「わたしは裸で母の胎を出た。また裸でかしこに帰ろう。主が与え、主が取られたのだ。主のみ名はほむべきかな」 ヨブ1:21
*本日のペニンスラ教会の礼拝には宣行牧師は不在だったため、日本の坂戸ホーリネス教会の講壇で本日語られた宣行牧師のメッセージを掲載します。
ヨブは、神様の前に正しい人でした。サタンは神様に、そしてヨブに挑戦し、財産や持てるもの全てを奪います。しかしヨブは、この聖句を述べ、神様に従い続けました。 この坂戸教会の主任牧師であられる郷家先生は、神学校時代の先輩です。郷家先生との一番の思い出は、毎週木曜日に公園へ伝道実習に行ったことです。三人一組となって公園へ行き、子供たちに伝道するのですが、新入生の私は、先輩の郷家先生に習って、何とか頑張ろうとしました。しかし、どうやって子供たちに神様のことを伝えたら良いのか分かりません。「子供たちにさえ福音を語ることが出来ないなら、私は牧師になど到底なれるはずがない・・・」と、自信をすっかり喪失し、神学校を辞めたいと思い、夜逃げをしてしまったのです。ところが逃げる途中にある人に見つかって引き戻されました。その人は、涙を流して私のために祈ってくださいました。それから、私は祈ることをはじめました。毎朝、早天祈祷会よりも1時間早く、朝5時に起きて祈り続け、やがて必要な力が与えられ、子供たちに、そして大人に対しても、メッセージを語れるように変えられたのです。 この時の私の苦しみは、二度と経験したくはありませんが、無くてはならないものでした。それがあったからこそ、祈ることを覚え、神様に頼ることを学んだのです。苦しみは、後になって意味が分かることがあると、それもまた教えられたことでした。しかし、ヨブの場合は、必ずしも解決が与えられたわけではなく、納得いく答えが告げられたわけでもありませんでした。でもヨブは、神様の臨在に触れるということによって、勝利が与えられ、生きていきました。私たちもまた、後になって理由が分かることもあれば、結局最後まで意味が分からない出来事もあるでしょう。そうであったとしても、永遠の世界へ目を向けるならば、必ず明日を生きる力が与えられていくはずです。神様はあなたに明日を、そして未来を、永遠の世界を約束しておられます。
ペニンスラ・フリーメソジスト教会 日語部牧師 榊原 宣行
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