与える方が幸いである」 使徒20:35
「感謝を示そう」
今日は、日英合同の感謝祭礼拝です。感謝祭とは、アメリカだけのお祝い事ですね。かつてイギリスから渡ってきた人たちが、ネイティブ・アメリカンの方々に助けられながら、このアメリカの地に根付いていったことを記念し、今でも感謝祭が行なわれています。感謝することを忘れないということ、これはとても素晴らしいことだと思います。 この聖句は、イエス様の言葉です。しかし、四つの福音書には出てきません。当時はイエス様の語録のようなものがあったのでしょうし、人々の記憶の中に生き生きとイエス様のお姿もメッセージも残っている時代ですから、このような福音書には記されていないようなイエス様の言葉が引用されたのでしょう。 私たちはイエス様に、十字架による救いという最大のプレゼントをいただきました。永遠の命をいただいた私たちは、もらいっぱなしで良いのでしょうか? 感謝を示す、つまり具体的に感謝に応えることが必要なのだと思うのです。神様に感謝を示すこと、それを具体的にするということは、隣人に対して愛の行動を起こすということではないでしょうか? 困っている人、それは家族かも知れませんね。その人に愛の手を差し出すということ、これが感謝を示すことの第一歩だと思います。 福音書に五つのパンと二匹の魚の有名な記事があります。この食事は、弟子たちによって配られました。12人の弟子たちで、5千人以上の人たちに食事を配布したのです。どうやってそれをしたのでしょう? もしかしたら、他の人たちが協力して、食事を運んだのかも知れませんね。もしも最初にパンと魚が配られた人が、「次は飲み物が欲しいなあ」と要求したら、弟子はまたそれを取りに行かなければなりません。そして「次はサラダ、果物、ケーキ、ゼリー、もっともっと・・・」と次々に要求し続けたら、いつまでたっても後ろの人には食べ物は行き渡らないのです。そうではなく、食物を受けた人は、次には食物を配るようにならなくてはなりません。それが主に仕える、そして人に奉仕するということでしょう。 私たちは神様からたくさんの愛を受けました。今度は、与える幸いを味わおうではありませんか。感謝祭のこの時、お互いが何が具体的に出来るだろうかと考えてみましょう。
ペニンスラ・フリーメソジスト教会 牧師 榊原宣行
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