ぺニンスラフリーメソジスト教会 牧師メッセージ

2007年07月15日(日) 「起きて歩け」

「イエスは彼に言われた。『起きて、床を取り上げて歩きなさい。』」 ヨハネ5:8

 ベテスダの池、それは今で言うところの間欠泉、その周りに大勢の人が集まっていました。そこに入ればいやしの効果があったということから、われ先にとそこで水が吹き出るのを待ち望んでいたのです。そこに、38年もの長きにわたって病を患っている人がたたずんでいました。並んでいてもいつも先を越され、今日もいつものようにそこにたたずんでいたのでした。イエス様は彼に出会い、「治りたいのか?」と尋ねられたのです。治りたいに決まっています。でも、あえてイエス様はそういう質問をされました。それは、彼の意志、言い換えれば信仰を確かめたのです。そしてイエス様は上記の聖句を述べられ、彼はいやされ、立ち上がりました。
 信仰のない所に、業は起こりません。適当な思いで祈っても、それが応えられるはずがないでしょう。しかしそれは、何でも願えば思い通りになるという意味ではありません。子供が親に、熱心に求めれば、親はそれが必要かどうかを見極め、与えるでしょう。そのように、神様は私たちの必要に応じて、最善をなしてくださるお方なのです。
 私は久しぶりに日本へ一時帰国し、一昨日戻りました。皆さんのお祈りと、留守を守ってくださったことに感謝します。久しぶりの日本でしたから、すっかり浦島太郎になったような気持ちでした。道路はよく整備され、電車やバスは網の目のように完備され、便利なお店は立ち並び、何でも思い通りになるのが日本の社会です。私はアメリカ生活が長くなりましたので、こんな便利さを忘れていましたが、今回久しぶりに帰国して、改めて日本の豊かさをしみじみ思いました。しかし、だからといって、日本人はみな生き生きとしているでしょうか? 中高生ばかりでなく、中高年や老齢の方々、そして政治家や芸能人までが自殺しています。皆、不安をかかえて生きているのです。ベテスダの池の男は、生きていましたが、霊的に死んだ者でした。多くの日本人もまた、生きているのに、霊的に死んでいます。だから主は今日も叫んでいます、「起きて歩け!」と・・・。
 クリスチャンであっても、苦しみや悩みや痛みを負います。また、罪を犯すこともあります。でも主は、そんなあなたにも、「起きて歩きなさい、大丈夫、いつでも立ち上がって再出発できるんだ」とおっしゃっているのだと私は確信しています。

ペニンスラ・フリーメソジスト教会 日語部牧師
榊原 宣行



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