ぺニンスラフリーメソジスト教会 牧師メッセージ

2007年07月22日(日) 聖日特別礼拝 講師;佐藤彰牧師

「神である主は、人を取り、エデンの園に置き、そこを耕させ、またそこを守らせた。神である主は、人に命じて仰せられた。『あなたは、園のどの木からでも思いのまま食べてよい。しかし、善悪の知識の木からは取って食べてはならない。それを取って食べるその時、あなたは必ず死ぬ。』 その後、神である主は仰せられた。『人が、ひとりでいるのは良くない。わたしは彼のために、彼にふさわしい助け手を造ろう。』」 創世記2:15〜18

「人間の原点」

 この聖書の箇所には、四つの人間の原点が示されています。第一は、「自然」ということです(15節)。私の知人で心の病を負っていて、「水平線を見ていただけで、次第にいやされてきた」とか、「家庭菜園をして土いじりをしたことが、いやしのきっかけになった」という方がいます。アダムの語源は「土」ですが、正に人は土を触り、自然と共に生きてこそ、本当の生き方をすることが出来るようになるのです。
 第二には、「仕事をする」ということです。15節に、「耕せ」「守れ」とあります。これは仕事をせよ、つまり、自分のなすべきことをする、使命に立つということです。この地上の歩みは、順番待ちをする病院の待合室ではありません。天国からお呼びがかかるのをじっと待っていればいいという、それではあまりにも生き生きとしていません。あなたには、あなたにしか出来ない神様の使命があります。
 第三は、「自由」ということです(16節)。神様は、人間をロボットのようにつくったのではありません。エデンの園の何を食べても良い、何をしても良いと、自由を与えられたのです。つまり人は、この人生を楽しく生きるべきだということです。神様が与えられた自然を尊び、人生を耕すならば、もっともっとその人の人生は楽しめるはずです。
 第四は、「家庭」です(18節)。家庭は神様からの賜物で、その家庭を大切にしてこそ、本当の平和があります。
四つの人間の原点を挙げましたが、どれも現代社会はずいぶんそこからずれています。自然は破壊され、人は目的を失い、人生を楽しむことなく、家庭は崩壊しています。この四つの原点を生きるために必要なのは17節、つまり神を第一にして生きるということです。神様を自らの主としてこそ、人は本当の生き方をすることができるようになるのです。
私の娘は、保健室の先生を目指し、今はそこで働いています。大学入試の時、また卒業後の公務員試験の時に、動機を記す必要があったのですが、そこには、「神様や親や教会の人たちに愛されて育ち、ある時に教会のキャンプで恵みを受け、その愛に応える生き方をしたいと思った」と書こうとしました。親としては、「これではあまりにキリスト教すぎて、一般には受け入れられないだろう」と思い、キリスト教用語の箇所は一般的な用語に書き直すように進言しました。しかし彼女は、ありのままのことを書きたいと主張し、ゆずらなかったのです。そしてその結果、多少は「保健室で布教するのか?」とか、「新興宗教の人が来たらどうするのか?」などと質問されたそうですが、たいした問題もなく、無事に大学も公務員試験もパスしました。
みなさん、神様中心と決めたら、ひたすらその道を歩み続けましょう。この世の知恵に頼って生きるとか、アレコレひねって生きるのではなく、自然の中で、自分の使命に立ち、自由に、家庭を大切にしながら、神を仰いで生きようではありませんか。

特別講師 佐藤彰牧師



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